第2話

 深々と降り積もる雪にわだちを刻みながら、二台の車両が針葉樹林を走破する。盾としてトロール輸送車両が先頭を走り、その後方をテオらの武装車両が続く構図だ。ルートは監視衛星から算出された安全なもので、機械マギアスとの接敵リスクは非常に低い。そういうわけで社内の緊張感は低く、入隊して間もない二人の青年は大口を開けて話していた。

「やっぱり外は寒かったな! こういうのは勘弁願いたいよ、ホント」

「なぁおい、聞いてくれ。連中の一人を回収してた時、妙な臭いがすると思ってさ、試しにちょっと顎を摘まんでみたんだ。そしたらよ、歯が黄色くなってやがった」

「どういう事だよ?」

煙草ヤニだよ煙草ヤニ。死にたがりのトロールは、毒を吸って生きてるのさ」

「んだよそれ……信じられねぇ。自分の身体に攻撃するなんて、テロと同じじゃねぇか。人類は残り少ないってのに、どうしてそう命を粗末にできるかね」

「中毒だろ。自分で自分の行動を制御できないのさ。あ~ぁ、こいつらを同じ人間だと思いたくねぇな。なんでこんな所まで体張ってきて、わざわざ連れ戻さなきゃならないんだ」

「見せしめだよ。こんな風になるなって、子供に教えていかないと」

「な~るほどな。確かにそりゃ大事だ」

 テオはその会話を片耳に聞きながら、シートに深く腰掛けて腕を組み、ぼうっと窓の外を眺めていた。その姿が気になったレイは、「ねぇテオ。浮かない顔だけど……貴方、ああいう話が嫌いなの?」と話しかける。

「あんまり好きじゃないな」

 ふぅん、とレイは不思議そうな顔をした。

「学校とかでよく聞く話だと思うのだけど」

「よく聞くとは言え、クソみたいな話であることに変わりはない」

「お口が悪いのね。優しそうな顔をしてるのに」

 レイが面白そうに首をかしげて人懐こい笑みを浮かべた。テオはそっぽを向いた。

「……口が滑った。気にしないでくれ」

「別に。珍しくて面白かったわ」

 そう言う彼女の表情には屈託がなかった。彼女は素直で純粋で、思ったことしか口にしないらしい。

「今、どの辺だ?」

「帰路の三分の一くらいね。引き続き、南東に向かって下る予定」

「そうか。……ありがとう」

 現在地を把握したテオは、爪で痒い所を掻くような動きで首筋に触れた。それは、光学迷彩によって透明化された首輪型通信装置リンクデバイスを起動させる動きだ。デバイスは意識帯と呼ばれる通信帯域を展開し、彼の仲間の接続を待機した。

「首がどうかした?」

「外が寒かったからかな。血管が広がって……ムズムズする」

「温めてあげよっか」

 レイが悪戯っぽい顔をして、広げた両指をワサワサとくねらせる。テオは動じず指を離して、彼女の提案を固辞した。「あら残念」と、彼女は大して気にも留めぬ様子で言った。

 そうこうしているうちに意識帯に二名の仲間が集まり、通信が始まった。

<……僕だ。ルートは予定通り。異常がなければ、計画通りに>

 そう伝える彼の言葉に、音はない。リンクデバイスは着用者の意識をデジタル化して処理できる装置で、意識とコンピュータとの相互通信を可能にする。着用者が伝えたい言葉を思い浮かべれば、その信号が相手の脳で複合されて、発話を介さず意思疎通ができる。会話だけではない。迷彩の解除、補助機能の起動、情報検索の要求など、搭載される全ての操作が思うままにできる。

<此方ヴィル、了解です。それじゃ、舌を噛まないようにお気をつけて>

 音を聴き分ける必要がない以上、その情報伝達速度は会話よりもかなり高速だ。今の会話も0.1秒程度で終わっている。伝達するモジュールが言葉から意味・・へと切り替わったことからあや《・・》も少なく、隠密性の恩恵も大きい。

 前時代的な音声通信装置がガラクタに思える夢のデバイス――とはこの装置の開発者の言であるが、テオは久しく会っていない仲間の声を聞けないことを不満に思った。こうして意識を交わしていれば、相手の感情や表情も何となく察しが付くものであるが、やはり人間、五感を刺激されることでしか味わえない感覚というものがあるというのが彼の持論だった。

