お世話係は一人きり

 城内の一角、女神教の簡易的な祈祷室に、大勢の人々が集まっていた。もともと何十人も入れるような場所ではない。女神様からして、全員分の像を配置する余裕がないのもあって、祝福の女神以外は、すべて壁画で片付けてしまっている。祝福の女神像の左右には、無数の燭台が立ち並び、室内を暖かみのある色で照らしていた。

 そして正面には、灰色の礼服を身に着けた下級神官も立っている。彼については、これまで俺とは縁もゆかりもなかったのだが、とりあえずの形式を整えるため、城下にいた冒険者の中から無理やり見繕って引っ張ってきたにすぎない。ティンティナブリア盆地にも女神神殿くらいあったのだが、例によってオディウスの圧政によって暮らしていけなくなったのもあって、今では常駐する神官がいないのだ。


「で、ではここに……ホーカー・クランティーソン、ディー・アスリック、両名の婚姻は、女神の名の下に結ばれたものとします」


 いつも荒事ばかりの冒険者だから、こういう儀式についてはうろ覚えだったのだろう。とはいえ、たどたどしくはあっても、これで結婚式は一応、成立した。

 左右から拍手が鳴り響く。立ち会っているのは、彼女の昔からの仲間達だ。新郎は王都出身で、だから彼の家族や友人は、ここまで顔を出せない。それに彼は過去に一度、所帯をもっている。だが、子供が生まれる前に若くして妻に先立たれ、コラプトで商人をしながら、やもめ暮らしをしていたのだ。だが、そんな彼が物資の搬入のため、城まで通ううち、ディーと顔馴染みになった。それからは、あれよあれよという間に話がトントン拍子に進み、昨年、俺が留守にしているうちに、婚約にまで至ったそうだ。

 果たして、彼が彼女を勝ち取ったのか、それとも彼女に絡めとられたのか。なんとも言えない。深掘りするつもりもない。ノーラは、ディーの将来を心配して、この結婚式を年が明けた今日まで延期してきた。貴族が正式に後見人になるというのでもないが、少なくとも、そこに居合わせたというだけで、新郎に対しては圧力にもなるし、箔がつくとも言える。つまり、ホーカーに貴族とお近づきになりたいという下心があるのなら、それを最大限利用することで、ディーが後日、売春婦崩れのどうでもいい女として冷たくあしらわれるリスクを小さくできる。問題は、彼の気持ちだけにあるのではない。後から親族が、経歴上の問題を指摘して、離婚を迫るかもしれないのだ。

 善良で愛情深いのはいいことだ。だが、その善良さに依存するべきではない。逆境は、愛の花を容易く萎ませるのだ。そうならないよう、水を絶やさないのが、周囲の人間に務めではないか。


「ホーカー、少しだけいいか」

「閣下、なんでしょうか」

「私が陛下に引き立てていただくまでの日々、それは大変なものだった。だが、そんな中にあって、ディーも他の皆と同じように、私に友情をもって接してくれたのだ。私がこの地の領主になるまでは、心ならずも惨めな暮らしをさせておかねばならないこともあったが、それもすべて不運ゆえだ。今後は彼女をそなたに託す。ディーは美しいだけでなく、賢明な女性でもある。支え合って生きて欲しい」

「仰せのままに。良き縁を導いてくださった女神に感謝を忘れることはないでしょう」


 俺は彼の肩を軽く叩いた。


「ごく簡単ながら、階下の部屋に酒食の用意がある。私からの祝意だと思って、楽しんでいって欲しい」

「ありがとうございます」


 残念ながら、俺にはもう身分がくっついている。ここで出しゃばりすぎると、今度はやりすぎだ。ディーの権威が強まりすぎてしまう。匙加減を考えると、この後のカジュアルな飲み食いにまで顔を出すというわけにはいかない。構わない。昨夜のうちに、身内でのパーティーは済ませておいたのだし。

 実は用意されている食事というのも、俺の手作りの料理なのだが、それを知ったらホーカーは目を回してしまうだろう。無論、この場では口にできない。どうせ後日、ディーがバラすのだろうが。


 廊下に立って、二人を見送ったところで、俺のすぐ後ろに立っていたエディマが軽い溜息をついた。


「ディーちゃん、売れちゃったかー」

「ん?」


 複雑な顔をした彼女が、そこに立っていた。


「どうかしたの? それが」

「ん、まぁめでたいし、嬉しいんだけどさ」


 はて?

