高台から船を見送って
「じゃあ、今日は久々に女抜きってことか」
「嫌な言い方だな」
「だってお前、いっつも女連れじゃねぇか」
今日の講義は一通り終わって、みんな教室に戻ってきている。春もたけなわ、日が落ちるのも遅いので、いまだに窓の外は明るい。窓を開けて風が通るようにしてあるからいいが、さもなければぬるい空気がそろそろ蒸し暑く感じる季節だ。
「自分でわざわざ掻き集めたわけじゃない」
「それであれだけモテるんだもんなぁ、お前、やっぱすげぇよ」
今は帰宅前の最後のホームルームを待っていて、隙間の時間を雑談で潰している。そうして暇になると、ラーダイはいつものように俺をからかう。
「大変なだけだよ」
「そうか?」
「まぁ、わかる話ですねー」
口を挟んだのは、なぜか俺を囲む中に加わっていたフリッカだった。今日は珍しく、何のコスプレもしていない。普通に制服を着用している。
「なんでお前にわかんだよ」
「これでもモテるんですー」
「お前がぁ?」
すると、彼女はウンザリしてます、といった様子で溜息をつき、首を振った。
「ほら、私って、背が高くってスラッとしてて、割と美人じゃないですかー」
「自分で言うか、それ」
「そうなるとですねー、そこそこいい家のお坊ちゃんとかが、真剣交際匂わせて近づいてくるんですよー」
俺の隣に座っているギルが、疑問を口にした。
「本当に真剣ってことはないのか?」
「ないですねー。だったらどうやって実家に話を通すかとか、そういうことになるはずじゃないですかー」
「あー、まぁ、そうだな」
彼も頷いた。
「俺も、実家で何の仕事をするとか、そういう話は割と最初の方であったもんなぁ。商売の方は、彼女の弟さんが継ぐから、俺は市内の守備隊の方に就職とかなんとか」
「でしょでしょー? 帝都で帝都のやり方で楽しく恋愛して、留学が終わったらお先真っ暗なんて、ごめんですー」
フリッカは、普段の変人ぶりからは想像もつかないほど、まともな意見を口にした。
それはともかく、これが大陸からの留学生の、歪な恋愛事情だったりする。
帝都は学生達に、帝都の論理で生きることを望んでいる。つまり、自由で平等な社会において、それぞれが主体的に活動すること。恋愛もまた、例外ではない。というより、場合によっては、予想外の結びつきが起きてくれた方がいいのだ。例えば、どちらかといえば敵対的な関係にある国や地域出身の男女が恋愛の末に結婚してしまったとする。すると、実家の側では事後承認を与えざるを得ない。学園創設間もない一千年前においては、全世界の融和こそが最優先課題だったから、そういう「過ち」にお墨付きを与えていたのだ。
だが、今は帝都にそれだけの実力がない。権威はあるから、男女問わず学生を呼び集めはするし、各国もこれを拒否はしない。しかし、その理念については、建前になってしまった。
うっかり自由恋愛で、政治的な事情とか実家の利益とか、そういった問題を無視して結婚なんかされたら、たまったものではない。だからこそ、アスガルのようなサハリア系の留学生などは、そもそも異性との接点を極力小さくする。
また、貴族の子弟には、それ専用の女が宛がわれたりもする。とはいえ、すべての家にそれだけの余裕があるのでもない。例えばオルヴィータの主人だったダヒアには、召使いには彼女一人しか宛がわれなかった。宮廷貴族の、それも下の方となれば、そこまでの資金力もない。フィルだって、ボロいアパートでイフロースと二人暮らしをしていたのだ。
そんな青年達も、欲求を持て余しはする。だからこそ、冒険者のフリをして留学生を引っかける女達も食い扶持にありつけている。だが、その辺の危険性を学習した若者達は、もっと都合のいい標的を選ぶようになる。
「本当に帝都生まれだったら、あんまり困らないんですけどねー」
そうなると、立場が弱くなるのは、やはり女子学生なのだ。のぼせ上がって貞操を捧げたところで、相手から「僕達、これで終わりにしよう」と言われたら、もう何も言えない。正直に実家に報告する? まさか。然るべき対処をしてくれるにせよ、帰国した自分を待つのは、部屋住みの日陰の人生だ。また、だからこそ、うっかり妊娠した場合には、ラギ川に王子様が浮かぶことにもなっている。