 ――早く顔を合わせて、身振り手振りを交えた伝統的なコミュニケーションをしたい。

 彼はひたすら、輸送車が200m先の指定ポイントに辿り着く瞬間を待った。そこに仲間が待機している。車両がその前を通った時、彼らの強襲作戦が始まるのだ。彼の一か月にわたるヴィシュ潜入任務・・・・、その最終段階たる回収作戦サルベージが。


                   ⁂


「さて、と……」

 輸送車経路の寒々とした路肩に一人の少女がいる。岩陰に伏せて身を隠しながら、身長よりも長い銃身を岩肌に載せ、バイポッドを開いて銃口を固定。その片腕が薬室チャンバー上部のコッキング・レバーを引くと、空いた薬室に弾倉から液化三重水素が充填される。少女の目は、その様子を好奇心いっぱいに追いかけている。

 総延長2m越えの爪弾き《フリツカー》ライフル。標的を貫くことではなく吹き飛ばすことを本懐とする獲物で、実戦使用は今回が初だ。

 装填が終わると、マウントレールに乗ったスコープを銃眼。コッキング・レバーのすぐ下にあるボリュームを摘まんでぐりぐり回すと、応じて楕円形をしたレクティルが縦横に伸縮し、射撃のを提示した。車体の形状に合わせる形で水平方向の拡散を優先すると、次いで反対側のセレクター・ボリュームを捻り、暗算3%、カンと気分97%で出力を調整。適当なところで指を止めて、車両二台をさせられるようにする。

 最後に、スコープのモードを標的追跡トラツキングへスイッチ。倍率1・5倍、視野角180度に調整。その左端にいま標的が姿をあらわすと、その姿を検知した照準器が即座に対象をロックオンした。

<こちらヴィル、待機完了。武装車両ターゲット強襲までの残り時間を意識帯に共有します>


                   ⁂


<<:00:00:10――:>>

 視界というには掴みどころがなく、けれどもより鮮明に思えるそのビジョンが、テオの念頭にも浮かび上がった。神からの啓示というものが存在するならば、その感覚はおそらくこれに近い。このデバイスを手にして間もない頃は、その新鮮な感覚にたびたび驚かされたものだが、今となってはすっかり彼の日常の一部となった。

<――了解。こっちも動く>

 意識上での会話を終えると、テオは一人の男が此方を注意深く見ていることに気がついた。車に乗る前、彼の頭に雪をぶつけた小麦色の肌をした男だ。

「ダリス、僕の顔に何かついてるか?」「……んぁ? いや、別に。気にするな」

 そうか、とテオは何食わぬ素振りを通す。

<<:00:00:05――:>>

 五秒前。懐からリンクデバイス同様透明化された音響閃光爆弾フラッシュバンを取り出してピンを抜くと、席を立ち、車の中央へ向かって歩き出した。

「……あら、ちょっと、何かあったの?」

 レイが突然立ち上がったテオを驚いた顔で見ながら言うが、テオは意に介さない。

 人の視線を引き付け、残り時間を見る。残り3秒。

 音響閃光爆弾の迷彩を解除した。同時に爆弾を真上へ放り投げ、集めた全員の視線を誘導する。この場合のように、突然現れた物体を捉えるという行為を司るのは脊髄反射だ。そこに思考も疑いの余地もありはしない。――例えそれが、130万カンデラの閃光と200デシベルの爆音を生み出す物であろうと。

「やっと、このクソッたれな仕事が終わる」

 カウントゼロ、即座に起爆。爆音と閃光が車内を席巻する。直前に身を翻し、目と耳を塞いでいた彼でさえ、瞼越しに血管が映し出され、三尺玉が耳元で炸裂したかのような轟音を感じた。そのどちらも塞いでいない乗員たちの意識を朦朧とさせるには充分すぎる威力だ。

