弟子、その後
ティンティナブラム城は壮大な建造物だが、その内装はというと、思いもよらないほど質素で殺風景だ。これは、城の規模が大きすぎるのもあって、歴代領主による整備が追いつかないためだろう。他の四大貴族と比較しても、フリンガ城だってここまでは大きくなかったし、ポイタートには優美な居館があるだけで城塞は置かれていなかった。フォンケニアに行ったことはないので比較できないが、単に城という防衛施設の大きさだけでいうなら、実は王宮より立派な造りをしていたりする。
だから今も、城郭の三階、南側の廊下を歩いているのだが、足元には絨毯も敷かれていない。それどころか、鼠色の石材が剥き出しになっている。窓の外から差し込む、冬の日特有の淡い光。だが、この分厚い、武骨な城壁が、くっきりと影を区切ってしまう。
「ファルスから手紙を送ってもらっているから、お名前だけは存じ上げておりましたけど」
先に立って歩きながら、ノーラは後ろのウィーに話しかけた。
「あのガッシュさんの仲間だった方だということでよろしいですか」
「は、はい」
「そんなに固くならなくても大丈夫です。ガッシュさんとその仲間の皆さんは、私によくしてくださいました」
周囲には、どういうわけか、他に人がいない。これから食事だというと、ガリナとリーアは顔を見合わせて俯いた。ギムも、いかにも申し訳ないと言わんばかりに唇を噛んで下を向いた。そんな彼らに、ノーラは「今日はいいから」と告げていた。
それとは別として、ノーラはさっきまで俺達の後ろにいたマツツァとタオフィについて、別室で食事をとるように伝えた。久しぶりに、こちらに詰めているワノノマの郎党と一緒に過ごしては、と提案したのだが、これはもちろん、人払いも兼ねているのだろう。
「それで、ファルス」
「なに」
「確認だけど、ウィーさんは今、おいくつなのかしら」
「えっ」
この問いに、声を詰まらせたのは俺ではなく、ウィーだった。
「十六歳、ということになっている」
ノーラは足を止め、こちらに振り返った。
「この若さで、ガッシュさん達の仲間……つまり、ウィーさんはファルスの……秘密についてもご存じということでよろしいですか」
「ああ、知ってる」
俺が代わりに答えた。ピアシング・ハンドの秘密を共有している人物かどうか。
確認を終えると、ノーラはゆっくりと頷いた。
「わかったわ。ウィーさん、改めて言うまでもないことですが」
「いっ、言わないよ、ボクは」
それからノーラはまた、前に立って歩いた。
「今日は週に一度の特別な日なの」
「特別? 何が?」
「お昼ご飯が」
「そういえばさっき、料理人がどうとか言ってたね。面白い料理を出すのなら、ぜひ味わってみたい」
未知の味への興味は、保ち続けるべきだ。作るだけではなく、食べるのも勉強だ。
だが、ノーラは溜息をついた。
「七日間の食事が二十一回。その中のたった一回を引き当てるなんて、さすがファルスだわ」
「えっ?」
何か貧乏くじでも引かされたような言い方だが。
「いいの。どうせこれは、ファルスに味わってもらうつもりだったから」
それからノーラは、またウィーに言った。
「ウィーさん、私は二年前まで、ファルスと一緒に旅をしていたの」
「えっ? うん」
「秘密の一部を知っているということなら、どうあれウィーさんを身内の人だと考えるしかないのだけど」
なんとなくノーラが怖い。
「私としては、思いもよらないことにも耐えられる、強い心の持ち主であって欲しいと思っているんです」
「あぁ、うん……?」
何を言わんとしているのか、測りかねているウィーは、口篭るばかりだった。
「さ、そこよ」
扉に手をかけると、ノーラは一度だけ、こちらに振り返った。それから、開け放つと中へと踏み込んだ。
「ギィ」
「わっ!?」
出入口のすぐ傍で待ち構えていたのは、ペルジャラナンだった。しかも、俺の到着を今知ったらしく、飛びあがって距離を詰めたものだから、ウィーもさすがに驚いた。反射的に弓を構え矢を番えようとして、すぐ後ろに立っていた俺に背中を打ちつけ、よろめきながら腰のナイフを抜こうとした。さすがにそれは、俺が掴んで止めた。
「ペルジャラナン。ドゥミェコンから一緒に旅をした仲間よ」
硬直するウィーだったが、この紹介、ちゃんと聞こえているだろうか?
