避けがたい対立

 空が茜色に染まる頃、俺とヒメノは別宅の玄関前に立っていた。住人は三人、ウィーとシャルトゥノーマ、オルヴィータだが、誰かいてくれるだろうか? 別に合鍵は持っているので入れないこともないのだが、できればウィーと話をしてから帰りたい。

 俺の家なので勝手に入ってもいいのだが、念のため、ドアノッカーを打ち鳴らして、中にいる人に来訪を告げてみた。


「留守かな」


 それも不思議はない。彼女らの予定を承知しているのでもないが、オルヴィータはこちらでコーヒー豆の営業のために動き回っているし、普通は二人ともなんらか冒険者としての仕事で収入を得ているはずだ。

 そう思って、諦めて引き返そうと踵を返した時、家の内側からの足音に気付いた。だが、やや乱暴に開けられた扉の隙間に目を向けた途端、俺は棒立ちになってしまった。


「ファルス?」


 扉の向こうの暗がりから、揺れる銀髪が視界に入ったからだ。扉を開けたのは三人の誰でもなかった。ナギアだったのだ。


「ど、どうしてここに」


 いや、考えるまでもない。ナギアがここにいる以上、リリアーナもここに来ている。

 俺はヒメノと顔を見合わせ、それから扉に手をかけて、転がり込むようにして家の中に立ち入った。


「ナギア、どこにいる」

「えっ、あっ……二階の奥の部屋に」


 彼女は反射的に主人の居場所を俺に教えた。ということは、ナギアはリリアーナの行動の意図を伝えられていない。むしろ、話し合いの場から出されたのではないか。だから、理解不能な主人の行動をどうにかしたくて、俺に助けを求めたのだ。

 それも自然な成り行きではある。リリアーナがこの件をナギアに教えようとするわけがない。加齢していないウィーの不自然さを説明する材料について、心当たりがあるから。人間を鳥に変えられるファルスなら、ウィーを別人に仕立て上げるのも難しいことではない。そして、子供の頃ならいざ知らず、その秘密が途方もないものであることくらい、わからないはずもない。


 部屋の前に立つ。耳をそばだてても、何も聞こえてこない。呼吸を整えてから、ノックした。

 ややあって、内側から扉が開かれた。顔を出したのはシャルトゥノーマだった。彼女は困惑した顔で、俺と部屋の奥にいるリリアーナを見比べた。


「ナギアは外にいて」


 俺がやってきたことで、状況が変わったことを察したのだろう。リリアーナは従者になおも待機を命じた。


「お嬢様」

「お願い」


 これはナギアには不満でならないだろう。主人が何をしようとしているかを、教えてもらうことさえ許されないとは。そんなに信用がないのかと。

 実際には逆で、リリアーナはナギアをリスクにさらさないために、秘密の共有を避けている。前総督襲撃犯がここにいるだなんて伝えたら。ウィーの腕前を考えれば、万一がないとも限らないのだから。


