スラムでパーティー(上)
よく晴れた春の日の朝だった。のんびりと馬上に揺られつつ、周囲を眺め渡す。頭上を遮るものといえば、青空を切り裂く歯車橋の塔ばかり。気分は悪くない。
俺のすぐ後ろには、馬車が一台。前回より一回り大きい。ヒメノにウィー、オルヴィータとシャルトゥノーマに加えて、マツツァとタオフィも荷台に乗っている。そして、御者を務めるのは、同じくポトだ。今回は人数も多くなるので、食材も満載している。
そっと振り返り、馬車の様子を窺う。大丈夫、問題は起きていない。
マツツァもタオフィも、冬の帰郷の際に、ウィーとは共闘している。少し考えればわかることだが、戦友というのは、険悪になるのが難しい関係性だ。なぜかといえば単純で、またいざ戦いとなった時、背後から撃たれかねないから。共に戦う以上、互いにいい奴でいる必要がある。そして、彼らにはそれなりの経験がある。戦士としての習慣として、無用の衝突を避けるのだ。
更に言えば、彼ら郎党は、ヒジリとは少し違った考え方をしている。以前、俺がポトを伴って別宅に寄った時にも言われたことだが、彼らは俺が外で女を作ること自体は、さして問題視していない。ただ、厄介事を持ち込むようなややこしい女に引っかかるのがまずいだけで、ヒジリ……彼らにとっての鬼軍曹のような上官や、彼女のお膳立てした相手に縛られる必要はないと考えている。姫巫女候補が特殊なだけで、ワノノマでは性的分業が大前提、男尊女卑も当たり前。操を守るのは女の役目で、男の義務ではない。
そして、ウィーとオルヴィータ、シャルトゥノーマの間でも、うっすらとした人間関係ができつつある。特にファルスの仲間で顔見知りのウィーが、自分にとって敵であったはずの連中と親しげにしているのだ。彼女はブスッとした顔で無言で座っているのだが、二人を睨みつけたりはしていない。人間関係が既にあるのを見て取って、まずは観察してから判断しようと、条件反射を抑制してくれているのだ。
この調子だ。みんなそれぞれ、背景も事情もある。互いにその違いを知ることで、関係性の網の目がクッションになる。
こうしてみると、俺は今、帝都の理想を身をもって実現しようとしているのかもしれない。
タマリアの家の前の広場に馬車を乗り入れると、家の中から彼女が出てきた。
「いらっしゃ……大きな馬車だねぇ!」
「今日は大勢来るしね。少し早めに食べるものを作っておこうと思って」
そう言いながら、俺はアーシンヴァルから降りた。
「前にも見たけど、立派なお馬さんだね」
タマリアはおずおずと近づいて、首筋にそっと手を添えた。アーシンヴァルも特に逆らわず、さりとて愛想を振りまくでもなく、されるがままになっている。
「みんなが集まるまでしばらくかかると思うし、ちょっと軒先借りるよ」
持ち込んだ大鍋を据え付け、俺は一人で調理を始めた。では、郎党達はというと、会場の設営に動き出した。木剣を木箱の上に置き、的代わりの木の柱を建て、その周囲を板で囲む。ウィー達が見当違いの方向に矢を放つなど、まず考えられないのだが、誤射などの事故は可能な限り防止しなければならない。一方、二人はというとお客様なので、手伝いを申し出たがマツツァに断られ、すぐタマリアの家に入って、中でお喋りを始めた。
そんな様子を横目に見ながら、俺は野菜を切り、肉を鍋に放り込んだ。そしてレードルを手に、その場に立っていた。
しばらくすると、次の馬車がやってきた。荷台から降りてきたのは、白衣を纏い、その金髪を三つ編みにしたソフィアだった。
「ファルス様、おはようございます」
「いらっしゃい」
俺は挨拶を返したが、どこかぎこちなかった。今日、彼女を招くことは事前に相談済みだったから、そこは問題ではない。心の中に引っかかっているのは、つい先日の訪問……言ってみれば、リリアーナがヒジリに宣戦布告した件だ。では、いったいどんな経緯でソフィアがあれに同行することになったのか。