<目標を確認、撃ちます!>

 直後、外部から強烈な衝撃を受けた車体がふわりと宙を舞った。これによって車両が横転し、武装車両は完全に足止めを喰らう。――そのはずだった。

<……あ、飛ばし過ぎちゃった> <え?>

 吹き飛んだ車両はあろうことか数メートル宙を舞い、針葉樹の幹に受け止められて真っ逆さまに落下した。テオは事態を受け入れる暇もないまま、9・8の加速度と共に鋼鉄の天井と熱いキスを交わした。

<――いっでええええええええええ!>

 受け身が間に合わず、その運動エネルギーを一身に受け止めたのは彼の鼻っ柱だった。骨が折れなかったのは奇跡という他にないが、鼻腔を貫通して頭蓋を反響するその猛烈な痛みは、彼を涙させるに十分だった。

 そのとき、意識帯への新規接続を示す通知が彼の脳裏を走った。話さずとも、それが誰なのかは気配でわかった。アルカ・アマビスカ。現場にいる彼のもう一人の仲間だ。

<あっはははははは! 痛そ~! テオったら、大丈夫?>

<笑ってんじゃねぇ! おいヴィル、横転させる予定だったはずなのになんで転覆してる!>

<あはは、この子、思ったよりパワフルだったみたいで……>

<撃ったことない武器を持ってく……持ってくりゅんじゃない!>

<ねぇ、アンタちょっと鼻声になってない? 痛くて泣いちゃった?>

<鼻しこたま打ったら誰だってそうなるんだよ!>

 アルカに散々煽られたことを気付けに、テオは気合で立ち上がる。同時に懐からもう一つの爆弾を取り出し、ピンを抜いて足元に置いた。空気より比重の重い催眠ガスを噴き出すガスグレネードだ。昏倒している足元の連中を非殺傷で無力化することができる。

 終わったか、とテオは頭を高く保ちながら、出口へよろよろ歩き出した。だが直後、煙の中から延びた手が、彼の足首を掴んで手元へ引き込んだ。テオはふたたび体勢を崩して、かの天井との再会を果たす。

<いま凄い音が聞こえませんでした?>

<何アンタ、また転んだの?>

 息をすると此方まで眠ってしまうので、全力で喉を締めながら魂で呪詛を唱えるほかに、テオにできることはない。

<……誰、だよ、クソがぁッ……! 一発ぶん殴ってやる……!>

<アッハハ! 馬鹿ね!>

<……ふ、フフッ……>

 悶える彼の頭中を、そうした二人の笑い声が転げまわっていた。テオが後ろを振り向くと、そこにはダリスの姿があった。テオのアキレス腱を万力のような力で握りしめながら、怒気の篭った目で此方を睨みつけている。

「よう、少年。こりゃまた随分と味な事してくれたな」

<……なんか釣れたんだけど>

<ですか。助けましょうか?>

<別に大丈夫でしょ。能力アクト使えばすぐ終わるわ>

<それじゃ気が済まない。痛み分けじゃないと>

<あっそ、それはご自由に>

 テオはもういちど自身の足元を見た。自分より一回り大きな肩幅と胸郭、色も相まって丸太みたいな腕っぷし、力強い目に堀の深い顔。何処をとっても威圧感の塊みたいな部品で出来ている。それと比べて握られた自分の足ときたら、数秒後には飴細工よろしくポッキリ折れてしまいそうだ。

「お前は何者だ。一体何をするつもりだ。洗いざらい吐いてもらおう」

「……悪いけど話す許可は下りてない。電話番号教えてやるから、上と話つけてくれ」

「まぁそう言うな。言った所でバレやしないさ。腹割って話しようじゃないか。それとも、実際に割ってみるか?」

 ダリスが白い歯を見せて笑うと直後、彼はテオの片足を再び懐へ引き込むと、胴体へ馬乗りになった。マウントポジションだ。そのままテオの腰をがっちり両足で挟み込みながら、ダリスが上半身の体重を乗せた拳をテオの顔面めがけて振り下ろす。テオは拳と肌が触れ合う寸前をなんとか見極めると、首を回して拳の軌道を横に逸らす。スリッピング・アウェーという受けの技術だ。