 先を越された嫉妬……というのでもなさそうに見えるのだが。


「なんだったら、僕が縁談探してこようか? 仮にも貴族になったんだし、ゴリ押しくらい、いくらでも」

「そういうんじゃなくって」


 では、自由恋愛で相手を見つけたいのだろうか? 女の魅力一本で男をフォールしたいとか?


「だって」


 少し言いにくそうにしてから、彼女はボソッと漏らした。


「一緒にお世話係になったのに」


 そういう理由だったのか、と思い至る。

 随分と昔の話だ。アイビィがいなくなる前日のこと。みんなで鍋を囲んだ時に、そういう話になったんだっけ。


 ちなみに、アイビィがどうなったかについては、彼女らは当然に結末を知らないままだ。ピアシング・ハンドで肉体を奪いましただなんて、口が裂けても言えない。だからなんとなくだが、あのピュリスの混乱の日に、どこかから入り込んだ海賊達に殺されたのでは、遺体が発見されていないだけでは、ということになっている。

 とはいえ、エディマなら、何かを察していても不思議はないのだ。前日の、あのいつもと違ったアイビィの言動を覚えているのなら。まるで死を予期していたかのような振る舞いではないか。


「それは、でも、やり遂げたってことにならないかな」


 あの頃の気持ちが舞い戻ってきそうになるのを努めて押し殺しながら、俺は敢えて明るい声色で言った。


「えっ?」

「だってほら、僕はもう成人したし、貴族にまでなったんだし。エディマもディーも、今では奴隷ではないんだし。みんな幸せになれたんだから」

「うん……」


 だが、エディマの中では、納得できていないようだった。それでも、すぐ表情を切り替えた。


「ま、とにかく……うん、これはめでたいことだよね!」

「そうそう」

「じゃ、私は一人でまだまだお世話係、頑張るから!」

「なんでそうなるの」

「とにかくそうなの!」


 彼女の人生だし、好きにすればいいのだが……


「い、一応、結婚とかしたいなら、早めに言ってね。真面目に。エディマにも幸せになってほしいから」

「うん、ありがと」


 それから俺は、一度、自室に戻った。

 今回の一時帰国は本当に慌ただしい。ゆっくりしたい気持ちがないでもないが、この後、ピュリスにも寄らなければいけない。残念ながら、そろそろ少しずつ荷造りもしておかねばならない。遅くても明後日には、もう出発しなくてはいけない。

 来年から、本格的にワングがコーヒー豆を輸送し始めることになっている。最初はピュリスからティンティナブリアに送る流れになる。予定では、そこから更にティンティナブリア盆地を経由してイーセイ港に、そこで焙煎してから帝都に輸出することになる。要は前世のモカの港と同じやり口だ。ノウハウは独占、豆も焙煎済みなので、他の地域での栽培を試みるのは難しい。焙煎のコツも秘匿する。

 というわけで、この件について、ビッタラクと打ち合わせをしておく必要がある。千年祭に合わせて、帝都に新たな南方大陸の飲料を。世界征服のためにも、この商機を逃すわけにはいかないのだ。


 短い間だったのに、妙に名残惜しい。そんな気持ちで荷物を纏めていると、先日のゴブレットが視界に入った。思わず手に取る。やっぱり気になる。このまま持っていていいものではないのではないか。

 背後に気配を感じた。振り返ると、やってきたのはノーラだった。


「ああ、どうしたの?」

「みんな出払ってるから、今のうちにと思って」


 あまり周囲に聞かれたくない問題と察して、俺は手を休めて向き直った。


「設備と人の移動について、考えを聞いておきたいの」

「うん」

「一つは、マルトゥラターレの件。ピュリスとやり取りできるからという理由であちらに置いてきたけど……ディエドラまでこっちに来てもらっていて、今、あちらには仲間がいないままになってるし、さすがに可哀想だから、この城まで呼ぼうかと思うんだけど」

