みんな仲良くしよう計画
「旦那様、お疲れのところ、申し訳ございません」
学園から帰って離れの玄関から一歩立ち入ると、そこにはポトが待ち構えていた。
「以前から伺っていたお客様がいらっしゃいました」
「今は」
「本宅の方では落ち着かないようでしたので、こちらに。今は姫がお相手しております」
では、すぐ目の前の応接室にいるのだ。
「よろしいでしょうか」
「ああ、問題ない」
それでポトは扉をノックした。内側から扉が開かれる。
「お帰りなさいませ、旦那様」
内側に控えていたのはファフィネだった。俺に対して恭しく目を伏せて一礼する。
「旦那様」
俺の姿を認めると、ヒジリも立ち上がった。
「オルヴィータさんが遠くからいらっしゃいました」
「ああ」
絶妙な言葉遣いとしか言いようがない。六大国の姫と、成り上がり貴族の城で働いていただけの、平民の娘。だが、その娘は俺の幼馴染でもある。オルヴィータ様とは呼べないし、オルヴィータ殿でもしっくりこない。彼女がここまでやってきたのは、城代たるノーラの命令を受けてのことなので、上下関係ならある。だが、そこにヒジリは踏み込まない選択をした。そうでもしなければ、目の前の一般人が委縮してしまうし、良好な関係を築くこともできない。
「お疲れ様。そうすると、かなり待たされたのかな」
「半日ほど前に、こちらに着いたのです」
俺が振り返ると、ヒジリが答えた。
「既にお昼は召し上がっていただきました。本日はもう夕方ですし、別邸の方に案内するというのが明日になってもいいようにはしてございます。ただ、先にタオフィを走らせておきましたところ、あちらにいる者と連絡がつけられたとのことですので、本日中に出向かれても不都合がないかと存じます」
「そうだな、でも、引っ越しは明日にしよう。ただ、ひとっ走り顔を出して話だけはしてくる」
つまり、ウィーが別邸に留まっている。今日中に新たな住人が顔を出すかもと思って、待っているのだ。
「荷物は」
「馬車でここまで運んできた分につきましては、先に別邸に運ばせました」
「わかった。済まないが、オルヴィータの今夜泊まる部屋を。着替えて、少し出てくる」
「畏まりました」
そう言って自室に戻り、手早く私服に着替えた。それから手短に詠唱する。目標地点は帝都南西の宿屋の小部屋。
《よかった、いたな》
精神操作魔術を通じて意識に流れ込んでくるイメージ。その部屋は狭く、古びた寝台の他には何もない。一応、個室ではあるものの、およそまともに生活できる空間ではない。木窓はあるが、固く締め切られたままだ。そんなところで、灯りも点さず、一人きりで横になっている。
《びっくりさせるな。ファルスか》
シャルトゥノーマの意識が届くのを感じた。
《前から言っていた件だ。いつまでもそこに置いておくわけにはいかない。ディエドラ達と一緒にいた僕の身内もこちらに来た。明日は学園も休みだし、引っ越しの件でこれから話を通してくるつもりだ》
《やむを得ないな》
《今日、あちらの話を済ませたら、軽く寄らせてもらうが、いいか》
《ああ》
これでいったん通話を終えると、俺はすぐ階下に降りた。
アーシンヴァルに跨り、薄暗くなり始めた街路に出る。これからウィーのいる別宅まで行って、明日の引っ越しについて話をつけなくてはいけない。
やることは単純だ。まず、オルヴィータの入居は決まっている。あの家は元々、領主の公館としての機能がある。だから、代官から派遣された人員が住むのは当然のこと。夏に向けて、オルヴィータは、リンガ商会のコーヒー販売の態勢を整える仕事をこなす。
だが、それはそれとして、シャルトゥノーマもあの家に引っ越してもらうつもりでいる。彼女は今年に入ってから帝都までやってきたのだが、初めのうちはどうしても、誰とも関わろうとしなかった。気心が知れているのはジョイスくらいで、しかし彼の傍にはフェイもエオもいるので、同居するというわけにもいかない。といって、ワノノマの公館で起居するなんてもってのほか。さりとて、これまで縁もゆかりもなかったウィーなる女と同居するのも、嫌がっていたのだ。
