コーザの婚活・相談

 一日の授業を終え、校庭に出たところで、俺は異変に気付いた。

 空は、浮かぶ白雲にうっすらと黄味がかった青。足下の砂は強い日差しに焼かれて色濃い影を落としている。そろそろ蒸し暑さを感じることもある時期に差し掛かってきた。だが、この暑さのせいではないだろう。


「今日は、いませんね?」


 俺を待っていてくれたヒメノが、横でそう呟いた。

 普段なら、この辺でリリアーナの襲撃が始まるのだ。そこにソフィアが加わっていることもある。しかし、今回に限っては、彼女らが不在なのも変とは言えない。さっき、ホームルームで改めて伝達された事項がある。


 なるべく一人で帰らないこと。

 可能なら護衛を用意すること。

 それも難しい場合は、しばらくの間、制服の着用を控えること。


 どうやら、先日のジノモック教授殺害事件には、続きがあったらしい。殺害予告が届けられていたという話はなんとなく聞いていたが、具体的には学園長のザールチェク、それにクレイン教授が名指しされていたという。

 してみると、犯人は帝立学園に怨恨を持つ誰かかもしれない。よって学生も、場合によっては標的とされかねない。


「まぁ、安全第一だしね。ナギア辺りが迎えにきたのかもしれないし」


 そんな風に話しながら、俺達は校庭を横切り、正門まで出てきた。すると、これまでとは異質な待ち伏せに出くわすことになった。


「ファルスさん」

「あっ」


 彼の姿に気づいて、俺は足を止めた。


「コーザさん、昨日の今日とは思ってませんでした」

「ごめんなさい。施設の方の仕事が、たまたま今日は早く片付いたので……時間があればと思ったんだけど」

「いや、別に」


 俺はヒメノの様子を窺った。彼女は笑顔でコーザに言った。


「私は遠慮した方がいいですか?」

「あっ、いや、そんなことはないです」


 そういうことなら、と俺は予定を頭の中で組み立てる。


「どうしよう。じゃあ、近くの……いや、戦勝通りまで乗り合い馬車で出ようか」


 学園の近くの、あの高級商店街の喫茶店では、コーザが遠慮するだろう。もう少しカジュアルな場所のがいい。


「それに、話が早く済んだら、ちょっと別邸にも寄りたいし」


 昨日、リリアーナがスラムまでやってきてしまった。ウィーのこともバッチリ見られてしまった。この件について、善後策を協議するというか、意識合わせというか、対応を相談しておきたい。

 それから俺はコーザに向き直った。


「夕飯の時間に間に合うくらいであれば、すぐお話できますよ」

「助かります」


 それで俺達は三人で馬車に乗り、あの若者向けの街へと繰り出した。

 戦勝通りに着いてから、他に知った店もないので、ケクサディブとの待ち合わせに使ったところに腰を据え、レモンの搾り汁に砂糖を少し入れるようにと注文し、それが届くと俺はそっと詠唱して、三人分の飲み物それぞれに氷の粒を追加した。


「うわっ、いきなり当たり前に……いいのかな」

「どうぞ」


 一口味わって、コーザは長い息をついた。


「すっごい贅沢してる……なんだか、僕が相談させてもらうのに、申し訳ない」

「気にせず、肩の力を抜いて話してくれれば」


 そう言われると、彼は俺とヒメノの顔を見比べて、肩を落とした。


「実は……」


 昨年末の、あのギルの家での忘年会が、彼にとってのきっかけだったらしい。ギルにも彼女ができたし、ラーダイにも婚約者がいる。俺は言うに及ばず。もちろん、周りは名家のお坊ちゃんばかりなので、差ができるのは仕方ない。とはいえ、やっぱり彼も男の子、彼女と楽しい恋愛をとは言わずとも、せめて結婚くらいはしたい。

 そして、結婚相手を探すなら、早い方がいい。彼だって、自分が優秀でもなければ、高収入でもなく、美男子でもないことくらいはわかっている。その上で相手に選んでもらおうというのであれば、これはもう、おカタい半官半民のお仕事と、若さを武器にするしかない。


「それはその、合理的で堅実な判断だと思いますよ」


 ヒメノは、静かにそう言った。


「帝都の若者は、婚期を引き延ばしがちだと言いますし。大陸では、ちょうどコーザさんくらいの年齢……二十歳頃には大抵、結婚が決まるものですから、それからすれば、コーザさんの動きは遅くないし、いい決断をなさっていると」