「まぁ、今日もコンソメスープをいただけるのですか?」
「あ、いえ」
鍋の前から離れてから、俺は首を振って答えた。
「残念ですが、時間がないので、今日はポトフです。コンソメにするには、もう一日必要なので」
「そうですか。でも、ファルス様の手がけた料理であれば、間違いはありませんから、楽しみです」
百合の花が微笑むかのように、彼女は軽くはしゃいでみせた。
俺達が話していると、もう一人、荷台の後ろから、よろめきながら出てくるのがいた。
「うっ……眩しい……力が入らん」
カディムだった。この温かいのに、いつものように黒いロングコートのようなものを羽織ったまま。それでも少しも暑そうにはしていない。ただ、よっぽど陽の光が堪えているようで、数歩進むごとに、右に左にとふらついてしまっている。
「大丈夫ですか」
「なに、慣れるのに少しかかるだけだ」
「今日はヘルは」
「留守番にするしかなかろう」
俺は頷き、タマリアの家を指し示した。
「少し日陰で休んでは」
「そうさせてもらおう」
それで彼は軒先まで行き、しかし中に女達がいるのを察すると、その場にしゃがみ込んだ。
「……先日の件ですか?」
察したソフィアが先に口にした。
「ああ、あれはいったい」
「私も詳しいことは知らなかったのですよ」
彼女の視線で、俺は我に返って鍋に戻った。焦げないように掻き回さないといけない。
「リリアーナさんが、私にもいろんなことを尋ねてきまして」
「私、にも?」
「ファルス様のお知り合いの方に、片っ端から声をかけておいででしたよ」
ラーダイも言っていたっけ。そうすると、先日の殴り込みの前に、リリアーナはそれなりの情報を得ていた可能性がある。
「ですから私も、正直にお伝えしました」
「何を?」
「婚約の件です」
思わずレードルを握る手が強張った。
「養父たる教皇の意向ですから、私としても後には引けませんので」
「あ、いや、あの」
わかってはいる。それは多分、口実だ。リリアーナも、そう言っていたのだし。
ソフィアはセリパス教徒だから、はしたないとされるような言動は避ける。だが、本音のところでは、つまり、要するに……俺を捕まえるつもりでいる。ドーミル教皇としても、現実的な必要性ならあるのだろう。俺が東部サハリアの戦争をひっくり返したことも承知しているだろうし、そんな危険分子が自国の秘密まで握っているのだから、野放しになどしたくない。そして、ソフィアはその状況に便乗することにしたのだ。
そんなに俺が魅力的な男だなんて、今でも思えないのだが、しかし、状況を考えてみれば、ソフィアが執着するのも自然ではある。死を免れないであろう魔宮に突き落とされたというのに、そこから救い出してくれたヒーロー。そんな風に受け止めているのなら。出会いの機会も限られるこの世界、これで心を決めてしまっても不思議ではない。
「それにしても、油断でした」
「油断?」
「まさか世界中を経巡った末に、あちこちから思いを寄せられるようになっていらっしゃったとは。でも、気付くべきでした。出会った中の一人がそうなるのなら、他の方もそうなるのが自然だった、ということに」
自分が、とは言わない。あくまで他人事のように。
「あの、その」
「ふふふ、気に病まないでください。少なくとも、私は今、幸せです」
そう言われてから数秒間。鍋を掻き回しながら、思考を整理した。徐々に気持ちが落ち着いてきた。
俺は顔をあげて、自然な微笑みを浮かべ、言った。
「それはよかった」
それからしばらく、彼女は無言で調理に没頭する俺を眺めていた。そのことに煩わしさはなかった。
「さて、準備はこんなもんかな」
鍋に蓋をしたところで、やっとソフィアは俺に尋ねた。
「今日は、リリアーナさんはいらっしゃいますか」
