スラムでパーティー(下)

「ったく、待たせやがってよ」

「仕事じゃしょうがない。よく来てくれた」


 あれから、ルークはみんなに勝負を挑んだ。フェイに負け、ニドにやられ、ジョイスにも打ち倒されて、いいところなしだったのだが、本人はまったくつらそうな顔をしておらず、むしろ楽しそうに笑うばかりだった。

 そこで、次は誰と勝負しようか、となったところで、遅れて三人が追いついてきた。ギルとラーダイ、それにコーザまで。ただ、この三人は、ラーダイ以外、午前中にちょっとした仕事があったらしい。思ったより二人が来るのが遅れたせいで、ラーダイは待ちぼうけを食ったらしい。


「昼時に間に合ってくれて助かった。でないと、ポトフを余らせることになったから」

「ふぁい」


 コーザは俺の出した皿にがっつきながら返事をした。

 今は屋外にテーブルを二つ並べて、そこで食事をしながら休憩している。こちらから持ち込んだ大きなものが男性用で、もともとタマリアの家にあった小さなテーブルは、女性用として使用している。一緒にしなかったのは、ソフィアへの配慮だ。傷の治療くらいならともかく、食事まで男性と同席させてしまうというのは、やはりセリパス教徒としては都合が悪いから。


「これ、うめぇな」

「ありがとう」

「つくづく向いてると思うぜ。こういうのができるからこそのファルスだよな」


 ラーダイは勝手に納得して頷きだした。


「こういうも何も……学内でも、ほら、コーヒーの試飲会にも来ただろう? もともと僕は料理人のつもりだ」

「いや、あのケーキとか、普通に買って取り寄せたものかと思ってたんだが」

「とんでもない。僕の自作だよ」

「今日の飯でわかったよ。やっぱり、さすがだな」


 何を言わんとしているのか、少し考えてわかった。


「この料理の腕で、お目当ての女性の心もガッチリ掴む、か」

「そんなつもりは」


 言いかけて、だが、そこで言葉が途切れる。でも、マリータが俺に執着するようになったのも、料理がきっかけだったし。


「食ったら、次は誰にお願いしようかな」

「おいルーク、そんだけ食ってぶっ飛ばされたら、吐いちまうんじゃねぇのか」


 ニドの指摘にも、彼は平然としていた。


「そんなのはとっくに卒業したよ。最初の頃はお師匠にぶっ飛ばされて、よく戻してたけど」

「うへぇ」

「んじゃ、食ったら俺とやろうぜ」


 ギルがそう誘うと、ルークも笑顔で頷いた。


「頼むよ」


 俺は席を立ち、女性用テーブルの方にも顔を出した。


「足りてる?」


 俺が声をかけると、パンを両手で掴んでかじっていたタマリアが勢いよく振り返った。


「うん!」


 一方、シャルトゥノーマは難しい顔をしていた。


「どうした?」

「うむ……自信をなくすな。普段から練習しているのは横目に見ていたが」


 横に座るウィーを見やりながら、彼女はこぼした。


「私の半分も生きていない人間の女に、弓の腕で負けるとは」

「ほれはふぁって」

「ウィー、ちゃんと噛んで飲み込んでから」


 いつかのように、リスみたいに食べ物を口の中に詰め込んでいる。この四人の中では、ヒメノやソフィアと並んで高貴の出であるはずなのに、気を抜くとマナーも何もなくなってしまうところが、彼女らしい。


「だってボクはそれしかしてないからね。いろんなことができる分、シャルトゥノーマのが凄いと思うよ」


 寿命も短く、個体としての能力では風の民に及ばない人間が、どうやってそうした生まれつきの強者に対抗するか。その一つの解がこれなのだろう。つまり、弱者がとるべき戦略だ。資源を集中する。戦場を限定する。やるべきことを絞り込むことで、本来なら到底太刀打ちできない相手と互角に渡り合えるのだ。


