耳まで真っ赤
「器、ですか」
「ええ、やっぱりどうしても厚みのあるカップが必要なんです。食というのは、その品だけで成り立つものではないので」
学園の敷地のすぐ外側。柵を横目に俺とヒメノは旧公館への道をゆっくりと歩いていた。既に時刻は夕方に差し掛かりつつあり、日差しにうっすらと黄色いものが混じりだしている。
書庫での話し合いが一段落したところで、俺は外に出て、校門近くにいたヒメノのところへと急いだ。
霊樹の苗流出については、ポロルカ王国側に伝達するが、穏便な形になるよう尽力する。帝都側からも内々で収められるよう、謝罪する。俺が例の戦闘で破壊したゴーレムについて、フシャーナは賠償を求めないが、書庫の清掃などの作業の一部を俺に割り振る。俺は書庫で調べものをしていいが、その内容を外部に伝える際には、必ず彼女の許可を得る。それと、そのうちにケクサディブ副学園長との話し合いももつこと。
俺が貴族であると知られはしたが、それで周囲が過剰に騒がしくなることもなかった。あと、引っかかることがあるとすれば、ケアーナからの頼みごとがどんなものか、ということくらいだ。ただ、それにしたって普通の仕事の範疇ではないかと思う。なぜなら、あの場にはアナーニアもいたからだ。あの行動は、彼女が公認していなければあり得ない。それならグラーブも承知している話であろうと考えられる。無理難題ということはなさそうだ。
多少、面倒が増えはしたが、これまでの穏やかな学生生活に変わりはない。どうなることかと思っていたが、新学期の滑り出しとしては、そう悪くない。
「そうなんですよね……」
俺の言葉に、ヒメノは考え込んでしまった。
「どうなさったんですか?」
「あ、いえ」
旧公館までの道すがら、話題も思いつかなかったので、俺は今、取り組んでいるコーヒーの販売計画について喋っていたのだが、それがヒメノの中の何かに引っかかったらしい。
「私が針仕事を好んでいるのは、ファルス様もご存じだと思うんですけど」
「はい」
「最近、どう頑張ればいいのか、わからなくなってきまして」
入学式の日には、一見地味ながらセンスのいい服を身につけていた彼女だったが、今日はもちろん、制服姿だ。
「と言いますと」
「お料理なら、どんなお皿に盛るかということだと思うんですけど、衣服ですと、それは多分」
彼女の視線が、ちょうど今、辿り着いたばかりの大通りに向けられる。東西を結ぶこの幹線道路には、いつも慌ただしい様子で馬車が行き交っている。その脇の歩道を歩く人々も、表情は固く、誰もが速足だ。
「その人が暮らす街とか、村とか、そういう場所なんじゃないかと」
「それは、そうでしょうね。暑い土地で毛皮のコートなんか着たくないでしょうし」
「これでも、スッケにいた頃は、針仕事ではそれなりの腕前になれたと思っていたんです。年齢の割には、ですけれど。帝都に着いた直後には、全然違う服を着た人達が大勢いて、これからいろいろ学べるんだと喜んでいました。だけど、いざ、何か形にしようとすると、どうしたらいいか、わからなくなってしまったんです」
文化、というものの難しさだ。ヒメノは帝都の食事に適応できたらしいから意識しないで済んでいるのかもしれないが、彼女の挙げている問題は、料理にも存在する。
「着ている人にとって、本当に快適な服か。いや、それだけではないですね。本当にそれは美しいと感じられる服なのか。帝都とスッケでは、色や図柄に込められた意味が違い過ぎる」
「はい! それです!」
「率直なことを言うと、帝都で美を追求するのは、ものすごく難しいことだと思っています」
厳しいことを言われると、ヒメノは浮かんだ笑みを静かに萎ませていった。
「済みません、厳しいお話で」
「いいえ。なぜそう思われるんですか?」
「ヒメノさんも気付いていると思います。共有している物語が、共通している考え方がないからです」
神妙な顔をして俺の言葉を聞く彼女に、説明を続けた。
「例えば、一羽の鷺が雪に塗れた松の木の上に留まっている。これを絵にして、更にそれを着物に描くとします」
「素敵です」
「白い雪、白い羽、一方で草も生えない冬場の暗い色の土、固く強張った松の幹、暗い色の松葉……それに、その向こうの灰色の空」
