第3話

 邦東テレビビルの前で、山村 涼子が待っていた。入場カードを確認させ、颯爽と前を歩く姿はすごくカッコイイ。珠恵にとっては、別世界の輝ける上位の住人だ。


「硬くならないでください。私も記者として出演しますから、分からないことが有ったら何でも聞いてください。本番中でも構いませんから」


「はい」




 邦東ひるテレビ、前半のテーマが終わりコマーシャル間に二部の準備が整えられた。


中央に司会者と局アナ、右にコメンテーターたち、左に珠恵と涼子が座った。




 ⅯⅭの仲井 喜一也きいちやが先日の朝からの概略をヘラヘラした感じで語った。見下した感じの、今にもよだれが垂れるような話し方だ。一段下のテーマだと見ているようだ。


「・・・と、言うことで間違いありませんか」


仲井が説明を終えると「あははは」と笑った。スタジオは笑い声に包まれた。


「はい。おおむね、そのようなところです」


涼子がマジメくさって答える。


「それは、おかしいんじゃない」


早速、疑義を呈したのは元A新聞社員、コメンテーターの俵屋 達夫だ。


「気付いたらオッパイが無くなっていて、部長の所に落っこっていて、部長がそれを弄んでいたと言うんですか。そんな事、とても信じられない。ひどく非科学的な話しだ。そもそも、もともと佐藤さんのオッパイというのが疑わしい。始めからオッパイ何て、無かったんじゃないの。オッパイがあったっていうのは、佐藤さんの妄想じゃないですか」


俵屋は、ぺったんこ珠恵の胸を疑わしそうに見た。


「それにオッパイ何て、有っても無くってもどうでも良くない。犬や猫なんか子供が出来て始めてちちが膨らんでくるんだ。それで間にあうんだ。平常では胸はぺったんこだよ。人間のちち何て見せかけさ。大騒ぎする事じゃない」


「ひどい」


「それは、ちょっと言い過ぎでは・・・」


「人間性を疑う意見だ」


「何ですと」


「それって、セクハラでは・・」


「あなたに言われたくないですな。寄せて、上げているけどブラジャーを取ったら、ナンみたいな垂れちちのくせに」


「まあ~何ということを・・・」


「いけませんよ。そんな、生々しい話しをなすっちゃ」


「まあ~」


「枯れ木女のヒガミなんじゃないか」


コメンテーターの発言が入り乱れて、スタジオが騒然となった。




 「俵屋さん、不用意な発言は控えてください」


意外にも、仲井がマトモな事を言った。見るとディレクターが頻りに抑え込むジェスチャーと首筋をカットするジェスチャーをしている。『静かにさせろ、でなけりゃクビだ』と脅しているみたいだ。


私のちちのことで大事おおごとになっていると、珠恵が何か言おうとしたら、N大病理学教授、大心池おおころち 荒雄あらおがそれを制するように手を前に突き出した。


「俵屋さん、ちょっと待ってください。山村さん」


大心池は、涼子に呼び掛けた。


「山村さん、佐藤さんのオッパイ、つまりちちは大勢が目撃したんですよね。それに、山村さんのことだから、佐藤さんの在りし日のちちを知る人物、元カレとか、友人、一緒に温泉なんかに行った人なんかに取材してると思うのですが。いかがです」


「はい、用意してあります」


「でしょう。山村さんが、そんな俵屋さんの一言で片付く問題をテーマにするはずがない。


俵屋さん、安直に考えているんじゃないですか。テレビに出過ぎですよ。テレビにれ過ぎですよ。テレビ出演を、めているんじゃないですか。今時、素人でも、そんな陳腐で乱暴なこと言わないですよ。もっと気の利いた、シビアなエスプリの利いたコメントが来ますよ。


それに、佐藤さんへの配慮がない。素人の佐藤さんが、素顔をさらしてまで勇気を持って出演してくださっているのに、安直に彼女を全否定するかのような見下した言い方は良くない。謝罪すべきと思いますよ」