それも無理はない。亜人として、人間の目を恐れて暮らしてきたのだから。俺の身内だから、と言われても、それだけでは安心も信頼もできなかったのだ。しかし、そろそろ彼女も今の生活に限界を感じつつある。若く美しい女が、治安面で問題のある安宿に一人、留まり続けている。日が経つにつれ、安全が脅かされていくのを実感しているのだろう。
なんだか、途方もない後片付けを迫られているような気がしてならない。俺はいろんなところで、いろんな人と結びついてきた。だが、俺の知人と知人には、何の関係性もない。しかし、俺の身分は社会的に影響力を持つほどになり、よって俺の庇護下に彼ら彼女らが寄り集まるようになってきた。
この、関係性を持たない人々に、いかにお互いを受け入れてもらえるのか。何をもって結び合わせることができるのか。その責任が、俺に降りかかってきている。
かつてはいろんな世界を見て、そこにいる人達の流儀に従い、受け入れてもらうことはできた。
だが、今や俺の世界を、俺の近くに散らばる人達に、受け入れてもらわなくてはいけない。
「ウィー、遅くなった」
「ううん」
俺が駆けつけ、玄関の扉を叩くと、すぐ彼女は出てきた。
「今日は大事な話がある」
「え? 引っ越しは?」
「それは明日、朝から。僕も手伝う」
家の中に立ち入り、薄暗くなり始めた中庭に出た。
「荷物はここか」
「雨も降りそうにないから」
二階のテラス席まで行き、そこで俺は彼女と向かい合って座った。
「それで、大事な話って、何かな」
「物凄く簡単に言うと、揉め事を起こさないで欲しい、ということだ」
「えっ?」
想像もしなかったことを言われて、彼女は首を傾げた。
「予期しておくべきだったけど、実は僕の中では、相当にまずいことになっているんだ。例えば、今、婚約者はワノノマの姫君で、ヒシタギ家のお嬢様まで宛がわれている」
「うん」
「だけど、僕の身内には、彼らの敵がいるんだ」
「敵?」
まず、シャルトゥノーマの件から。
「亜人、獣人……ウィーはディエドラには会ったと思うけど」
「うん」
「少し前から帝都に、大森林の奥地からやってきた亜人の知り合いが来ている」
「何をしに?」
「僕の傍にいるのが、そもそもの彼女の任務だ」
「彼女? 女の亜人?」
ウィーも、かなりのところ気が強いが、シャルトゥノーマも、生真面目な分、どちらかといえば短気なところがある。
「今は南西部の安宿にいるが、ずっとあそこに置いておくわけにもいかないんだ。亜人は人間から見ると、どうしても顔立ちも整っていて、ほっそりしているから。もちろん、普通の人間では考えられないほどの魔力があるから、その辺のチンピラがどうこうできるものではないんだけど、事件が起きたら面倒なことになる。だから、オルヴィータの引っ越しに合わせて、彼女もこちらで引き取りたい」
「ま、まぁ」
何とも言えない微妙な表情ではあったが、ウィーは逆らわなかった。
「だってここ、ファルス君のおうちだし」
とはいえ、なぜか微妙な不満が見て取れる。
「彼女……人間の世界では、メニエ・スポルズと名乗っているけど、本名はシャルトゥノーマというんだ。で、悪い人ではないんだけど、とにかく生真面目で、ちょっと気が短いところもある。それに、人間の世界に不慣れなところもある。だから、気を配ってやって欲しい」
「うん」
「で、これはまだ、話の半分なんだ」
というより、ここからが本題だ。
「シャルトゥノーマは、ワノノマの人達にわだかまりがある。だけど、その意味で言うと、ウィーも別の方面で危ういんだ」
「どういうこと?」
「帝都に、この春から、リリアーナが……僕が前、仕えていたエンバイオ家のお嬢様が、留学してきている」
意味を悟って、ウィーは表情を引き締めた。
