Part.1 拠点――Basements
第3話
「――やぁ。一か月ぶりだね、テオ」
レキ内部の地下、リンクデバイスの生みの親である博士の自室、もとい研究所にてテオは任務完了を報告する。壁、天井、床を全て透明な素材で覆われた異様な空間で、向こう側はすべて自動工場の生産ラインが広がっている。
「頼まれてたものだ、博士」
その部屋の隅にある博士のデスクへ歩み寄り、テオは自分のリンクデバイスを手渡した。博士がそれを机に置くと、どこからともなくホログラフィック・モニタがその上に現れて、首輪の解析経過を中継しはじめた。
「コンピュータがひとりでに動くのは、どうも慣れないな」
「インターフェースがキーボードからリンクデバイスの送る思念に変わっただけで、ひとりでに動いてるわけじゃないよ」
アナログとデジタルの懸け橋となるリンクデバイスは、人の意図や思考とコンピュータの相互通信を可能とした。いまやコンピュータを操作するために
「解析完了まで二日程度、かな。いやぁ、記憶のデータ化は前もやったけど、復元となるとまだまだ課題が多いね……。ま、それはそれとして、これで任務完了だ。ご苦労様だね、テオ。コーヒーを淹れよう。君も飲むだろう?」
博士は机の角にあるコーヒーセットからミルを取って、ゆっくり豆を挽き始めた。
「いや、カフェインは止めておくよ。これから飲まなきゃならないから」
「アルコールの酔いがカフェインの興奮作用で相殺されて、歯止めが効かなくなるって話か。ずいぶん健康志向になったもんだね」
「いや、他の水分を一切取ってないんだ。駆けつけ一杯に命を懸ける」
ははっ、と博士は快活に笑って、「安心したよ」と肩をすくめた。
「居酒屋かい」
「そうらしい」
「羨ましいね。僕も日本人だし、忙しくなければ参加したんだけどなぁ……。まぁ、何はともあれ、ストレス発散は大切だ。損な役回りをご苦労様だった。楽しんでくるといい」
ミルの引き出しを開けて擦り終えた豆をフィルターに落とし、ポットからゆっくり湯を回しかける。ポタポタ滴る黒い雫がをカップを満たすまで、まだ少しかかりそうだ。
テオはその様子を不思議そうに見ながら、彼に訊ねた。
「これだけ広い工場とアンタの技術があれば、それこそ指を鳴らすだけで最高のコーヒーが出てきそうな気もするけど」
「なにごとも中庸だ。時にはアナログも良いものだよ。君なら分かるだろ?」
「わかるけど、こんな部屋に住んでる人間の言う事じゃないだろ」
よく言われるよ、と博士は苦笑した。
「でもこんな僕じゃなきゃ、今のレキは出来ていない。生存と安全に全てを傾けた結果、人の暮らしがどうなったか――君には聞くまでもないことだろ?」
「ま、それはおっしゃる通りで」
ようやくドリップが終わったカップに、博士は角砂糖をぼとぼと落とした。五個、十個、ニ十個、三十個。テオは歯が浮きそうな思いになりながら、その糖分で飽和した液体を、博士がたいそう美味そうに嗜むのを眺めた。何が中庸だ、とは言わぬが花である。
「しかし、君が生傷をつけて戻ってくるのは珍しいね」
博士は曇った眼鏡をシャツでぬぐいながら、テオの頬に貼られた絆創膏を見た。ダリスのパンチをスレスレで躱した時にできたかすり傷を、ヴィルが甲斐甲斐しく手当てした跡だ。
「……まぁ、敵とひと悶着」
「君の
「まぁ、私闘だ。それに、レキに馴染めそうな奴も探してこいって話だったろ? あいつで間違いないと思う。年齢も相応だし、トロールにも同情してた。歯も黄色かったな。ありゃヤニの跡だ」
すると博士はそれを聞いて眉の尻を下げ、深く息を吐いて安堵を浮かべた。
「そうか。てっきり居なかったのかと……いやぁ、良かった」
そんな重要なことか――とテオは思ったが、そろそろ居酒屋へ向かう頃合いであることに気付いて、追及は控えた。
「それじゃ、お暇する」
ご苦労様、という博士の送り言葉を背に受けながら、テオは彼の部屋を出た。
⁂
戦火とヴィシュの規制によって、世界は娯楽と文化を失った。生存のため、そして治安維持のため――暮らしと表現の多様性は排された。
レキはかつて、
ここには文化が残っている。映画も小説も、音楽も歴史も、そしてなにより――酒と食べ物も。
――さぁ、お待ちかねだ。
お気に入りのトレンチコートを羽織り、意気揚々と街に繰り出たテオは、一直線に駅前の飲食街へ踏み入った。鼻腔をくすぐる種々の芳しい香りに、味蕾の一つ一つが疼いているのがわかる。数分歩いて、目当ての
「おっ、来たな」
「こんばんは、テオ」
「ちょっと、遅いわよ! いつまで待たせる気?」
「主賓は遅れてくるもんだ。てか、まだ五分前だろ。お前らが早すぎるんだよ」
カイト、ヴィル、アルカ、テオの四人が揃って、店の暖簾をくぐる。
宴会のはじまりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます