ギルの下宿を訪ねて
窓の外から鐘の音が響いてくる。
教壇に突っ伏して寝るフシャーナの頭が微かに揺れた。
「ふぁ……終わり? 終わったのね? じゃ、自由討論の時間、終わり。今日もお疲れ様」
ホームルームにおける活動は担任の教授の裁量なのだそうだが、この女、ほとんどこれといったことをしない。ちょっとしたヒントだけ投げ与えると、あとは勝手に学生で考えるようにさせて、放置してしまう。基本、怠け者で面倒臭がりなのだろう。
「ちょっと! 教授! 仕事してくださいよ! 今日も寝てばかりだったじゃないですか!」
ガヤガヤと騒がしくなる教室の中で、マホの絶叫だけがよく聞こえる。だが、フシャーナが頓着するはずもなく、その姿はすぐ廊下の向こうに消えた。
「はぁ」
「どうした、ファルス」
俺が溜息をつくと、パッとしない表情をしたギルが尋ねてくれる。
「ああ、公館の方であれこれあって、気が重いんだ」
「そうか」
「いや、食うのに困ってるお前ほど苦労してるわけじゃないよ」
裸のウィーを連れ込んだ件について、ヒジリは実質的な処罰を何も科さなかった。だが、俺の思い込みかもしれないが、屋敷内の空気が変わった気がする。入り婿の分際で他所から女を……その立場を思い返すだけで、なんかもう裏手の倉庫の隅に逃げ込んで、そこで膝を抱えていたくなる。
が、それだけでなく……これまで意識もしていなかった、俺を悩ませる、とあるノイズも発生してしまった。
「今日はどうするんだ?」
「雑用の仕事もないし、課外活動の方に顔を出してみるつもり」
「なんだったっけ……武器術研究会? みたいな」
「そう、それ。俺も、もうちょい強くなんねぇとよ。アイクには一人前って言われたんだが」
ふと気になったので、確認した。
「そういえばギル」
「あん?」
「タリフ・オリムにいる間、誰に武術を習った?」
「ああ、そりゃあアイクとガイだけど。それがどうかしたのか?」
俺は目元を覆って俯いた。
ああ、やらかした。当時の俺を怒鳴りつけてやりたい。ギルが独り立ちしなくてはいけない身の上だったことくらい、知っていたはずなのに。
「なんで? ノーゼンは? 僕とノーゼンの勝負を見てただろう? どうして弟子入りしなかった?」
「あ? いや、ノーゼンにも相談したんだけどよ。だったら、わしと互角の勝負をしているガイに習っても大差ない、とか言ってたからさ」
「うわああ」
「どうした」
俺は机に両肘を置いて、頭を抱え込んだ。
「済まん。一言ノーゼンに伝えておけばよかった」
「なんだ」
「あのな、タリフ・オリムで最強の男は、間違いなくノーゼンだぞ。ガイが十人いてもノーゼンに勝てるわけないってのに」
「はぁ? そんなに差があんの!?」
見ればわかると思っていた俺の甘さが恨めしい。そうだ、当時のギルは普通の子供なんだし、そこまで見抜けというのが無理だったのだ。
「キース・マイアスの名前は知ってるか」
「おう! あれだろ、人形の迷宮を制覇して、ポロルカ王国を魔王の手先から守った現代の英雄だよな」
「そのキースと互角に渡り合えるくらいの達人なんだぞ、ノーゼンは」
その指摘に、ギルはやっと驚きをみせた。
「マジ?」
「本当だ。断言できる。僕は両方知ってるし、勝負したこともあれば、一緒に戦ったこともあるんだから」
「うわぁ、そりゃ惜しいことしたな」
「まったくだよ」
ギルは、それでも気分を切り替えて、席を立った。
「ま、しょうがない。済んだことは。つうことで、久しぶりに課外活動見てくるわ」
「ああ」
「じゃあな!」
彼が去ってから、俺も重い腰をあげた。帰りたくない。
校舎の外に出ると、優しい微風が頬を撫でていった。既に翡翠の月ともなれば、昼日中を過ぎても春の心地よさが損なわれることはない。空気にはどこか暖かさが残されていて、しかもみずみずしさに満ちている。心に悩みがなければ、これほど素晴らしい季節もない。
授業が終わっても、夕暮れ時まではあと少しある。陽光は翳り始めてはいて、うっすらと校舎の壁が黄色く染まりつつあるようには見えるが、まだまだ日は高く、空は広く青く、周囲は明るかった。
