ナギア、公館に出向く
淡い色の青空の下、中庭は柔らかな日差しに、慰め程度の温もりを与えられていた。冬の終わりの空気には肌寒さが残るものの、縁側に出て日向ぼっこする分には、眠気を誘われることもあるかもわからない。けれども、時折、響き渡る物音が、目を覚まさせる。さながら火花が散るさまを思わせるような、叱咤するような。槍に見立てた木の棒が、激しく打ち合わされる。
「器用なことをなさるものですね」
一人、縁側に座ったままのヒジリは、俺の鍛錬をじっと観察しながら、低い声で呟いた。本来なら戦士であるはずの彼女だ。できれば、自分も手合わせしてみたいのだろう。だが、あくまで今の役割は東の国のお姫様。あんまりお転婆なところを見せるわけにもいかない。
代わりに、棒を手にしたマツツァ、タオフィ、それにカエデが、俺一人を取り囲んで集中攻撃を浴びせてきている。一応、二対一ということで、誰か一人が脱落するまで、残りの一人は待機というルールでやっている。途中から、この屋敷にいる他の郎党も混じっての練習試合に発展し、かれこれ一時間くらい戦い続けることになってしまった。今は飛び入り参加の連中もいなくなって、元の三人だけが目の前にいる。
「うっ、くっ」
「同時ですぞ! 婿殿の動きを封じねば!」
「ちょっ」
いくらピアシング・ハンドのおかげで技量があるとはいっても、肉体及び道具、技術体系そのものの機能的限界というものがある。一本の棒きれで、同時に突き出される別々の棒きれを打ち払うのは難しい。それでも初めのうちは、小技が通用した。立ち位置を入れ替えることで、二人の敵の間合いをずらせば、その攻撃は個別に対処可能な一撃になる。うまいこと誘いこんで二人が並んで同時に突きこんできてくれれば、一度の薙ぎ払いで二つの穂先を絡み合わせ、こちらにとっての絶好の隙を作りだすこともできた。だが、さすがに何度もそういう手を使っていると、次第に対策されるようになってくる。
「壁際に追い詰めてしまえば、さしもの婿殿も」
「だぁっ!」
戦っている本人には見えないことが多々あるものだが、ちょうどお休み中のタオフィが状況を俯瞰して、残る二人に助言している。もちろん、俺にも聞かれているのだが、その点はマツツァもよくわかっていて、わざとタオフィの指示とは反対のことを仕掛けてきたりもする。
「せーのっ」
と掛け声に合わせて、マツツァが棒を力強く振り下ろす。これはしっかり受けざるを得ない。だが、少々狡猾さを身につけ始めたカエデが、棒を振り下ろすのを止め、急に横薙ぎにしてきた。
「わっ!」
今回、魔法は禁止のルールになっている。打ち下ろしを受け止めるために両手で棒を掲げた俺は、咄嗟に右足でカエデの穂先を蹴り上げる以外になかった。
「隙あり!」
棒を構え直したマツツァが追撃を浴びせようとする。その後ろから、なぜかタオフィまで突っ込んでくる。無理だ。
大きく飛び退くしかない。とはいえ、真後ろは中庭の西の壁で、下がれない。右に大きく跳ぶしかなかった。
「あっ」
そこは中庭の南側、つまり横長の池がある場所。万策尽きて、避けた先がそこだった。当然、転落して大きく水飛沫をあげることになった。
既に長時間に渡って戦い抜いていた俺は、汗だくになっていた。そこへ急にこの冷水浴だ。冷たいとか寒いとかより、すぐに痛みに近い感覚が体のあちこちから忍び込んでくる。慌てて立ち上がるが、既に全身ずぶ濡れだ。衣服は水をたっぷり吸って、俺の動きを妨げる。そして無慈悲にも、目の前には三本の棒が突きつけられていた。
「ようやく虜にできましたぞ」
「ひどすぎる」
風が一吹き。俺は寒さに我が身を掻き抱いた。
「だいたい、二対一じゃなかったのか」
「いやぁ、拙者、気付いてしまったのですがな」
悪びれもせず、タオフィは言った。
「戦の常道は敵を欺くことにありますゆえ。その約束事を先に破ることこそ、我が務めと悟ったがためでありまして」
確かに、実戦ではそうなのだけれども。
びしょ濡れで涙目になっている俺を縁側から見ていたヒジリは、いまや顔を背けている。あれは……声を殺して笑っているのだ。
