仕置きの時間(下)
アスガルの馬車で旧公館のすぐ傍まで送ってもらい、いつもの離れの玄関を押し開けた。そこにはポトが待ち構えていた。
「旦那様」
「どうした?」
「すぐそちらで、旦那様のお客様が。今はヒジリ様がお相手しておられます」
「それで」
「ご学友のギル様、ラーダイ様、それにニドです」
ニドだけ敬称抜き。親の身分の差でそうしたのではないのだろう。果たしてこれは、彼が元パッシャの一員だったからなのか、それとも仕事を共にした仲間への気安さからなのか。
「その部屋か」
「はい」
「すぐ入る」
「では」
ポトは、俺の代わりにノックをして、来訪を告げた。すぐ扉が開かれる。
「旦那様、お帰りなさいませ」
身分がどうあれ、ギル達はお客様。だから、扉を開けるのはヒジリの仕事だ。そして、家人と客では、まず客に礼を尽くすべき。だから俺はヒジリには視線も向けず、先に三人に声をかけた。
「お疲れ様。今日は迷宮帰りだったか?」
「あ、ああ」
そんな俺を、ラーダイはやや狼狽えながら迎えた。察するに、彼自身がさっきまで配慮を重ねていたヒジリという貴人を一顧だにしない俺の振る舞いに、どんな顔をしたらいいかわからなくなったのだろう。学園にいるときのように「おう」とは言えないのだ。
人には、人間関係の数だけ顔がある。それが普通だし、だいたい問題は起きない。ただ、偶にその顔と顔がきれいに噛み合わないことがある。俺とラーダイとヒジリの関係がまさにそれで、まるでジャンケンのような様相を呈してしまっているのだ。
そんな微妙な空気を読み取ってか、ヒジリは優雅に一礼して、俺とみんなに言った。
「旦那様はお外からのお帰りですし、皆様もお飲み物がぬるくなってしまいました。代わりをお持ち致します」
そうして、彼女は静かに部屋から退出していった。代わりに俺が席を占めた。
「ふーっ……なんか信じられねぇな」
ラーダイが息をついた。
「俺は姫様相手だってことで緊張するってのに、お前は挨拶すら抜きか」
「仮にも客をほったらかして婚約者に頭下げたりなんてできないだろう」
「そうはいっても……やっぱすげーな」
このやり取りを、ニドはニヤニヤしながら眺めていた。
「で、どうだった?」
ラーダイがしつこく誘うので、ついにギルも折れた。迷宮の深いところに潜ってランクを上げたい彼のために、ギルは同行を承知した。ただ、自分だけでは不測の事態が考えられるので、念のため、手助けしてくれる人を連れて行きたかった。それで、例のスラムの件で顔見知りになったニドに同行を頼んだ、というわけだ。
この辺、やっぱりギルは凄い。こうやってあっさり友人を増やしてしまえるのは、才能だ。
「パウペータスって、そこそこ稼げるっていうけど、フェイムスとは大違いだな」
「立ち回りが面倒だった」
ギルは頭を振った。その視線は、壁に立てかけられた大剣に向けられる。
「ありゃあなんだ? 地下五層から出てくる骸骨……あれが昔、本で読んだ伝説の屍骸兵ってやつなのかって思ったけど、こっちのは違うっていうんだよな」
「そりゃそうだろ。骨みたいに見えるけど、胴体の方はなんか、ウッドチップみたいな可燃物らしいし、本当に生きてるわけじゃなさそうだしな」
パウペータスで得られる素材は、主として繊維だ。つまり衣類や紙、またその材料。
最初の階層では、足下を狙う動く雑草が出てくる。適当に切り払えば沈黙するし、それを加工すると紙になる。フェイムスのスライムゼリーより需要もあるし、買取価格も高めだが、まだ儲かるというほどでもない。
これが地下五層以下になると、動く骸骨が出てくる。彼らはそれぞれ、色とりどりの布を巻きつけた格好をしている。そして、木の棒や石の穂先でできた武器を携えている。一定のダメージを与えると力尽き、バラバラになって崩れ落ちるのだそうだ。戦利品はもちろん、彼らが身に着けている衣服となる。
そうなると、剣でバッサリ真っ二つにしてしまったのでは、価値が下がる。ピンポイントで、露出している頭や手足にきれいに当てないといけないのだ。
「どう違うかわかんねぇけど」
「なんかいろんな説があるんだってよ。大昔に誰かが魔法で作ったとか」
「ってか四大迷宮自体、いつからあるんだ? 統一時代に入った頃からの記録しかないし」