しかし、帝都生まれの帝都育ちとなれば、そもそも貞操を守るということの意味が薄い。自由恋愛が常識な上に、法的に女性の権利が確保されているので、なんなら逆に相手の男性を性暴力疑惑で訴えることも容易。実際、グラーブのような大物でさえ、それでダメージを受けるくらいなのだから。そして、仮に父親不在の子を産んでも、帝都が税金を費やして生活を保護してくれる。それに母性優越の原則があるので、離婚した場合の親権も母親にいくし、我が子との面会も、母親側が同意しなければできなくなる。これでもかというくらい、女性の権利が守られている。
そうした法律自体は留学生にも適用されはするのだが、それで帰国後のペナルティがなくなるわけではないから、そこまでありがたみがない。
「で、だったらお前、なんでこんなところに座ってんだ? こいつ、ファルスだぞ」
「なんだよ、その、こいつファルスだぞって」
「近づくと妊娠させられるだろ」
「あのなぁ」
するとフリッカは、肩をすくめた。
「逆に都合がいいんですよー」
「ん?」
「だって、近くにいれば、お手付きだって思われるかもしれないじゃないですか。そうなったら、変なのが声をかけてこなくなるし。それに、本当に手を出されることって、まずないし」
「なんで言い切れんだよ」
「だって、周りはあんな美人さんばっかりなのに、さすがにいちいち私にまで構ってる余裕、ないでしょー」
そういう理屈か。納得しつつも、俺は目元を覆って溜息をついた。
そして、この会話に参加しているのかいないのか、ゴウキは輪の中でただ黙って話を聞いている。表情にはまったく変化がない。
「そういえば、ギル、最近はどうなんだ」
「おあ?」
彼は会話を聞きながらも、少しうつらうつらしていた。よっぽど疲れているらしい。
「ほら、例のオムノドのお嬢様と」
「あ、ああ」
昨年秋の迷宮探索の成果は、醤油を除けば、これだけだったと言える。
「最近、会えてない」
「えっ」
「仕事が、忙しくて」
俺達は一瞬、真顔になった。
「おいおい、大丈夫かよ」
「いや、そんなに忙しいのか? また金に困ってるのなら」
「そうじゃなくってな」
説明しようとして、ギルは口をパクパクさせたが、すぐやめた。
「あー、ギルドの仕事で、日当は十分に貰えてる。目先の金に困ってて仕事を詰め込んでるんじゃないんだ」
「だったら、適当に休みながらやればいいんじゃないのか」
「あんまり詳しくは話せない……ちょっとした事件があって、その調査に駆り出されてる。だから金払いの心配はないんだが、とにかく余裕がないんだ」
「そうか」
すると、恐らく帝都としては珍しいが、凶悪犯罪でも起きたのだろう。通常、犯罪の捜査は、帝都防衛隊が引き受けることになっているのだが、それでは人手が足りないか、何か問題があると考えられる事情があって、ギルドの方にも依頼が舞い込んだに違いない。
「早く片付くといいな」
「ああ」
彼の表情はすぐれなかった。余程いやな事件なのだろうか。稼ぎがいいから長く続いて欲しい、なんて思いつきもしないほどに。
「ま、ギルは給料もらえるからいいけどよ」
ラーダイが冗談めかして言った。
「お前はタダ働きみたいなもんだもんな。あの爺さんに呼び出されるとか、金も色気もなんもなさそうだし、つまんねぇだろ」
「そうでもない」
「あ?」
俺も少しだけ皮肉を込めて言い返してやった。
「女抜きで過ごせる貴重な時間を得られるよ」
帝都の西の郊外、ちょっとした高台にある小さな公園。そこが今日の待ち合わせ場所だった。
真っ白な白いタイルが敷き詰められたその空間は、やけにガランとした印象だった。眺望を犠牲にしないためか、あまり樹木が植えられていないためだろう。石材を削りだして拵えた、これまた真っ白な椅子とテーブルが、欄干の手前に据えられていた。そこに、いつものようにブカブカの服を纏ったケクサディブが座りこんでいた。
「お待たせしました」
「やぁ、わざわざこんなところまで、済まないね」
「いえ」
俺が来ると、彼は立ち上がった。
「でも、今日はここでなければいけなかった。ささやかな良心というかね、あれを見送らないわけにはいかないんだよ」
彼が指差した先。南西方向に見えるのは、日没を少し後に控えた、まだ青い空とうっすら黄色い光、黒々とした海面。厳めしい歯車橋の右手には、大きな帆船がいくつも停泊していた。そこに色とりどりの無数の紙テープが結ばれている。これから出航だろうか?