「ええ」
「ヒメノさんは、その美しさがわかりますよね」
音もなく降る雪。静寂の中、一羽の鷺が松の木に降り立つ。頬に吸いつく冷たい空気。どこまでも続く灰色の空。景色の中に溶け込んだ鷺の姿に、人は何か清浄な、気高さのようなものを見出す。その感動が絵に描かれ、織物の中に写し出される。
清らかな白い羽は、誇張される。降り積もる雪は綿毛のように輪郭をぼやけさせる。羽や雪とコントラストをなす松の木はデフォルメされて、現実以上に節くれだった姿で表現される。
「それはもう」
「でも、帝都では意味が通じません。だって、ただの灰色と、白と、焦げ茶色、たまに暗い緑が混じっているだけの、そこまで写実的でもない鳥か何かの絵ですよ」
これが帝都の問題点であり、限界でもある。
極端な言い方をすれば、およそ帝都にあるものというのは、一切が数値に換算可能なものばかり。一律の基準で価値の高低を評価できるようになっている。
無論、芸術がないのではない。写実的な絵画以外存在しないのでもない。だが、何かを抽象化し、また強調したスタイルというのは「テイスト」に過ぎない。それは一時の流行にはなり得ても、帝都に根付く「様式」にはならないのだ。
いや? そのような無国籍スタイルこそが、帝都の様式であり、文化であるということもできるのだが。
「料理も、だから同じく難しいのですよ」
「えっ?」
「塩味が利きすぎているか、薄すぎるか。脂が少ないか、多いか。それだけの物差しで味わいを評価されたら、料理人にとっての価値ある仕事は、あまりないのです」
この言葉を聞いて、俺の顔を見上げていたヒメノだったが、大通りを渡る地下道の階段に差し掛かったのに気づいて、前を向いた。それから嘆息した。
「どうしました?」
「いえ、やっぱりファルス様は凄いです。私が今になって考え始めたことを、ずっと前からご承知だったんですね」
これは、前世の経験も込みのことだから、自慢できるほどの話でもない。
どこでも都会というものは、例えば東京なんかもそうだが、ある種の無国籍、無文化領域になりやすい。それもよくよく見れば、実は本当は地元の文化があるものなのだが。とはいえ、普段の生活は伝統文化とは切り離されている。そんな中で、例えば東京で南イタリアの田舎料理を供するとしたら? 商売にはなるだろう。でもそれは観光旅行のようなものだ。江戸で江戸っ子が江戸前寿司を食べるのとは、わけが違う。
地下道に入ると、すっと空気が冷たくなる。そこでヒメノはポツリと言った。
「なんだかヒジリ様が、ちょっと羨ましいです」
「えっ?」
「あっ、いえ」
うっかり余計なことを口にしてしまったという顔をしている。それでも、言ってしまった以上は説明しないわけにはいかない。
「優れた武人として功業をたてられたがために姫を賜ったというのは、よくよく存じております。ですけど、私には、どちらかというと、ファルス様がそんな武張った方には見えなくて」
「あ、はい、それは」
「こう、故郷の武人の殿方を相手にすると、どうしても身構えてしまうのですけど、ファルス様だと、そういうことがなくて」
「話しやすい、と」
薄暗い中、ヒメノは頷いた。
「学園を卒業したら、どうなってしまうのかって、ずっと考えてますから」
「それはやっぱり、同じワノノマ豪族の家とか、家臣の屋敷に嫁ぐということになると」
「考えると……こんなこと、言ってはいけないのですけど、正直、気が重いです」
ヒメノは、悪い娘ではないのだろう。礼儀作法も心得ているし、やるべきこととなれば、自分が好きだと思えるようなものでなくても、我慢して引き受けるような気がする。ただ、お堅い武人の家に馴染むかと言えば、どうもそんなようには思われない。気性が穏やか過ぎるというか。ふんわりしたところがあるので「奥方」というキャラとは距離がありすぎる。
それは彼女の美点とも隣り合わせだ。ヒメノは俺のことを話しやすい人だと言ったが、俺からすればヒメノこそ話しやすい人だと思う。例えば武人の家の奥方と言えばまずヒジリだが、なるほど彼女は美人だし、背筋もピンと立っていて、それはそれでもちろん素晴らしいのだが、だからこそ近づきがたいところがある。
