領地からの手紙

 木の棒が力強く打ち合わされる。俺と相手の動きに滞るところはなく、小気味良い音が中庭に響き渡る。

 湿ったぬるま湯のような空気が、時折の微風でやっと意識される。ただでさえ温かいのに、体を動かしていると余計に蒸し暑さを実感させられる。もっとも、それが不快かといえばそうでもない。


「えいっ! やっ! やぁっ!」

「そこ! 甘い!」


 槍に見立てた棒を振り回すカエデだったが、守りに徹する俺から一本取ってやろうと必死になるあまり、型を崩して振りかぶろうとした。俺はその持ち手の下、槍の柄の方から鋭く払い上げてやった。

 構え直す一瞬の間隙をついての一撃に、彼女の手元が緩む。


「あっ!」


 棒を手放したその首元に、俺の棒が軽く触れる。勝負ありだ。


「むっぐぐぐ! もう一本! もう一本です! 旦那様!」

「何度やっても同じじゃないか。もう汗だくだし、一服したい」


 不満げな彼女に背を向け、俺は縁側へと歩いていく。それで彼女も不承不承、トボトボとついてくる。

 そして俺は、内心ではしめしめとほくそ笑んでいるのだ。


 彼女の連日連夜の夜討ち朝駆けは、俺をとことんまで追いつめた。だが、嘆いていても境遇は変わらない。だから単純な方法で問題解決を図ってみることにした。それはズバリ、気力体力を発散させること。体を動かして、余計なエネルギーを残さない。ついでに鍛錬を共にすることで関係性も構築し直す。

 この作戦は、うまくいきつつある。お家存続のために身を捧げる、捧げられるという関係性は、忘れられたのではないにせよ、だんだんと希薄なものになってきた。それより、日常的に意識されるのは、槍の技を鍛錬する兄貴分、妹分としての付き合いだ。


「はっはっは。今日もやられっぱなしかのう」

「タオフィ様! そんなことを仰るなら、一緒に槍を鍛えませんと」

「やめておくよ。わしでは婿殿には到底敵わん」


 縁側に腰かけて見物していた彼は、笑顔でそう返した。


「よかったではないか。婿殿に鍛えていただけるとは」

「はい! これで一人前の武人を目指せるというものです!」

「まぁ、魔物討伐隊の席はないのだがなぁ」

「それはいいっこなしですよ」


 やり取りを横目に見ながら、俺はもやもやする思いが頭をかすめるのを感じた。多分だが、どんなに頑張ったところで、カエデには最初から魔物討伐隊の一員になる道など、開かれていなかっただろうと察せられるからだ。彼女の槍術にも、それが見て取れる。


 割合小柄な彼女が、よくもまぁあんな長い槍を巧みに操るものだと、感心はした。この若さでこの腕なら、自慢してもいいくらいだ。だが、その武技は誰のための、何のための……つまり、どんな状況で用いられるべきものなのか?

 体格に見合わない長物を振り回す以上、その戦法にはある種の制約がかかってくる。ただでさえ槍のリーチを生かすために棒の先端に近い一方を握りしめるのに、反対側には重い穂先がくっついているのだ。ところが、それを操るのは小柄で非力な女性。その条件で効果的な扱い方があるとすれば、それはつまり、敵の足を狙う下段の構えとなってくる。

 足を狙うのは、対人戦を想定するのであれば、そう悪い作戦ではない。人間は両手に武器や盾を持って戦う。そして、足先をカバーしきれるような装備は限られる。普段の戦いであれば、互いに相手の上半身を狙って武器を振り下ろすから、彼女がやるような下段の攻撃には慣れもない。そして、ふくらはぎを切り裂かれれば歩けなくなるし、腿には大きな血管があるのだ。

 つまり、カエデに可能な戦い方とは、基本的に奇襲となる。建造物の影などに身を潜め、他の女衆と一緒に長物を携えて、敵の下半身を切り裂く。敵を殲滅できればよし、或いはリーチを生かして身を守りつつ、持ちこたえて時間を稼ぐ。可能であれば、身の置き所を変えて同じことを繰り返す。だが少なくとも、こんな道具では長々と敵と切り結ぶなどできはしない。