「それだけじゃない。ジョイスって覚えているか。あの、マオ・フー……支部長のところに引き取られていた」
「もちろん、覚えてるよ。あのおサルさんみたいな子」
「今では立派に成人している。カークの街での修行を終えて、こちらも帝都に来ているんだ。つまり」
「ボクがファルス君の近くにいたら、見つけられるのは時間の問題、と言いたいんだね」
そういうことだ。ウィーの身分ロンダリング自体は解決している。だから、もう追手がかかることはない。しかし、個々人のレベルで彼女のことを記憶しているのはいる。
「でも、何年も前のことだよ? さすがに子供だったあの子が、ボクのことを覚えてるなんて」
「そうはいかない。お嬢様は、やけに物覚えがいいんだ。多分、見られたら、かなりの確率で見抜かれる。まぁ、問題があったのはウィーだけじゃない。以前、お嬢様を誘拐したギムって人も、領地の方で仕事をさせてる」
「えぇ? なんでまた」
「騎士身分になれるほど優秀だったし、真面目で頼れる人だったから。でも、こっちは多分、お嬢様がそこまで怒ることはないんだ」
「どうして」
一呼吸おいて、言った。
「手出しした相手が、お嬢様だけだったから。でも、ウィーは違う。イフロースやサフィスを撃ってる。これがまずいんだ」
この指摘に、ウィーは目を瞬かせた。
「で、でも。ボクはあの後、ちゃんと執事の、あの人と手を組んで、反乱軍と戦ったじゃないか」
「そう。だからイフロースは許すと思う。あの人は言ったことは守るから。でも、そのことをお嬢様は知らない。知ったところで、あれはウィーとイフロースの間の約束であって、お嬢様が納得するかどうかは別なんだ」
問題の深刻さに、彼女は言葉を失った。
「だから、選択肢としては、まず、ウィーが帝都から領地に戻ること」
「嫌だよ、そんなの」
「だと思ったよ。それに、もし仮にお嬢様が領地に来たら……だって一時帰国するにしても、イーセイ港から直通道路でティンティナブラム城まで行った方が、ピュリス経由より楽かもしれないんだから、立ち寄る可能性は結構あって……その時に、見咎められる可能性はあるし、そうでなくても人伝にウィーの存在を知るかもしれない」
しばらくの沈黙の後、ウィーは尋ねた。
「じゃ、どうするの」
「どうしたらいいか、僕もわからないんだ。だけど、当面のところ、思いつくのは」
説得できるだけの材料を作る。ウィーを告発するより、仲良くする方が得する状況があればいい。
「僕の傍のいろんな人と深く繋がってもらうことだ。友人の友人なら、殴るに殴れなくなる。でも、そのためには、ウィーの側が僕の周りの人達を、先に受け入れてくれないとダメなんだ」
「言いたいことはわかったよ」
彼女は頷いた。
「ごめん。ボクが無茶をしでかしたせいなのに。結局、後始末をさせちゃってるんだから」
「イータに頼まれたからって、牢獄から出したのは僕だしね」
話が一段落すると、俺は席を立った。
「あれ、もう行っちゃうの」
「あと一箇所、同じ話をしてこないといけない。シャルトゥノーマにも、喧嘩するなって釘を刺さないと」
「そっか」
「今度、ゆっくりしに来るよ」
申し訳ないとは思う。ウィーが帝都に留まっているのは、俺のためなのだから。
しかし、ヒジリという婚約者がいる中で、彼女が正室に収まる可能性は限りなく低い。では、側妾にでもなるつもりなのだろうか。もともと日陰の人間ということを思えば、それは身分相応の扱いではあるのだが。
わかっている。俺に不足しているのは、清濁併せ呑む器量だ。けれども、他人の行く末に土足で踏み込んで好きなように振る舞うとして、それで何もかもが解決するかと言えば、やっぱりそんなわけはない。俺の目の届かない物陰で、ひっそりと泣くだけに違いないのだから。
内心のモヤモヤに蓋をするように玄関の扉を閉じて、俺は無言でアーシンヴァルに跨った。
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