容疑者特定

「配置につけ!」


 ペイン将軍が鞭打つような激しさでそう叫ぶと、兵士達は機敏に反応した。北に繋がる街道を中心に、盾を携えて密集する。暴徒とはいえ、積極的に殺害するわけにはいかないから、威嚇で済ませるか、せいぜい叩いて押し戻さなくてはいけない。

 まだ保養地の砂浜には、目立った混乱はない。迫る群衆をうまく追い返せるなら、表面上は何のトラブルもなく片付けることも不可能ではないのだ。この辺、彼の頭の中では損得の足し引きが目まぐるしく行われていたのかもしれない。グラーブのための花火大会を失敗させた方がいいのか、帝都を守る自分の失敗を防ぐ方が重要なのか。だが、どうやら職務に忠実であることを優先したようだ。

 だいたい命令が行き届いたのを確かめると、やっと彼は俺とマリータ王女に向き直った。


「それで、ファルス様」


 年少とはいえ、一応は他国の貴族。だから彼はあえて敬語で話しかけた。


「殿下を守ってここまで戻ってきてくださったのは大いに感謝すべきところですが、そもそも保養地から遠く離れた場所に二人でというのは」

「ペイン将軍」


 だが、彼女が割って入った。


「私が連れ出したのです。この件でファルス様に責任はございませんわ」


 そう言われては、どうしようもない。彼は苦々しい思いを噛み殺すしかなかった。それでも、ひとこと言わずには済ませられない。


「お気を付けください。おわかりですか。もし今回、万一のことがあったら、非常に難しいことになっていたのですよ」


 これはペイン将軍の言う通りで、仮にもし、さっきの暴徒達にマリータが襲われ、死傷するなんてことになっていたら。ましてや俺だけが無事に逃げ延びていたら、両国間の関係は最悪なものになっていた。戦争すら視野に入ってしまう。なのに供回りも連れずに俺だけを伴って、人気のないところに出かけたのだ。

 そういう身分ゆえの立場の厳しさを、彼女が理解していないのではない。わかっていても、どうしても俺と二人で過ごしたかったのだろう。


「ファルス様、予定によれば、もうすぐ花火大会は終わります。暴徒を追い返しても、この状態では市街地まで観客を安全に帰すことは望めません。とりあえず、各国の代表に連絡して、保養地に宿泊している方については、それぞれの宿舎にお戻りいただきます。市民については、テントを張っている人はそのまま、市内に帰ることを希望する方については、軍船で輸送します。暴徒については、一般向けには特に何も言わずに済ませる方針です」

「はい」


 その方が混乱を招かずに済む、という判断だろう。慌てて避難しようとして夜道を散り散りになって逃げられたのでは、保護しようにもできないから。


「あとはお任せください。責任もって一切を解決致しますので」

「宜しくお願い致します」


 立ち去る前に、一度だけ振り返った。

 平静を装うマリータが、けれども何か言いたげにしていたのが、心に突き刺さるようだった。


 城に戻り、ベルノストに報告してから真っ暗な自室に戻った。

 ソファに身を落ち着けて、ふっと息をついてから、すぐ意識が別の問題に移った。

 あの暴徒達は移民だった。どの地区からやってきたのだろう? 大した人数ではなかったし、あんな真似をしたのは移民全体のごく一部ではあろうが、今後を考えると心配だ。特に、タマリア達が。


 ……ニドに連絡しなくては。


《ニド? 今、ちょっといいか》

《遅ぇぞ! 何やってたんだ!》

《やっぱり何かあったのか。保養地に移民の暴徒が押し寄せてきていた》


 彼の視界には、薄暗い中、ポツポツと赤い松明の光が浮かび上がっているのが映っていた。タマリアの家を含む、シーチェンシ区の住民を取り囲むような形になっている。

 そして、こちらを守ろうとするかのように、数人の武装した人々が間に立っていた。


《なんだ? どうしてこっちにも暴徒が》

《ありゃあ元市民の皆様だ。隣のシーチェン区のバカどもが、報復だなんだっつって、何人かで徒党を組んで、あちこちに出ていきやがって、それで暴れたらしいんだが、その報復でこっちに立国党の下っ端連中が来やがったんだ》

