後始末の相談

 パチン、と音がして、真っ暗な視界が一気に切り替わる。暖かみを感じさせる光が周囲に満ちた。


「ここが」


 俺を先導していたフシャーナが、前方を指し示しながら言った。


「地下二階、書庫の最初の階層になるわ」


 そこは文字通りの書庫だった。上質そうな木材でできた本棚が並んでおり、隙間なく様々な本が詰め込まれていた。天井には、前世の電灯を思わせる照明器具がある。なんだかこの部屋だけ、地球の図書館を持ち込んだみたいに見えた。


「厳重な割に、照明以外は普通なんですね」

「保管されているのが、ただの本なら、そうだけど」


 本当に、ここに入る方法というのが非常に面倒だった。

 入口は、学園長が私室に使っているあの突き当たりの、その右隣にある部屋に設けられている。その扉には鍵がかかっており、鍵穴もあるのだが、そのままでは機能しない。実はスイッチが学園長の部屋の地下に隠されていて、それを押さないと鍵を開けられない。

 それだけなら、何も知らない人が鍵の故障だと考えて扉を打ち破る可能性も出てくるので、更なる対策が施されている。中には、いつ使われたかもわからない朝礼台とか、破損したテントの支柱とか、そういうガラクタが乱雑に積まれている。なんだ、ここはゴミ置き場か、と誰しも思うのだが、学園長の部屋のスイッチを押している場合に限り、壁の中に隠された秘密のスイッチを押すことができる。すると絡繰りが動いて、地下に降りるための階段が床の隅に出現する。


「世間に広まったら大事になるようなものが、いくつもあるの。行きがかり上、仕方なくここに連れてきたけど、書庫の存在は本来、知られてはいけないものになってしまってる。そのうちに何がまずいのかも教えるけど、外で喋っていいことかどうかは区別してちょうだい」


 彼女は先に立って歩き、古びたテーブルの脇にある椅子を引いて座った。身振りで俺にも座るよう勧める。


「まったく、こんなことになるなんて」

「お互い様では」

「降って湧いた災難の方がそれ、言うのかしら? そういえば」


 フシャーナは肩をすくめた。


「ホームルームの最後に、私があなたに残るようにって言ったら、みんな騒ぎ出したけど、あれは何かしら?」

「ああ……」


 俺のやることなすこと、なんでもかんでも女漁りに解釈されてしまう状態になっている。目元を覆いながら、なんとか説明した。


「教授まで僕に口説き落とされたのかと、そういう受け取り方をされたんでしょう」

「口説き落とす?」

「その、女性としてという意味で」


 理解が追いつかないのか、フシャーナは数秒ほど硬直していたが、すぐ我に返った。


「駄目でしょ、そんなの」

「はい、無茶苦茶です」

「釣り合うわけないじゃない」


 どういう意味だろう? いや、どっちの意味なのか? お前如きが私に懸想しようなど百年早い、ということなのか。それとも、不老の果実の力で若々しさを保っているとはいえ、青年貴族を相手に恋愛するなんて、中身は老婆である彼女では相応しくないということなのか。或いは教師と生徒だからダメなのが当然とか。


「ん? でも、待てよ、逆に……もしかしてそういう」

「はい?」

「なんでもないわ、それより」


 明後日の方向に飛びかけた思考を引き戻して、フシャーナは本題を切り出した。


「その話は脇において、早速今回の後始末の相談といきましょ」

「はい」


 彼女はそう言いながらもあからさまに不機嫌そうだった。目元に隈ができている。ホームルームの仕事をコモに押し付けて寝ていたのは、本当に寝不足だったためらしい。


「でも、平気ですか?」

「何が?」

「やたらと眠そうに見えたので。だけど僕の監視はもうやめたんでしょう?」

「あのね」


 前髪を掻き上げつつ、苛立ちを噛み殺しながら彼女は答えた。


「仕事はそれだけじゃないの。キジラールが捕まったでしょ」

「はい」

「代理機関が大変だったんだから」

「ああ」


 溜息をつきながら、フシャーナは愚痴を吐き出した。


「後任者を残った五人で決めなくちゃいけなくて。そうなると私も引きこもってはいられなくなって……もう、ね、次は変なのが総主教になったら困るからって、身辺を洗うのに一日中調査ばかり。そこにボッシュも他の連中も、自分にとって都合のいいのを据えようとするもんだから、ったく……」