「彼女はウィーといって、ファルスの昔からの知り合いなの」
「ギィ」
ペルジャラナンは、よろしくと言わんばかりに手を伸ばした。ウィーも、人間のように服を着て、大人しくしているリザードマンに、ようやく気持ちが落ち着いたのか、やや緊張を解いた。ぎこちなく握手を交わす。
「それで、今日はね」
広い部屋だった。天井も高く、壁は白く塗られている。そこに大きめの長方形のテーブルが一つと、椅子が四つ。既に食事の準備が整っているらしく、その上には真っ白なテーブルクロスがかけられており、真ん中には水差しと空のコップ、そしてそれぞれの席の前にはナイフとフォーク、大きなドームカバーが配置されていた。
「週に一度の創作料理の日なの」
「創作?」
「そうとしか言いようがないのよ」
とすると……
嫌な予感がした。要するに、下の階でみんな微妙な顔をしていたのは、この創作料理の味見に付き合わされるのが嫌だから。そして、仮にも主君である俺に、そのイヤな役目を押し付けるのが申し訳ないから。
しかし、そうなるとノーラの意図が読めない。そんな、みんなが嫌がるものを、どうして俺には食べさせていいなんて考えるんだろうか?
「じゃあ、いただきましょう」
とにかく、料理を見てみないことにはわからない。それで俺は勧められるままに着席し、ドームカバーを自分で持ち上げて外した。
「ヒェッ」
ウィーが仰け反った。
皿の上、四角く整えられたその料理、天井を見上げるかのようにぎっしりと詰め込まれていたのは、イナゴの頭だった。何かのソースにつけて炒めたのだろう。色が濃い。そして、そんなイナゴの胴体部分を、薄い蕎麦の麺が包んでいる。これにも味の濃そうなタレがしみ込ませてある。そんな虫料理の周囲に、緑の濃い塩漬け野菜が添えられていた。
ノーラがまた溜息をついた。
「こんな調子なのよ。毎回」
「毎回?」
「ああ、週に一回だけ。そういう約束なの」
どういうことだろう? しかし、俺は料理に偏見など持たないことにしている。毒でも入っているのでなければ、まず味わってみる。うまいかまずいか、正面から向き合うのが礼儀というものだ。
「えぇっ、食べるの? それ?」
「ギィ!」
ペルジャラナンは、嬉しそうにいそいそとフォークを突き刺した。見るからに辛そうだから、刺激があっておいしく感じるのだろう。
では、俺も一口……
うん、まずいということはない。
評価できるのは、虫の処理だ。後ろ足をちゃんと千切ってあるし、羽も取り除いてある。特に後ろ脚は、棘が多い部位なので、これがそのままだったりすると、食べる人が痛い思いをする。そして、うまいのはなんといっても頭だ。細かなパーツに分かれているせいなのかもしれないが、前世のスナック菓子を思わせる味わいがある。
それにしても、イナゴか。この時期に獲れるはずもない。旬は秋だから、その時期に捕らえて、先に下処理をしたのではないか。濃厚なソースに浸けておけば、保存もできる。
眉根を寄せていたノーラだが、これがいつものことというのもあって、淡々とフォークを取り出し、口に運んでいく。一人取り残されたウィーは、さっきの宣告を思い出したのだろう。トカゲに驚き、昆虫食にたじろいでいるようでは、ファルスの身内は務まらない。ノーラは暗にそう言っているのだと理解して、半泣きの顔でフォークを手に取った。
「味は……まぁ、合格点だと思う」
二番目に食べ終えて、俺はそう評価した。
「虫はこれで、栄養豊富な食材でもあるし、無駄にすることはない。見た目を考えなければ、活用するのはいいことだと思う。但し」
誰に言うのでもなく。いや、多分、俺の言葉はそいつに聞こえている。
「一番大切なことを忘れているようだな。料理人たるもの、食べるお客様の気持ちを第一に考えるべし。出てこい。それとも、引っ張り出されてぶん殴られたいのか」
俺が言い終えると、脇の扉が開いた。そこから姿を見せたのは、肩にかかる長さの金髪に眼鏡の女。そいつは肩をすぼめて、泣き笑いのような表情を浮かべていた。
「ファルス」
ノーラが頷きながら言った。
「紹介するわ。このティンティナブラム城の料理人、チャル・メーラよ」