ともあれ、パウペータスはフェイムスより稼げる。というのも、戦利品が嵩張りにくいから。手に入るのが食料品ばかりのフェイムスだと、どうしても重量もあるし、運びやすい形をしているものばかりでもない。その点、パウペータスの衣類なら、折り畳んで収納できるし、重さもさほどではない。
「で、どこまで行けた?」
「八層まで突破できた! これでアクアマリンだ!」
ラーダイが嬉しそうに言った。なお、日々の仕事として実績を積み続けているギルはというと、既にアメジストに達している。ただ、ジェードに昇格するなら、十二層まで潜らなければいけない。
「お前も来ればよかったのによぉ」
「いろいろあって、自粛してなきゃいけなかったんだ。仕方ない」
「もったいねぇな、ついてくるだけでお前も昇格できたのに」
なお、彼はまだ俺の冒険者証がサファイアだった件を信じていない。
「まぁ、けど、しょうがねぇか。近頃の帝都、ドタバタが凄かったしなぁ」
「ああ、変に目立つことはするなって、グラーブ殿下も仰っていた」
「あれだろ? 女神教総主教キジラールの逮捕! さすがにあれはビックリしたぜ!」
俺がラーダイの迷宮ツアーへの同行を断ったのには、いくつも理由がある。一つには、アスガルの調査報告がいつあがってくるかわからなかったため。もう一つには、帝都の政治情勢の変化があった。
市民権非保持者と移民のデモ活動が暴動に発展する事態が多発して、いよいよ無視できなくなったタイミングで、キジラールの汚職が内部告発によって表沙汰になった。保管されていた宝物や史料などを売り払って着服していた件も無論、大問題ではあったが、これに加えて教団内の性暴力まで明らかになったのでは、もう誰も彼を庇えなかった。つい昨日まで、ニコニコ笑顔で彼と仲良くしていたボッシュ首相も掌を返して厳しく弾劾、八十歳になる老人を容赦なく刑務所にぶち込んだ。
これが、正義党にとってプラス材料となった。不当に利益をせしめる権力者にも罰が下されるとあって、庶民は大いに溜飲を下げた。この機を逃さず、彼は移民相当の人々のために住宅建設を行い、また当面の困窮に対応するために一時金を支払うことを発表した。党内の一部からは反対意見も出たが、逆に立国党の上層部からはこれに妥協する姿勢もみられ、なし崩し的に法案が成立してしまった。
一方で、暴動を主導した市民権非保持者については、厳しく追及され、次々と逮捕された。立国党にとっては下っ端に当たる連中だが、こちらもトカゲの尻尾切りだ。そもそも暴動まで起こせとは、少なくとも表向きは、党として命じてなどいないのだから。
かくして、与党も野党もどちらも声高に勝利を宣言した。与党は不正追及や千年祭の準備が前進したことを、野党は困窮者の救済に政府が動いたことを、それぞれ熱烈にアピールした。誰も損をしていない。みんなハッピーだ。
ただ、この帝都の陰謀めいた動きに引きずり込まれないよう、グラーブは留学生達に慎重な振る舞いを求めた。とはいえ、いまや嵐も去りつつあり、こうして彼も一応、この夏の勝利者の一人になりおおせた。最後に暴動に巻き込まれそうになったとはいえ、実質的な被害はゼロ。そして、どこより派手な催し物で衆目を集めたのだから。
「帝都の連中って、チョロいよなぁ?」
ニドが悪い顔をして言う。
「お偉いさんが一人捕まっただけで、世の中よくなったと思って納得しちまうんだから」
彼らしい感想だ。
それはそうと、気になったことがある。
「そういえば、今日はウィーは連れて行かなかったのか? 声をかけてやればよかったのに」
「いやぁ、それが」
ギルが頭を掻きながら言った。
「どうにも声をかけづらくって」
「え? なんで? 一緒に仕事したのに?」
「いや、いい人っぽいのはわかってるんだけど、こちらから話しかけるのはちょっと」
ニドがふんぞり返って鼻で笑った。
「俺に頼めばいいのによ」
「その手があったか」
「なに? どういうこと?」
「ファルス、お前、俺がセリパス教徒だってこと、忘れてるだろ」
そういえばそうだった。異性の唾の届くところに立ってはならない。比較的戒律が緩い神壁派とはいえ、限度がある。帝都に暮らしている以上、女性から話しかけられるのは避けられないが、自分から積極的に接触を持つのには、やはり忌避感があるのだ。
ただ、どうもそれだけでもないのだろう。ウィーは相当な美人だし、話しかけるのに気後れしてしまうのかもしれない。
「ウィー? って誰だ?」