中庭にトエが駆け込んできた。
「申し上げます。ただいま、旦那様を訪ねてお客様がお見えになりました」
「どなたでしょう」
「フォレスティアよりいらっしゃった、トヴィーティ伯爵家の令嬢リリアーナ様の侍女、ナギアと名乗っておられます」
「ナギア!?」
ザバッ、と池の水を掻き回しながら、俺は中庭に這い上がった。既に凍えつつあるので、ロボットみたいにぎこちない動きで。
かなりわかりにくいが、トエは少し困っているらしい。薄っすらと表情から読み取れる。
「あ、はい……なんでも、もしお時間があれば、気安く歓談のひと時をご希望とかで」
「今すぐ? じゃあ、外に馬車が」
「はい」
非常識だ。身分にそぐわない振る舞いではないか。普通、貴人同士の面会とは、そのようなものではない。下僕が訪ねていき、相手の都合を尋ね、了承を取った上で改めて席を設ける。その程度の常識、ナギアならもちろんのこと、さすがにリリアーナにも備わっているはずだ。
だったら後日……いや。
「ヒジリ」
「はい」
「リリアーナ様は、以前に仕えていたエンバイオ家の長女で、昔は随分と引き立てていただいた」
ということにしておく。
ガタガタ震えながら、俺は続きを口にした。
「済まないが、今日は昼は」
「承知致しました。それより、早く着替えていただいた方が」
「そうする」
リリアーナの思考回路がわからない俺ではない。ここで後日と拒絶するのは簡単だが、それではきっとがっかりさせてしまうだろう。
一般的には、その場で呼びつけて連れてくるなど、主人と下僕の関係性だ。いまや正式な貴族になった俺に対してそれをするのは、うっかりすると失礼に当たるという解釈さえできる。だからこそ、敢えて受け入れてもらえるかどうかを試みずにはいられなかったのだろう。なにしろ、ナギアが顔を出したのはここ、ワノノマの旧公館だ。つまり、俺がヒジリと婚約している事実も頭に入っている。
前回の王都訪問時には、彼女と会う機会はなかった。それから半年以上、ティンティナブリアで復興事業に取り組んでいたが、その間に俺が王都に顔を出すことはなかった。そして、リリアーナに俺を訪ねる自由、行動の余地があったかどうか。遠くでニュースを耳にしながら、ずっと内心に不安を抱え込んでいたのではあるまいか。
つまり、この逸脱は、彼女なりの救難信号に違いない。縁遠い人になってしまっていないか、寂しい思いをしなくてはいけないのか。冷淡に、そろそろ大人になれと、それは彼女自身の内心の問題だとして切り捨てるのも間違いではないのだが、要望に応えることができないでもないのに、すげなく追い返すというのも薄情だろう。
屋敷の正門、北東の玄関に向かうと、椅子に腰かけて待っていたナギアの姿を目にすることができた。
冬場ということもあって、鼠色のコートを身に纏っている。その内側、首元には暗い紺色のマフラー。もともとほっそりした体型だったが、冬服で着ぶくれしていても、そのすらっと伸びた手足の形は容易に想像できる。透明感のある顔立ちは相変わらずだが、その表情には、少し落ち着きが出てきたかもしれない。
冷たい玄関口ということもあって、目の前のテーブルには温かい紅茶が置かれていたが、俺が姿を見せると、すぐ席を立った。
「お忙しいところ、わざわざありがとうございます」
「いや」
俺の横には、ヒジリもやってきていた。それと察したのだろう。これは余所行きの顔だ。
「お嬢様が帝都にいらっしゃるのはわかっていたけど、もう到着したとは知らなかった。そういうことなら、居ても立っても居られないからね」
「ご無礼を申し訳ございません。では、早速ですが、外に馬車を待たせておりますので」
俺は無言で、一度、背後に立つヒジリ達に軽く手を振った。彼女らも目を伏せ、軽く一礼するだけで、俺を送り出した。
公館を出て、すぐ道路脇で待っていた馬車を見て、さっきの推測は確信に変わった。黒塗りの、少し高級な貸し切り馬車だ。単に使者としてのナギアを送り出すためだけであれば、こんな金の使い方はしないだろう。