 バチン、と油圧で金板を引き裂いたような音がテオの目と鼻の先で鳴る。車体が玩具のように揺れ動き、端のほうで眠っている兵士の身体がバタバタ音を立てた。拳がゆっくり引き上げられると、衝撃で割れた皮膚から垂れた血液が、天井の鋼板へ刻まれた拳の跡へ流れていくのが見えた。

 テオの全身にある汗腺が一斉に開き、神経が研ぎ澄まされる。

 二発目の拳が迫る刹那の間、テオは慣れた動作で拳銃を抜き、躊躇する間もなく発砲。この部隊の標準装備に防弾チョッキがあることを知ったうえで、威嚇・無力化を試みるための方法だ。

 しかし弾丸は失中し、ダリスの背後で火花を散らした。彼の上体は大きく右に捻れ、弾道から外れている。三十センチにも満たないこの間隔で、手元が狂う事などありえない。テオは戦々恐々としながら、限界の近い肺腑を振り絞って彼に問いかけた。

「……避けた、のか?」

「おうよ」

 一方で高さに余裕のあるダリスは、そう不敵に堂々と言った。捩じられた上体が一際大きく膨らみ、蓄えられた力を拳に乗せて解き放つ。テオは再びそれを回避すると、撃ち終わりの跡隙を狙ってトリガを三発牽引。流石に今度は全弾命中し、怯んだ彼が腰を少し浮かした一瞬のスキを突いて、テオはどうにかマウントポジションから脱出した。

 立ち上がり、上層の空気を肺腑いっぱいに吸い込みながら、テオは問う。

「……能力アクトか」

「そうだ。まぁ高速移動とかじゃねぇ。俺は脳のマニュアル操作ができる」

 ダリスが獰猛に笑ってみせた。先程よりも明らかに興奮した様子で、小麦色の口元からは綺麗な白い歯が覗いていた。

「……神経管伝達物質ニューロトランスミッター?」

「ほう? カンが良いなガキの癖に」

「童顔で悪かったな。これでもいちおう二十歳だ」

「二十歳なんざ俺から見りゃガキよ」

 ニューロトランスミッター、脳内麻薬。神経間で情報をやりとりする際に、脳細胞が生み出す成分の一つ。テオは本や映画で見た記憶を遡って、彼の出来ることを推測した。

 ――戦闘を優位に進めるために分泌されるのは、アドレナリンやドーパミン、βエンドルフィン。本来は酒を飲んだり生存本能が活性化された時に分泌されるもので、それぞれ神経を興奮させ、痛みや恐怖を減らす作用を持つ。それを意図的に操れるなら、ゾーンに入る事も、火事場の馬鹿力を出す事も、自由自在ということだ。

 極限の集中状態では、時間間隔が大きく引き伸ばされる。此方が拳銃を抜き、照準し、引き金を引くまでの僅かな時間が、ダリスにとっては数秒に感じられていた筈だ。銃弾は曲がらない。銃口の向きと発射タイミングさえ分かれば、引き金が引かれる前に避ける事はできる。

「おっと、口が滑っちまったかな。この力は気分がよくなっちまっていけねぇ」

 コンバット・ハイ。脳内麻薬に浸された脳が覚醒、興奮している状態だ。俊敏性もパワーも反射速度も上がり、身体が戦闘モードに入っている。

「精々死なないよう気を付けてくれ。出来れば話を聞きたいとこだが、うっかり殺しちまうかもしれねぇ!」

 振りかぶった拳をテオが上体の動きだけで躱すと、打撃では意味がないと悟ったダリスは反対側の手でその襟首を掴み、片腕のまま反対側の壁へテオを投げた。体重70キロ、装備も含めればプラス15キロは下らない身体を、枕のように軽々と。

「か、ハ――」

 体重分の衝撃を一気に身体へ受けて、テオは肺腑から空気が搾り取られる感覚がした。横隔膜が痙攣して、軽い呼吸困難が起きる。暫くは酸欠状態のままだ。

<ね~、まだ?>

 不意に、外で待ちあぐねていたアルカが気怠そうに言った。

<もう一発撃って吹き飛ばしましょうか?>

<そんな事されたら僕の顔がデコボコになる>

<デコボコって。元からそんなもんよ。ねぇ、ヴィル?>

<え? いや、私は別に……>

<えーウソ。こんどよく見て見なさいよ――>

<お前ら何しに来たんだ?>

「チェックメイトだ。妙なマネすりゃ撃つぞ」

 起き上がりざま、テオの後頭部で撃鉄の起きる音が鳴り、そのセリフと共に彼の後頭部へ冷たい感触が押し当てられた。

「死にたくなけりゃ、知ってる事は全部吐き出せ。その透明な首輪の事もだ。頑丈だなぁそれ。何かあると思って全力で握ったのに、壊せなかった。今の俺の握力は230キロあるんだが」