「でも、総主教はあくまで女神教の内部で決まるのでは?」

「普通はそうだけど。今回は教団内部の不祥事だったでしょ。だから、不正行為の調査という名目で、都合の悪そうなのは弾くことができるのよ。つまり、キジラールに手を貸して不正行為に手を染めていた、なんてことにしちゃえば。実際にそういうのがゴロゴロいたから、名目が名目じゃなかったんだけど」

「なるほど」


 テーブルに肘をついて、さもうんざりしてますと言わんばかりに頭を抱えて。彼女は気持ちを切り替えるのに数秒間をかけた。


「で、まず、そのキジラールの件ですが」

「なに?」

「教団の宝物庫の品を外部に売り捌いてたそうですね」

「ええ」

「三年前にラージュドゥハーニーに壊滅的な被害を齎した、あのパッシャの兵器の材料も、そこから横流しされた品だったんですが、その件はご存じですか? 自分なりに考えましたが、僕としては知ってしまった以上、ドゥサラ王に対して秘密にしておくことはできないです」


 宣言を受けて、彼女はまた頭を抱え込んだ。


「聞きたくなかったわ」

「黙って伝えてしまった方がよかったですか」

「やめて。大問題じゃない。そんなの、誰が責任とれるのよ」

「そのための皇帝代理機関でしょう?」


 一瞬、唇を噛んでから、彼女は確認した。


「話に聞いただけだけど、大勢死んでるんでしょう?」

「はい。直接にあのクロル・アルジンの攻撃を受けて死んだのは、主に緑玉蛇軍団の兵士達でしたが、あれだけで最低五千人。目の前で砦が丸ごと蒸発しましたからね。あと、金獅子軍団も壊滅、銀鷲軍団もパッシャの魔術師に操られて大勢が死傷しました。軍人だけで一万人以上は犠牲になったかと」

「それが帝都の責任になってしまう……いいえ、責任があるのはその通りなんだけど、世間一般にそう受け止められるのは」


 のっけから難問を押し付けられて、顔を伏せてしまったフシャーナだったが、ややあって、結論を出したらしい。俺に向かって「黙っていてくれ」と言っても、何も解決しない。なぜなら、俺が沈黙を守る理由がないから。何か条件を提示して引き込むというのも手ではあるのだが、今となっては帝都、代理機関にそんな信用はない。もっといえば、引きこもっているばかりでろくに支持基盤もないフシャーナに、どれだけの発言力があるかという話にもなる。持ち帰ってボッシュ首相辺りに対応を任せたところで、どうせろくでもない結果にしかならないだろう。


「じゃあ、お願いするしかないわね」

「はい」

「伝えるのはいいけど、どうにか表沙汰にするのだけは避けてほしいのよ。だって……わかるでしょ?」


 腐っても世界の盟主。それが帝都の存在価値でもあり、厄介なところでもある。


「世界平和に悪影響が出そうですね」

「そういうこと。丸く収まりようなんかないし、形ばかりでも世界統一の象徴が、こんな事件の原因になったなんてことになったら、権威としてもまったく機能しなくなってしまうわ。それにポロルカ王国とサハリア東部が帝都の秩序から離反したら」

「それだけでは済まないですよ。ご存じないかもしれないから言っておきますが、例のラージュドゥハーニーの件、パッシャが実験のためにスーディアでも大暴れしてます。魔物の襲来で州都アグリオが壊滅したってことになっていますが、原因はあちらと同じですから。もしこの件でドゥサラ王が帝都と揉めたら、タンディラール王も同調しかねないですね」