「今朝方、西の軍港を出て、出発前に一度、外港の方に寄るんだ。だからこんな時間になる」
「じゃあ、あれは軍船……いや」
彼は頷いた。今の帝都には、まともな海軍など存在しない。海上の防衛は外国に依存しているのだから。なのに、軍港を出て、しかもわざわざ外港に寄ってから出発する船。
「女神挺身隊、ですか」
「今年も人身御供の季節がきた、ということだね」
市民権を剥奪された若者達が、最後の希望を託して乗り込む船。それがあれらなのだ。人形の迷宮はなくなったが、大森林もムーアン大沼沢も、変わらず存在し続けている。挺身隊の派遣も終わらない。
「やめさせることは、できなかったんですか」
「どうやって?」
彼は肩をすくめ、首を振った。
「有権者の過半数が支持しているのに、上からやめろと言うのかね。代理機関といえども、そこまでの権限はないよ」
「棄民じゃないですか」
「その通り」
「それで、足りなくなった人手は移民で補うんですか。バカみたいですね」
「そうとも、バカなんだよ」
深い溜息をつきながら、彼は言った。
「先日も、大きな暴動がチュンチェン区で起きたらしい」
「またですか?」
「ほら、今、千年祭で使う大競技場を建設中だろう? そこで移民の代表が待遇改善を訴えたんだとか。ところが、その後まもなく、その代表が事故死したものだから、労働者達が怒り狂ってしまってね……」
俺も溜息をついた。
「帝都は世界一治安がいいと聞いていたんですけどね」
「それは事実だとも。凶悪犯罪も滅多に起きないし、大規模な盗賊団が暴れまわることもない。こんな暴動も、本当に近年になってからで、少し前までは滅多になかった」
会話が途切れた。
遠くから、吹き鳴らされる角笛の音が、ここまで聞こえてきた。大きな船が、ゆっくりと岸壁を離れて、大洋へと流れていく。
「近頃はどうかね」
ケクサディブが、抑揚のない声でそう尋ねた。
「ある程度はご存じなんじゃないんですか」
「噂なら聞いているよ。いまや学内きっての美女達が君一人に首ったけだそうだね。でも、それはわしにとっては、さほどの問題ではない。ほら、あれだよ、例のモーン・ナーの呪いが荒れ狂うことはないのかね。その兆候みたいなものでもあったら、伝えて欲しい」
「何もないですよ。平穏そのものです」
実際、これが俺の人生の一部とは信じられないほど、日々の生活は平和だった。
「でも、そうですね……今朝、思いもよらない人の夢を見ましたよ」
「ほう?」
「パッシャの首領……夢の中でも代行者と呼んであげないと文句を言われるんですが……あのデクリオンと話す夢でした」
彼が興味深そうにしているので、俺は続けた。
「大したことは話していません。まったく恨んではいない、と言われました。ただ」
「ただ?」
「自分達の犠牲の上で、本当に未来の不幸をなくせるのか、とは問われました」
俺は、遠ざかっていく船の影に視線を向けた。
「所詮、人間は、将棋の駒ではないか。子供を産むのも、戦争の続きではないのかと。だとしたら、この世界をよくしようとする努力に、何の意味があるんだろう、と」
現に、帝都での争いに負けた人々が、こうして船で異国に送り出される。そして、あちらで魔物に殺されるのだ。これが戦争ではない、戦争の駒の使われ方でないということができるだろうか?
