毒を食らえ!
砂糖醤油
先輩編
人間が好むものが、必ずしも無害だとは限らない。
「知ってました先輩? チョコレートって猫にとって毒らしいですよ」
遠くの窓から吹き込んだであろう風が体を縮こまさせる冬の日の事だ。
隣に座っていた後輩がふとそう呟いた。
「あぁそう」
「そういえばチョコレートを食べすぎると鼻血が出ると昔からよく言われています」
「そういう話はよく聞くけど迷信だろ」
「カカオの主な輸出国のコートジボワールでは1時間に60分が過ぎているそうです、悲しいですね」
「同じじゃねぇか」
くすくすと後輩が笑う。
艶のある黒髪が小刻みに揺れていた。
(あぁいかん。集中せねば)
俺は自分の頬をひっぱたきたい気分に襲われた。
彼女と二人きりになると、いつもこんな下らない話ばかりしてしまう。
退屈を吹き飛ばすことは出来るが、これでは自分の作業に集中できない。
卒業シーズンも近いというのに三年生を送りだせないじゃないか。
だがそれはそれとして心地が良い。
この関係に名前はない。
「先輩と後輩」という区分はあるが、それ以上のものに発展していないからだ。
だが俺も彼女も鈍いわけではない。
何となく互いの気持ちを理解はしていた。
ただし、仲が進展したとてそれっぽい事をする度胸も甲斐性も二人には無かった。
たったそれだけの話だ。
「私思うんですよ。他の生き物にとっての毒をプレゼントするのってどうなんでしょう」
「この季節にそんな事を思うなんてひねくれてる」
「そうですよね、私も同じことを思いました」
「嫌いなのか? 二月」
「どちらでも。それはそれとして、甘い匂いがしますね。……まるで毒みたいな」
じろり、と後輩の視線が俺のカバンを射抜いた。
口元は笑みを浮かべているというのに目が笑っていない。
普段は穏やかな彼女だけに、余計無機質なものに思えた。
ちょっと失礼しますね、と後輩が俺のカバンを取り出す。
カバンからシャーペン入りのペンケース、落書きだらけの教科書が顔を出す。
それも全く意にも留めず、彼女は再び手を突っ込み―――例のモノにたどり着いた。
そこにはいかにも手作り、という雰囲気を醸し出したチョコレートがあった。
袋もラッピングをするテープもこれまた可愛らしくデコレートされている。
後輩は。わぁ。
やっぱり目が笑ってない。
「これは」
「あ、これは違うんだよ。仲の良いクラスメイトがくれたんだ。本当に」
「どうして隠してたんです?」
「いや、隠してたとかじゃなくてね。違うかなって。自慢するように見せびらかすのはちょっと、双方にとっても、ね」
しどろもどろになっているが、言っている事は片方の理由として本当の事だった。
さて、片方と言うからにはもう半分の理由もあるというものだ。
言ってしまえばずばり直感、この一言に尽きる。
後輩に見せるべきではないという直感が脳内を走ったからだ。
しかしどうやら、この勘は外れたようだ。
空気が重い、それもとてつもなく。
「……私お手洗いに行ってきます」
カバンを俺に返し、後輩は部室を出て行ってしまった。
荷物が部室にあることからその言葉は事実ではあるのだろう。
だがそれはそれとしてこの状況を如何としたものか。
……催してないけど俺もトイレ行こうかな。
でも行ったら行ったでまた話がこんがりそうで嫌だな。
うん、とりあえずここにいよう。
後冷静さを保つためにとりあえず本でも読んで落ち着こう。
「ん?」
誰もいない部屋に間抜けな声が響く。
この感触、本や教科書でもない。
それに紙袋特有のがさり、という音がする。
いやおかしい。
そんなものを持ち込んだ覚えがない。
貰ったチョコレートかと思ったがそれも違うらしい。
嫌な予感がしつつもその少し重い紙袋を取り出してみる。
その袋からは、ほのかに甘い匂いがした。
とりあえず平常心でいよう。
後輩が帰ってくるまでの、数分にも満たない脳内会議の結論はそれで決まった。
話を後回しにするあたり流石俺だと言いたい。
彼女が帰ってきてからも平然と余裕を保っているふりをした。
少々作業をする手が震えていたが誤差の範疇だ。
ただそれにしても。
帰ってきてから段々と彼女の表情が曇っている、気がする。
恐らく杞憂ではないのだろう。
そういう事が分かるくらいには付き合いが長い。
てっきり言及されたくないからこういう回りくどい真似をしたのだと思っていたが、違うのか。
ちょっと混乱してきた。
「……なぁ」
「何ですか?」
言い出したはいいが、次の言葉が出てこない。
こういう時に気の利いた言葉一つでも話せたならもう少し上手く生きる事ができただろうに。
まぁいい。
せっかくだ、俺も回りくどい手段を取ろう。
「毒と薬の違いってなんだと思う?」
「え? えー……っと容量とか、ですか?」
「……あー、うん。それもあるな。いやむしろそっちがメインか。じゃなくて、そこにあるのは心なんじゃないか?」
後輩がむせた。
どうしよう恥ずかしくなってきた。
「すいません、先輩がそんなアオハルみたいな事を言うとは思わなかったので。大丈夫です、続けてください」
「やりづれーな。いやな? 愛情だのなんだのがこもってる、とかじゃないんだ。そりゃあ猛毒だったら話は別だけど。毒ってのは多少なりとも悪意があるものだろ? 薬を悪用したり、それで人を傷つけたりする。それは毒だ。でも裏を返せば相手を喜ばせようとかそういう思いがこもったらそれは薬なんじゃないかな。」
「すいません、どういう事ですか?」
「だからこれは『薬』として頂くよって話」
これみよがしに紙袋を持ち上げる。
恥ずかしい、でも言い切った。
「……なんだ、気づいてたんですね」
彼女の頬が若干赤く染まって見える。
けれどテストで百点を取ったような嬉しげな表情をしていた。
「私のチョコは毒かもしれませんよ?」
「まさか。お前がそんなことするものか」
彼女が笑う。
つられて俺も笑った。
「大丈夫です。気持ちを込めましたから。では開けてみてください」
「ははっ、そりゃあ楽し……み……」
袋の中身を見ると共に声が出なくなっていく。
原因はその量にあった。
重さを考えてみれば分かる事だったのだが、かなりのボリュームだった。
手作りっぽく四角型に抜かれたいくつものチョコの中には、一つだけピンクのハート型のチョコが自分の姿を隠すかのように紛れている。
どうみてもバレンタインデー用、それも一人分だとは思うまい。
ん? おかしいぞ。この流れはハッピーエンドじゃないのか。
「先輩、私の気持ち。受け取ってくれますか?」
「……善処するよ」
訂正。
やはりこれは毒なのかもしれない。
目の前に並ぶチョコレートを見て、俺はそう思った。
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