女城代の私室にて

「以上、この一年間の私どもの成果を簡単に纏めて申し上げると」


 会議室の中に大勢の人が詰めていると、冬の冷たく乾いた空気すら恋しくなるものだ。

 昼食の後、まずは公的な仕事の報告を受けることになった。今、前に立って説明するユーシスに、街道の道路工事の指揮を担当してきたフィラックとギム。技術的な指導と説明を引き受けてきたホア。周辺環境の調査を受け持ってきたディエドラとペルジャラナン。そしてもちろん、ノーラも。主だった者達が集まっての長い会議が、やっと終わろうとしている。


「街道の再建工事はほぼ完了し、今は街道沿いの住民を補充している段階です。この春にも、イーセイ港は数百年ぶりに開かれることになるでしょう」

「夏には、ちょうど帝都の千年祭も開催されるでしょう? そこに私達も代表団を組んで顔を出すつもりでいるの。だって、港があるってだけじゃ意味がないもの」

「そうなると」


 ロージス街道復活を完全なものにするには、残る仕事がもう一つ。


「アルディニア王国方面の街道を、今度こそ開通させないといけないな」

「春にも着手するつもり」

「それだけじゃない。ミール王に話を通しておかないと。ああ、あとは」


 他国との外交を、こちらが独断でやってしまうわけにもいかない。


「陛下にも了承を取っておこう。駄目とは言われないだろうが」

「物流がまるっきり変わってしまう……」


 ユーシスが遠い目をしていたが、その表情は徐々に不敵な笑みに取って代わられていく。


「一泡吹かせてやれると思うと、痛快ではありますがな」


 イーセイ港が西方大陸の玄関口になった場合、何が起きるだろうか。

 まず、アルディニア王国の流通が激変する。リント平原を経由するしかなかった交易ルートに、もう一つの選択肢が付け加えられるのだ。もう、何もかもを神聖教国の言い値で買う必要もない。ただ、それが両国の対立関係を深刻なものにするかと言えば、必ずしもそうではないだろう。ロージス街道から繋がる経済圏の一部に、西の果てまでを含めてしまえばいい。こちらがうまく手綱を握れば、むしろ和平を推進する力にもなり得る。

 翻って、国内の流通はどうなるか。このティンティナブリアの盆地を結節点に、各所に道が繋がっている。南東方向にはファンディ侯爵領やトーキア特別統治領などに繋がる幹線道路が、南西方向にはピュリスに繋がる道が、それぞれ既に整備されている。これまでは、こちらが風下であちらが風上だったのだが、逆になる。貿易港として、エスタ=フォレスティア王国の玄関口としての機能を果たしてきたピュリスが、その価値をまったくなくしてしまうということはないだろうが、少なくともその一部は、イーセイ港に横取りされてしまうだろう。

 一時的にせよ、王国の物流の要を、一地方領主に掌握されてしまうという状況になるわけだ。


「そこで、追加の提案があるのですが」

「なんでしょう」

「この先、三年間でもいいので、イーセイ港での関税を免除しませんか」


 これには俺も苦笑するしかなかった。ユーシスは、よっぽど王家に含むところがあるらしい。ピュリスに向かうお客様を、根こそぎにしてやりたいのだ。南方大陸からやってくる商船も、多少遠回りになっても無税で商品を卸せるのなら、こちらに来るだろう。王家の税収を激減させて、タンディラールの鼻を明かしてやりたいのだ。

 しかし、最終的にティンティナブリアはどうせ王家に返上するつもりなのだし、それくらいは構わない気がする。それに、港を手早く発展させたければ、設備投資を呼び込めるよう、制度は優しいものにしておいた方がいい。


「それは……いや、そうしよう。やってしまっていい」

「ご理解いただけて助かります」


 やり取りを見聞きしていたギムが挙手した。


「済みませんが、ご相談させていただきたいことが」

「ああ、そういえば一件、忘れておりましたな」

「これまでは復興事業にかかりきりでした。ですがそろそろ、領内の治安維持と防衛について、比重を高めていかねばなりません。これまではティンティナブリアが貧しかったから、あくまで盗賊どもの取り締まりに重点を置き、何かあれば都度動くだけでしたが、本来、この地は王国の北東の要です」


