書庫案内
大きな空洞に、靴の音が反響する。薄っすら見えるシルエットから判断できるのは、そこが整理整頓された収納スペースなどではなく、ただのガラクタ置き場と化していることくらいだった。
「ここが地下五階。でも、ここの清掃はしなくていいから」
「掃除する意味がなさそうですね」
「そういうこと。一応、外に出していいものではないんだけど、どうせ使い物にならないから」
広大な空間に転がっているそれらの大半は、ただの瓦礫だった。ただ、表面に文字が刻まれている。
「一千年前の、あの魔術の石板……ここに保管していたんですか」
「全部じゃないわよ。持ち去られたり、破壊されたのも少なからずあるんだから。ただ、これ以上の流出は望ましくないということで、当時の当局が強引に持ち去って、この地下に封印したってわけ」
だが、それだけだ。フシャーナは、ここにある石板を大した秘密とは看做していない。
「一応案内しただけだから。じゃ、地下四階に戻るわよ」
螺旋階段の脇にある分厚い金属の扉を押し開けると、途端に空気の匂いと温度が変わった。どちらかというと冷え冷えしていたのが、急に温かく湿った空気に包まれたような気がしたのだ。
「そこ、閉じて」
短い廊下の向こうにまた扉がある。そこを通り抜けると、まったくの別世界になった。
「えっ、なっ、なにこれっ」
「学園が守る秘密、その一」
足元の床、壁、それに天井も。材質は不明。まるで前世に戻ってきたかのようだ。あちらの人工物のように、灰色の均質な素材が天井と床を覆っている。そして左右の壁の一部は、透明度の高いガラスだ。その向こうには、白く輝く花々が一定間隔に植えられている。
「地下農園よ」
「これ……ここまでの施設をどうやって……いや、古代の装置がまだ生きてるんですか」
「ええ。もし壊れても、直せる人はもういない」
この装置自体も、途方もない秘密ではあるが、それより重要なのは、この花々かもしれない。
「もしかして、この花、治癒魔術の触媒ですか」
「勘がいいのね? その通りよ。偽帝以来の戦乱で、各地の治癒魔術の触媒のほとんどが失われてしまった。傷を癒す力は戦力にもなるからということで、積極的に破壊されたの。戦いに敗れて撤退する時なんか、敵にそのまま触媒の在庫をくれてやることになったら、馬鹿みたいでしょ? だから、統一時代には最もありふれた触媒だったのに、今では外の世界には僅かしか残されていない」
そして、アイドゥス師はこの花々を利用して、治癒魔術の技量を高めていったのだろう。
「お金に換えたら、とんでもない額になりそうです」
「滅多なことは考えないでね? といっても、あなたを止められる人なんかほとんどいないんでしょうけど……それでも、持ち出しは許可しないつもりだから」
もったいない。これがあれば、病気や怪我に苦しむ人々が大勢救われるに違いないのに。
一応、理由があってのことだろうし、余程のことがない限り、彼女の決定に背くつもりはないが。
「でも、帝都からこれをもう一度、世界中に広めるということは、しなかったんですか? 今は戦乱の時代というほどでもなくなってきていますし、これを外交の道具に使えば、政治的な影響力を保つとかだってできそうな気がするんですけど」
「それは何度も検討されたけど、却下されてきたのだと思うわ。私も賛成はしない」
「どうして?」
「その理由は、また今度ね」
彼女は、可憐な花々に険しい視線を向けた。
「真実を知る者に言わせれば、これは……災いの花も同然なのよ」
「えっ?」
それだけ言うと、彼女は踵を返した。
「ここが地下三階。器具類、それに薬品も保管されているわ」
「これはだいたい、魔法の触媒とか、そういうのでしょうか」
狭い通路にギッシリと棚が並べられ、そこに無数の壺が据えられている。一応、区別がつくようにとラベルを紐でかけてあるが、ただの記号なので、これだけでは何が保管されているのか、わからない。
器具の類としては、先日見かけた、あの透明になる機能を備えた魔法の鏡もあった。一方、剣や鎧といった武具はほとんど見かけない。そんな中、どことなく見覚えのあるものが目についた。
「教授」
「なにかしら」
