第四十五章 社交の季節
ジジ取り
……ところで、俺の身近には一つ、解明されていない謎がある。
「今日の議題は何にしますか」
それはもしかすると、俺の安全を脅かすかもしれない何かだ。気軽な学生生活を楽しんでいようとも、この一点についてだけは、うっすらとした警戒心を解かずにいる。
「はい」
「はい、マホさん」
学級委員長になったコモが、挙手した彼女を指名した。
「先週の問題が解決していません。議論を尽くしませんか」
いつもの教室の中、いつも通りの情景が繰り返される。
ああ、肩が凝る……とばかりに、あちこちから溜息が漏れた。
「先週というと、帝都の社会問題ですか。母子家庭への生活支援の不足について、でしたっけ」
「まだ、討論の中で具体的な方策が挙げられていません。一度議論したから満足、ではなく、ちゃんと答えを出しましょう」
「うーん……」
コモは難しい顔をしている。一応、マホの主張は正論だ。なんか難しい社会問題を議論してわかった気になって満足して終わり。学生だからって、そんな無責任な態度は許されるべきではない。だが、教室内の空気はというと、まったく誰もが乗り気でない。
ただでさえ蒸し暑いこの季節だ。既に柘榴石の月に差しかかっている。もうすぐ夏休みというこの時期、入学当初のフレッシュな感動も遠のいており、ただただひたすらに気怠いばかり。そこで熱量こめて、答えの出ない問題を延々議論だなんて、誰もしたくない。だいたい、そんな社会問題にコレとわかる明快な解決手段があるのなら、政府がとっくに対策しているだろう。
「あの、ザールチェク教授」
困り果てて、コモは傍らの教授に救いを求めた。今日も今日とて、フシャーナは教壇に突っ伏し、惰眠を貪っている。
いろんな社会問題も結構だが、俺にとって、この教室の中にある問題とは、彼女のことに外ならない。大森林の奥地でどんな手を使って不老の果実を手にしたのか。そこまでして長寿を手にしたのに、どうしてこんなところで毎日居眠りばかりしているのか。学園長なのに、仕事はしているのか。
いや、それらはすべて問題というより、その切り口でしかない。この女は何のために、どんな理由で俺の目の前に配置されたのか? だが、フシャーナがこれまで、目立った行動に出たことはない。行動どころか、居眠りしかしていないのだから。
「今週の討論ですが……」
「そうね」
モゾモゾと起き出して、頭を掻きむしると、珍しく彼女は顔をあげた。
「またあんな議論をされたんじゃ、居眠りもできないし、なんとかしなきゃいけないわね」
教室中の生徒が心の中でツッコミを入れたに違いない。気にするのはそこか、と。
「毎回こんな調子だし、まーた今週も同じことになるんじゃないかなーと思って、用意してきたのよ」
「用意、ですか」
立ち上がると、彼女は自分の鞄に手を突っ込んだ。それから、手のひらサイズの何かをいくつか取り出した。
「あー、マホさん」
「は、はい」
「今週の議題は、先週の続きでいいのね?」
それからフシャーナは教室中を見回した。
「他に議題を提案したい人は? いない?」
確認が済むと、彼女は生徒の間を縫って歩いて、手にしたものを一定間隔ごとに配布していった。ギルのテーブルにも一つ、置かれた。
これはトランプカードだ。こちらの世界にも、カードゲームはある。なんでもギシアン・チーレムが東方大陸にいた頃に、商売のために編み出したとされているらしい。ただ、こちらのトランプカードは、ジョーカーの代わりに男女の絵柄のカードが一枚ずつ含まれている。必ずそうするべし、という決まりはないのだが、多くの場合、男性がギシアン・チーレムで、女性は女神とみなされて、そのようにデザインされることが多い。実物を見たことがないせいか、ここで描かれる彼の姿は、若々しい英雄ではなく、むしろ歳を重ねた威厳ある男性となっている。
現実には、彼がカードを売り出した時期というのは世界統一のずっと前だったはずで、そんな頃から自らを女神と並び立つ偉大な存在として描いたとは考えにくい。恐らく、ジョーカーのつもりで男女の絵札をデザインしただけなのを、後の時代の人が勝手にそのように解釈したにすぎないのだろう。
「行き渡ったわね? じゃ、再度確認」
フシャーナの視線は、再びマホに向けられた。
「母子家庭への生活支援の不足をどう解決するか、だったかしら」