こんな日は、さっさと家に帰ってコーヒーの研究をするべきなのだが……
往生際悪く、俺は学園の敷地内にあるベンチに腰を下ろした。体は疲れていない。快適ささえ感じている。なのにこの気分の重苦しさときたら。
人生にはいろんな困難がある。でも、そのつらさというのは、その負担の大きさだけでは測れないのではないかと思う。具体的には、努力で変えられるものと、そうでないものの差だ。同じ貧困でも、頑張って働けば裕福になれるという望みがあれば、決して後ろ向きに捉えられるようなものではないはずだ。
で、その基準で考えると、今の公館における居心地の悪さは、なんらかの努力で変えられるものだろうか? 否、だ。ならば公館を出て気儘に暮らす……それが許されるかといえば、これもまた否。俺は相変わらず監視対象で、その素行がどれほど悪かろうと、ヒジリにはその選択肢がない。
苦痛の程度が小さくとも、逃れようもないとなると、これが本当につらい。
「ファルス様?」
頭を抱えてベンチに沈み込んでいると、頭上に影が差した。
「あっ、ヒメノ様……さん」
顔をあげると、そこにいたのは、入学式とは打って変わって、制服を身に着けた彼女の姿だった。
「どうなさったんですか?」
「いえ、なんでもないですよ」
「そうは見えないのですが」
そう言うと、彼女はそのまま、俺の横に腰を落ち着けてしまった。
俺としては、気が休まるどころではない。彼女も言ってみればワノノマの人間で、事情を聞き知ったら、俺を汚物か何かを見るような目を向けるだろうし。
「ああ、えっと、まぁ、その」
「はい」
「公館の方で、やらかしてしまいまして。帰りにくいと言いますか」
「そうなんですか」
笑いながらも眉がへの字型になっている。
「なんとなくですが、大変そうだなとは思っておりました」
「そうですか?」
「そうですよ。だって」
口元に手を添えて、ヒメノは小声で言った。
「……ヒジリ様、ものすっごく怖いんですもの」
これには苦笑いせざるを得なかった。
「ヒメノさんも、そう思います?」
「はい。それはもう。故郷の武人の家の奥様方は、だいたいみんな怖いのですけど、ヒジリ様は特にそう感じます。なぜかはうまく説明できませんけど」
男達が故郷を留守にする間を守る予備戦力として鍛えられる武人の娘達。だから、彼女らが母になった時には、やはりそれなりの威厳がある。だが、ヒジリはといえば、予備戦力ではなく、むしろ最前線に立つ実戦力だったのだ。その恐ろしさは比ではないだろう。
「ヒメノさんは近頃、どうなさっておいでですか?」
「私ですか? そうですね、アーノお兄様には叱られそうですが、裁縫三昧ですよ。講義もそういうのばかり取りましたし、あ、ただ」
「ただ?」
「課外活動は、形ばかりで顔を出していません」
翳りつつある日差しのように、彼女の表情も曇った。
「こちらも刺繍の集まりに参加したんですけど、その、実際には皆さん、裁縫よりお茶会にご興味があるようで」
そちらの方が自然だろう。グラーブのサロンにしても、政治課題について討論するというのは建前で、実際はただの党派でしかない。上流階級の女達が集まって、お茶会を通して情報交換し、利害で繋がる場所なんて、人見知りのヒメノには苦痛でしかなかっただろう。
「そういう付き合いも大切かもしれませんが」
「わからなくもないです。でも、私の行く末なんて、知れていますから」
「と言いますと?」
「傍流に落ちたも同然の身ですし、留学が済んだらまたスッケに戻って、あとは当主の命令で、どこかに嫁ぐだけです。配下の武人の家かもしれませんし、他所の当主の家かもしれませんが」
豪族か、騎士階級の家か、もしかするとそれ以下のところに嫁ぐ、で終わりかもしれない。
そういう、大きな影響力を持ち得ない彼女が、今から政治ゲームに熱狂する理由などないのだ。また、そういう性分でもない。
「それでも、婦人として生涯、針仕事をさせていただけるなら、十分に恵まれていると思えるのですが」
「何かは割り切るしかないのかもしれませんね」
「はい……ただ、なので、近頃は身を持て余してしまっている感じです」