「僕には……挺身隊のみんなの見る景色が見えてしまいます」
あの船の行き先はどこだろう? 大森林だろうか? 今年もあの、関門城の前の急ごしらえの椅子とテーブルでお出迎えだろうか。割高のフォレス風料理が並べられるのだろうか。それとも、ムーアン大沼沢に行くのだろうか? 天候が変わるだけで毒の空気が充満する、あの居心地の悪い場所で、どれほどの隊員が生き延びられるだろうか。
「デクリオンには、この世界がどんなふうに見えていたんでしょうか。怒りとか、そういうものより先に……その人に見えていた世界がどんなものなのか、それが気になるようになりました」
「ふぅむ」
彼は唸った。
「以前、君と話したと思うが……つまり、いったい何が君にモーン・ナーの呪いを背負い込ませたのだろうか、と」
「はい」
「その答えはまだ明確でないにせよ、君はもう、普通の人間をやめつつあるようだね」
何を今更。とっくに自覚していることだ。
「それはそうでしょう。僕には世界の欠片が宿っているんですから。前に言われた通りバケモノで、普通の人間ではないですよ」
「そういう意味ではなくてね」
彼は悪戯めいた微笑を浮かべつつ、言った。
「普通の人は、君のようには考えないし、考えられない。君は今、挺身隊員の身の上を想像した。当然、その向こうにある土地の景色も心に描かれている。そこに住む元からの住人の様子も知っていて、何を考えているかも想像がつく。そうだね?」
「ええ、それはだって……見てきたのですし」
大きく頷きながら、ケクサディブは続けた。
「そして今、君はデクリオンの心のうちにまで近づこうとしている。だが、普通の人間は、そんな風にはしない。あれは世界を滅ぼそうとした極悪人。それでおしまいだ。わかるかね? 君は、君という一人の人間の枠を超えたところにまで、心を届かせつつある。それは明らかに常人の領域ではないのだよ」
そこで思い至った。
「それ、いいことなんでしょうかね」
「ふん?」
「おかげで今、ちょっとした悩みになっていたりしますから」
「どんな問題かね」
「まぁその……互いに対立しているような関係の人がですね、僕とそれぞれ仲がいいといいますか」
「はっはっは!」
笑い事ではないのだが……
特に、リリアーナとウィーの関係性がどうなるか、気が気でない。シャルトゥノーマも、ヒジリをはじめとしたワノノマの人間には、嫌悪感があるだろう。そう考えてみると、あっさり受け入れてくれたディエドラの方が普通でないのかもしれないが。
あれ? よく考えると、俺の悩みの対立の多くって、女絡みじゃなかったりしないか?
笑いを収めてから、彼は言った。
「わしとしては、君がその悩みにどう向き合うかを見てみたくはあるね。きっとそれは、君がこの世界に持ち込んだ悩みのようなものと、そう遠いところにあるのではなかろうから」
それから、ややわざとらしく、彼は付け加えた。
「そうそう、それと、もし余裕があるのなら、少しフシャーナにも付き合ってやってくれないかね。彼女は、君に聞きたいことがいくつかあるらしいから」
「と言いますと」
「南方大陸の件とかね……大森林を縦断して何を発見したかとか、ほら、例の魔宮の件もあるし、君が発見したことへの興味があるんだよ」
「なるほどです。そういうことなら、時間は空けますよ」
「頼んだよ」
もう、挺身隊の船は、遠い海上の黒い点になってしまっていた。日差しにも黄色いものが差してきている。
「大切にしたまえ」
彼は独り言のように、ポツリと言った。
「はい?」
「君に見えている……その、狭間の世界を、ぜひ大切にしたまえよ。大切な……些細に見えて大切なものなのだから」
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