《帝都の治安はどうなっているんだ……世界一安全だと聞いてきたのに》

《んなもん、市街地だけの話だろ? 移民の住むスラムで何か起きたって、ここんとこの当局が動くかよ》


 だとしても、こんな規模の衝突は、やはり珍しいには違いない。来年の千年祭のために無理な公共事業を押し通した結果、ついに下層の人々の不満が爆発した、ということなのだろうが。


《わかった、今、そっちに行く》

《間に合うのか? 今、保養地のど真ん中だろ?》

《問題ない》


 俺はすぐ自室のテラスに出て、詠唱を始めた。持ち込んだ防具を身に着けている時間はない。だが腰には長剣、首にはホアが作ってくれた魔道具がある。ややあって詠唱が終わると、体が浮きあがった。それから、夜空の空気を切り裂いて、俺はまっすぐに北へと飛んだ。


 さほどの時間もかからない。すぐ現場に駆け付けられる。そう思っていたが、飛行中にニドの心の叫びが聞こえてきた。


《やべぇ! 突っ込んできやがる!》

《なんだって》

《殺していいなら、どうとでもなるけどよ……くそっ、融和協会の連中が邪魔だ》

《融和協会?》


 そういえば、守りにきたとかで、人が派遣されてきていたとか……


《ニド! そこにギルはいるのか!?》

《はぁ?》

《大剣を背負ったルイン人はいたか?》

《いたけど、それどころじゃねぇ! やべぇ、揉み合いになってんぞ》


 あった。星明かりを照り返すラギ川の南、濁った闇に包まれたスラム街の一角に、小さな松明の光が寄せ集まっている。

 俺はすぐさま降り立った。


《着いたぞ!》


 狭い空間、ちょうどタマリアの家の前に着地すると、目の前はひどい有様だった。これ以上、先に進ませまいとする融和協会の雇われ冒険者達が、棒切れを手にした群衆に滅多打ちにされている。だが、殺傷力の高い武器で反撃することはできない。盾で相手を押し戻すのはよくても、剣を振り回すのはご法度なのだ。

 そんな中、手にした大剣を握りしめ、振り回すこともできずにいるのが一人。暴徒の方も舐め切っている。所詮はハッタリ、人は殺せないと高を括って、彼の手から剣を奪い取ろうとさえしている。


「ギル!」


 どうしてこんなところに派遣されていたのか。

 いや、無理もないのかもしれない。移民といっても、中には元締めもいる。例えば、タマリアにシッターの仕事を仲介した連中なんかもいる。そういうのが正義党とどこかで繋がっているなんて、当たり前にあり得るから。低賃金の肉体労働者を確保したい正義党と、その仕事を斡旋する連中の間には共通利益があるから。


 とにかく、今はこのいかれた連中を追い払うことだ。この状況では『閃光』は使いにくい。連携が取れていないから、融和協会側の冒険者まで巻き添えにしてしまう。『万華鏡』も駄目だ。複雑すぎる術だし、人数が多すぎる。そうすると、物理的に押し返すしか……


 周囲を見渡して、判断を下す僅かな時間の間に、均衡が崩れた。


「ぶっ飛ばせ! やっちまえ!」


 群衆がついに防衛線を突破して、質量でギル達を押し潰した。いかに屈強な彼といえど、何十人もの暴徒が押し寄せてくるのに、食い止めるなどできようもない。

 逡巡している時間はない。俺は咄嗟に『風の拳』を放っていた。先頭切ってこちらに身を乗り出していた男が急に、まるで野球ボールをぶつけられたバスタオルみたいになって、真後ろへとすっ飛んでいく。それに巻き込まれて、後ろにいた暴徒達も一気に押し戻された。