 なぜか? 槍が長く、重いからだ。だったら身の丈に合った軽量な武具を使えばいいと言いたいところだが、それは無意味だろう。重さでもリーチでも劣る武器で戦う不利を埋め合わせるのは、簡単なことではない。極論、戦いはイチかゼロかだ。頑張りました、でも敵に手傷を負わせることもなく死にました、では無駄でしかない。だったらより確実に戦果を挙げられる一撃に投資した方がいい。

 もちろん、それは必勝を約束するものではない。重く長い槍は、彼女に先制攻撃の有利と、その後に敵を寄せ付けない防御の余地を与える。だが、どんなに長い槍も弓の射程ほどに長いわけはないから、逃げ切れないところに追い詰められれば、最後は必ず討ち死にするほかない。

 それでいいのだ。一人一殺。女が戦場に立つというのは、いわば最終局面だから。男達が魔物討伐隊などの仕事に出かけて留守にしている場合、或いは既に敵の侵攻を食い止めるべく戦って敗れた後、子供達を逃がす時間を稼いで死ぬため。


 つまり、カエデは最初から期待されていなかった。地元を離れて遠征する魔物討伐隊の一員とするには、スキルセットが食い違い過ぎている。彼女に望まれていたのは、男達と同じ仕事をこなす戦士になることではなく、ワノノマの武人の家の女となることだった。だが、誰もその真実を突きつけたりはしなかったのだろう。

 しかし、ややこしいことに……それが不親切からくるのでもないというのが、また厄介なのだ。


「カエデ」


 縁側の奥、薄暗い居室の奥から、女の低い声が届いた。


「日々、励んでいるようですが」

「はい、ヒジリ様!」

「その、あなたの本分は」

「承知しておりますよ!」


 この場に俺もいるので、ヒジリはそれ以上、何も言えなかった。そしてこめかみに指を当てて、ハァと一つ、小さな溜息をつく。


「どうなされたんですか?」

「……なんでもありません」


 ここへきて、ヒジリの持ち込んだ武器は全部空振りという、まさかの結果に落ち着きつつある。


 あくまで俺の推測でしかないのだが、龍神の加護を受けているヒジリ自身には、出産能力がない。だから他の誰かが俺のお手付きになるしかないのだが、できればそれはワノノマの息がかかった女にしたかった。ノーラとか、俺がフォレスティアで見つけた、それなりの家柄の女とかではいけない。なぜなら、彼女の婚約者としての地位そのものが脅かされてしまうから。例の事件はお咎めなしで済んだものの、ウィーに対する態度にしても、そうした必要性ありきだったと考えられる。

 ところが、わざと夜の手管に長けた美女を二人、俺専属のメイドにしたのに、お手付きにはならなかった。それでやむなく、彼女は非常用の兵器に頼ることにした。男など知りようもない清い少女をぶつけるという、まったく反対方向からのフックを浴びせたのだ。

 なのにこの最後のとっておきの石礫、明後日の方向に飛んで行ってしまった。今ではカエデにとっての俺は、旦那様というより、槍術の手ほどきをしてくれるお兄さんだ。


 態度を見ればわかるのだろう。出血の痕が確認できた時にはぬか喜びしていたが、どうも本当に何もなかったらしい、と。


「そうですよね、旦那様! 私も少しは腕が上がりましたよね!」

「あ、ああ。さすがは武人の家の娘、筋がいいと思う」

「ほら! 旦那様も認めてくださってますよ!」


 そっちじゃないのよ、というヒジリの心の声が聞こえてきそうだ。


 ある意味、ヒジリはカエデを厚遇している。それも無理のないことだった。

 カエデの実家であるラウ家は、既にない。彼女がごく幼い時期に、父が戦死してしまった。ついで母も病に倒れ、身寄りがいなくなってしまったのだ。そのためにヒジリが身元を引き受けることになった。彼女の出自について、最近、トエが教えてくれたのだ。