 安全装置の外れる音が鳴り、それが最終警告の代わりを果たした。テオは両手を上げながらゆっくりと体の向きを翻し、両膝立ちの除隊で彼の方を向いた。そして銃口をそっと掴んで喉元に移し、嘆願するように彼の瞳を見上げた。

「……何か話す気になったか?」

「僕らが回収したトロールの中に、親に連れられた子供がいる」

「……だったら何だ。それを連れ戻すのが俺達の仕事じゃねぇのかよ」

 子供。その言葉が放たれたとき、テオは自身の喉笛で銃口が小さく震えるのを感じていた。その段階で、彼はある可能性へかけることにした。それはダリスがヴィシュに染まりきれず、その在り方に疑問を抱いていること。そして、テ彼の魂が救済されるであろう唯一の場所を自分が知っているということ――。

「――あの子たちを連れ戻すなら、ヴィシュじゃなくもっといい場所がある。トロール達の新世界……自由で生きた心地のする、この地球上最後の居場所だ」

 ダリスが怪訝な顔を浮かべると、それから幻想を振り払うように顔をしかめる。

「……ウソつくにしても、もうちょい巧いウソを付けよ。お前の社会評価レスポンスは5だった筈だ。トロールにつくような人間は、そこまで辿り着けない」

「だったらこんなテロ紛いのことはしない。見てみろよ、これが本当の僕だ」

 テオは光学迷彩を少し弄り、首輪本体を透過させて項をさらけだした。そしてダリスは目撃する。そこへ刻み込まれた烙印・・の姿を。

「……監視機械コンスタンシーは、偽装品ダミーってワケか」

「あぁ、そうだ」

 ダリスはもはやトリガに指を掛けていなかった。

「ヴィシュに連れ帰られた子供は矯正施設に入り、親の親権は剥奪され、生涯離れ離れになって暮らす。社会評価レスポンスは0になり、ロクな暮らしも出来やしない。あんたはその片棒を担ぐんだ。社会評価レスポンスのために、子どもの人生を犠牲にして!」

 テオは相手が気圧され始めているのを感じて、意図的に口数を増やした。

「もういい、黙れ! さもないと、撃つぞッ、この野郎!」

 視線を逸らさないまま、テオは左手で銃を掴み、自ら肌へ食い込ませる。リンクデバイスに埋め込まれたLEDが青く光る。

「撃ってみろ。弾が当たれば、僕も黙る。裏切り者を殺し、子供を犠牲にして社会評価レスポンスを稼ぎ、穏やかな余生を満喫すればいい。アンタが死ぬか、ヴィシュが滅ぶか――存外、どっちが先か分かりゃしないがな!」

「黙れッ! 俺だって本当はこんな事したかねぇんだよッ‼」

 ダリスは弾かれた様に引き金を引いた。彼の言葉と自身の迷いを打ち消すために。

 だが、弾は薬室から微動だにしなかった。

「クソッ、なんでこんな時に限って不発……」

 排莢のため、ダリスが焦ってスライドへ手を伸ばした刹那――テオは素早く彼の手から銃を奪い、次弾装填して額に照準した。

「よせ」「痛み分けだ」

 脳天に狙いを定め、躊躇いなく発砲。弾丸に首を鞭うたせながらダリスは意識を失い、仰向けにどさりと倒れ込んだ。

 残心を解き、テオが大きくため息をつく。掌に奇妙な冷たさがあってグリップを見ると、そこにはダリスの手汗がべったりと付いていた。

「……よほど緊張したんだな。本当に撃ったことあるのか?」

 思えば脅しの下手さやジャムを察知してからコッキングの動作に映るまでの妙な間延びといい、格闘以外では妙に素人臭い男だった。一先ず放置するのは気持ち悪いので、テオは遠慮なくノビた彼の背中で手を拭く。うつ伏せになった彼の体をひっくり返す割れた額から血が垂れていたが、胸郭は上下していた。弾丸はその額を少し割った程度で、命に別状はないということだ。