 なるべく傷つけずに済ませたかったが、こうでもするしかなかった。一応、殺してはいない。


 不可視の一撃に、何が起きたかわからず、群衆の動きが止まる。だが、ここで押し返してしまわなくては。俺は休まず、更なる一撃を見舞った。

 悲鳴と怒号が聞こえたが、形勢不利を悟ったのか、浮足立った彼らは踵を返して走り去っていった。


「ふう……」


 肩を落として溜息をつく。殺すのは簡単だが、ここ帝都でそれは大問題になる。本当に、気疲ればかりさせられる。

 だが、そこで俺はより重要な問題を思い出す。


「ギル、無事か?」


 すぐ後ろで、扉が開く音が聞こえた。


「ギル君! 平気?」


 バタバタと走り出てきたのは、タマリアとウィーだった。


「あれっ、これはどういう」


 でも、そういえばウィーが、ニドやタマリアと顔見知りになっていた。ギルは二人と面識がなかったが、こちらに派遣された時に知り合いになったのだろう。

 遅れて出てきたニドが、やはり深い溜息をついた。


「くそったれだな、畜生」

「危ないところだったな」

「ぶっ殺すんならすぐなんだが、そうしたらさすがにお尋ね者になっちまうからなぁ」


 振り返ると、ギルは二人に助け起こされるところだった。


「ギル、大丈夫か。骨とか折れてないか」

「いつっ」

「どうした!」


 俺に声をかけられ、上目遣いになったが、すぐ左手で右肩をまさぐり、痛みの原因を取り除いた。


「あー、大したこたぁねぇよ。突き倒された時に、なんかこれが刺さっただけだ」


 革の鎧に覆われていなかった、右肩のすぐ下、上腕の付け根のところに、ガラス片のようなものが刺さっていた。


「すぐ傷口は洗った方がいいよ。タマリアさん、湯を沸かして」

「いや、きれいな水が欲しいなら、僕がやる。魔術で『浄化』した方が早い」


 消毒薬なんか手元にないだろうから、まずは手早く洗ってしまった方がいい。小さな傷口から黴菌が入り込んで膿んでしまいました、なんてことにもなりかねないのだから、小さな切り傷もばかにできない。

 それにしても、引っかかる。


「どうしたの? 早く」

「あ、いや、ちょっと待って」


 水を寄越せと催促するウィーを押しとどめて、俺はギルのすぐ背中側に、ゆっくりとしゃがんだ。


「鎧にもガラス片が突き刺さってる」

「そっちは貫通してねぇよ。肩だけだ」


 ニドが奇妙なものに気付いて、それを指先で摘まんでみせた。


「なんだ、これ」


 そこには、押し潰された金属の管のようなものがあった。その管はだいたい楕円形をなしていて、その一部にガラス片がくっついている。


「これが潰されて割れたのか?」

「それがどうしたの」

「ギル、これはなんだ。こんなもの、持ち歩いていたか?」


 ギルも、タマリアも、ウィーも、一瞬無言になった。

 最初に彼が首を横に振った。


「そんなもん、俺が担いでこんなところ立つかよ」


 タマリアも首を振った。


「うちに鏡なんかないし、この辺の家はみんなそうだよ」

「っていうか、これ、女の使う鏡にしちゃ、小さすぎねぇか?」

「どういうこと?」


 俺が何を気にしているかがわからないウィーが、眉根を寄せた。


「こんなスラムの路上に、たまたまこんな鏡が転がってるわけないってこと。さっきの連中が投げつけてきたってこともなさそうだし、どこから」


 ……いや、どこかでこれに似た何かを見かけなかったか?


「とりあえず、水を用意する」


 思い至った俺は、すぐタマリアの部屋に引き返した。


 ギルその他あの場にいた人達の応急処置が済んだのを見届けて、俺はまた、保養地の自室に戻った。

 だが、すぐには部屋に立ち入らず、テラスで静かに詠唱した。準備ができてから室内に戻り、魔術を用いず、室内の燭台に灯りを点した。それから、ゆっくりと部屋の中を見渡した。


 部屋の北側の壁、出口から見て左手のところに、見慣れないものがぶら下がっているのに、初めて気付いた。

 それは縦長の、角のない六角形の鏡で、その後ろには金属製のフックのようなものがいくつもくっついている。まるで昆虫の脚みたいだ。そして、それが今の俺には半透明に見えている。つまり……


 もう、偶然とか、思い違いではあり得ない。

 俺の関係者というだけのギルにも、これがとりついていたのだ。そして今、保養地にいる俺のところにも、ひっそりと紛れ込んでいた。つまり、俺の動向を知るために、誰かがこの魔道具を用いていた。

 その目的は相変わらずわからない。ただ、こんな真似ができるのは誰か。手がかりを俺は、以前に一度だけ、目にすることがあったのだ。思えばあの時、彼女はどうして振り返りもせず『それに触らないで』と言えたのか。


 俺は黙ったまま、淡々と準備をした。寝室に向かい、以前にタンディラールから貰ったこの儀礼用の長剣を腰から外し、服を脱ぎ、そしてホアが用意してくれた鎧に着替えた。そして剣と短剣を手挟んでから、また玄関兼応接間に戻った。

 それからテラスに出ると、決着をつけるべく、夜空に舞い上がった。

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