この点、比較するならリシュニアが適切だろうか? 彼女も話しやすそうに見えるし、実際に多少の失礼があっても笑って流してくれること間違いない。ただ、それは上辺だけのことだともわかってしまう。彼女の心の奥底は、分厚い灰色のベールに覆われているのだ。ヒメノには、そういうところがない。本当に素朴で初々しさがある。
ひんやりとした地下道を抜ければ、旧公館はもうすぐ近くだ。再び午後遅くの橙色の光に照らされて、俺達はすぐ道の右側に寄った。
「これでも、実家のことも考えているんですけど、なかなか」
「やっぱり、ヒシタギ家は、その、困窮といいますか」
「今すぐどうこうということはないですが、お爺様も難しい顔をしていることが多かったです。討伐隊のお仕事ももうありませんし、これといった収入源もなくて……だから帝都で、スッケの伝統の織物が売れたらいいなとか、ちょっと思ってたんですけど」
それでさっきの話に戻るわけだ。どうやって帝都でそれを売ればいいのか。形ばかり帝都風の服装の形に仕立ててみたところで、美意識の違いは埋まらない。スッケの織物はスッケにあるから美しいのだ。よしんば売れたところで、それは一時のワノノマブームに過ぎない。
そろそろ公館が目と鼻の先に迫ってきた。ヒメノは答えの出ない疑問を口にした。
「それにしても、今日はどんな用事で呼ばれたんでしょうか」
「さぁ」
俺にも心当たりなどないから、なんとも返事のしようがない。
「ヒジリ様はしっかりしたお方なんですけど、やっぱり怖いと言いますか……あ、でも今日はお婿さんがいますし、そんなに怖いことはないかもしれませんね」
「いや、僕も強いことは言えない」
「えぇっ?」
「一度、土下座したことある……」
目を見合わせると、俺とヒメノは苦笑いを浮かべた。それから、屋敷の北西側の正門から立ち入った。
「おかえりなさいませ」
「ようこそおいでくださいました」
俺に挨拶したのがトエで、ヒメノに声をかけたのがウミだ。
これはまた仰々しい。家僕の中では最も地位の高い二人が、玄関先で待ち構えているとは。
「トエ、これはいったい」
「旦那様、疑問に思われることもあるかと思いますが、まずはお客様をご案内しなければなりません」
「しかし」
何かおかしい。仕込みがある。そう感じたが、俺が動き出す前にウミが前に出て、改めてヒメノにお辞儀をした。
「お時間も遅くなりましたので、夕飯を召し上がっていかれませ」
「は、はい、ありがとうございます」
だが、食事には少し早いような……
「ですがその前に、まだ外も暑うございますし、湯浴みなどはいかがですか」
「はい?」
「どうぞこちらへ」
止める間もあらばこそ。
廊下の奥へとズンズン歩いていってしまう。
「トエ、これは」
「旦那様、本日はヒジリ様より大切なお話があるとのことでして」
「そんなのは見ればわかる。それがどういう話なのかと」
「それこそ申し上げようがございません。下僕の身に過ぎない私が、どうして先んじて主人の意向を口にできましょうか」
そう出られると、言葉の返しようがない。
「旦那様も、今のうちに身を清めていただければと思います」
口調は穏やかで態度も恭しいが、断固としている。どうやら彼らの思惑通りにするしかないらしい。
溜息一つ、俺は自室に引き返し、簡単に湯浴みを済ませた。
それから自室でしばらく横になっていると、カエデが呼びにきた。
「旦那様、奥様がお呼びです」
しかし、どうにも声に力がない。言ってはなんだが、毎日晴天というか、一本調子というか、突撃しかない少女だったカエデのくせに、元気がないとは。
顔を見ると、わかりやすく俯いているし、眉尻も下がっている。
「どうした?」
ところが俺が声をかけると、慌てて顔をあげて、作り笑いを浮かべた。
「なっなななな、なんでもありません! なんでもないです!」
「そうは見えないんだが」
「お、奥様がお待ちですよ! ね? 旦那様!」
クルッと身を翻し、それからオモチャの兵隊みたいに肘と膝を伸ばしたまま、カクカクと廊下を歩きだしてしまった。
「旦那様をお連れしました」
二階の居室に到着すると、内側からファフィネがそっと戸を開けた。
