リリアーナ、見抜く

「こっちよ」


 承知していたとはいえ、やはりというか、正面から立ち入るのには躊躇がある。敷地を囲う柵、その門の前にはでかでかと「女子寮」と書いてあるのだから。

 商社街の南の外れにあるこの寮、実は見覚えがある。ヒメノが住んでいるのもここで、昨年秋の、あのグラーブの側妾候補達がいたのも、ここだった。あの時は、自分の姿を隠して潜入したので、別になんとも思わなかったのだが、許可されているとはいえ、守衛の険しい視線を向けられながらとなると、落ち着かない。


「心配しなくても、ここには来客用の喫茶室があるの。そこまでは男性の立ち入りも特に咎められないから」


 知った顔にでくわしたりしないか心配でキョロキョロする俺に、ナギアは溜息交じりにそう言った。

 それから間もなく、ロの字型の石造の建物に立ち入った。入口をくぐって中庭に入ると、そこには明るい色の木造の建物が突き立っている。それが四方の壁と二階部分の渡り廊下で繋がっていた。ナギアは中庭の縁、石畳の上を速足で歩き、右手の出入口からすぐの階段を登って、二階の一室の前で声をかけた。


「お嬢様、ファルス様をお連れしました」


 人目を気にしての言葉遣いなのだが、もちろん、中にいるはずのお嬢様への牽制でもある。扉を開けた途端、いつものあの調子でハグなんかされたら。ここは王都にある自邸ではないのだ。


「お嬢様? もしもし?」


 返事がない。異変を感じたナギアは、息を呑んだ。


「失礼致します」


 そうして扉を開け、一歩踏み込む。小さな窓にはカーテンがかかっていて、室内は薄暗かった。部屋の隅には燭台が置かれているが、蝋燭もない。床下になんらか暖房設備があるのか、室内はじんわりと暖かかった。ローテーブルが一つと、それを囲むソファが四つ。お茶の用意もある。なのに、肝心のリリアーナの姿はどこにもない。


「席を外されて」


 トイレか何かだろうか、と思ったその瞬間、小さな足音が迫ってきているのがわかった。


「ファールースー!」


 ハッと振り返るも、もう遅い。先に室内に入ったナギアは、戸口に立つ俺自身が邪魔で、リリアーナの急襲を食い止められない。

 やれやれ。階段の下で俺とナギアをやり過ごすべく、じっと隠れて待ち構えていたのだろう。まったく……


「お、お嬢様!? おやめください!」

「わぁいわぁい」

「ここは人目が」


 実際、人目はある。離れたところに数人の女子学生がいて、それがこちらの騒ぎに気づいて、指差したりしている。


「ナギア、逆」

「は? え?」

「部屋の中に入っちゃおう」


 じっくり見られて顔とか素性とか、特定される前に。それと理解した彼女は、すっと身を引いた。俺は縋りつくリリアーナをそのままに、部屋の中に入ってそっと扉を閉じた。


「ふー」

「ふー、じゃありません、お嬢様」

「えー」

「えー、でもありません」


 説教されながらも、リリアーナは俺の首根っこに縋りついたまま。本当に、何をやっているんだか。


「さ、お座りください」

「……うん」


 ところが、いきなりふっと手を離すと、リリアーナはちょこんとソファに座った。

 ピンとくるものがあったのだが、具体的な何かには思い至らなかった。ただ、彼女の顔にはこう書いてある。つまり……当面の目的は達成した。


 それにしても、しばらく見ない間に、リリアーナはより彼女らしくなっていた。濃緑色ベースのブラウスに、同様のデザインのスカート。そこにワンポイントで、真っ赤な細い線が入り混じっている。体のラインの見えないふわふわの服がよく似合う。当然に美人ではあるのだが、彼女の場合はそこに愛嬌というか、かわいらしさというか、そういう部分が強く前面に出ている。

 彼女をよく知る人が見れば、その外見の背景にある二面性に思い至ることだろう。そこには彼女のあざとさ、狡猾さがまずある。だが、元はと言えばそれは、彼女の根深い臆病さ、愛されることの必要性から生じたものだ。