「これは、もしかして」
小さなカメラのような道具が、棚の一角に転がされていた。これとそっくりのものを見かけたことがある。
「宙に浮いて、目の代わりをすることのできる道具ですか」
「どうしてわかるのよ」
忘れようとしたって忘れられるわけがない。
「これと同じものを、ラスプ・グルービーに与えたのは教授でしょうに」
「あー……そういうことね。あなた、どこまで知ってるの」
「大したことは。彼の晩年に、ちょっとした事件があったので。そこでゴーレムと、これとそっくりの魔道具を見たんです」
フシャーナは頷いた。
「確かに、彼に魔道具を売りつけはしたわね。十年くらい前だったかしら? ちょうど箱車の実験をしていた頃だったと思うけど。西方大陸の富豪だが、あれを見た、譲ってほしいとか言ってきたっけ」
「うん? 箱車を買おうとしたんですか、彼は」
「ええ。でも、当時は売るに売れなかったのよ。このまま帝都全域を覆う公共交通機関にするって目標があって。統一時代は、箱車が当たり前のように運用されていたらしいし。だから、当局との契約がどうなるかってところだったから、勝手に研究結果を他所に譲りますとも言えなかったのよ。大金もかかっていたし」
グルービーなら、箱車の価値にすぐ気づいただろう。コラプトからピュリスまで、大量の荷物を運搬するとなったら、大勢の御者と馬が必要になる。彼らは生き物なので、食事も休養も必要だ。だがそこに鉄道が走っていればどうか。たった一人か二人の運転手が、大量の貨物を高速に輸送できるようになる。
そして輸送が変われば、社会が変わる。前世の先進的な社会にしたところで、その基盤になっているのは輸送と通信だ。その要所を握ることができるのなら、どれほどお金を費やしても高いとは言えない。
「それで、どうしても購入はできないとなったから、代わりのものが欲しいと言われたのね。それで、思いついたのがあのゴーレムと、趣味で研究していたこの魔道具の複製品だったわけ。一応、ゴーレムの方は箱車と同じ仕組みで動いてるって言ったら、なんとか納得してもらえたわ」
「ゴーレムは、わざわざ作って納品したんですか?」
「いいえ。昔、試作品として作ったものに、魔石を組み込み直して渡しただけ。そんな時間もなかったし、それにあんまり長くお付き合いしたくなかったのよ」
「それはどうして」
立ち止まって振り返ると、彼女は吐き捨てた。
「追加料金を支払うから十分だけお尻を触らせてくれ、なんて言われて、関わり合いたいと思う?」
ああ、と嘆息した。
そうだった。彼は途方もない好色家だった。
「なるほどです。でも、触らせなくて正解でしたね」
「そんなの、させるわけないじゃない」
「いえ、彼の技術は凄まじいんですよ。十分もあれば、身も心もどうなっていたか」
金で雇われていただけのメイド達も、彼の手にかかれば興奮を抑えられなくなっていた。軽食を食べながら見たい光景ではなかったが。
だが、俺の言葉を聞いて、フシャーナはさも気持ち悪いと言わんばかりに身を縮めた。
「じょ、冗談じゃない!」
「ご無事でよかったです」
咳払い一つ。彼女は説明を続けた。
「とにかく、私もお金が必要だったから、昔の試作品のゴーレムと、昔の……統一時代の魔道具を真似たものを売ったのよ」
そのおかげで、俺は散々な目に遭ったのだが。とはいえ、まさかああいう使われ方をするとは、フシャーナも知りようがなかった。
「お金、ですか」
「そうよ。正直、研究のせいで借金まみれだったから。箱車の建設計画も、結局はお流れになったし、売ってなければ本当に困っていたところだった」
「はい?」
また疑問が浮かんだので、俺は質問を重ねた。
「十年ほど前なら、教授はもう学園長ですよね?」
「そうよ?」
「どうしてお金に困ってたんですか。研究なら、学園のお金でできるんじゃないですか?」
すると彼女は肩をすくめ、首を振った。
「学園長になったからって、何をしてもいいわけじゃないし。それに、この借金はもっと前からのものだったから」
「前というと」
「そうね、今からだいたい、四十年以上も前から」
「四十年!?」
フシャーナがまだ三十歳くらいの頃にこさえた借金ということになる。