 要はアーノの立場と近い。居場所をなくした武人の家の子女は、このようにして本土に預けられることが少なくなかった。

 ただ、放蕩者の父をもち、それゆえに疎外を味わったアーノと違って、物心つく前に家族を失ったカエデには、彼のような翳はなかった。それどころか、務めを果たしたがゆえに家が絶えたという事情もあって、周囲はカエデに対して過保護でさえあった。


 要は、この上、カエデまで死なせたり、不遇のままに生涯を終えさせたのでは、ワノノマとしてけじめがつけられないのだ。

 俺という異分子の繋ぎとめに役立てば大きな仕事を果たしたことにもなるし、貴族の嫡男を産めば、普通に大出世でもある。表向きの身分は側妾でしかなくとも、正妻のヒジリがカエデを冷遇するなどあり得ない。

 だというのに、この単細胞の娘ときたら、いまだに見当違いな努力を続けている。立派な武人だったと周りの人が褒め称えてきた父の、その人生をなぞろうとするかのように、彼女は武術にのめり込んだ。それも理解はできるのだが……


「それはそうと、ヒジリ」

「はい」

「わざわざここまで来たということは、何か」

「ああ、そうでした。私としたことがつい」


 彼女は腰を浮かせて、縁側まで出てくると、俺に一通の書状を差し出した。


「領地の方から、お手紙が届いたそうで、預かって参りました」


 すると、ノーラからだろうか? それともユーシスだろうか?

 俺は手紙を受け取ると、すぐに中身を検めた。


『ファルスへ


 学園生活はどう? 不自由していなければいいけど、困ったことがあったら連絡してくれれば、できることはする。

 ピュリスに送ってもらった、例の豆の件の手紙は確かに受け取れているから、安心して欲しい。

 こちらはビッタラクさんに任せることになった。


 簡単に、いくつか報告がある。


 ・ティンティナブリアの食糧問題

 解決した』


 そこまで読んだ時、変な声が出てしまった。


「どうなさいました、旦那様」

「あ、いや」


 気を取り直して、文面を読み直した。


『昨年の秋に播種した冬小麦が大豊作となったため。現在、収穫が追いつかない状況で、兵士達から犯罪奴隷まで駆り出して、片っ端から収穫してまわっている。もう、誰の農地とか、そういうことを問題にしている状況でさえない。ろくに世話もされていない休耕地とか、荒れ地にまで小麦が隙間なく生い茂っていて、手を休める間がない。雨が本格的に降り始める前に、少しでも多く刈り入れておきたい。

 また、去年までは痩せ細っていた農家の牛が、春に入ってから見る見るうちに肥え出して、今では絞っても絞っても牛乳が余るくらいになってしまっている。

 かと思えば、見たこともない植物が瞬く間に育って、不思議な果実が次々見つかっている。これも食べられるので、今では領民は、毎日乳粥と一緒に、それらを飽きるまで食べている。

 ただ、食糧ばかりが余ってしまって、人手が足りなくなってしまった。仕方がないので、リンガ商会を通してティンティナブリアに働き手を集めている状況。昨年の街道整備がなかったら、せっかくの大豊作を無駄にしかねないところだった』


 異常気象というやつだろうか?

 なんとも凄まじい状況らしいが、困窮しているというのとは違うようだ。むしろ、今は大変でも朗報というべきではないか。しばらく食糧を買い付けて配布するくらいでないとダメかと思いきや、逆に備蓄ができそうだ。

 三年間は課税しないと宣言した手前、収穫物を領民から取り上げることはできないが、彼らが収穫しきれない分を勝手に持ち帰ったところで、問題などないのだから。


『・料理人を雇用、奴隷を譲渡された』


 料理人? そんなの、雇い入れる必要があったのか?


『とある料理人を雇用した。条件は、連れている奴隷を譲渡すること。正直、料理人自体は役立たずだけど、奴隷の方が優秀だから釣り合いが取れている。この件は、ファルスが一度、帰郷した時に詳しく話したい。おかげで私は毎週、奇妙なものばかり食べさせられている』


 どうにも要領を得ない。

 具体的な情報がごっそり抜け落ちているせいだ。その料理人の名前は? 性別は? どんな品を出すのか? 奴隷の方はどんな人物? 普通なら書かれているだろうこれらの事柄が、丸ごと省かれている。

 彼女らしくない文章というか、思考が乱れているような感じがする。忙しいせいだろうか?


