後輩編


 チョコレートの原料というのは本来毒らしい。

それを知ったのは最悪な事に2月13日の夜の事だった。


「……どーしようかな、これ」


 誰もいない独りだけの部屋で、私は呟く。

眼前には大量のチョコクッキーが可愛らしく袋に詰められている。

見た目は手作りにしてはいい、量は多いけれど気になるほどでもない。

可もなく不可もなしといったところだろう。

けれど問題は出来じゃない。

その先だ。


 チョコを渡せるかどうか。


 何かに毒を盛るとするならば、こんな気分なのだろうか。

恐怖だとか、勇気だとか、そういう問題。

一言では収まりきらないほどに立ちはだかる、厄介な問題。


 加えて言うなら、関係が変わるのが怖い。

重いなんて思われたら?

それがきっかけで話す機会が減ってしまったら?

そんな思いがぐるぐると頭の中で迷走していた。


「面倒くさいなぁ、私」


 そうこぼして、上半身を椅子の背もたれに預ける。

分かりきっていたことだが、私は面倒くさい。

起こるわけないと思っている事でも尻込みしてしまう。


 渡す先輩の事を思い浮かべる。

彼も彼で中々に面倒くさい人間だ。

熱い飲み物は少し冷めるまで全く手を付けないし、差し入れだって決まって最後の一つだけ持っていく。

二人で歩く時は大抵一言も発さずに通路側を歩くし、口下手なのを気にして目の届かないところで変な優しさを見せた事なんて数えきれない。


 でもそういう所を素敵だと思うあたり、恋というものは盲目なのだと痛感させられる。


 頭に浮かぶネガティブな言葉を空気と一緒に吐き出すと、心はあっさりと決まった。

よし、渡そう。

色々と怖い事ばかりだけれど。

やっぱり先輩には、喜んでほしいな。



 渡すチャンスは昼休み、そして部活中。

先輩は部での仕事もあるだろうから会うなら部活の時がいい。

けれど少しだけ、少しだけバレンタインデーの先輩の様子を見たくなった。

だからつい、昼休みに先輩のいる教室に足を運んだのだ。

それが間違いだった。


 見てしまった。

先輩が誰かからチョコを受け取るところを。


 人は100%に固執する。

「もしも」が怖いからだ。

「もしもダメだったら?」「もしも予想外の結果が待っていたら?」という可能性が少しでも存在すれば、簡単に揺らぐ。

人は前向きなようで、結局は見て見ぬふりをしたいだけなのかもしれない。


 私はその「もしも」を直視した。

血の気がさっとひけるような感覚がして、逃げ去るようにその場を後にした。



 結局先輩と顔を合わせたのは、本来の予定通り部活の時だった。

いつも通り適当な返事をして作業をする事しばし。


 あれからチョコレートはもらったのだろうか。

渡されたら受け取るだろうな、先輩だし。

本命なのかな、だったら嫌だな。


 頭の中はそればかりで、作業など全く集中できやしない。

自分のじれったさにやきもきしていると、何かに囁かれたような気がした。

そしてその言葉を繰り返すように、私は。


「知ってました先輩? チョコレートって猫にとって毒らしいですよ」


 私は毒を投げた。



 女子トイレの中で私は低い唸り声を上げながら頭を抱えていた。

人はいないと思うが、いたところで知った事ではない。

外聞など気にならないほど私の気分は凹んでいた。


 あの発言をしてからの私の行動は酷かった。

言いがかりをつけて先輩のカバンを手に取り、その中にそっと自分のチョコレートを入れる。

そしてトイレに行くと言ってその場から立ち去った。

こんな回りくどい事をするのは俗にいう「ヤンデレ」という奴か悪女に違いない。


 何をやっているんだろう、私は。


「……あぁ、日和った」


 あんな事を言って渡したのは、恋愛感情とかじゃないって伝えたかったから。

だって露骨に好意をもって渡して微妙な反応をされたくなかった。

彼がそんなことをしないなんて分かっていたはずなのに。

結局私は、「もしも」を気にしてしまった。


 自分がもどかしくて仕方がない。

こんな事をしている自分の情けない顔を、鏡は逃してくれない。


 ……どんな顔して帰ろう。

この先の事を考えて、私の頭はずきりと傷んだ。


 

 部室に戻ってきてから数分が経とうとしていた時。

先輩が唐突に問題を出してきた。


 ―――薬と毒の違いは何か。

その言葉の真意が分からず、私は量なのではないかと返した。

それは確かに尤もだろう、だがしかし。と彼は付け加える。


 先輩曰く、それは気持ちらしい。

彼らしからぬ情熱的な物言いに噴き出しつつもその話を聞いてみる。


 明らかな毒物でない限り、それを分けるのは気持ちなのではないか。

それが彼の意見だった。

案外先輩はロマンチストなのかもしれない、という話は置いといて。

結局彼が何を言おうとしていたのかが分からなかった私は問いかけた。


「だからこれは薬として頂くよって話」


 彼が紙袋を掲げる。

たどたどしく、それでいて低く耳元に響くようなその声。

先輩と親しくしてきた私には分かる。

それはきっと、彼なりの照れ隠しと優しさの裏返しだ。


 回りくどいなぁ、もどかしいなぁ。

でもそれはお互い様か。

そういう不器用な所が好きなのかもしれない。

思わず笑みがこぼれる。


「私のチョコは毒かもしれませんよ?」


「まさか。君がそんな事をするものか」


 ふふふ、分かってないな。先輩。

愛だって毒なんだよ。

私のこの面倒くささを見れば分かるでしょ?

でも先輩が言うのなら、これも一つの薬なのかもしれない。

このドロドロとした感情を慈しむ事が出来るのかもしれない。


 彼が袋を開ける。

ねぇ、先輩。


 回りくどくてもいいよ。

ゆっくりでもいいよ。

だから。だから、ちゃんと受け取ってね。私のを。










 


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毒を食らえ! 砂糖醤油 @nekozuki4120

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