「ご苦労です、カエデ」
「は、はい」
今度は緊張しているらしい。後ろからでは顔は見えないが、その声色には微妙な恐れのようなものが滲んでいる。では話しかけた方のヒジリの声はというと、これが怖い。感情の動きを一切感じさせない、淡々としたものだったから。
「では、ファフィネ」
「はい」
「カエデはそこに控えていなさい」
「は、はい」
ファフィネが退出すると、代わりにカエデが下働きの役目を果たすことになった。そっと戸を閉じて、その脇に正座する。部屋の中には、向かいに座るヒジリと、その対面に座布団を与えられているヒメノ、それに俺がいるだけだった。
さっきウミが言ったように、本当にヒメノは湯浴みさせられていたのだろう。服も制服ではなく、浴衣のようなものに着替えていた。
「ヒジリ、これは」
俺が問い質そうとすると、彼女は微笑みながら曲刀のような眼をこちらに向けた。思わず喉が詰まる。
「今日は随分と遅くなられましたね」
「出かける前に言っておいたはずだ。別におかしなことは何もない。学園長と例の件について、話を済ませてきた」
ヒジリはゆっくりと頷いた。
「承知しております。ただ、こちらはこちらでお仕事をさせていただきまして、その件について、大事なご報告があるので、一刻も早くお伝えしたく、こうしてお呼びしたのです」
それから彼女はヒメノに向き直った。
「ヒメノ」
「はっ」
「半年が過ぎましたが、帝都での暮らしはいかがですか」
「はい。日々、新たに学ぶことがあり、倦むことがありません。留学の機会を与えていただけたこと、特に祖父である当主オウイに深く感謝しております」
「それは重畳」
ヒメノは畳の上に手をついて、目を伏せて答えた。
やはり頷いてみせながら、ヒジリは続けた。
「ですが、あなたはこのままでは、留学の後に国元に帰らねばならない身。それからどうするおつもりですか」
「無論のこと、ヒシタギ家のしきたりに従って、務めを果たすのみにございます」
「では、お家のために身を捧げる覚悟、なくしてはいないということですね」
「ヒジリ様」
不穏なものを感じ取って、彼女は顔をあげた。
「そのような心構え、ヒシタギの家門の下に生まれたならば、なくそうにもなくせないものではございませんか。安逸に流されて志を忘れるような者は、我が一族にはおりますまい」
実際にはゲリーノという実例があるのだが……とにかく、これは言わされているのだ。お前は忠誠心を捨ててはいないのだろうな、という脅しのこもった確認。
「これは礼を失した言葉、済みませんでしたね」
「い、いいえ」
「実は先日、このような書状が届いたのです……カエデ、そちらを」
差し出された巻物をゆっくりと開くと、ヒジリは内容を確かめ、それから裏返して一部をこちらに見せた。
「この花押、そなたの祖父のものに相違ありませんか」
「は、はい? あ、はい、確かに」
「では、当主の許可は得られたということで、あとはあなたのお気持ち次第です」
書状の中身までは確認できなかったが、それで察した。
「スッケの守護、ヒシタギ・オウイは、あなた、ヒメノを、ティンティナブリアの領主ファルスの側妾として送り出すことに同意しました。無論、私もこれに承認を与えております。あとはあなた次第です」
晴天の霹靂というべきか。酸欠の金魚よろしく、ヒメノは作法も忘れて口をパクパクさせるばかりだった。
「家格という面でいえば、本来なら、あなたにはなんとか正夫人となるだけの身分があるのですが、申し訳ないことに私が先にその立場を与えられてしまっているので、これは覆せません。ですが、私の方がそのようなことに頓着しませんので、あなたが務めをしっかり果たす限りにおいては、私を差し置いて正夫人のように振る舞うことも許します」
ほとんど耳に入っていないだろう。ヒメノはまだ、呆然としたままだ。
「ヒシタギ家の未来を思うなら、このお話を無下にはできないはずです。旦那様には家の歴史もなく、爵位こそ男爵にすぎませんが、実質は大貴族以上の実力をお持ちです。ムールジャーン侯とは特に深い交際があり、旦那様個人のために毎年、交易都市一つ分の税収を丸ごと差し出しているほどです。また、ポロルカ王とも懇意で、当地における免税特権を与えられておいでです。もちろん、我が国も座視することなく、旦那様がヌニュメ島にいらっしゃった際に、即座にこの私を受け取っていただいたのです」