「知ってる」
「お師匠ー、お久しぶりですー」
俺はテーブルに肘をついて、深い溜息をついた。
「どういうことなんだ。どうしてここにいる?」
俺の問いに、チャルは答えた。
「それはですねー」
俺が去った後、タリフ・オリムの彼女の店は一転して、一気に繁盛するようになった。王様が認めた蕎麦の麺。物珍しさもあって、客が殺到したのだ。後見人のサブドがしっかりしていたのもあるのだろう。チャルは慢心せず、丁寧に仕事をしていたらしい。だが、ブームはいつか去るものだ。
そして、悲劇は一年後に起きた。翌年の降臨祭において、チャルに続く名誉を得ようと望んだ名店の数々は、とんでもないことをしでかした。俺と違って昆虫食の知識のない奴らは、深く考えもせずにその辺の芋虫を掘り出してきて、調理して出したのだ。だが、カミキリムシの幼虫が香りよくクリーミーなのは、木を餌にしているからだ。その辺の土の中で育ったカブトムシの幼虫に、同じ味と香りが期待できるわけもない。堆肥のような激臭を放つ皿の数々に疑問を抱かなかったのか、とにかく降臨祭の料理部門の場は、阿鼻叫喚の地獄と化した。
チャルは厳選されたカミキリムシの幼虫を扱っていたのだが、しかし、知識のない市民にその区別がつくはずもなかった。自然と彼女のところからは客足が遠のいていった。それに、蕎麦の麺にしても、この頃には彼女の専売特許ではなくなっていた。腕のある料理人なら、そのうちに模倣できてしまう。
優位を失った彼女にとって都合の悪いことに、まもなくサブドが急病で亡くなってしまった。これで格安での食材仕入れ先がなくなってしまい、いよいよ店は左前。困窮していた頃に逆戻りしてしまったのだ。それでも通ってくれるお客はいたが、それはガイとか、アイクといった顔見知りだけ。いよいよ立ち行かなくなって、事実上、こうした知人達の持ち出しで暮らしていくしかない状態に陥ったところで、チャルは決断した。
今の自分は料理で食べていけているのではなく、知人の厚意に縋っているだけ。これ以上、迷惑はかけられない。それならもう、店を畳んでしまうべきだと。
「そんな時に、女神様が現れましてねー」
「女神?」
もう、明日にも閉店。家も土地も手放すしかない。本当なら、どこかの店の下働きになりたかったのだが、ガイやアイクの口利きによっても引受先が見つからなかった。流浪の身になると決まったチャルは、最後の夜にも、店を開けていた。
そこへ、一人の見慣れない女がやってきた。土地の人間ではない。それでいて荷物も何もなく、服装も簡素だった。しかし、その美貌ときたら。どこかの王妃様と言われても信じてしまうくらいに品があった。その女性は、一杯の蕎麦を所望したが、ただお金を持っていないのだと言った。チャルは、貧窮しているこの婦人に、どうせ店を閉めるのだからと、代金は取らずに最後の蕎麦を提供した。
『善き心の持ち主であるあなたが報われますように。あなたは今、困窮する私に手を差し伸べました。もしあなたがこの土地を離れて遠くに居場所を求めるのなら、今後は私があなたを助けましょう』
チャルの事情を聞き知った彼女は、そう申し出た。
それからチャルは、ガイ達に見送られて、タリフ・オリムから東に道をとった。リント平原を越えて南に向かうことも考えたが、どうせならどこか、アルディニアの田舎でやっていきたかった。フォレスティアよりアルディニアの方が、蕎麦はよく栽培されているものだったから。しかし、なかなか彼女を拾ってくれる土地は見つからなかった。
旅費はすぐ底をついてしまい、野宿を繰り返すようになったが、チャルは困窮しなかった。例の女性が旅に同行してくれて、必ずどこかから食べ物を見つけてきてくれたのだ。森の中にあったという見たこともない果物とか、村人から貰ったらしい絶品チーズとか、とにかくどこから調達したのかわからない代物が、途切れることなく手に入った。そして野宿をするにしても、彼女が選んだ一角は快適で、雨露に濡れたり冷たい風にさらされたりもせず、害虫に悩まされることもなかった。