「それでさー」

「お嬢様、言葉遣いが」


 何か言いかけた主人をナギアが窘めた。


「いいじゃん」

「よくありません」

「いいよね、ナギアは」

「はっ?」


 口元を抑えつつ、じっとりとした視線を向けて、リリアーナは言った。


「どうせこっちに来る途中だって、馬車の中で気安くお話しできたんでしょ? なのに私だけ、始めから終わりまで余所行きの顔しなきゃいけないの? それってズルくない?」

「ズ、ズルって、あの」


 皮肉なものだ。俺に対して遠慮なくものを言う自由は、どちらかといえばナギアにある。なのに、それを欲しているのはリリアーナの方なのだから。


「でさ」

「はい」

「叙爵、おめでとう!」


 俺にとっては、さしてありがたみのない話ではあるのだが、世間的には出世だ。とはいえ、今更お祝いされるとは思っていなかったので、少しだけ戸惑った。


「あ、ありがとう」

「これで私と一緒で、貴族になったね!」

「ま、まぁ、そういうことにはなりますが」

「んー?」


 値踏みするような視線が俺に向けられる。


「やっぱり、あんまり嬉しそうじゃないなー」

「えっ」

「お話は聞いてるんだよね。で、変だなって」

「変?」


 甘えてくる姿を見ると、年齢より幼く見える彼女だが、内心では常にいろんな計算が織りなされている。だから、俺の行動の不自然さにも気づいてしまう。


「私が知ってるお話って、三つくらいしかないんだけど」

「ええ」

「人形の迷宮って、一千年以上、誰にも攻略できなかったところだったのに。まず、それを潰しちゃった」

「ああ、まぁ、あれはキースさんが頑張ってくれたので」


 頷いて、彼女は続けた。


「ポロルカ王国でも、パッシャっていう魔王の手下と戦ったんだっけ。で、この時、ドゥサラ王から叙爵されたんだけど……辞退してるよね?」

「あ、はい」

「つまり、王様の言うことでも、嫌なら嫌って言うんだよ、ファルスは」


 鋭い。ということは、次の話題は当然……


「それがどういうわけか、ワノノマまで行ったら、いきなりお姫様と婚約。そのまんまじゃ釣り合いが取れないからって、陛下もファルスを貴族にしたんだけどさ」

「はい」

「どうして断らなかったんだろうなーって」


 ナギアが口を挟んだ。


「お嬢様、先ほど公館の方を訪ねて、姫君ともお会いしたのですが。殿方ならば我を失うのも無理もないほど、それはお美しい、女の私でも見とれてしまうような、大層気品のあるお方でございましたから」

「うん、でも、それだとおかしいんだよ」

「と仰いますと」


 じろりと俺の顔に視線を向け直すと、リリアーナはやや硬い声色で言った。


「だったらさ。どうして婚約止まりにするんだろうね。正式に結婚しちゃえばいいじゃん。色香に迷ったなら、そうするよね」

「あっ、まぁ」

「爵位だって、あっちで貰えばいいのに。聞いてるよ。ティンティナブリアの復興、凄いことになってるんだってね。だけど、そこまでのことしようと思ったら、お金がかかるでしょ。私もしばらく王都にいたから、流民街のことも知ってる。あれだけ人が逃げてこなきゃいけないくらい、荒れ果てて貧乏な土地なんか貰ったって、いいことなんか何もない。だからファルスは貴族になったけど、多分、逆にお金では損をしてる。リンガ商会の持ち出しでなんとかやりくりしてるんだよ。そうじゃない?」