この問いに、さっきまでの落ち着いた気分は削がれてしまった。
「あ、いや、今日は呼んでない」
「どうしてでしょう? きっとがっかりされるかと思うのですが」
「その……実は、彼女と折り合いの悪い人がこちらに来るので、どうしようかと」
ゆくゆくはリリアーナもこの集まりに招きたい。だが、今は時期尚早。ウィーがここのみんなにとっての仲間と認知されてから。先日の訪問の際の彼女を思い出すと、ますますそうすべきという気になる。
だが、ソフィアは真顔になっていた。
「それは、その方をリリアーナ様より優先するということでしょうか?」
「い、いや、そうじゃない。どうにか丸く収めたいとは思っているんだけど」
彼女は少し引っかかりを覚えたようだが、それ以上、追及しなかった。
しばらくして、スラムの家々の狭間から、大柄な男の姿が垣間見えた。ルークは俺に気づくと、手を挙げて挨拶した。すぐ横にはニドもいる。
「よう。今日はちょっとしたお祭りだな」
「まぁね」
「他の連中は」
「もうじき来るはずだ」
午前も遅めの時間にやってきて、まずは軽く腕試し。その後、俺の提供する飯を食って歓談しつつ一休み。それから反省会。夕方になる前には解散。そういう予定になっている。ただ、肝心のベルノストは、少し遅れると言っていた。言い出しっぺのくせに、と言いたいところだが、彼の立場では公務もあるので、仕方がない。
俺がニド達と話していると、今度は西側の橋に繋がる道から、のんびりと三人が歩いてくるのが見えた。
「おっ」
声を出しかけたジョイスが、そこで立ち止まって手を振った。そのすぐ脇には、フェイとエオがいる。
「もう集まってやがったか」
「チッ、久しぶりじゃねぇか」
ニドとジョイスは、再会を祝しているのか、それとも睨み合っているのか、その両方なのか。
「は、はじめまして! エオと申します!」
「フェイだ。ファルスがカークの街にいた頃に知り合いになった」
「ああ、よろしく。俺はルーク、こっちはニド」
ギル達も来ていないが、そろそろ始めてしまおう。そう思って、俺はみんなを、即席の広場に誘導した。それに気付いたのか、タマリアの家からも四人が出てきた。ではカディムはというと、やっぱり明るい場所が苦手らしく、いまや狭まるばかりの日陰に留まって、身を縮めている。
「じゃ、全員が集まるのはまだだけど、早速、技術交流といこうか」
「よし、じゃあ」
真っ先に前に出たのが、ルークだった。
「教わりたいんだ。こんななりして、まだまだ未熟なんだが、誰か相手してくれないか」
「よしきた」
フェイが早速受けて立った。
「得物はどうする? 素手か、自分の好きなものを使うか」
「剣と盾を使いたい。そっちは好きにしてくれればいい」
それで二人は、脇に置かれた中から、適当な道具を拾い上げた。俺達の後ろから、ウィーが追いついてきた。
「早速勝負?」
「練習試合だよ」
「ふぅん」
シャルトゥノーマも腕組みして、向かい合う二人を見つめていた。
「お前の周りの人間は、みんな普通じゃなかったが……考えようによっては、普通の人間がどれくらいやれるかを、ここで見られるわけだ」
フェイは神通力を備えているので、実際には人間の平均より強いのだが。説明しようにも言葉にできず、俺は口をパクパクさせた。
「大丈夫ですよ。多少のお怪我でしたら」
そのためにソフィアを呼びつけたという面がないでもない。小さな傷くらいなら、すぐに治してもらえるから。
「よっし、構えー、はじめ!」
ニドの雑な号令で、フェイは棒をまっすぐ水平に突き出して身構えた。ルークも、その体格には相応しくない、小さな木の盾を前にして、剣に見立てた木の棒を後ろにした。一見して、構えそのものはしっかりしていて、隙がない。
「ほえぇ、ルークって野郎、こりゃあ仕込まれてやがんな」