結局、チェギャラ村を抜け、ティンティナブリアに至る山脈まで来てしまった。さすがにチャルも尻込みした。過酷な山越え、しかも狼の群れやオーガも出没する道なのだ。だが、彼女に励まされて進んでみたところ、これまたどういうわけか、魔物や野生動物に襲撃されることは一切なく、無事に山脈を越えることができた。
だが、そこまで到着してみたところで、チャルの仕事先が見つかるわけでもなかった。
途方に暮れるチャルに、その女性は提案した。
『せっかくですから、私達はこのお城の料理人として雇われましょう』
そんなの無理! こんな大きな城を支配する領主の料理人なんて、一流の腕でもなければ論外なのだから。
けれども、彼女は引き下がらなかった。渋るチャルを引っ張って、城下のロータリーのところで兵士達に微笑みかけ、ついに城代たるノーラに面会するところまで行き着いたのだ。
「何ができるのか。実力があれば雇ってもいいと言ったわ」
ノーラがそう言った。
チャルは、それならと全力を尽くした。さすがに虫は入手できなかったので、蕎麦の麺だけを出した。ノーラの判定は、不合格だった。特にまずいということもないが、とびぬけて優れているのでもない。しかも、これ一つしか芸がないのなら、わざわざ雇い入れるほどでもない。
当然の結果とはいえ、これに失望したチャルだったが、ここまで同行した女性が申し出た。
『それでは、私も腕試しさせていただいてよろしいでしょうか』
ノーラは許した。間もなく、簡素な乳粥が供された。こんなもの、と思いながら彼女は一口味わったのだが、次の瞬間には驚愕に打ちのめされていた。
「即座に合格としたわ。だけど、わけのわからないことを言い出して」
合格を勝ち取ったその婦人は、自分は料理人ではなく、これを助けるだけだと主張したのだ。当然、優れた人物だけを拾い上げたいノーラは反発した。あなたは雇うがチャルは駄目だ、と。それで彼女は提案してきたのだ。
「どこの世界に、自分を奴隷として売り払う人がいるのよ」
その女性は、自分を奴隷として領主に買い取らせ、その代金と引き換えに、チャルに身分と仕事を与えるように、と要求した。
この非常識な提案に、チャルは撤回を要求したが、ノーラは思考の淵に沈んだ。これほどの美貌、気品。どう考えても常人ではない。あくまで突っぱねてチャルを追い払ったら、彼女まで追い出すことになる。これだけの逸材なら、料理はもちろんのこと、いくらでも使い道があるではないか。
結局、ノーラはその交換条件を受け入れた。かくして、その女奴隷は毎日、朝食を作って出すようになった。しかし、チャルにも仕事をさせなければいけない。それで週一回だけ、全力を尽くして最高の一品を出すようにと命じておいたのだ。だが、その結果が……
「ねぇ、チャル」
「はい、城代様」
「虫の在庫はそろそろ尽きたのかしら」
「とんでもございません。まだまだたっぷりございます」
ノーラは溜息をついた。
チャルのゲテモノ料理を食べることが、美貌の女奴隷の取得条件である限り、嫌でも我慢するしかない。ノーラは自分の責任で毎回食べていた。ペルジャラナンも、虫料理に対する偏見がないので、何の不満もなかった。しかし、あと二人分。ノーラの近くで働く者達が、犠牲者を決めるルーレットを回し続けていた。
「ということ、か」
「ええ」
それからノーラは尋ねた。
「チャル、それでシーラは」
「ただいま呼んでまいり」
彼女が振り返るより早く、脇の扉が開いた。
そこから姿を現したのは、白いワンピースを身に着けただけの、銀髪の女性だった。
「領主様、お初にお目にかかります。城代様に拾い上げていただいた奴隷、シーラでございます」
一瞬、俺の胸の中に激しい違和感が生じた。
だが、この時はその理由に思い至らず、なんとか言葉を返した。
「ああ。話はたった今、聞いた。今後とも真面目に働いてくれるなら、奴隷身分からの解放などはすぐだ。よろしく頼む」
「ありがとうございます」
挨拶が済んだところで、ノーラは話を締めくくった。
「ということだったのよ」
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