「ナギア」

「なに」

「お嬢様は悪気があって、そう言ってるんじゃない」

「そんなのわかってる!」

「ヒメノさん」

「私もここに残ります」


 これだけのやり取りで、俺は室内に入り、後ろ手で扉を閉じてから、深呼吸した。


「それで、何の話を……いや」


 俺は、壁際の椅子に座ったままのウィーを見遣った。


「正体を知られたということでいいのかな」

「う、ご、ごめん、やっぱりボクのせいで、迷惑が」

「それより」


 俺が視線を移すと、シャルトゥノーマも改めて表情を引き締めた。


「前に少し聞いていた話だったが……」


 シャルトゥノーマは、二人を見比べてから、言った。


「ウィーがそうだったのか」

「ああ」


 結果として、軽く話しておいたことが幸いしてか、彼女は二人の話し合いの立会人になることができた。


「ねぇ、ファルス」


 リリアーナが、珍しく真顔で俺に問いかける。


「これは、どういうこと?」

「内乱の時に、僕が逃がしたんです」

「どうして?」


 どうして……少しだけ思考を整理し、言葉を選んだ。


「理由はいくつかあったけど、人生をやり直す機会を与えられるべきだと、そう思ったからです」

「さっき聞いたよ。パパを撃ったのは、勘違いだったって」


 ウィーは頷いた。


「そう、父の敵だと思い込んでいたんだ」

「それで自分が恨まれる側になったら、逃げ回るんだ?」

「ボクは、刑罰を受けてもいいと思っていて、だから」


 俺は割って入った。


「逃げずに捕らえられたってことを、別の人から教えられて、僕がわざわざ牢獄まで出向いたんです。正直、逃がすべきかどうか、迷いがないわけじゃなかった」

「それも聞いたよ。でも、本当の敵を見つけて、決着はつけられたんでしょ?」

「お嬢様、でも、ウィーは謝罪して、今度はサフィス様を救うためにということで、イフロース様と一緒に戦ったんです。ただ、そのことを他に知らせなかっただけで」

「じいやはそれで許したんだね」


 やっぱり、思った通り。リリアーナは、自分の身内に向けられた加害を、決して許さない。


「でも、私が許す理由にはならないよ。事前に謝罪をして、これこれこういう賠償をしますと言われて、その上でしたことならわかるけど、私は今まで、何も聞かされてなかったんだから。それに」


 彼女は鋭い視線をウィーに向けた。


「そもそも王国の法を犯しまくっておいて、私個人が許すとか許さないとか、そういうお話でさえないと思う」

「だったら、ボクはどうすればよかったんだ」


 だが、ここまで言われたウィーも何かカチンとくるところがあったのだろう。弱気そうな顔から一転、キッと睨み返した。


「そうだよ。ボクはメチャクチャなことをしてきた。養父だったワーリア伯を傷つけて、関所も通さずに勝手に国境を越えた。身分を隠して冒険者の仕事をして、あの混乱に紛れて総督を撃った。それから逃げ回って、しまいにはおじさま……クレーヴェを撃ち殺した。でも、じゃあ、他にやりようがあったのか」


 やったことに悪の自覚がないのではない。かつてのウィーには、選択肢自体がなかった。


「引き取られた先で抵抗しなかったらボクは手籠めにされてたし、下手をしたらこっそり殺されていた。密入国したり、敵を探したのが悪かったっていうのなら、じゃあ、ボクは父さんを冤罪で殺されても、泣き寝入りしなきゃいけなかったのか。ボクを助けてくれたわけでもない王国の法なんかに、どうしてボクが従わなきゃいけないんだ!」

「そうだね」


 冷ややかなリリアーナの声が返される。


「泣き寝入りする理由はないね。それは私もそう」

「だったらどうするつもりだ」

「特別なことはしないよ。告発するだけ」

「なんだって」


 ウィーは一瞬、俺に振り返った。そんな彼女に、リリアーナは言い放った。


「ファルスに迷惑をかけたくないのなら、自分から裁きを受けにいけばいいよ」

「なにをっ……ボクが手も足も出ないと思ってるのか」

「私も撃ち殺すの? なんだ、やっぱり敵だなんだといったって、要は好き勝手してるだけなんだね」

「待って。待ってください」


 さすがに聞いていられない。


「まず、ウィー。お嬢様に手を出すのは、さすがに筋違いだ。そんなことは認められない」

「わかってるよ。でも、こいつはボクに死ねって言ってるんだ」

「そう言って何が悪いの? パパとじいやを殺そうとしたくせに」

「……殺してはいない」

「死ななかっただけじゃない」


 厳密には、違う。敵であるという事実に確信を抱けなくなり、そしてリリアーナが父に取り縋って泣く姿を見た時に、自分もまた冤罪で人を罰する可能性があることに気付いたがゆえに、自ら機会を捨てて逃げ去った。それは彼女の中の良心なのだが、リリアーナの指摘は、その部分を無視するものだ。


「お嬢様、それはいけません」

「何がいけないの」

「ウィーは、本当に殺さなかったからです。本当の敵かどうか、迷いが生じたから、途中でやめたんです。罪のない人を手にかけまいとした思いまで無にするのですか」

「だったら無罪放免でいいの? 死んでたかもしれなかったのに」


 どうしよう。取引が成り立っていない。その理屈を押し通すなら、そもそもウィーは内乱の際にイフロースを助けて戦ったことの意味も失われる。確かにリリアーナのいう通り、それは同意をとった上での貢献ではない。といって、そこを認めないとして処理するなら、ウィーは今から、犯さなくてもいい罪を犯してでも抵抗する以外になくなる。

 とするなら、リリアーナはもっと致命的でない、穏当な形での謝罪と賠償を要求するのがいいのだ。その意味では、彼女は今回、妙に頑なすぎる。いったい、どうしてしまったんだろう?