 果たして祖父譲りなのか、母親譲りなのか。僅かな手がかりから、ここまで真実に肉薄する。彼女の生来の頭の良さを改めて思い知らされる。


「ってことは、ファルスは仕方なく婚約して、仕方なく貴族になったんだよ。そういうことでいいかな?」

「お嬢様」

「ろくに説明できないってことは、やっぱり図星なんだ」


 であれば、その次の段階にも気づいてくれてよさそうなものなのだが。


「あー、私、なんか鳥になりたくなっちゃったなー」

「わかってて言ってませんか」


 リリアーナは、全部自白しなさいと言っている。だが、それができないことも、実は察しているのではないか。


「僕が言わないということは、言えないということです」

「そうだろうね」


 頷き直して、彼女は真顔からまた、じわじわと笑顔に戻った。


「まぁ、大事なことは聞けたから、これはこれでいいとして」


 視線をナギアに移すと、リリアーナは言った。


「ナギア、そろそろ飲み頃じゃないかな」

「あっ、申し訳ございません、気が付きませんでした」


 ナギアの手で紅茶がそれぞれに行き渡ると、リリアーナは身に纏う空気を変えて、近況報告を始めた。


「私も見たかったなー、ファルスの晴れ姿」

「晴れ姿っていうほど、いいものでもなかったような」

「私達、王都にいなかったからね」


 そういえば、以前に耳にした気がする。彼女は説明した。


「ファルスがお姫様? と王都に来た時、私達はもうトヴィーティアにいたから」


 よりによって、あんなところに。

 というか、他に選択肢があったんじゃないか。レーシア湖畔にいる父のところで暮らすとか。わかっている。それをさせないような家僕達が居座っているせいだ。


「だって、もうピュリスの長官でもないし、お金がかかるんだよ。で、パパはずっとレーシア湖の現場にいるでしょ? だから、維持費がかかるところを抱えておくのが、もったいなかったんだよ」

「それにしても」


 貴族の壁の内側の、あれだけの広さの邸宅を維持するのには、確かに大金がかかる。とはいえ、それなら他にやりようがあっただろうに。兵士の壁の内側の邸宅を借りるとか。


「また、あれですか。メイド長と執事が」

「まぁね」


 ランとルードがやりたい放題。それをサフィスは抑え込むこともできない。だが、これについての全責任を彼に負わせるのも、酷ではある。なぜなら、彼はまさに、フィルの計画の失敗を受けて、その反動を一身に受けているからだ。イフロースの起用に始まる一連の改革は頓挫した。だから、旧来の田舎の下僕達の発言力は、以前より大きなものとなった。つまり、かつてイフロースが憤った子爵家の内情……一人で奮闘する家長と、それにぶら下がる連中という構図は、まったく変えられなかったどころか、余計に悪化してしまったのだ。


「すっごい田舎だけど、きれいなところだよ? 森に囲まれた谷間で。川もね、川底の石が透けて見えるんだ」

「いいですね」

「それに、じいやもいるし」

「そういえば」


 俺は身を乗り出した。


「その……イフロース様は」

「うん、私達が出てきた時には、まだ元気だったよ。ちょっと老け込んだけどね」

「そうですか。それならよかったです」


 考えようによっては、悪くないのかもしれない。彼女らにとっての絶対的な保護者である彼の下で、二年間を過ごすことができた。


「でも、こちらにはいらっしゃらないんですか」

「じいやは今、領地の開拓で忙しいからね。少しでも住みよくするんだって」

「あの人らしいですね」


 以前、エンバイオ家がすべてを捨てて領地に引き返すのなら、自分もついていくと、そこで働くのだと言っていたが、本当に言葉通りにしているわけだ。

 だが、リリアーナの留学には同行しなかった。それも考えあってのことだろう。そこまでするのは、さすがに過保護だから。彼女もそろそろ、大人にならなくてはいけない。


「ウィムのことだけ、心配だけどね」

「そうですね」

「でも、いいこともあるよ!」


 ソファの上で両手を広げて、リリアーナははしゃいでみせた。


「千年祭のね、特使。これ、パパに決まったから」

「え、じゃあ、こっちに来るんですか?」

「うん!」


 そうすると、リリアーナとしては、面倒な下僕達のいないところで、父と差し向かいで話すことのできる貴重な機会を得られるわけだ。


「お元気だといいのですが」

「うん……相変わらず、お酒飲んでるみたいだしね」

「ちょっと出かけて、説教してきましょうか」

「あはは! なんか逆効果になりそう!」


 ひとしきり笑ってから、リリアーナは、やっと俺に甘えて、おねだりをし始めた。


「ねぇー、ファルスー」

「なんでしょう」

「今度さ、帝都の案内してよ! こっち来て、殿下に挨拶したりとかでまだ、全然見て回ってないんだ」

「それくらいでしたら」

「約束だよ!」

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