姿勢に乱れがないのを見て、ジョイスが感嘆の声を漏らした。アドラットが徹底して鍛え抜いたに違いないのだから、基礎的な部分はちゃんとしているのだろう。
「けど、そうなると」
ジョイスは皮肉げに笑った。
「次はズルさがどうかってとこだな」
間合いは、フェイの方がある。ルークは腰を落としたまま、じっと動かない。それでも大柄なので、相手からすれば聳える岩のように見えていることだろう。この、低い姿勢をじっと保つというのが、まずよく鍛えられてきた証拠でもある。一気に距離を詰めるには、足にバネが利いていなくてはいけない。どうしても先手を取れない以上、フェイの一撃を盾でいなしてかいくぐり、間合いの有利を潰す以外に勝機がないのだ。
フェイは、様子見のつもりだったのだろう。さして力も込めずに、棒の先端を突き出した。だが、ちょっとした牽制でも、ルークにとってはすべてが機会だった。火薬が弾けでもしたように、思いもよらないほどの速さで前に出ると、そのまま盾を掲げたまま、一気に距離を詰めた。いつ剣の一撃がくるかとフェイは対処に迷ったのだが、その一瞬で、強烈な体当たりを受けて、後方へと吹っ飛ばされた。
見る側にも緊張が走る動きだったが、若干の距離が空いてしまった。そこでフェイは素早く姿勢を整えると、棒を手にまっすぐ突きかかっていった。ルークの眉間を狙って斜め上に棒は突き出され、ルークはこれを弾いて今度こそ一撃を浴びせようとしたが、その時、彼の視界からフェイが消えた。
「うおっ!?」
棒を手放しつつ、フェイは両腕を拡げ、斜め下に滑り込むようにして、ルークの左足を抱え込み、そのまま、釣り上げられる魚のように真上に跳び上がった。
転倒したルークの胸の上に腰を据えたフェイは、すぐさま右膝で盾を抑え込み、左手で彼の右手を掴んで剣を封じて、顎をめがけて拳を振り下ろそうとした。
「ぶふぉっ!」
だが、体重をかけて抑え込んだはずのルークの右腕が、その腕力だけでフェイの拘束を振り払った。立ち上がり、大きく飛び退いたフェイだったが……
「はぁ、負けた」
ルークは、その場で大の字になった。
力ずくでフェイを追いやる前に、一撃が顎に入っていたからだ。つまり、ナイフで首を掻っ切られた。そう受け止めたのだ。
「なんつう力だ、こいつ……まさか怪力」
ジョイスが横に首を振り、俺は首を縦に振った。それでフェイは察した。
ルークにそんな神通力はない。でも、迂闊なことは言うな。それで彼は口を噤んだ。
「うう」
ヒメノが微妙な苦笑いを浮かべていた。
「どうかした?」
「スッケの殿方の様子を思い出してしまいまして……最近、鍛錬を放り出してますから、叱られそうだなぁと」
「ははは」
「今日は、胸を借りて少しくらい木刀を振ってみましょうか」
その横では、シャルトゥノーマが嘆息していた。
「普通の人間にしては……粗削りだが、大した力だ」
ルークをそう評価した。と同時に、視線がフェイに向かう。
「それにしても、今の動き」
だが、俺と目が合う。それで察したのか、彼女もこれ以上、余計なことは言わなかった。そう、フェイは『飛行』の神通力を目立たないように使うことで、ルークの足下に潜り込んだ。その動きの不自然さに気づいた彼女だったが、それを言いふらすべきでないことにも思い至ったのだ。
「お怪我はありませんか」
ソフィアが倒れたままのルークに駆け寄って、詠唱した。その手に宿る青白い光が、ほんのかすり傷を瞬く間に癒していった。
いい感じだ。なんだかんだ、共に体を動かす以上の交流など、なかなかあるものでもない。ベルノストにとってもちょうどいい集まりになるのではないか。
心のうちに、ようやく安心感のようなものが満ちてくるのを感じた。
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