「ありがとうございます」


 だが、そう言われても、彼の表情は苦々しげだった。


「では、何が問題……もしかして、うまくいってないとか?」

「そうなんです」


 それから彼は、その痛々しい努力の結果を語り始めた。


 出生数の不足は、帝都の政府にとっても深刻な問題と認識されており、だからその回復のために数々の施策を講じている。そのうちの一つが、婚姻数の増加を目的とした、お見合いパーティーの開催だ。といっても政府が直接主催するのではなく、そこはいくつかの民間団体に委託する形にはなっている。

 自力で恋人を見つけるなんて、あんな養老施設に勤めるコーザにはまず不可能で、だからこれは必然の選択だった。だが、年明けからそこに参加した彼は、大いに打ちのめされた。


「年上しか、いないんです」

「だいたいどれくらい」

「十個上とか」

「うわぁ」


 やっと二十歳という年齢のコーザに対して、女性の参加者の多くは二十代後半か、或いはそれ以上。みなし市民権喪失後の、つまりは三十五歳以上の女性も、中には混じっていた。逆に、彼と同年代の若い女性はというと、ほぼ見かけなかった。いたとしても、彼の倍くらいは体重のありそうな体格をしていたりと、見るからに問題がありそうなのばかりだった。


「で、でも、贅沢はダメだって、だから僕からなるべく話しかけて、まずは受け入れようって」

「は、はい」


 なんだか自分の前世を突きつけられているようで、口元が引きつってくるのを感じた。


「ふ、普通にですよ? こんにちは、今日はよろしくお願いしますって言ったら……うるさいって」

「は?」

「うるさいから黙ってって言われました」


 こちらの世界でも、あちらと同じように、効率的な婚活パーティーが催されているらしい。横一列に並べられた男女が、順繰りに相手を変えてお話をする。それでコーザは、目の前に座った女性に向けて、笑顔で挨拶をして、自分のプロフィールを記した紙を差し出そうとした。その時に言われた言葉が、これだった。


「どうしてそんな?」

「いや、理由なんて……僕に興味ないんだと思います」

「だからって失礼過ぎませんか、それは」


 ヒメノはそう言うが、俺は黙り込んでしまった。それはもう、とっくの昔に経験した世界だから。


「他にも、話しかけたら横を向いちゃう人とか」

「えぇっ」

「一度も目を合わせてくれないんですよ、はは」


 彼はガックリと項垂れてしまった。


「わかってます。僕はファルス君みたいにカッコよくないし、お金持ちでもないし、強くもないし、進学できるくらいに頭が良かったりもしなくて。運よく今の仕事にありついただけの……弱虫だから」

「そんなこと」

「いや、それはそうなんです。認めます。でもだからって、こんなにバカにされなくちゃいけないのかって、そんな風には思いました。僕はただ、そんなに裕福でなくても、家族仲良く過ごせる家庭を築いて、静かに暮らしていきたいって思っただけなのに、なんか、あの場にいるだけで、まるで敵とか侵略者みたいな言われようで」


 俺は長い溜息をついた。気持ちはわかる。だが、そこは問題の焦点ではないはずだ。


「コーザさんは、どうしたいんですか」

「えっ」

「その手の女達がろくでもないのは、わかりました。でも、そういう連中は、きっといつまでもどこまでも、そういう態度のままでしょう。それより、この現実に対して、コーザさんが何をどうなさりたいか、そこが大事です」