「そうです! 現在、帝都の母子家庭は深刻な状況にあり、月間支出額が金貨二十枚以下の世帯が全体の」
「はいはい、そこはいいの。事実の確認は先週済ませたでしょ?」
そうして黙らせてから、彼女は立て続けに質問を浴びせた。
「じゃあ、これは考えた? どうして母子家庭がこんなにあるのかしら?」
「それは、離婚して養育費を支払わない男性が実に半分以上にのぼるためで、かつ未婚の母も少なくないためです」
「そうね。それと同時に嫡出否認の訴えも大量に出ているわ。次。現在、パドマの住民のうち、市民権を持っている男女の比率はどれくらい?」
「それは、概ね男性二に対して、女性三です。でもこれは、女性の多くが出産を通じて市民権を得ているのと、単に長寿だからで、当然の結果でしかありません。逆に、能力もない無責任な人が市民権を手にするなんて、許されることではないでしょう」
「じゃあ、市民権を持たない男性はどこへ行ったのかしら?」
「移民の身分で滞在しているんじゃないですか。それがいやなら、女神挺身隊に志願するなどして、市民権を得られるだけの働きをすればいいだけのことです」
「でも、移民スレスレの身分で、さして稼げるわけもないお仕事をしているのなら、結婚なんて夢のまた夢ねぇ」
「そんなの自己責任じゃないですか! 帝都で生まれたくせに、非協力的すぎるんです! そんなことだから外国からの移民に頼らなきゃ暮らしていけなくなってるっていうのに」
「うんうん、よくわかったわ。じゃあ、材料は揃ったから、配ったカードをみんな、開けてちょうだい」
みんな、紙箱を開けて中身を取り出した。やっぱり、何の変哲もないトランプカードがあるだけだ。
「今日はジジ取りをします」
「はい?」
一人、立ったままのマホが気の抜けた声を漏らした。
ジジ取りとは、この世界のトランプの遊び方だ。要はババ抜きの反対。
予め山札から女神のカードを取り除いておき、真ん中に置く。それから、山札をシャッフルして参加者に配る。あとはババ抜きと同じで、互いのカードを伏せて、順番に一枚ずつ抜き取り合う。数字が揃ったら、そのカードは捨てる。
ただ、この先のルールが少し違う。ババ抜きの場合、最終的な敗者は最後までジョーカーを持たされた人だ。しかし、ジジ取りでは、ジョーカーを最後まで掴んでいた人が勝者となる。逆に手札がなくなった人は、勝ち抜けではなく脱落者になる。
よって、数字が揃ったのにカードを捨てないというイカサマの余地があるのだが、これは他のプレイヤーが指摘できる。もしイカサマを暴かれたら、そのプレイヤーはジョーカー以外のすべてのカードを捨てなくてはいけなくなる。つまり、事実上のゲームオーバーだ。その際、捨てられたカードのうち、枚数が奇数になっているものについては、同じ数字のカードを持っている人は、そこで捨てなくてはいけない。手札に残る同じ数字のカードの枚数が奇数になったら、決着がつかなくなるからだ。
ありもしないイカサマを指摘した側への罰則は、手札の全公開だ。カードの交換が一周するまで、手の内を晒さなければいけない。指摘された側がそれをするのだから当然の処分なのだが、そこまで重いペナルティとは言えないだろう。
「な、なんで授業で遊ばなきゃいけないんですか!」
「さ、適当に組を作って。あー、じゃ、責任取って私も参加しようかな。どうせもう二度寝できそうにないし」
そうして、俺達は適当なグループに分けられて、いきなりトランプで遊ぶことになった。
「よいしょっ、と」
ギルの横にフシャーナが椅子を置いて腰掛けた。それを見たマホは、目に怒りの炎を点して、椅子を引きずって俺の横に乱暴に座った。
「おっ? じゃ、私も私もー!」
教授と一緒に遊ぶというシチュエーションが気に入ったのか、フリッカがわざわざこちらに寄ってきて、マホの隣に座った。しばらくして、一人余ったゴウキが、無言でフリッカとフシャーナの間に身を落ち着けた。
「じゃ、配りますか」
フシャーナは山札を切って、それから机を二つくっつけた即席のテーブルの上で、俺達に一枚ずつカードを配った。一人九枚、但し、教授だけ八枚。
「かぶったカードは捨てましょうね」
「はーい」
俺も手札に「4」が二枚あったので、真ん中に置かれた女神のカードの横に捨てた。
「じゃ、ギル君から一枚、と」