客観的にこうやって話を聞いてみると、いつの間にか途轍もないところに自分が立っているのだなと実感できる。いや、どれだけとんでもない奴なんだ、と思ってしまった。
「言っておきますが、今、私が用意したこの椅子に座りたいのは、一人や二人ではないのですよ?」
この一言に、ヒメノは息を呑んだ。彼女はこれをどう解釈しただろうか。
「急なお話で戸惑うのはわかります。ですが、あなたも既に承知のはず。旦那様はその武勇にもかかわらず、大変に気が優しく、また寛大なお方です。他のどの家に嫁いでも、これ以上の殿方には出会えないでしょう」
もしかしたら、例の王女を連れ歩いた噂を耳にしていたかもしれない。だとしても、そこにマリータは含まれない。彼女は利権目当てではないから。一方、リシュニアの方は、どうかわからない。タンディラールが俺の離反を恐れて、娘に命令を下した可能性もある。
ただ、そういう顔の見える範囲でなくても、このポジションを取りたがっているのは、他にもいる。例えば、俺がこれからひとっ走りしてアスガルの屋敷に行き、側妾を見繕ってくれと言ったら、どうなるだろうか? その日のうちに荷を積まないままの快速船が歯車橋の袂から出航し、季節が変わる前に良家の娘を満載して戻ってくることだろう。ハーダーンだって、もしそんな話があったら、なんとしても一枚噛もうとするに違いない。
直接に俺の力を目にしていないポロルカ王国の貴族達にしても、俺の影響力については薄々理解している。というか、ケアーナがファンディ侯に叱られたように、今の俺と縁を結びたいというのは、いちいちどこにいるかなど考えるまでもなく、そこら中にいるのだ。
「もちろん、無理にとは言いませんが、まずはお傍でもっと旦那様のことを見ていただかなくてはなりません。これからは登下校の際にも、時間が合う限りはなるべく共に過ごすようにしてください。これは、あくまでお願いですが」
そして、だからこそヒジリは急いでいる。特に、二人の王女を連れ歩いた件。誰かに先んじられる前にと思ってカエデを差し出したのに、空振りしてしまった。でも、失敗しましたでは済ませられない。できなければ、できるまでやる。公館の中なら問題ない。でも、学園に行けばリシュニアのような脅威が、それ以外でもウィーのような危険分子がウロウロしているのだ。だから公館の外で、きっちり俺にロックをかけられる身内の女が欲しい。
要するに、カエデがしょげていたのも、こういうことだ。お前がグズグズしているから、こうしなければならなくなった。そう言われてしまったのだろう。
理屈はわかる。わかるが、そんなことでヒメノの人生を奪いたくない。
「ヒジリ」
「旦那様も。ヒメノはしっかりした娘です。いいお話だと思いませんか」
「前にも言ったはずだ。どうして人の一生を左右するようなことを、そう簡単に決めてしまえるんだ」
だが、俺の問いかけには答えず、ヒジリは後ろに控えているカエデに声をかけた。
「こういうことになりましたが、あなたの役目も解いてはおりませんよ。引き続き努力なさい」
「はっ」
俺はやや苛立ちながら、言い募った。
「僕の気持ちがわからないのか。自分のために、無駄に傷つく人が増えて、何が喜べるものか」
「前にも申し上げましたが、お相手の娘にご不満でも」
「そんなものはない!」
するとヒジリは、涼しい顔をして……いや、今にも吹き出しそうになるのを堪えながら、続けた。
「であれば問題ございません。旦那様は既に貴い身分にあり、その武勇も申し分なく、それでいて大変に気安く、お優しい方ですから。こんな良縁がまたとありますでしょうか」
「本人の意見も聞かずに良縁も何も」
小さく身振りでヒメノを指し示しただけで、ヒジリは目を伏せてしまった。
それで俺は言葉を切って、振り向いた。
耳まで真っ赤になったヒメノが、座ったまま硬直していた。
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