 冷たいようだが、問題解決を目指すなら、そう言うしかない。なぜなら、その手の女達が改心することなど期待できないからだ。


「あっ、えっ、す、済みません」

「いえ、つらい思いをしたのはわかってます」

「僕は」


 少しだけ目を泳がせてから、彼は言った。


「どうしたら、ファルス君みたいにモテるのかなって」

「うっ」


 これは困った。渋い顔をするしかない。


「僕のは、これは再現性がない。その、たまたま武勇に恵まれて、成功を収めたから、こうなっただけだから」

「そうなんですよね」

「女の件で相談するなら、ニドがいいかもしれない。あいつなら、僕よりこの手のことで、的確な助言ができると思います」

「でも」


 今度はコーザが渋い顔をする番だった。


「ニドさんって、用心棒の他には……夜の街で、その」

「ちょっとよろしくない仕事をしてますが」

「僕は結婚がしたいんです。いやらしいことをしてお金を稼ぐ悪い女の扱い方じゃなくて、真心に真心を返してくれるような女性とのお付き合いを希望しているんです」

「うーん」


 うまく言語化できないが、コーザは何か、決定的な誤りというか、認識の落とし穴に落ちているような気がしてならない。

 ヒメノが提案した。


「それでしたら、ファルス様の家臣になられては?」

「はぇっ!?」

「帝都を去って、ティンティナブリアで暮らすことになるとは思いますが、多分、それが一番確実だと思います」

「ど、どうしてそうなるんですか」


 目を丸くするコーザに、彼女は慌てず騒がず、静かに言った。


「ファルス様は当地の領主でいらっしゃいます。その領主が仲立ちして嫁取りをさせるのです。いったい誰がコーザさんのことを軽んじることができるでしょうか」

「ま、待って、それって権力で黙らせてるだけってことじゃないのかな」

「そういうことがないとは申しませんが、もっと穏やかなものですよ。力尽くというよりは、やはりファルス様の権威に自ら進んで服すのですし」


 俺は首を振った。


「いや、コーザさんはそれでは納得しない。それに、せっかく帝都で仕事を得たのに、今からティンティナブリアで暮らしたいなんて、思っていないだろうし」


 なんだかんだ言って、ヒメノも帝都の人間ではない。帝都に合わせているだけの、大陸側の人間だ。だから、本当のところ、帝都の価値観を理解していない。具体的には、カエデと同じだ。恋愛感情を知らないわけではないのだが、それよりお家の事情が優先するという感覚をしっかり植え付けられている。

 だが、コーザは帝都の思想、つまりは前世の先進国の価値観に近いものを抱いている。つまり、結婚は個人間の結びつきであり、そこには愛情のようなものだけが絆として相応しい。領主の権威があるから大丈夫、なんてのは、そうした考え方を真っ向から否定するものだ。身分とか財産とか立場とかじゃなく、僕を、僕自身を見て欲しい。彼はそう願っているに違いない。

 だが、だからこそニドの助言の有用性にも疑問を抱いてしまう。彼はある意味、帝都の環境に適応した人物だ。まさしく自由恋愛というゲームを制して、多くの女を自分の米櫃に作り替えた。だが、コーザはそれを、何かの詐術のように感じている。それは真実の愛なんかではない、と。


「とりあえず、謙虚になるべきじゃないかとは思う」

「謙虚? 僕、自分がそんな、偉い男だなんて思ってませんよ」

「ニドの意見を聞こうかといったら、それは違うと言ったじゃないですか。でも、僕より彼の方が、本当はモテているんですよ。だって、僕は身分があるから。それこそ学園でも声をかけてくる女の人もいて、そういうのは全部、ヒメノに片付けてもらっているんですが、そういうのがなかったら、多分、そこまで魅力的とは思われなかったはずで。でもニドは、移民相当の身分なのに、あれだけ大勢の女性から求められている。単純に女性との接点が多いこともあるし、あいつの声を聞かない理由がないと思う」


 俺がそう一気に言うと、コーザはしばらく黙り込んだが、すぐに背中を丸めた。


「はい……」

「他にできることがあれば」

「いえ、その……正直、お金がもたないというか」


 彼は長い溜息をついて、付け加えた。


「ああ、その、そこを助けてくれという意味ではなくて。要はこの手のお見合いに参加するのに、結構なお金を使ってしまっていて……女性はタダ同然なんですけどね、男は割高な料金を支払わないといけないので」

「なるほど。つまり、もう何度も勝ち目もないのに挑み続けるのは厳しいという」

「そういうことなんです。気持ちも折れそうですし……次は必勝、とまでは言いませんが、何か掴んでからやりたいなと思っていて」


 俺は頷いた。


「わかりました。それも心当たりが見つかったら、お伝えしますよ」

「済みません、こんなことで」

「いえいえ、気になさらないでください」


 俺から、こうすればモテますよと教えてあげられればよかったし、コーザもそれを期待していたのだろうが、こればっかりは仕方がない。

 残ったレモン汁を飲み干すと、俺は立ち上がった。あんまり遅くなると、別宅による時間がなくなる。


「では、またお時間のある時にでもいらしてください。何か進展がありましたら、お伝えします」

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