フシャーナがギルからカードを抜き取り、ギルは俺から、俺はマホからカードを抜く。
一巡すると、フリッカのカードが残り五枚になっていた。
「お? いきなり脱落しそうじゃねぇか。正直すぎねぇ?」
「あー、そうですねー。でもまー、とりあえずは普通に遊べばいいのかなって思って」
もう一巡。マホがまるで火をかけた薬缶みたいになっている。ムカつくのはわかるけど、俺まで睨まないで欲しい。
「こんなのっ、何の役に立つんですか……!」
だが、幸か不幸か、この組には、マホの怒りに反応するのはいなかった。フリッカはマイペースだし、ゴウキは空気を読まない。
もう一巡。フシャーナがギルからカードを抜き、ギルが俺からカードを取る。彼が二枚捨てるのを見届けてから、俺がマホのカードに手を触れた時、後ろから「待った!」と声がかかった。
「ギル君? イカサマしてない?」
フシャーナの問いにギルの肩が小さく揺れた。
「ちっくしょう!」
その通りだった。捨てるべき組が二つもあった。
「あははは、人に正直すぎるって言っといて、自分がイカサマしてるとか、あははは」
フリッカが笑いながら、場に出たカードを確認する。ジョーカーはない。残り三枚が別々の数字で、場に出た枚数が奇数になってしまったので、みんなバラバラとカードを場に出した。
「笑ってる場合か?」
「あは、ははは」
フリッカの手札は、残り二枚になってしまっていた。
「最初に脱落か……」
ギルは椅子の上で身を反らせた。
「さっさと終わってくれ」
ところが、ここからが長かった。膠着状態というべきか、イカサマをしているのでもないのに、何周してもなかなかカードが揃わず、場に捨てることができない。
焦れてきたギルは、座ったまま足踏みしだした。マホが苛立ちながら、それに文句をつけた。
「うるさい」
「やることねぇんだよ」
前世のババ抜きもそうだが、このジジ取りもほぼ同じルールだから、いったんゲームから抜けると、できることがなくなる。
「はぁ、しょうがねぇ」
ギルは自分の鞄から本を一冊、取りだした。
「ちょっと、何してるの」
「いいだろ別に。ゲームの邪魔はしてねぇし。図書館から借りた本読んで待ってるからよ」
「勝手なことしないでよ。これ、一応、授業よ?」
「んなこと言われたってな。教授がダメっつうんならやめるけど」
フシャーナは一瞥しただけで、何も言わなかった。けれども、口元には皮肉げな笑みが浮かんでいた。
「いいってよ」
「ちょっと!」
そうしてギルは椅子の上で仰け反りながら『南方大陸暗黒時代全史』を読み始めた。それにしても、こいつは本当に歴史が好きらしい。
ややあって気が抜けるような声が横から漏れてきた。
「あっ、あっ」
マホから引いたカードのせいでフリッカの手札が揃ってしまい、残り一枚になった。この状況ではイカサマした方がいいのだろうに、あくまで彼女はバカ正直だった。そしてその一枚のカードに、ゴウキが手を伸ばす。
「あああ、取っちゃだめっ」
だが、無情にも彼は、一切表情を変えることなく、また何のリアクションもとらずに、淡々とカードを奪い取った。
「あー、負けちゃった」
二人目の脱落者はフリッカだった。だが、落胆から立ち直るまでは一瞬。シャキッ、と表情を切り替えると、挙手してフシャーナに声をかけた。
「先生!」
「はぁい」
「今日の講義はこれで終わりですし、家に帰っていいですか!」
マホが、信じられないものを見せつけられたという顔をしている。
「今、猫の着ぐるみに挑戦中なんです! 少しでも早く完成させたいので!」
「駄目とは言わないわよ」
教授の言葉に、マホは抗議じみた声でフリッカに警告した。
「授業を途中で抜けるなんて、評価がどうなってもおかしくないわよ」
「いや、それはないんじゃないかな」
俺が指摘した。
「この学級は全員卒業は確定だって、初日に宣言されたし。それで駄目とは言わないとか言っておいて、ここで帰ったからって評価を下げるとしたら、逆にそっちの方が責任問題だ」
フシャーナも頷いた。
「そうね」
「なんですって……」
怒りに呆然とするマホを背に、既にフリッカは勢いよく立ち上がっており、いそいそと鞄に筆記用具や教科書を詰め込んでいる。
「ちょ、ちょっと!」
「え? だって帰っていいって言われたし」
「でも、だからって」
「じゃあ、お先にー」