「あちらの勝負も見ていたが、人間は侮れないな」

「あー、そうでもないよ、メニエちゃん」


 タマリアが手をパタパタさせながら言った。


「なんだかんだ言って、今日来てるの、みんな、そこらの男よりできるのばっかじゃない?」

「あー……コーザとラーダイ以外は、そうかも」


 ヒメノが尋ねた。


「そういえば、今日はこれでお招きした方は全員おいでなんですか?」

「いや、ベルノストがまだ。彼が言い出しっぺなんだけど、まぁ、遅刻は仕方ないかな。殿下の命令で仕事する立場だし、一番不自由だから」

「観賞用イケメンさんだね! 待ち遠しいな! いろんな意味で!」

「いやいや、あの、彼も一応、生身の人間なんだから」


 本当は、彼にこそ来て欲しいのだが。タマリアにメイドの仕事を与える件で密約があるから。

 顎に手を当てて、シャルトゥノーマが尋ねた。


「そいつは、やっぱりなかなかの腕なのか?」

「そうだな……子供の頃だったら、ジョイスと互角くらいの腕前だったと思うんだけど、やっぱり貴族だから、剣ばかり振っていればいい身分でもなくて。でも、ギルやルークとなら、ちょうどいいと思う」

「なんだか不思議なのです」


 オルヴィータが周囲を眺め渡して呟いた。


「こんなに違いのある人ばっかり集まって、よく仲良くできるものです」

「そこはみんなのおかげだと思うよ」


 ワノノマの武人の家の娘と、亜人。セリパス教徒でも聖典派と神壁派。犯罪奴隷や元テロリストもいれば、貴族もいる。分かり合えないことを分かっているからこそ、譲り合うことができる……

 ところが、俺の返答にシャルトゥノーマもソフィアも、目を見開いたり、首を傾げたりした。


「ん? どうかした?」

「いや、どう考えてもお前だからだろう」

「ええ、私もそう思います」

「え?」


 ふと、先日のケクサディブとの対話が脳裏をよぎった。


『君は、君という一人の人間の枠を超えたところにまで、心を届かせつつある。それは明らかに常人の領域ではないのだよ』


 でも、そんなことを言われても、今となってはよくわからない。だって、俺はすべてを見てきた、見てしまったから。セリパシア北部の寒村の馬小屋から、南方大陸の貧民の暮らす家まで。俺はフォレスティアのパンを食べ、南方大陸の辛い春巻きを食べ、東方大陸の白米を食べる。どの一口からも、同じように旨さを感じ取る。今更、パンしか食べられない……故郷の味の尊さは理解するにせよ……そこから脱することのできない人の気持ちにまで、引き返すことはできない。


 もしかして、見えてしまうがゆえの盲点、なんてものがあるんじゃないだろうか? 一瞬、不安のようなものが胸に忍び込むのを感じた。


 ふと、後ろから不規則な足音が近づいてきているのに気づいた。裏方に徹しているカディムが俺に用があるらしく、よろめきながら歩み寄ってきたのだ。その後ろから、タオフィが追いつき、追い越して肩を叩いた。