ベンチの背凭れに身を預けながら、彼女は空を見上げた。
「日が暮れたら、そんなに裁縫もできませんし、寮に帰っても食べて寝るだけです。正直、毎日がつまらなくて」
軽いホームシックかもしれない。それも自然なことだ。
彼女の性格からしても、友人が大勢できたとは考えにくい。食や習慣の違いには適応できても、それは上辺だけのこと。講義と寮の往復だけの日々。周囲には気の置けない友人も身内もいない。
「使用人とかは」
「ははっ、いませんよ。ファルス様もご存じでしょう。魔物討伐隊もなくなりましたし、ヒシタギ家にもそんなに余裕がないんです。だから、寮もあのきれいな通りの方じゃなくて、もう少し奥まったところですし。一応、食事も賄っていただけますし、何不自由ないのですが」
でも、これが大半の留学生の現実だ。俺みたいなお大尽ライフを満喫している高等遊民はごく一部。貴族やその嫡男など、恵まれた学生だけの話だ。騎士階級出身者は、もっとずっと慎ましい生活をしている。
なるほど、黄金の腕輪に至る修行、か。実家で甘やかされてきた貴族のお子様にとっては、最低限の世話だけで放り出される留学生活は、鍛錬の場であるとさえいえるのかもしれない。そんなの、前世基準でいえば、大半の人が当たり前にこなしているものでしかないのだが。
話し込む俺とヒメノの耳に、砂利を踏みしめる音が触れた。
「あれぇ」
ギルだった。
「なんでまだこんなところにいるんだ?」
「ギルこそ、課外活動は?」
「なんか久しぶりに顔を出したら、部室に誰もいなかった」
なんとまぁ。幽霊サークルといったところか。
「で、お前は?」
「あー、帰りたくなくてな。時間潰してた」
「でも、あんまり遅くなると文句言われるんだろ?」
「わかってるけど、帰りたくない」
俺がそう答えると、だしぬけに彼は笑い出した。
「じゃ、帰らなきゃいいじゃん!」
「はい?」
「クソ真面目に言う通りにしねぇでよ、なんなら俺のところでのんびりしろよ。今日は俺も仕事なくて暇だしよ」
このやり取りはフォレス語だったので、ヒメノにもある程度、聞き取れた。
「そちらのお嬢さんは……前に見たことあるな。誰だったっけ」
「スッケのワノノマ豪族オウイの孫娘、ヒメノ様だよ」
「うおっ、じゃあまた偉い人か」
「ふふっ、そんなでもないですよ」
この学園、制服があるから、突然、身分の地雷を踏み抜いてしまうリスクがある。表向き平等、実は身分制という現実を考えると、本当に性質が悪い。
ベンチから立ち上がると、ヒメノはギルに一礼した。
「ヒシタギ・ヒメノと申します。今後は宜しくお願い致します」
「お、おう……じゃねぇ、どうも、ギル・ブッターです。よろしく」
挨拶が済んだので、ギルは俺に向き直った。
「じゃ、お前、とりあえず俺のところでブラブラしてろよ。ちょっとくらい帰るのが遅くなったって、どうってことねぇさ」
「あの」
すると、一人取り残されるヒメノが不安そうな顔をした。
「失礼かもしれませんが、私もご一緒してよろしいですか?」
「うぇっ?」
「あ、ギル。ヒメノ様もな、退屈してらっしゃったところなんだ。遠くから来て、気安い友人の一人もいないから、暇を潰すのも大変らしくてな」
思考が纏まるまで彼は沈黙していたが、すぐ切り替えたらしい。
「いいぜ。ま、うちはなんもねぇけどよ!」
ギルの下宿先は、歩いて通うには少し遠い場所にある。だから安価な乗合馬車を待つしかなかった。多くの馬に引かせる大きな車体だが、なんと座席がない。天井からぶら下がる吊り革に掴まらなくてはいけない。まだ夕方より少し早い時間というのもあって乗客はそこまで多くなかったが、込み合う時には、まるでおしくらまんじゅうのようになってしまうものらしい。
学園の敷地から北に向かって二番橋のある大通りに出る。そこで馬車を捕まえて、まっすぐ西に向かう。西一号運河と二号運河の間に、あの庶民的な下町があるのだが、俺達はその次の通りまで馬車を降りることができなかった。