「あー……そこでスーディアの話に」


 次々と都合の悪い事実を突きつけられて、フシャーナは餅を喉に詰まらせた老婆のような顔をして沈黙した。


「なんなの?」


 テーブルに突っ伏しながら、ついに泣き言を漏らし始めた。


「帝都だって無傷では済まなくなるわ。そこまでいったら、逆にボッシュ首相まで責任問われかねないし。だけどこの状況で正義党が引き摺り下ろされたら。立国党が政権握ったら、本当に乱世になりかねないじゃない」

「内々で片付けるにせよ、ポロルカ王国への謝罪は避けられないです。こんなの一時的に事実を伏せてごまかしても、あとでバレたら、それこそ本当にどうなるか」

「まぁ、わかったわ。その件は持ち帰るから……代理機関には事後報告にする。もう伝わってしまったって。その代わり」

「穏便な形で収めるよう、僕の方からお願いしてくれと」


 そうするしかなさそうだから。

 俺一人でビルムラールに伝えるより、ここはアスガルにも相談した方がいいかもしれない。秘密を知る人は増えてしまうのだが。


「では、この件はそういうことで」


 言いかけたところで、異音に気付いた。ギリギリ、ギシギシと金属が擦れ合うような。

 振り返ると、全身を軋ませながら床をモップ掛けするゴーレムが視界に入った。


「おや?」


 フシャーナの手作りゴーレムが部屋の掃除をしているとは。


「無事に修理できたんですね」

「無事じゃない!」


 ここまでのストレスでいっぱいいっぱいになってしまっていたのか、彼女は急に激昂した。テーブルに拳を叩きつけ、腰を浮かしかけた。


「かろうじて動いているのがあの一機だけ! 直せそうなのももう一機、それも他の壊れたゴーレムの部品を流用するしかなさそうで。どうしてくれるのよ!」

「どうしても何も、あんなの嗾けられたら、叩きのめすしかないでしょう」

「あれらを作るのに、どれくらい苦労したと思ってるのよ。お金には換えられないくらいの値打ちがあるのよ?」

「じゃあ、グルービーにくれてやったみたいに、また泥人形でも作ればいいじゃないですか」


 溜息をつき、首を振って、彼女は俺の提案を却下した。


「あんな粗悪品と一緒にされちゃ困るわ。三十年ももたない使い捨てのゴーレムと、半永久的に使える……千年後まで働いてくれる金属製のゴーレムと、全然価値が違うんだから」

「三十年ごとに新品を作れば?」

「いや! 面倒じゃない!」

「面倒って」


 フシャーナは、この書庫の奥を指さした。


「私がただ怠けたいからそんなことを言ってるんだと思う? 見て、この広さ。まだ地下三階も、四階もある。掃き掃除一つとっても、どれだけ時間がかかるか」

「これからは教授が自分でやればいいってことですね」

「その手間を半永久的に省ける貴重な道具だったのに」


 俺は半ば呆れて言った。


「じゃあ、あれは仕事をサボるために作ったものだったんですか」

「簡単に言わないでほしいわ。じゃ、なに? ここに掃除夫でも入れろっていうの? 秘密を知る人間が増えれば増えるほど、管理も大変になるのよ? 引きこもっているとはいえ、一応学園長だし、ここの管理だけしていればいいってわけにもいかないんだから」


 言われてみれば、納得できる理由ではある。ただ、そうすると前の学園長の時代とかは、どんな管理がされていたのだろうか。


「だったら戦う時に持ち出さなきゃよかったのに」

「生きるか死ぬかってのに、そんなの考えられるわけないじゃない」

「そういえば」


 確認しなければいけないことが、他にもあった。


「教授はどうして僕が、何か魔王の使徒とか、危険な人物だと思ったんですか? 思い込みにしても、飛躍が過ぎませんか? 詳しいことを知らないにしても、僕、ワノノマの姫君の婚約者ですよ? あり得ないって思いませんでした?」

「報告された内容からすると、危険だと考えないわけにはいかなかったから」


 座り直して腕を組み、俺を睨みつけるようにして言った。


「これはクル・カディから直接聞いたわけじゃないから、多少、間違ってることもあるかもだけど」

「はい」

「世界を包む次元の壁に、罅を入れたそうじゃない」

「はぁ?」


 何の話だろう? 急に変なことを言われたので、話についていけなくなった。


「クル・カディは、ファルスには両面があるゆえ、注意せよと告げたらしいわ。直接話を受け付けたのは女神教本部の担当官で、キジラールが無視したものだからケクサディブに話が舞い込んで、それを私が彼から聞いたんだけど」

