第4話
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丸テーブルを四人で囲んで飲み物が揃うと、アルカの口上を追って四人のグラスが鳴った。テオはひと思いにジョッキを傾けて喉ごしを堪能したあと、胃の中にぽっと灯がともる感覚に浸った。目の前が少し明るくなって、翼が生えたように身体が軽くなる。酒に弱い方ではなかったが、一ヶ月ぶりのアルコールは染みがよかった。
たちまちジョッキを空にしてテーブルに置くと、目を付けたアルカがすぐ店員を呼ぶ。彼女のジョッキも空になっていたが、それはいつも通りのことだ。次は果実酒にしようかとテオがメニューを見ていると、アルカは先にその半分を指で挟み、「ここからここまで持ってきて。ボトルでいいわ。グラスと割り材もまとめて」と言った。彼女は鋼鉄の肝臓を持つ大酒飲みで、ビールのことは麦ジュース、ワインのことはブドウジュースと頑なに呼ぶ。
「テオは、何にするの?」
「お前が頼んだ奴から適当に貰うよ……」
テオが呆れ半ばにそう言うと、横からカイトが口を挟んだ。
「なぁ。お前、こないだ太るから酒辞めるって言ってなかったっけ」
「今日は私の為じゃなくてテオの帰還をお祝いするために呑んでるんだから、カロリーはテオ持ちよ」
「ふ~ん。なぁヴィル、何言ってるか訳してくれ」
「世迷言です」
カイトとテオが破顏した。
しばらくして、ウェイターが二人がかりで酒を持ってくる。無数のボトルに氷にソーダ、アイスピックと種々のグラスがたちまちアルカの前であふれ返り、しまいにははみ出してヴィルのスペースまで侵犯した。
「あの、何ですかこれ。全部飲む気ですか? 死にたいんですか?」
「グラスごとに頼むのって申し訳ないじゃない。流石に全部は飲まないわよ。余ったやつは持って帰って、また家で飲むの」
「結局は全部飲むんじゃねぇか」
カイトがたまらず割って入った。テオは彼女の飲み方に口出しする気はなかったが、会計については一言だけ、自身の立場を表明しておく必要があった。
「割り勘はしないぞ」
するとアルカはおどけた様子で、
「もっと皆が酔っぱらってから頼むべきだったわ」
と笑った。
⁂
それから料理を注文して、テーブルには日本の居酒屋料理がごちゃごちゃと並んだ。テオは父親にギリシャ、母親に日本の血を持つが、生まれも育ちも日本で、凹凸のハッキリした端整な顔立ちと名前以外はほとんど日本人だ。醤油とみりんとアミノ酸と味噌を愛している。ヴィシュ帰りの居酒屋料理は馳走の山と言って過言ではなかった。
「多少、汚くなるが許してくれ」
大皿の焼鳥を三本掴み、根元を食んで串を引き抜く。鶏肉のあちこちと油とタレと塩とレモンと旨味が混沌とした旨味となって、彼の味蕾を痺れさせた。味が出なくなるまで入念に噛み砕いて飲み下し、口腔に残った汁気を酒で洗い流す。喉を伝って、延髄から脳へダイレクトに快楽が届いた。
「あぁ、生きてて良かった」
「ヤキトリだっけ。そういや、食べたことないわね。そんな美味しいの?」
アルカも串を摘まんで矯めつ眇めつしながらテオを一瞥し、試しに一切れ頬張ってみる。
「あぁ、酒のアテね」
「そういう料理だ。母さんもよくコンビニで買って食べてた」
「お前の母ちゃん、そこそこズボラな感じがするな」
「さぁ、どうだったか。他を知らないから何とも言えないな。ただ、アルカぐらいよく酒を飲む人だった」
「あら素敵。天に召されても飲み友達がいるなんて」
テオの食指は三人の倍の速さで進んだ。無機質な食事を続けていたせいで舌が敏感になっているのか、一口ものを含んだだけで無数の情報が脳内を駆け巡って、極彩色の絵画のようになる。ライムの酎ハイを頼んでそのキャンバスを白紙に戻せば、またモノを放り込んで味を塗りたくる。
「胃に容量が無ければ、永久機関が完成している所だ」
満足行くまでそれを繰り返していると、四肢の末端が仄かに熱を帯び、テオはほろ酔い加減になってきた。胃が燃えるように熱く、飲み込んだものは焼かれてたちどころに消えるような気がしてくる。焼き鳥に飽きると、その他の料理にも手をつけた。出汁巻き卵、煮込み、枝豆、サラダ、釜飯。テオはそのいずれも、顔を綻ばせながら頬張った。
「……その、お酒ってそんなに美味しいものなんですか?」
好奇心の籠った目でヴィルがおずおずと尋ねてくるのを見て、テオは彼女の手元にある飲み物が烏龍茶であることに気付いた。
「そう言えば、お前はまだ19だったな」
「ヴィルがおさけに興味もった!」
途端、アルカがそれに耳ざとく反応して、即座に簡単なカクテルを作った。氷に放り込まれたグラスに氷を詰めて、ブランデー、キュラソー、ジン、ベルモットと注いでコーラで割る。電気ブランコーラだ。日本生まれのカクテルだが、アルカのお気に入りの一つである。
「かなり薄めに作ったから、そんなにキツくないわ」
「え、でも、私はまだ――」
「誕生日いつだっけ?」
「ちょうど来月くらいです。2月24日なので」
「誤差! 合法!」
「は、はぁ……まぁ、頂きます」
言われるがままにグラスを受け取った彼女は、眼をぱちくりさせながら液面を見て、数秒後、ごくりと意を決して水面を傾いだ。アルカが「どんな感じ?」と期待たっぷりの目で反応を伺っている。ヴィルは喉をこくんと鳴らしてしばらく沈黙し、突然、「ふぁ」と萎んだ風船のような声を放って机に突っ伏した。
「――あら?」
束の間の静寂に、彼女の深い寝息が響く。
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