「何を……繁華街の男にでも入れ揚げたんですか」
「そんなわけないでしょ。どうしてくれるのよ」
「ん?」
「あなたがぶち壊した私の大事な大事なゴーレムの研究開発費!」
そういうことか、と納得しかけたが、すぐ違和感に引き戻された。
「それこそおかしいのでは?」
「なにがよ」
「あれだけのものを作って……古代の技術の再現か何かをしたんでしょうけど、どうして大学の支援を受けられなかったんですか? 試作品のゴーレムもあったんだし、投資してくれる相手くらい見つかったでしょうに」
その指摘に、彼女は苦々しげに俺をじっと見つめて、ややあって口を開いた。
「……勝手に作ったものだからに決まってるじゃない」
「それだけでは説明できませんよね? 作ってからでも公開すれば、お金を出す人が見つかったはずですし。つまり、教授の目的は」
「ええ、そうよ」
溜息一つ。
だが、俺としても見抜けないはずがなかった。なにしろ、彼女の研究が達成した結果を先に目にしていたのだから。
「ゴーレムを作ること自体が目的ではなかった。あのゴーレムでやりたいことがあった」
「それが、不老不死の探求だったんですね。でも、不老の果実の存在を、よく信じる気になれましたね?」
「言っておくけど、ルークの世界誌みたいな与太話を信じたわけじゃないのよ? 書庫に収められた文書の中に書いてあって、それでやってみることにしたんだから」
立ち止まり、腕組みをして、彼女は当時のことを語りだした。
「世界誌では、北から大森林を横断して緑竜の住まう領域まで行ったとあるけど、私はもっと細かい情報を得ていたから、それはよくないと判断したの。どう考えても、不老の果実の在処は大森林の南側に偏っている。だから、ナディー川を北上して、最短距離で例の場所まで進むことにしたのよ」
「それはそれは……だけど、ここまで把握しておいて愚問かもですが、どうしてゴーレムが必要だったんですか?」
「緑竜対策。あんなのと戦って勝てるわけないでしょ? だけど、これも事前情報があって。緑竜は目も耳もいいけど、鼻はそこまで利かない。それと、夜は眠るから、その隙をつくことができれば、果実を盗み取ることはできる。ただ、そうはいってもあの巨体だから、走って逃げ切るのは無理。縄張りも広いから、普通に地上を歩いたのでは、どう頑張っても見つけられてペチャンコ」
俺は頷いた。
「なるほど、つまり教授は穴掘りに使うためにゴーレムを」
「土魔術で坑道の補強をしながらね? 都合がよかったわ。人間と違って疲れないし、食事も不要。もちろん、裏切られる心配もない」
「たった一つきりの果実ですもんね……いや、教授の時にいくつ熟してたかは知らないですけど。仲間なんか連れていけないと思う方が普通ですね」
「たとえ人数分あったとしたって、殺し合いになるわよ。仲間を始末すれば、途方もない金額で売れるお宝が手に入るんだもの」
それゆえ、絶対に裏切らない従者としてのゴーレムが必要だった。そのために、彼女は多額の借金まで背負った。それでも、数百年の寿命と衰えない若さを手に入れたのだから、しかも結果として、グルービーに出会ったおかげでその借金も完済できているわけで、プロジェクトは完全に成功したと言えるだろう。
「あなた、あの大森林を縦断したんですって?」
「ええ、まぁ」
「緑竜も倒したらしいじゃない」
「はい」
「頭……いえ、それ以外もいろいろとおかしいわ」
そう言って、彼女は先に歩いていってしまう。それを追いかけながら、またふと気づいたことがあった。
「あ、あの」
「なに?」
「そういえばさっき、書庫って言いましたよね?」
再び足を止めると、フシャーナは振り返った。
「それがどうかした?」
「ゴーレムを作って南方大陸に渡ったのは、学園長になる前なんじゃないですか? なのにどうして書庫で不老の果実の情報を得られたんです?」
「前学園長に許可されたからに決まってるじゃない。私が次の学園長になるって、もう内定していたから」
「ああ、そういう」
その頃には、彼女のゴーレムもなかったはずで。次の学園長候補にここの管理を任せるというのも、ありそうな話だ。