西二号運河の更に外側ということで、南北を繋ぐ通りの様子は、また違った様子になっていた。まず、集合住宅が多い。それと、時折広い敷地を持つ建物があったりするが、それはだいたい物資を集積するための倉庫とか、馬車のターミナルだったりする。帝都の庶民のベッドタウンの一つがここで、都心というよりは、そこから少し外れた地域ということができる。
「ちょい歩くぞ」
「はい!」
ヒメノは珍しく楽しそうにしている。こんな風に学友の家に遊びにいくという経験自体、これが初めてなのかもしれない。また、単独行動ではこんなところまで出てきたりもしないのだろう。
「ここだ」
ギルが指し示したのは、通りの更に内側に繋がる路地だった。東向き、二号運河方面に伸びる小道は狭く、薄暗かった。舗装も中途半端で、踏み石の間に砂利が詰まっている状態だ。
建物の狭間を三人して通り抜け、向こう側に出てみると、そこは運河に面した通路の終端だった。うっかり転落しないよう柵が設けられているが、それだけ。運河に降りるための階段などもない。運河に面した土地の多くには木造住宅が立ち並んでいる。
そこで左手に折れて少し行った先に、木造の集合住宅があった。二階建ての、煤けた色の壁をした建物だ。そこでギルは階段に足をかけ、ずんずん登っていく。古びた木の階段は塗装も剥げ落ちて、砂埃に塗れている。
その中の一室の鍵を開け、中に立ち入った。
まず驚かされたのは、土間があったことだ。つまり、人が住まう木の床との段差があったのだ。
玄関を根元に、L字型に土間が続いている。玄関からまっすぐ進んだ先に扉があるが、あれは便所だろう。左側を見ると、煮炊きするための釜があった。飲食用の水を貯めおく甕も置かれている。とすると、ここには水道が引かれていない。
土間より上は、木の床になっている。なんと、仕切りのないワンルームである。これでは冬場はさぞ冷え込むことだろう。といっても、帝都は基本的に温暖で、冬場の二ヶ月以外は、この部屋でも困らないだろうが。
ギルの大きな体に合わせてか、南側の壁に大きなベッドが横付けされている。北側には棚があり、そこに彼の衣類や仕事道具が積まれている。それ以外は、真ん中にちゃぶ台が一つ、置かれているだけだ。それと古びた座布団が四つ。家具らしい家具がない。
東側には大きな出窓がある。元々の設計思想としては、机として使用できるようにするつもりだったのだろうか。なんとここだけガラス製である。しかも透明度が高い。帝都では入手しやすいものなのかもしれないが、どうしてここだけお金をかけたのか。もちろん、普段はカーテンがかけられている。
「意外と散らかってないんだな」
「物がないからな」
ギルは部屋の中を指差しながら言った。
「自分で買ったものも特にない。あのテーブル? も元々あったし、ベッドも棚も、据え置きだった。ベッドだけ多少新しいから、多分、昔はサハリア人が何人かで纏まって借りてたんだろうな」
ギルは靴を脱ぎ、自室に上がり込んだ。そうしてカーテンを開け、窓を開けた。
「これだけは贅沢だよなぁ」
そう言いながら、彼は出窓のところに腰かけた。俺とヒメノも続いて、窓際に向かう。
運河に面した出窓だ。どこにでも建物があって視界の遮られる帝都にあって、ここだけは日当たりも良好。二号運河の上を走る荷物運搬用の小舟が、時折通り過ぎていく。そして、運河を挟んだ向こう側は、あの活気のある下町なのだ。
「さって、飯でも買ってくるか?」
「ギル、自炊は?」
「あんましてねぇよ。火を熾すのも手間だし、ここだと買い食いした方が手っ取り早いしな」
俺は頷いた。
「それはそれでいいかもしれないな。だが、今日はここに俺もいれば、ヒメノ様もいる」
「あの、ファルス様、私のことはお構いなく」
「煮炊きの道具はあるようだし、せっかくだから、今日は僕が作ろう」
最近、料理といえばコーヒーのことばかりだった。でも、帝都には他の多くの大都市にない、ある魅力が備わっている。海に面しているから、新鮮な魚が豊富に手に入るのだ。
「そいつは悪いよ」
「安く済ませながら、そこそこ食えるものは出せる。まぁ、待っててくれ」
俺はひとっ走りして、材料を買い付けてきた。