一人だけ面識のないラーダイが尋ねる。ニドが答えた。
「女の冒険者。ファルスの知り合い」
「へぇ」
「弓は百発百中。んで、すっげぇ美人」
「うおっ」
彼の視線が俺に向けられる。そして、深く頷きだした。
「そうなんだよな」
「何がそうなんだ」
「ファルス、お前が最強ってことだ」
「またからかうのか?」
だが、ラーダイは大真面目に首を横に振った。
「いや、本当にお前は凄い。どんな才能でも、認めないわけにはいかんだろ」
「何のことだ」
「ギルもニドも、俺なんかよりずっと強いし、すげぇよ。でも、所詮は腕っぷしじゃねぇか」
「あ? ああ」
何を語りだすのかと思ったら……
「でも、強いっつったって、この腕で貴族や将軍になれるか? まず無理だろ? せいぜい国軍で部隊長になるとかが関の山じゃねぇか」
「まぁ、うん」
「でも、そこへいくとファルス、お前は貴族になった。ただの農民出身のお前が、その若さで貴族! でも、どうやって?」
人差し指を一本立てて、彼は力説した。
「この前、見たんだ」
「何を」
「正直、マジでビビッたぜ。お前、ありゃリシュニア王女とマリータ王女じゃなかったか? 姫様二人を両脇に抱きかかえて歩くとか、世界中で誰にも真似できねぇぞ! お前、どんだけモテるんだよ?」
「あっ」
あれを見られていたのか。よりによって、ラーダイに。でも、抱きかかえてはいないんだけど……勝手にしがみつかれていただけで。いや、同じようなものか。
「それで、凄腕の女冒険者もお前の女で、ワノノマの姫様までものにしちまって、貴族にまで駆け上がったわけだ! だから認める! お前は最強のスケコマ」
その時、扉がノックされた。
「失礼致します」
ヒジリが手ずから人数分のお茶を手に、顔を出した。
明らかに扉の外に声が漏れていた。あんな大声で喋っていたんだから。それをラーダイも察していて、気まずそうな顔をしている。それでヒジリはニッコリと微笑んでみせた。
「気になさらなくても結構ですよ」
「うっ」
「旦那様がいろんな女性を夢中にさせるのは、無理もないことですから」
冷や汗を流すラーダイに、爽やかな笑顔を向けたまま、ヒジリは出口に戻って一礼した。
「では皆様、ごゆっくり」
扉が閉じられてから、ラーダイはボソリと言った。
「悪い」
三人が帰ってからしばらく。
夏の昼間は長いが、そろそろ日差しにうっすらと黄色いものが混じりだす時間帯に、俺とヒジリは二階の座敷で向かい合っていた。
「左様でしたか」
「ただの気持ちの問題でしかないが、殺すのは避けたかった。事の重大さからすれば、処分も考えたんだが」
「一応、アスガル様も見張りをつけるでしょうし、滅多なことにはならないでしょうけれども」
「反対か」
彼女は静かに首を振った。
「いいえ。それでよいのではないかと」
「意外だな」
彼女は俯いて、少し間を空けてから、静かに言った。
「正直に申し上げますと、私であれば、迷わず手討ちにしたでしょう」
「そんな気がする」
「でも、旦那様には、それは似つかわしくないと思います」
ヒジリが俺に何を望んでいるのか。近頃、それが少しわかってきた気がする。つまり、平穏だ。封印されることを受け入れる罪人でもなく、冷徹な判断を下す武人でもなく……ただ日々を穏やかな気持ちで迎える普通の人間の暮らし。殺すとか、殺されるとか、そんなことを考えてほしくないのではないか。
「もう一つ、フシャーナの件だけど」
「はい」
「近々出かけていって、詳しく話を聞くつもりでいる。何がどうなって僕の件が伝わっていたのか。どうも副学園長のケクサディブが仕組んで、僕の担任に据えたらしい。とすると、彼とも話さないといけないんだろうけど」
「ええ」
ヒジリは頷き、総括した。
「結局、ほとんどは考え過ぎだったということになりますね」
「そうなる」
「帝都で暴動にまで発展したデモは、近年にはずっとなかったことだそうです。少なくとも、ここ三十年は……ですが、調べた限りでは、誰かが糸を引いていたというのでもなく、単に政府が移民や市民権非保持者の都合を考えないで強引な政策をとっていたことが原因で、千年祭のための工事がその引き金になったというだけでした。噂も、後先考えない女子学生の独断で、たまたまこの情勢もあって一部に広まってしまっただけ。学園側も、女神教からの相談を受けたために旦那様をそれとなく監視することにしていただけでした」