 ギムが持ち出した話は、防衛計画の件だった。


「具体的には、今、南西の出口にはヌガ村城塞がありますが、南のシュガ村、南東、それとイーセイ港にそれぞれ抑えが必要であろうと考えます」

「東と南東の範囲が広いな」

「正直、手が足りないという認識ではございますが」


 ギムは立ち上がり、テーブルの上に広げられた地図を指差して説明する。


「最低限でも、ヌガ村城塞とイーセイ港には、取り急ぎそれぞれ守備隊を配置すべきと考えます。ヌガ村は、ピュリスに通じているだけではなく、街道に出て北西に向かえばフォンケニアにも繋がる場所です。また、現在、王家が進めている中央森林の開拓事業が完成すれば、王都からの直通道路も、ここに接続されます」

「今更、この国で諸侯同士の揉め事が起きるとも思えないけど」


 中央集権化に血道をあげているタンディラールが、領主間の紛争を許容するはずがない。アルディニアとはわけが違うのだから。


「ただ、よからぬものが関所を通過するような事態は避けたいところだね」

「仰る通りです。そして、これからティンティナブリアが物流の要となるということであれば、これまでは半ば放置されてきたシュガ村の渡し、それから南東部の街道にも、それぞれ関所を設ける必要があると考えます」


 ゆくゆくは関税もとることになるのだし、出口はしっかり縛っておかねばなるまい。


「イーセイ港については、外国との接点にもなる拠点です。直通道路でこちらと繋がってはおりますが、やはり数日の移動時間はかかるもので」


 防衛面での心配はあまりしていない。街道を包み込むようにして、使役中の窟竜を配置してある。それが魔物の侵入を防ぐ役割を果たしている。だが、当然にイーセイ港が外国の軍隊などに占領された場合には、内側に向けられる戦力にもなる。


「確かに、現場で判断を下せるように、それぞれ長官を置いた方がいい」

「はっ」


 俺は少し考えてから、決定した。


「では、ヌガ村城塞については、ギム」

「はっ」

「イーセイ港は……フィラックに任せたい」


 するとフィラックは椅子を蹴って立ち上がった。


「それはどうかと。役目の大きさを考えれば、経験を鑑みても、ユーシス様こそ適任では」

「城代の代わりを務められるのが他にいない」


 彼からすれば、あまりに大きすぎる役割だから、尻込みする気持ちもあるのだろう。確かに、これからこなす仕事の大きさを考えると、それこそピュリス総督とか、或いはキトを統治するシックティルとか、それくらいの話ではある。ユーシスなら、キャリアの大半が軍人であったとはいえ、元は立派な宮廷貴族だったことだし、地方長官相当の役割でもなんとかこなしてくれるのではないか、という気はする。ただ、だからこそ、ノーラが不在の際の本拠を任せられるのが、彼しかいないということにもなってきてしまう。

 最大の問題は、領主たる俺が不在である点にあるのだが……


「難しすぎる仕事だというのは、わかっている。ここは……またティズ様あたりに、適当な人材を融通してもらえないか、相談してみるとしよう」


 会議を終え、部屋の外に出ると、渡り廊下に待望の寒風が吹きこんできた。


「ファルス」


 ノーラが声をかけてきた。


「届いたものがあるの。部屋まで来てくれる?」


 ノーラの居室は、城の南東側の一角にあった。上層だが、領主の部屋のある最上階ではない。その下にある、恐らくは使用人のための狭く簡素な部屋に、彼女は落ち着いていた。

 扉を開けると、まず目に飛び込んできたのは、向かって左側の、何の装飾もない黄土色の机だった。その上に、俺が以前贈った押し花と時計が変わらず置かれている。だがすぐに視界の隅に、何か黒い塊が動いているのが見えた。そいつは小刻みに跳ね回りながら、ノーラのすぐ足下に滑り込み、黒いローブの裾から潜り込んだ。