「……しかしまぁ、けっきょく能力アクトに頼っちまった」

 一発目の不発と、二発の不殺。それは決して偶然ではなく、テオの擬似触媒カラリスという能力アクトによって引き起こされた、計算づくの出来事だ。

 ヴィシュの兵士は能力アクトを持つ。それは世界の法則を己の認識に従わせる力だ。かつてその身分であったテオもその力を持つ。擬似触媒カラリスは、触れた物質で発生する化学反応に干渉し、その反応速度を加減速することができる。

 不発の一発目は、彼が銃口に触れた時、薬室内の銃弾に込められた炸薬を酸化させ尽くしたためだ。炸薬は湿気たのと同じ状態、つまり炸薬不良となって起爆しない。

 二発目は炸薬の酸化をある程度で止め、やや威力の弱い弾丸を作成した。ちょうどダリスが気を失う程度に。

<終わったぞ。乗客合計十二名、みんな気絶してる>

<おっそい! 乙女の肌は冷やしちゃダメって習わなかった?>

<間違いが二つある。耐寒スーツ着てるから寒くない筈だし、お前は乙女じゃない>

<あったまるわねぇ!>

<そうか、よかったな>

 テオは適当な相槌の意を返しつつ、逆さのドアを蹴り、粉雪の舞う雪原に足を下ろした。貫くような寒さを検知した下着が断熱機能を起動し、運動能力の低下を防ぐ。

 ザクザク雪を踏みしめて荷台へ回ると、アルカが荷台のトロールを引きずり出している所に遭遇した。テオが武装車両を片付けていた間に、ヴィルとアルカでこの車両を担当していたのだ。

 両脇に大人を一人ずつ抱えた彼女がその気配に気付いてテオを振り向くと、サイドテールにまとめられた紅髪と深い紫の瞳が雪原のなかで異彩を放った。

「おっ、久しぶり! お勤めご苦労サマ!」

「出所迎えみたいに言わないでくれよ……ったく、相変わらずだな」

「えぇ、そっちも。ほら、呆けてないでさっさと運んで。力仕事は男の仕事でしょ?」

「その男に腕相撲で勝って、お勤めを免れたのはどこのどいつだ」

「さぁ、聞いたこともないわねぇ。ほら働く! 早く戻って、夜は宴会にするわよ」

 宴会をする、という彼女の言葉に、長らくヴィシュで管理栄養食ばかり食べていたテオの胃袋が歓喜の音を鳴らした。

「……よし、張り切ってやるか」

 数分かけて、テオは車の中にいた十七名のトロールと八名の兵士を車の外に出しおえる。いつのまにか額を伝っていた汗が風で凍り付き、擦ると小さな音を立てて剥離する感覚がくすぐったい。

「次はどうするんだ?」「運んでいくわ。ほら、あそこ」

 アルカが上空を指差すと、そこにはジェット噴射の熱による空気の歪みが見えた。遅れて彼のリンクデバイスが視覚情報にシルエット補正をかけ、彼らを丸ごと回収しに来たステルス輸送機の姿を露にする。マギアス・ヴィシュの双方による追尾や攻撃を回避すべく、その装甲を覆うマイクロマシンは、周波数を問わず、あらゆる追跡装置を迷彩することができる。

<あ~、あ~、こちら回収班。積み荷の準備を急いでくれ。早くしないと、騒ぎを聞きつけたマギアスが五分後に絨毯爆撃しに来るんだってさ。こりゃぁ辺り一面焼け野原だ、あぁ大変だ>