大山鳴動して鼠一匹。そう表現するしかないような夏だった。
「ただ、この政争が多少、尾を引くことは考えられますが」
「というと」
「大きなお話としては、例の苗の件。ビルムラール様にお伝えになられますか。それとも」
「あっ」
大問題だ。多くの人命が失われた。そればかりでなく、正真正銘、世界の危機だった。その原因が、女神教総本部の腐敗のせいとなれば。
しかし、表沙汰にしてしまっていいかとなると、これも難しい。迂闊にこのことを触れ回ると、世界情勢に悪影響を及ぼしかねない。
「それに、揉め事に便乗して、自分の陣地を広げようと考える強欲な者は、時と場所を選ばずのさばっているものですから」
そこで一息ついて、ヒジリは言った。
「いずれにせよ、旦那様が悩まれるようなことは、初めからなかったのでしょう」
「うん、まぁ、ね」
「おや」
小首を傾げて、ヒジリは俺に尋ねた。
「まだ、お悩みのことがおありですか?」
「いや……」
だいたいのことはきれいに片付いた。面倒な夏の社交も無事済んだし、フシャーナの正体もだいたいわかった。ラーダイが俺を見下してくることもなくなっていくだろうし、例の噂も始末がついた。そして、都内の治安も元通りになってきている。
ただ、思いもしなかった爆弾が一つ。
「その」
「はい」
「いや、ヒジリには関係ないことで」
「旦那様に関係があることで、私に関係ないことなどないかと存じますが」
言いづらい。でも、口に出してしまったのだから、説明するほかない。
「あの、つまり、例の噂の出所を探る過程で」
「はい」
「隣国のマリータ王女の本音というか、その」
「なるほど」
ヒジリは大きく、わざとらしく頷いた。
「私の耳にも評判は届いております。それはもう、気高く美しい姫君なのだとか」
「いや、僕にやましい気持ちはないんだ。ただ、どうやら気まぐれを起こされてしまったというか」
「相手にしなければ済むことではないですか」
「まっ、まぁ、そうなんだけど」
それは道理だが、あんなに真剣に思い詰めていると知ってしまったら、どんな顔をすればいいのか。傷つけられるのは怖くない。でも、傷つけるのはどうしようもなく怖い。
煮え切らない俺の態度に、ヒジリはふっと肩の力を抜いた。
「ラーダイ様の仰る通りでございますね」
「えっ?」
「さっきから、私というものがおりながら、別の女の話ばかり」
「だって、それは行きがかり上、仕方ないというか」
つーんと横を向いてしまうと、俺の弁明など受け付けないとばかりに、ヒジリは言い募った。
「旦那様が気詰まりなさらないようにと、わざわざ大事なカエデまでつけてあげたというのに、こちらには手を出さず、よりによってリシュニア様にマリータ様、ですか。その上、例のあの破廉恥な娘ともまだお付き合いがおありのご様子」
「うっ、えっ、あっ」
「至る所で女人を惑わすばかり、旦那様は本当に悪いお方です。これについては、どうやら更なる一手を打たねばならないようですが……ええ、よろしいでしょう、覚悟なさいませ」
そう言ってから、彼女は両手を高く打ち合わせ、人を呼んだ。
「これ、これ」
「ははっ」
渡り廊下からウミが、お膳を手に駆けつけてきた。
「さ、旦那様に、薬湯をお出しするのです」
「はい」
それでウミはそそくさと俺の目の前にその膳を置き、ろくに頭も下げずに立ち去ってしまった。なお、お膳の上にあるのは、大きな湯呑が一つきり。
「これは?」
「お仕置きです」
「はい?」
すっと立ち上がると、ヒジリは渡り廊下に足をかけ、そこで振り返った。
「お外は暑うございます。喉も渇いておいででしょうし、そのせいで旦那様のおつむに熱がたまって悪さをしてはなりませんゆえ、なみなみと注いでおきました。それを飲み干して、少しは私の気持ちも考えてくださいませ」
「えっ、ちょっと」
呼び止めようとしたが、ヒジリはそのまま背を向けて歩き出してしまった。しかし、そっと口元を覆っているし、小さな笑い声が漏れていた気がする。
行ってしまってから、俺は溜息をついて重い湯呑を手に取った。
いったいどこまで本気で、どこまで冗談なのか。
ところで、喉が渇いていたのはその通りだったので、俺はそのまま一口飲んでみた。
「……苦い」
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