「あら、だめよ」


 その場でノーラはしゃがみ込み、ローブの内側に忍び込んだそいつを、そっと両手で包み込み、抱き上げた。

 それは、黒い子猫だった。


「お留守番、退屈だった?」

「ニャア」

「よしよし、いい子ねぇ」


 どちらかというと怖い、無表情という印象を与えるノーラだが、この子猫には、ベタベタに甘かった。抱き上げてから、頬擦りまでしている。


「猫、飼うことにしたんだ?」

「うん。たまたま、視察の時に見かけて、拾っちゃったから……あ、扉は閉めて。ノールが外に出たら危ないから」


 子猫の名前はノールというらしい。黒いからそう名付けたというのもあるのだろうが、複雑な気分になる。

 やっぱり、寂しい思いをさせてしまっているのだ。そう再確認させられた気分だった。


「ちょっと待ってね、また後で遊ぼうね」


 そう言いながら、ノーラは子猫をそっと床に降ろした。


「それで、届いたものというのは」

「あれ」


 ノーラが指差した先にあったのは、壁に架けられた一枚の絵だった。俺は思わず息を呑んだ。

 そこに描かれていたのは、南国のリゾートだった。快適なプールサイドには、日除けの布が渡してある。その下には真っ白なテーブルがあって、その上のガラスのコップは色とりどりの果汁で満たされていた。ハンモックやビーチチェアの上で、四人の女達が寛いでいる。ただ、うち二人は人間ではない。シャルトゥノーマ、ディエドラ、ノーラ自身と……それと、ラピ。


「先日、ワングさんの絵師が仕上げてくださったのを、ここまで送っていただいたの」

「そうか」


 随分と遠い過去になってしまった。だが、あれからまだ、三年しか経っていないのだ。

 もし、あのデサ村で、ほんの少しだけ、運命が違っていたら……パッシャの残党が、復讐より組織の存続を選んでいたら、今頃、ラピは帝都にいたのかもしれない。


『えっ! すごーい! パドマっていったら大都会じゃないですか! それ、私、行きます! はい! はーい!』


 あの夜の、明るい彼女の声が脳裏に蘇ってくる。俺は今、彼女が生きたかった未来に生きている。

 だが、俺の旅の巻き添えになって命を落とした人は、彼女一人ではない。その重みを改めて思い出す。


 それと、この部屋。机の上の押し花と、時計。壁にかかったラピ達の絵。そして、ノールと名付けられた子猫。否応なく、ノーラの人生には、俺という存在が食い込んでいる。それ以外のものはとなると、これがほとんどない。机の上には、あとはインクとペン、数枚の白紙の他は、読みかけの本が置かれているだけ。机の真後ろにある、さして広くもない空間には、窓側の壁に絵があって、その真下に猫砂があるほかは、扉側の方に縦長の本棚が突っ立っているのみ。そこに、鍛錬に使う棒が立てかけてある。手前側の左には、カーテンで仕切られただけの狭い空間があったが、そこにはベッドがあるばかり。

 ノーラは変わることなくノーラだった。質素で、勤勉で、いつもの無表情そのもののような空間で暮らしている。そこに彼女自身の感情を感じさせるものは、ごく僅かしか見当たらない。


「大切にしないとな」

「うん」


 頷いたノーラは、少し間をおいて言った。


「私ね」

「うん」

「毎朝、この下にある女神神殿で、お祈りしているの」


 彼女には、随分と重い荷物を背負わせてしまった。特に、あのフマル氏族との戦いでは、ノーラ自身が大勢の兵士の命を奪うことになった。大量殺戮に手を染めた事実は、きっと一生、彼女を苦しめ続けることだろう。

 俺達は、女神の真実のすべてを知っているわけではない。それでも、ノーラも世界の真実にかなりのところ、近づいてしまった。女神達というのが、世の人が素朴に信じるような素晴らしいものではないらしいことくらい、とっくに承知している。それでも、何かどこか、祈らずにはいられないのだ。生身の自分自身だけでは、到底、その重みには耐えきれないから。


「大丈夫、ノーラ、大丈夫」


 俺はそっと彼女の肩に手を置いた。


「慌てなくていい。急がなくていい。僕らはきっと、いつかそこに行くんだから」

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