「気分が悪いのなら、ご無理はなさらんことですぞ」


 それから俺に向き直り、言った。


「またお客様がいらっしゃったので」


 やっと来てくれたか。さて、どんな風に自然に話を切り出そうか。あからさますぎると、タマリアが察して遠慮しかねない。

 そう思って、家の向こうの路地に目を向けたのだが、そこから見えた影は一つではなかった。


「遅くなった。間に合ったか」

「先輩」


 そのすぐ後ろに見えた姿に、俺は言葉を失った。


「やっほー! 遊びにきたよ!」


 今日もいつもと同じ。朱色のリボンで髪を止め、黄緑色のブラウスにスカート。どこから見ても彼女とわかる、その格好。

 リリアーナとナギアが、彼に同行してここまでやってくるとは。


「お、嬢様」

「もー、なんかやるんだったら、教えてくれたっていいのに」


 どうしよう。ここにはウィーがいる。タイミングを見計らって引き合わせるつもりだったのに、こんなに急に。

 強引に排除。魔法で目くらまし。追い返す。無理だ。こんなに大勢いる中では、ごまかしなんて利かない。


「やぁ、ファルス」


 何も知らないベルノストは、いつも通りの表情で、俺のすぐ前まで歩み寄ってきた。


「悪かったな。私がお願いしたのに、こんな時間になって」

「いえ、それは」

「済まなかった。千年祭の準備でな。リリアーナも関わっているから、さっきまで一緒にいたんだが」


 しくじった。といって、リリアーナにこの件を言うなと事前に伝えるわけにもいかなかった。


「伝え忘れたのか? まぁ、しょっちゅう顔を合わせてるし、言ったつもりになってたんだろうがな」

「え、ええ」


 一方、俺がベルノストと話し込んでいるとみて、リリアーナはこちらを避けて、女達の席に歩み寄った。


「こんにちはーっ、遊びにきちゃいました! はじめまして!」


 身分のありそうな相手と察して、タマリアが席を開けようと腰を浮かせかけたが、リリアーナは手で制した。


「いいよ! 後から来たんだし! 私、リリアーナっていいます! お名前をお伺いしても」


 そこで、彼女の言葉が途切れた。一瞬、真顔になる。


「お嬢様? いかがなさいました?」


 背後のナギアに問われると、すぐ表情を取り繕った。


「ううん、なんでもない! えーっと」

「あ、私、タマリア! その、ファルスとは収容所の頃の知り合いで」

「じゃあお付き合いも長いんだね」


 視線を向けられたシャルトゥノーマが、ややぶっきらぼうに言った。


「シャルトゥノーマだ。ただ、普段は人間の名前を使っている。メニエと呼んでくれても構わない。それと、この通り」


 自分の細長い耳を摘まんでみせた。


「ナシュガズ伯国から来た。いわゆる亜人と呼ばれる種族だ。ファルスとは大森林で知り合った」

「へー! 今度、詳しいお話聞かせてね!」


 そして、最後に視線がウィーに向けられた。


「ボッ、ボクは、その」


 彼女も、状況の悪さは察している。


「ウィー、って言います……」

「そっか! どこかで会ったっけ? でも、そんなわけないよね! よろしく!」


 身の置き所もなさげに、おずおずと自分の名前を告げたウィーに、さっきより高いテンションでリリアーナは応じた。

 だが、それで俺は確信した。魔法で心を読み取るまでもない。リリアーナはやっぱり覚えていた。それでいて、対処を保留することにしたのだ。この場であれこれ言わせないために、畳みかけて黙らせたのだ。内心、冷や汗が流れる思いだった。


「旦那様」


 駆け寄ってきたポトが言った。


「お客様が三人も増えましたし、今、椅子とテーブルをお持ちします」

「あ、ああ」


 場を乱さないための配慮。そう受け止めることにしよう。

 後日、なんとかリリアーナを捕まえて、この件をなんとか許してもらわないといけない。内心に何か灰色の雲が被さってくるような不安感が拭えなかったが、当面はどうしようもなさそうだった。


 男性用の大きいテーブルに引き返すと、ルークがベルノストに話しかけていた。


「とりあえず、先にギルと勝負するから、その後でやろう」

「ああ、よろしく頼む」


 こちらは何の差し障りもなく、当初の狙い通り、交流が進んでいる。だが、俺の頭の中は、もうそれどころではなかった。

 余程考え込んでいたのだろう。強く袖を引かれるまで、気付けなかった。


「えっ」


 俺の袖を引っ張っていたのは、コーザだった。


「どうした、んです?」

「あの」


 彼はキョロキョロしながら、小声で言った。


「実は、実は相談したいことがあって」

「なんでしょう」

「あ……でも、今日は慌ただしいし、また今度、学園の方まで僕から訪ねていくよ。それでいいかな?」

「まぁ、はい。できることであれば」


 俺の返答に、彼はホッと息をついた。


「よかった……」

「そんなに悩んでいることでも」

「まぁ、うん……貴族にまでなった人に、こんな僕みたいな庶民が、図々しいとは思うんだけど」

「そういうことは気にしなくていいんですよ」


 なんとか取り繕ってそう返事をしたが、内心では全く余裕がなく、上の空だった。


 その後、このスラムの一角ではしばらくの間、木剣の打ち合う音が絶えず、陽が翳る頃にはみんなそれぞれ、馬車に乗って家路についた。俺の知人を知人同士にするという目標自体は、ほぼ達成されたようだった。

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