籠の中にある材料を見て、ギルは顔をしかめた。
「おいおい、魚一尾そのまんま買ってきやがって」
「山の中で暮らしてきたお前には、あんまり馴染みがないだろう。海の魚だぞ。せっかくこれだけのものが安く手に入るのに。出来合いの飯は高いだろう」
「こんなもん、どうすんだ」
「捨てるところなんかない。もちろん、丸ごと使うんだ」
調理に入ったら、俺は手早い。おずおずと手伝いを申し出るヒメノにも構わず、一気に魚を解体した。後ろで「早っ」とか聞こえるが、それもあんまり気にならない。切り身を分けた後は、魚の頭や骨のついた部分、いわゆるアラが残る。それを素早く洗い、血合いの塊があれば切り捨てる。塩を振って放置してから、今度は他の食材に手を伸ばす。エビの背ワタを抜き、ハマグリはきれいに洗って酒蒸しにする。手が空いたら玉葱やニンニクを切る。
頃合いを見て、アラに熱湯を浴びせて臭みを取り、別の鍋に移して酒を加えて火にかけた。
「どうでもいいけど、火をつけるのにいちいち魔法使ってるとか」
「その方が楽なんでしょうけどね……」
後ろでドン引きしてそうな声が聞こえたが、やっぱりあんまり気にならない。
今まで上げ膳据え膳の暮らしで、どうにも落ち着かなかったのだ。やるべきことをやっていなかったような感じがして。いまや水を得た魚のように、俺は好きなように調理に取り組んでいる。もっとも、目の前の魚は既にきれいに解体されて、アラ出汁にされてしまっているのだが。
「よっし、できたぞ!」
大きな窓から見える東の空が、夕暮れ時の藍色に染まり始めた頃、俺はできあがった鍋をテーブルの上に据えた。
荒っぽい漁師の鍋料理。前世でいうところのブイヤベース、みたいなものだ。もっと上品に仕立てることもできたのだが、今回は敢えてそうはしなかった。食べるのは年寄りじゃない。元気いっぱいの若者達なのだから。
「骨とか頭とか、そのまんまじゃ食えないだろう。でも、そういうのを捨てずに使うのがいいんだよ」
ヒメノは目を輝かせていた。
「いいですね」
ギルが目を丸くした。
「お? 意外だな。どっかのお姫様なら、こういう感じの飯は受け付けねぇんじゃねぇかと思ったんだけど」
「スッケは海の近くにありますし、こういう魚の料理は珍しくありません。あの、ファルス様、いただいてみてもよろしいでしょうか?」
「もちろんですよ」
それで俺達は鍋から取り皿によそい、食べ始めた。
「うおっ、うめぇ! つか、染み渡るな」
「出来合いの飯では、なかなかこうはいかんだろ。アツアツのスープに旨味がたっぷり溶け込んでるからな」
一方のヒメノは、少し食べてから、鍋をじっと見つめていた。
「っと、どうしました? あんまり味が」
「いいえ。納得しました」
「納得?」
「私にこだわりがあるのと同じように、ファルス様にも大切になさっておいでのものがあるのですね」
改めて言葉にすると、その通りなのだが、俺にとっては当たり前すぎることだった。
その人にとって特別なものとは、特別なところにはない。日常の、それこそ当たり前のところにこそ、それがある。例えば、食材を調理して食べる。ただそれだけの、そのような多くの人が普段の暮らしの中でしていることの中で、本当に重要なものが浮かび上がってくる。
一日を過ごす時、俺達は何をして時間を潰しているだろうか? その時、何を考えているだろう? 何かやるべきものを祭壇の上に飾り、改まって無理に何か高尚な理屈を捻りだしても役に立つことは少ない。その人の答えは、既に日々の中にあるのだから。
やはりそうだ。俺の道は、この営みの中にある。
「なぁ、ファルス」
「ん?」
「お前を嫁さんにする女は、果報者だな!」
「笑えないよ」
そうして俺は日が暮れるまで、久しぶりにのどかなひと時を過ごした。
ただ、さすがにヒメノを外泊させるわけにはいかず、寮まで送った。
それから公館に帰った。
ヒジリは夕食を摂らずに俺を待っていた。
そして、更に肩身が狭くなった。
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