時間が惜しいと言わんばかりに、フリッカは足取り軽く、走り去っていってしまった。
「俺も帰るかなぁ」
「仕事か?」
「いや、今日から探しても、ギルドの仕事とかはなさそうだけど……あー、どうしよっかな。ちょっと寄ってみて、ゴミ拾いの仕事とか入ってたら、やるかも。どうせ暗くなったら読書もそんなにできねぇし」
歴史書を閉じると、ギルもまっすぐ座り直し、立ち上がった。
「んじゃ、俺も帰るわ! ファルス、お先!」
「お疲れ」
口をパクパクさせながら、マホは彼を見送っていた。
フリッカとギルの動きを見て、別のグループにいたアナーニアは、同じく暇そうにしていたケアーナを連れて立ち上がった。そうして、一緒に遊んでいた他の生徒に小さく手を振ると、さっさと教室を出ていった。もちろん、中には居残るのもいる。既にゲームオーバーになってはいたが、ラーダイは教室の隅に固まって、他の生徒と雑談をしていた。
そうこうするうちにも、俺の手札も寂しくなってきていた。フシャーナが俺の手札を奪い、俺がマホからカードを引き抜くと、また数が揃ってしまった。
「残り二枚か」
マホはまた俺を睨みつけた。いや、だから、ゲームから脱落するのは俺のせいじゃないんだってば。
しかし、運命は手加減をしない。もう一巡してフシャーナが俺の手札を引っ張ると、それでまた揃ったらしく、彼女の手札は残り二枚になった。しかし、直後に俺がマホからカードを受け取ると……これで揃ってしまった。
「はい、負け」
やっと手ぶらになった。
しかし、こうなるとやることがない。そしてこの暇こそが、フシャーナの意図するところだった。
「ちょっと」
隣のマホが俺に文句をつけた。
「なにボーっと天井見てるのよ。参加しなさいよ」
「いいけど、どうやって?」
「どうやって、って……」
だって俺にはもうカードがない。ゲームに参加する手段もなければ、そうする理由もないのだ。
「はい、私も揃ったわ」
続いてフシャーナの手札も尽きた。いよいよこのグループは、マホとゴウキの一騎討ちになった。
しかし、二人の表情の対照的なこと。カードを取ったり取られたり、捨てたりするたびにマホは苦しげに顔を歪める。一方のゴウキは終始無表情だった。
「これが」
俺は、両手をブラブラさせながら、教授に確認した。
「答えみたいなものなんでしょうね?」
「何が正解とは言わないけど、考える頭があってよかったわね」
そんなやり取りも、苛立つマホの耳には届いていないらしい。
ゴウキはカードを抜き取り、捨て、マホもまた同じようにした。それが繰り返され、ついにゴウキの手札が残り一枚になった。そして、次に彼が引き当ててしまったのは……イカサマで乗り切るなど不可能と判断して、彼は静かに手札を捨てた。
「優勝しちゃったわね」
フシャーナが溜息をついた。
マホは教室内を見回した。既に半分くらいの生徒が出ていってしまっている。残り半分もジジ取りを終えていて、もうやることがないので適当に雑談していたり、別のゲームを始めていたりしていた。
「な、な、なんなのよ! みんな勝手なことばかり! 教授? こんなことして何の意味があるんですか!」
「それを考えるのが学生でしょ? あなた、勉強は頑張れるのに、学問はまったくしないのね」
「わけのわからないことを言ってごまかさないでください!」
すっかり頭に血が上った彼女は、椅子をひっくり返して立ち上がった。
「もう、今日は帰ります!」
「あらあら、怒らせちゃったかしら?」
そう言いながらも、フシャーナもこれ以上、長居する気はないらしい。
「じゃ、今日は仕事したし、まだ終業の鐘は鳴ってないけど、みんな各自解散で」
それだけ言い残すと、彼女もまた、教室を出ていってしまった。
もちろん、俺もやることなどないので、帰ることにする。椅子から立ち上がり、鞄に荷物を詰め込む。ふと見ると、ゴウキが放り出されたトランプカードを拾い集めていたので、それを手伝った。それから、手を振って教室を出た。
それにしても、やっぱり奇妙な女だ。
フシャーナ・ザールチェク……彼女はいったい、何者なのだろうか?
解決しなくてもよさそうな小さな問題が頭に取りつく。その頭をガリガリ掻きむしってモヤモヤを追い払うと、俺はまっすぐ家路についた。
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