「本当は、他の人が座るはずだった椅子なんだけどね」
「というと、どなたが?」
するとフシャーナは、心底嫌そうな顔をした。
「クレイン教授よ」
「えっ?」
「このことは、もういいでしょ。あんまり話したいことじゃないの。さ、次、行くわよ」
無数の壺を背にして、俺達は地下二階に戻ってきた。
「そしてここが、資料室。秘密という意味では、ここが二番目にまずい場所と言えるかしらね」
「そんなに深刻なものがあるんですか? 魔術の知識とか」
「それは大したことないけど……でも、そうね、例えばこれ」
とある本棚には、魔術の本らしきものが隙間なく詰め込まれていた。ただ、背表紙には見慣れない言葉が書かれている。
「なにこれ……『植物魔術』? そんなの初めて見ました」
「当たり前。これはもう、失われた魔法なんだから」
「どういう意味ですか? 単に使い手がいないだけなのか、力の源になる魔王がいなくなったのか」
「そんなことまで知ってるのね。どっちかなんて区別つかないわよ。触媒もないし、できるまで練習した人もいないんだから」
そう言いながら、彼女は本の背表紙をなぞった。
「あっ」
「どうしたの?」
「それ、腐蝕魔術って」
「ええ、これも失われた魔法の一つらしいわ。なんでも、この魔法と土魔術を複合することで、石化の魔法を使うこともできるらしいけど、今となっては」
醤油の情報より先に、ビルムラールの夢が叶ってしまいそうだ。
俺は本棚に飛びつき、本を引っこ抜いて調べ始めた。
「ちょ、ちょっと。待ちなさい。それは禁断の魔法とも言われていて、習得しようとすること自体が危険だって」
「知ってます」
「なんですって?」
ページをめくったが、当然ながらすぐに知りたい情報は見つからない。
「もっと大切に扱いなさい! 替えの利かない大事な」
「済みません」
それで俺はその魔術書を棚に戻した。
「どういうことかしら」
「どうもこうも、僕はこの魔法を知っているし、使うこともできます」
「えぇっ」
「ただ、教授が仰るように、非常に危険なものです。手違い一つで取り返しのつかない結果を招くでしょう。ただ、この魔法についても知りたいことがあったのです」
フシャーナは、こめかみに冷や汗を滲ませながら、俺に厳しい視線を向けた。
「そう。その辺は詳しく聞かせて欲しいけど。でも、別に書庫にはこれからも入ることはできるのだから、今日のところはこれまでになさい」
「はい。ヒメノさんも待たせていますし、そうします」
「本当は今日、例の話もしたかったんだけど」
例の話? 何のことかわからず振り返ったが、彼女は首を横に振った。
「いいの。とにかく、この書庫には、世界に知られてはいけない秘密があるということ。それがわかっているなら、当面は慌てる必要はないから」
「はい」
なんだかスッキリはしないが、既に結構な時間を費やしてしまっていた。またの機会に話せばいいだろう。
「それと……これも。今回の件は、ケクサディブも関わってるから。彼とも話をしてもらいたいんだけど、いいかしら?」
「ええ、それはもちろん」
「これも近々連絡するから、時間を作ってちょうだい」
とりあえずの話し合いが終わると、彼女はまた、俺の前に立って歩き出した。あとは階段を昇って、ここから出るだけだ。
「私は、ね」
「は? はい」
だが、彼女は歩きながら、ふと思い出したように語りだした。
「大森林で不老の果実を手にした時、永遠の幸福を手に入れたと思ったわ」
「はい」
「帝都に帰った時にも、得意満面だった。学園長の地位も内定していたし、これからはなんでも自分の思い通りになると思ってた。でも、私が無限に続く幸せを心に描いていた時」
階段に続く扉に手をかけ、フシャーナは振り返った。
「あの人、ケクサディブは、この帝都にいながらにして、人が人として生きる限り避けることのできない絶望を見出していたのよ」
低い声色に込められた昏い思いを感じ取って、俺は言葉を返すことができなかった。
「あなたは……多分、あなたこそ、あの人に会わなければいけない。いいわね?」
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