「だとしても、お嬢様の言う通りにしたら、ウィーは死んでしまいます。死ねと言われてその通りにする人は普通、いませんよ」

「逆に、どうして生かしたの?」

「だからそれは、さっき言った通りです。それまでの人生では、復讐以外にできることなんかなかった。初めから、人並みに生きる機会自体がなかったんです。だったら、やり直しの機会を与えられてもいいんじゃないかと」

「そこまではわかるけど、だったら、どうしてそれをファルスが決めるの? 王でも法でもなく。そんなのは依怙贔屓じゃないの?」


 痛いところを突かれた。その通りだからだ。


「陛下がお許しになられるわけがないから……」

「そうだね。ねぇ、ウィーさん、もう本懐は遂げたんでしょ? 今更、何しに生きてるの?」

「そんなことまで言われる筋合いがあるのか。王とか法とか、それこそ、ボクのことも、ボクの父のことも、公平に扱ってくれなかったものじゃないか。どうしてそんなものに身を委ねなきゃいけないんだ。そうだよ、ボクはあの時は死ぬつもりだった。でも、今は大切なものができたんだ。謝罪ならするよ。でも、譲れないものはある」


 この話し合いは、平行線にしかならない。

 法の内側で生きられる側の人間と、外側に放り出された者と。ややこしいのは、俺がそのどちらも救いたいと思っていることだ。


「言っておく」


 ウィーはリリアーナを睨みつけた。


「告発するというのなら、ボクは君を殺す」

「ウィー!」

「そして、その後、今度こそ自ら命を断つよ。ここは帝都だ。エスタ=フォレスティア王国の法で告発されたって、いくらでも逃げられる。ボクは困らないんだ。だけど、それをされたらファルスに迷惑がかかる。だから受け入れられない。そうなるくらいなら、今度こそ、ボクのことはボクがケリをつける」


 だが、それはそれで認められない。


「駄目だ。だからといって、お嬢様が殺すことには正当性がない」

「うん。だから、止めたらいい」

「止めたらって」

「ファルスなら、ボクをどうとでもできるはず。それなら納得できる」


 俺に自分を手にかけろと、そういうことになってしまう。だが、それでは何のために助けたのか。第一、そんなの受け入れられるわけがない。俺が俺に好意を抱く人を殺すのか? また?


「キリがないな」


 シャルトゥノーマが疲労感を滲ませながら、そう呟いた。


「お前ら、迷惑を考えろ。事情を多少なりとも知っているからと立ち会っただけの、本来なら無関係の私にこれだけ気疲れさせて、どうしてくれるんだ?」


 これは助け舟だ。俺では事態を収拾できないと察したから。この部屋にいる誰よりも、この問題と関わりが薄いからこそ、こういう口出しができる。


「リリアーナ、もう日が暮れる。私は夜目が利く。帰るのなら送ってやろう」

「いい。ナギアもいるし、一人じゃないから。馬車を拾えばすぐ帰れる」


 そこで、張っていた気が切れたのか、急にリリアーナはガックリと肩を落とした。それからトボトボと部屋の出口へと歩き出し、俺の横を通り過ぎる時に、こちらを見上げて、か細い声で呟いた。


「ファルス……」


 俺が振り返ると、目にしたくもないほど悲しげな顔をしていた。


「どこに行っちゃったの?」

「お嬢様」


 それからすぐ顔を伏せ、扉を開けて出て行った。ナギアがすぐ横に張り付き、慌ただしく立ち去っていく。


「ごめん」


 ウィーが、地の底から響いてくるような暗い声色で言った。


「全部、ボクが悪いんだ。その通りだよ」

「頼む。早まったことはしないでくれ」


 彼女は首を振り、よろめきながら部屋の戸口に立った。


「少し、風に当たってくる」


 二人が出て行った後、部屋の前ではヒメノが不安そうな顔をして突っ立っていた。それをシャルトゥノーマが苦々しげに見つめていた。そして彼女は俺に振り返り、こう言ったのだ。


「ファルス、お前はいったい、誰の味方なんだ?」

「なんだって?」

「私が思うに……それが普通の人間の考えることなんじゃないか?」


 俺が呆然として立ち尽くしていると、ヒメノがおずおずと進み出て、そっと俺の手を取った。


「行きましょう……あの、シャルトゥノーマさん」

「ああ」

「ファルスさんは家までお送りします。それと」


 ヒメノは、遠慮がちに申し出た。


「今度、よろしかったら一緒にお茶でも飲みましょう。お話を聞かせてください……さ、ファルスさん」


 汗ばんで冷えた俺の手を、彼女の温かい手が覆った。

 それから俺は、ヒメノと一緒に家の外に出た。既にとっぷりと日が暮れていた。

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