「いいんじゃないか……あぁ、そうか」


 彼女の存在は、ピュリスのブラックタワー地下にある、あのグルービーが遺した魔法陣とセットになってしまっている。


「あれを移設しないと、か」

「そうなのよ。正直、不安もあって。マルトゥラターレが私達を裏切らないとしても、周りの人がとなると、絶対ではないし」

「それも魔法陣を使えば心を読めはする……が、そもそも僕達の仲間ならみんな仲間だと考えて、疑うことさえしないかもしれない」


 じっと考える。確かに、いろんな意味で、あのままはまずい、か。

 彼女が騙され、利用されると、ちょっとした破壊兵器になってしまう。それにそもそも、マルトゥラターレは神聖教国の国家機密そのものでもある。これ以上、ほったらかしにするのはよくない。


「わかった。その件について、ピュリスに寄ったら先に本人には伝えておく。大変だと思うけど、魔法陣の移設は任せる」

「うん。それと、夏には帝都に行く件なんだけど、先にこちらの公館……あの、帝都で借りておいた家ね」

「ああ、あそこを使う?」

「だから、春頃に人を送るつもりでいるんだけど……オルヴィータに行ってもらおうと思ってるけど、いいかしら」

「適任だと思うよ」


 帝都のことを何も知らないのが行くよりはいいはずだ。


「あと、ちょっと嫌な話なんだけど」

「なにかな」


 一呼吸おいてから、ノーラは、はっきり言った。


「フィルシャを解雇したい」


 俺が黙って続きの説明を促すと、彼女は言った。


「こちらで犯罪奴隷から解放したけど、それも本当はよくなかったかもしれない。それくらいに思ってる。すぐ傍で仕事ぶりを見てきたけど、あれは本当によくない。真面目に仕事をしないし、すぐ怠けようとするし。ピュリスに送り返してからも、昔からファルスの傍で仕えてきたことを笠に着ることもあったみたいで。イーナさんから相談の手紙を受け取っているのよ」

「えぇ」

「でも、あの人、いまだにろくに読み書きも怪しいのよ? 他はみんな、頑張って覚えたのに。ファルスが昔、引き取った奴隷は、サディスを別として、八人いたのよね。ウーラもステラもピュリスで普通に結婚できたから、あとはシータ以外はみんな、こっちに来たわけだけど。ディーはこれで他所の家に嫁いだし。リーアにはフィラックがいるし、ガリナもエディマも、まず裏切らないと思う。でも、あれは」


 俺は少し迷った。


「といっても、もう二十四歳だ。売春の経歴もあって、これといった技能もない女を一人放り出したら、それこそ行くところがない」

「それはそうなんだけど」

「難しいところだが……」


 ノーラも迷ったらしい。だが、結局、折衷案で妥協することにしたらしい。


「わかった。じゃあ、閑職につけておく。他人との接点がある場所とか、お金を直接触る場所からは遠ざける。なるべく余計なことはさせないように」

「それくらいしかないかもな」

「イーナさんに任せると彼女が恨まれてしまうから、私が強く命令したことにするわ。これまでの仕事はやめさせて、ヒラの清掃員に降格する。今は娼館の裏方なんだけど、店の女の子達の人間関係を悪くするばかりだから、これさえ任せられないのよ」


 よっぽどらしい。要するに、現役の娼婦……若さがあれば誰でも務まる……以外、何もできない奴だった、ということか。


「なんだか悪いな」

「仕方ない。ファルスの善意に報いようって気持ちもないんだから、そうなって当然だと思う」


 そしてこれで、ノーラからの話は終わったらしい。


「それで、どうしてそのゴブレットを持ってるの? 帝都に持ち帰るの?」

「いや……」


 理由は説明がつかないのだが、このまま持っていてはいけないような気がしてならない。


「どうしようかな、これ」

「えっ」

「もう使えないんだ」

「そうなの?」

「というか」


 俺は頭を掻きむしりながら、正直に言った。


「自分でも変なんだけど、どこで手に入れたかも思い出せなくて」

「アルディニアで見つけたって言ってなかった?」

「ああ、なんかそんなようなことは言ったっけな。でも、その、どこでと言われると……チェギャラ村でもないし、タリフ・オリムでもないし……」

「ファルス、あなた、何か変よ?」

「自分でもそう思う」


 悶々としながらも、頭を振って、とりあえず思考を打ち切った。


「とりあえず、外の空気でも吸ってくるよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る