 新たに意識帯へ接続があった。カイトという名の輸送機パイロットだ。

<なに吞気に言ってんだ?>

<急げば間に合うわよ。焦んないの>

<よぉし、お前ら働け! 船に荷を乗せろ!>

<お前も手伝ってくれよ>

<やだ。パイロット特権でパスする>

 着陸した機体がハッチを開く。二人は音のない与太話を続けながら、輸送機の中に詰めこまれた輸送ボックスへ兵士とトロールを詰め込んでいく。

「――お久しぶりです、テオ」

 不意に声を掛けられ後ろを見返ると、そこにはヴィルが立っていた。雪化粧に溶け込む細い髪と、針葉樹の葉と同じ翡翠の瞳を持つ、美しくも儚げな少女である。ただ一点、その背中に背負い込まれた、その身長を優に追い越す長物の放つ、異様な重厚感を除いて。

 しかしながら、テオはそのアンバランスさに気付かなかった。雪原に佇む彼女の姿に見惚れ、それどころではなかったのだ。

「……あ、あぁいや、いいよ。力仕事は男がするもんだ」

 呆けたテオが脊髄のままにそう放つと、ヴィルは思わず苦笑した。彼らが通信している共通意識帯は、接続している者全員に内容が共有される。最初からそこへ接続しているヴィルは、直前に彼がアルカと交わした会話も、当然ながら知っていた。

「それと同じことをアルカにも言ってたら、説得力が違ったんですけどね」

 ヴィルは車両を背もたれに仮置きされているトロールの元へ行くと、片手で二人づつ、計四人の首根っこを掴み、雪原に痕を残しながら引き摺っていった。背中に二人抱えるのが精いっぱいなテオは、こんな細身のどこに力が眠っているのか首を傾げながら、せめてもの意地で彼女の横をついていった。

「ヴィシュの潜入任務はどうでした? 見た限り、ずいぶん肌艶が宜しいようですけど」

「体は健康だけど、心は皺が増えた。寿命が延びるのか知らないけど、楽しくないから増えても意味ないよ。やっぱりヴィシュはロクな場所じゃない」

「じゃぁもし次があれば、腕相撲以外の方法で決めないといけませんね」

「……頷きたいけど、なにか大切なものを失う気がするな。男の威厳みたいなものを」

「私に負けた時点で、既にないと思いますけどね」

「よせ言わないでくれ結構気にしてるんだぞ」

 ふふ、とヴィルは悪戯っぽく笑った。テオは腕立てを日課にすることに決めた。


                   ⁂


 数分後、なんとか荷台に全員を詰め込み終えた一行は順に輸送機へ乗り込んだ。

<カイト、終わったぞ>

<おう、お勤めご苦労さん>

<お前まで同じことを……>

<ハハ、俺達の腕相撲決勝戦は白熱したよな。――さぁて、シートベルトして、お口チャックだ。追手が来ないうちにズラかるぞ>

 ハッチが閉じ、機体の四隅に備え付けられた、VTOL兼飛行姿勢制御用のサブ・エンジンが始動。放出される青の噴炎フェザーが、瞬時に機体を針葉樹林の真上まで押し上げる。

<垂直高度ヨシ、迎角取って加速するぞ!>

 機体が水平方向に勢いづくと、地面の木々があっという間に追い越されてゆく。次いで機体後部のメインエンジンが点火、サブエンジンも方向を九十度変えて、全出力を水平方向に転換。機体を猛烈な速度で推し進め、ものの十数秒で音速へ到達させる。やがて機体は雲の膜を突破し、水平軌道へ移行した機体は更なる加速を経て超音速に到達した。

<爆撃3秒前、2、1――>

 カウントゼロと同時に、機体の遥か後方で雷鳴のように大地が光った。雲を突き破るロケット雲の軌跡の先へ、第二・第三波の砲弾が雨あられと降り注ぐ。既に音速を凌駕した機体にその大音声は届かないが、機内の小窓に届くその赫々から、機内の誰もが大地に焼けついた純円の爆心地グラウンド・ゼロの姿を鮮明に思い浮かべた。

 しかし距離が開いてくると、爆撃の気配はすぐに消える。

<ホットゾーン離脱>

 カイトはそう言って操縦管を手放し、機体を自動飛行へ移行。皆のいる後部座席へ歩み寄り、微笑み交じりに晴れて口にした。


「オシゴト完了、さぁ帰るぞ、俺たちの場所へ!」


 雲を突き抜けた高度から小窓へ、約束された晴れの光が降り注いでいる。

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