『・結婚の手配について』


 おっと、大事な話になった。


『大豊作のせいもあって大勢の人が出入りするようになってから、ディーが若い商人に見初められた。いろいろ確かめた限りでは、今のところ問題になりそうな要素はないから、年内には正式に承認したいと思っている』


 ノーラのことだから、魔術まで用いて、その商人の心の中も確認したんじゃないかと思う。勝手に他人の記憶を探ることの是非はともかく、それでも大丈夫と判断できたのなら、ディーにとっては良かったと言える。


『ただ、他はうまくいってない。ガリナはもう一生結婚するつもりはないみたいだからいいけど、エディマもサディスも、相手が見つからない。エディマは歳を重ねすぎたせいで、話を持ち掛けた時点で、断りたいと言われてしまうし、サディスの方はまだ若いから、お話自体は聞いてもらえるけど、実際に会ってみると拒否されてしまう。無理強いする権力はあるけど、それでうまくいくとも思えない。

 それと、フィルシャはピュリスに帰した。代わりにオルヴィータに来てもらうようにした』


 結婚だけが幸せではないが……懸念した通り、年齢がネックになった、か。でも、特に不安なのはサディスだ。社会性が極端に欠落しているのは明らかで、これは普通の人生ルートを歩ませようと考えない方がいいのかもしれない。

 フィルシャを帰した件については、思い当たるところがある。そういえば四年前、ピュリスに帰還した際に、ノーラがフィルシャについて、手厳しい評価を下していたっけ。単に折り合いが悪いだけなのか、本当に能力がないのか、能力がないだけでなく人間性にも問題があるのか。せっかく平民の身分を取り戻したのだから、頑張って欲しいところなのだが。


『・東方の街道整備について

 このところは作業が若干遅延気味。魔物の襲撃などは一切報告されていない。単に食糧確保を優先しているため。イーセイ港の整備もまだかかるので、もし次の冬にファルスが帰郷するつもりでも、まだ街道が使えるとは考えない方がいいと思う。できれば次の夏くらいまでには、最低限、利用できるようにしたい』


 それでも十分早い。

 今後は物資の不足で手が止まることもなくなるだろう。喜ばしいことだ。


 手紙を読み終えた。


「いかがしましたか」

「いや、朗報だったよ。今年の麦は大豊作で、領民が飢える心配はないらしい」

「左様でございますか」


 ヒジリは顔をパッと明るくした。

 悪い知らせが舞い込んできた可能性もあったのだ。最悪の場合、領地を安定させるために、俺が急いで帰国することも考えられたのだから。


「冬には一度、領地に戻った方がいいかもしれないな」


 何もかもを任せきりというわけにもいかないだろう。ディーの結婚も祝ってやりたい。


 しかし、なんだか不思議な気分だ。

 帝都で何不自由ない暮らしを送っていて。領地に残してきたみんながさぞ困っているかと思いきや、こちらも最大の懸案事項はなぜか自然に片付いてしまった。何もかもが順調すぎて、逆に怖くなる。何かを見落としているのではないか……今までの人生が人生だっただけに、どうしてもそんな風に思ってしまう。


「旦那様の思うようになされませ」

「ああ、ありがとう」


 その時、左手の廊下から控えめな足音が聞こえてきた。


「あら、旦那様も奥方様も、皆様おいででしたか」

「ウミ、どうしましたか」

「いえ、お昼のご用意ができましたので、ご案内をと」


 俺は空を見上げた。

 柘榴石の月も半ば。空にはうっすらと雲がかかっている。まだ雨がちなことも多いのだが、それが終われば本格的な夏が始まる。春の名残を味わえるのも、今のうちか。


「今日はみんなでここで食べようか」


 ヒジリが目配せすると、ウミは無言で一礼して去っていった。

 静かで安らかな日々、か。今、俺は恵まれている。恵まれているのなら、感謝するべきだ。感謝をどう形にするのか。あれこれ勘繰るより、受け入れてしまおう。せっかく共に暮らしているのだから。

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