「そうよ、バカにしてるわ。謝罪すべきよ」


渋井 よしが同調した。渋井 嘉はオカマだ。




 ⅯⅭ仲井は、うんうんと頭を揺らしている。女子局アナ河合 朋実はキツイ目で俵屋を睨んでいた。


と、突然、俵屋が立ち上がり机に両手を付くと、九十度身体を折り曲げ「申し訳ございません。私の考えが浅はかでした」と謝罪した。


珠恵から見ると、柔軟性があるというか、簡単に自説を変えてしまうとか、ⅯⅭ仲井と共通する軽薄さ感じた。


「浅学でした。ここは、ぜひ、大心池先生のご高説を賜りたいと存じます。よろしくお願いいたします」


俵屋は、意外にしぶとい。なら、大心池が説明、解説をしてみろと言っているようだ。


すると、大心池は立ち上がって、何処かへ行ってしまった。逃げてしまったのかと唖然とする出演者の前に、大心池はガラガラと黒板を引っ張ってきた。


 


「皆さん、新陳代謝って言葉知ってますよね。我々の身体でいうと、日々新しい細胞が増殖し、古い細胞が死滅して行きます。


胃で5日、心臓で22日、肌は28日、筋肉で2ヶ月、骨で3ヶ月ぐらいで新旧入れ替わります。だから、一年前の私と一年後の私は、本当は別物です。では、なぜ意識も身体も私なのかというと、それは増殖の過程でDNAが複製されるからでして、おなじ私と思い込まれるからです。


だが、コピー、コピーと続けると劣化して行きますよね。それが人間でいうところの老化ということになります。あははは」


大心池は薄くなった頭頂をポンポンと叩いた。


「そのメカニズムです。その新陳代謝で、我々の生体は維持されているわけで、この生体の恒常性をホメオタシスといいます。


このホメオタシスを形づくるのが、アポトーシスという細胞が自殺する機能です。


このアポトーシスとは、細胞の発生、増殖する段階で予めプログラミングされている機能でして、例えばオタマジャクシに尻尾があるが、カエルでは尻尾は無いですね。


人間は発生の段階でエラとかミズカキとか有りますが、生まれ出る時には無くなってます。


それらはアポトーシスという細胞の自殺機能の作用の結果なのです。


生体の機能というかメカニズムは精密に出来ておりまして、何か一つでも不具合が出れば重大な支障をきたすものです。


アポトーシスの場合でいうと・・・ゾウ皮症、うふふふ、というものがあります。これは、手や足が異常に硬く肥大化する症例で、典型的なアポトーシスの異常ですな」


「先生、学術的な話しは後の機会にして頂いて、佐藤さんの話しに戻ってください」


ⅯⅭ仲井が軌道修正を促した。


「うぉっほん、佐藤さんの場合ね。


これは、私の仮説何だが、アポトーシスの異常ではないかと思うのだが・・・。詳しくは病理解剖してみないと解らないが、いひひひ、非常に興味深い症例だな~」


「病理解剖って、私、まだ生きてますが」


「もちろんですとも。ただ、病気医療の発展の為、献体というか、献体の予約というか、身体の一部でも良いのですが、お願いできないかと、うふ」


「先生、そんな、私をモルモットを見るかのような目で見ないでください」


「ん・・・・・、ああ、そんなつもりは、あは」


「いずれにしても、協力は出来かねます」


「そんなこと言わず、お願いできないかな~」


大心池が、珠惠のつま先からてっ辺までなで回すように見つめた。


ヘビがカエルを見るような目だ。珠惠は怖気だった。


「いやです。お断りします」


珠惠は、突然立ち上がった。


「ふざけんじゃないー!、軽薄な司会者、セクハラおやじ、狂った科学者、愚劣な番組だ。


冗談じゃない。付き合ってられるかー!」


珠惠は台本を仲井に投げつけ、憤然と席をたった。


「すてき~、男らしい。待って~」


「佐藤さん、待って~」


渋井 嘉と山村 涼子が、珠惠の後を追った。


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乳房の行方 森 三治郎 @sanjiro

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