ナギアは何も言わず、身振りで先に馬車に乗りこむようにと示した。俺も逆らわず、御者が開いてくれた扉から、中へと踏み込んだ。
俺達が身を落ち着けると、馬車は静かに走り出した。しばらくは無言で、ナギアは大人しく顔を伏せていた。
はて? そろそろ憎まれ口の一つでも叩くはずなのに。これでは本当にどこぞのお嬢様の侍女ではないか。
「あー……お久しぶり」
どういうつもりなのか。おずおずと声をかけてみた。さっきずぶ濡れになってから、体が冷えたままなので、なんか声がかすれてしまった。
彼女の眼の色に浮かんだ色は、しかし、あまりに複雑で、やっぱり何を考えているかわからなかった。怒りのようにも見え、嘲笑のようでもあり、しかも安心感すら見て取れる。
「お嬢様は……元気?」
彼女は、すぐ後ろの壁を窺う仕草を見せてから、そっと小声で言った。
「ご病気ということはないわ」
「それは何よりだけど」
病気だったら帝都までの旅行に耐えられなかっただろうし、そんなのは当たり前だ。わざと芯を外した回答をしているのはわかる。
「お気持ちのこと?」
「うん」
「そんなの意味ないわ」
「意味ないって」
「あなたの前では、どうせ元気なお嬢様しかいないんだもの」
そんなことを言われても。
「困っていることがあるのなら、僕にできることなら」
すると、今度こそナギアは、彼女らしい眼差しを向けてきた。はっきりと抗議するような。けれども、すぐ穏やかな表情に切り替わった。
「ま、結果だけ考えれば、よかったのかもしれないわ」
「何のこと」
「あなた、便利そうだけど、バケモノすぎるもの。お嬢様のすぐ傍に、こんな危ないものを置いておけないから」
どこまで把握しているのかと思ったが、表向きの情報しか知らないらしい。
「黒竜の討伐の後には、人形の迷宮を滅ぼしたんですって? それと、ポロルカ王国でも暴れまわったそうじゃない」
「まぁ、ね」
タンディラールが公の場で言ったことでしかない。
「成人もしてない若さでそれって、おかしいでしょ。前から薄気味悪いと思ってたのよ」
「そう言われてしまうと、まったく否定できない」
「あなたがどんな野心で動いてるのかは知らないけど、お嬢様を巻き込まないで」
「ちょっと待って」
変な想像をされても困る。
「野心なんて」
言いかけて、そういえば自分にも野望があったと思いだした。
「あるといえば、あるけど」
「そうでしょ」
コーヒーと醤油をこの世界に普及させるという、壮大な野望がある。
「ナギアが考えているような物騒な野望じゃないよ」
「どうかしらね」
「おいしいものを作って出したいだけだ。覚えてない? セーン料理長の下で、僕も仕事をしていたのに」
「覚えてるわよ」
俺も頷いて、言ってやった。
「僕も覚えてるよ。いつだったか、猪のジビエの水煮を出した時、ナギアはお代わりしてたっけ」
「誰がそんなことを言ってたのよ」
「料理長が後で教えてくれた」
するとナギアは、さもうんざりしたと言わんばかりに片手で頭を抱えて溜息をつき、それから皮肉げに微笑んだ。
「本当に、腐れ縁だわ」
「そうかもね」
それから彼女は、俺の顔をまじまじと見つめて、尋ねた。
「ところで」
「うん、なに?」
「どうしてそんなに顔色悪いの? まさか、風邪でもひいてる?」
「いや、まだ」
「まだ?」
頭を掻きながら、簡単に説明した。
「池に落ちた」
「はい?」
「この前、エキセー地方で魔物退治した時、ドジ踏んで魔物の前で転んじゃって」
「えっ」
「こんなザマじゃダメだってことで反省して、ちょうどさっき、庭で鍛錬してたんだけど……槍をよけようとして、池に……」
するとナギアの顔に、じわじわと笑みが滲んできた。
「そんなに嬉しい?」
「嬉しい……ええ、嬉しいわ。胸がすっとした」
「ひどいな」
「どんな風に転んで、どんな風に池に落ちたのか、着いたら細かく教えてね」
俺は溜息をつきながら首を振り、ナギアはわざとらしく口元を抑えてみせた。
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