「両面、とは?」

「文字通り、善にも悪にも、どちらにも揺れ動く可能性があるってこと。スーディアでパッシャ相手に戦った件は、一応知っているのよ。そこで女神の騎士を助けたんですって?」

「はい」


 そういえば、アドラットとルークは、今、どうしているだろう? ふとそんなことを思った。


「人形の迷宮を解放したキースにも協力したんでしょ。それに、ポロルカ王国でもパッシャ相手に戦っている」

「その通りです」

「だから、これだけ見れば、あなたは帝都の基準では、立派な英雄、正義の味方と呼べるわけ。だけど、気がかりなこともあって」


 彼女の目つきが険しくなる。


「これは証拠がなくて、あくまで疑いなんだけど、東部サハリアの南北の戦争に、あなた、手を貸した?」

「えっ」

「伝わってる話では、ククバン氏族の少年戦士が大暴れしたそうだけど」

「教授」


 これはまずい。憶測でも広まると、大変なことになる。


「追及はしないでください」

「認めるということね」

「ネッキャメル氏族が殺し屋を送ってきますよ。それこそ表沙汰にできない話です」


 大量殺人に手を染めたことを把握しているとなれば、なるほど、俺を警戒する理由にはなる。


「そう。でも、そっちより深刻なのが、次元の壁を傷つけた件よ」

「それ、何の話ですか? 思い当たることがないんですけど」

「そのせいでヘミュービが世界中の空を駆け回って、あちこちが暴風雨に見舞われたそうよ」


 いつのことだろう? 雪原で殺されかけた時……いや、違う。


「もしかして、ラージュドゥハーニーの壊滅のすぐ後の話ですか?」

「そう、その頃。南方大陸の一部で、久しぶりに世界の法則が掻き乱されたみたい。で、その原因があなたらしいって聞いたわ」


 思い出した。デサ村でパッシャの残党に襲撃された時のことだ。

 断罪の剣に憎悪の力が蓄積されて、それがついに解放されてしまった。一時的に力を取り戻したモーン・ナーの残留思念が時空を超えて俺に干渉した。終末を齎す運命の女神の力が荒れ狂い、あの一帯はすべて灰色の塵に塗り潰された。


「納得したみたいね」

「……はい」


 それなら、クル・カディも警戒するわけだ。あの恐ろしい暴走がまた起きるかもしれない。俺自身はあんなことは二度と起こすまいと思ってはいるが、何がきっかけになるか、わかったものではない。こんな危険な存在を、ただ信用して放置するのは馬鹿のすることだ。

 ところが、肝心の情報共有が伝言ゲームになってしまった。そして好ましい面と危険な面があるとすれば、普通の人はどちらに着目するだろう? 結果、彼女は俺を危険分子と看做して監視することになった。


「じゃあ、そろそろ損害賠償の話をさせてもらうわ」

「は?」

「あなたがゴーレムをほとんど壊したんだから、埋め合わせをしてもらいたいのよ」

「そんな無茶な」


 だが、フシャーナは断固として首を横に振るばかり。


「無茶でもなんでも、そうするしかないの。どうして私があなたを書庫にまで連れてきてあげたと思うの? ここの秘密を知る人にしか、管理の仕事を任せられないから。その代わり、ここの図書を閲覧する許可も与えるんだから、お釣りがくるくらいでしょ」


 そう言われると、反論する言葉が出てこない。ふざけるな、俺は掃除夫なんかじゃない、と席を立つこともできるが、しかし、そのせいでここにあるかもしれない醤油への手がかりを失ってしまったら。


「こちらも納得できたみたいね」

「納得はしてないですが、まぁ」

「じゃあ」


 フシャーナは席を立った。


「この後、用事があるんだったっけ? 忙しいとは思うけど、先に一通りの案内をさせてもらうわ。ついてきて」

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