はじめてのスライム

 俺は今まで、何度も恐ろしい冒険に身を投じてきた。


「っつうかさ、誰がよさそうだ? 美人っつったら姫様だけどよぉ」

「だな。けど、さすがにありゃあ口説けねぇよ。な? ファルス」

「ばっかお前、んなこと言われても返事できるわけねぇだろ」


 最悪の危険度を誇るダンジョンといえば、魔宮モーと人形の迷宮。俺はそのどちらも経験した。


「そーすっと、次に美人なの、誰だ? 俺はフリッカちゃんがいいと思うんだけどなぁ」

「顔はいいけどよ。ちょっと背が高すぎじゃね? それに、なーんかズレてる感じっつうか」

「変人オーラ漂ってるよなー」


 魔境といわれた大森林も縦断し、東方大陸の砂漠地帯も踏破した。


「だったら小柄なマホちゃんでどうだ」

「顔はいいけどよ。胸がねぇよな、胸が」

「それこそこれから膨らむかもだろ? けど性格がキツそうなんだよ、アレ」


 借り物の力のおかげではあるものの、歴戦の勇士を自称しても許されると思う。だが、そんな俺が、いまだかつてないほどの不安を感じている。


「ってか、やっぱギルにも来てほしかったよなー」

「しょうがねぇだろ、あいつ、もっと稼げる仕事がいいんだとさ」

「確か、港の方だっけ? 有害動物の駆除」

「地味じゃね? 別に魔物が出るんでもないんだろ?」

「金払いはいいんだろ。俺達もここ来るの初めてだしなー」


 こいつら、まるでなってない。


 まず、迷宮の中に踏み込んでいるのに、くだらない雑談をやめられないとは、どういうことだ。それを物陰にいる魔物が聞きつけていたら。

 この状況で、仮にゴブリンでもいようものなら、大変なことになる。一対一で正面から戦うのならどうということもないが、連中には知恵がある。頭数を揃えて、前後から挟み撃ちを仕掛けてくるだろう。落とし穴などの罠だって用意する。魔法を使える有能なリーダーに率いられている場合には、その脅威は数段跳ね上がる。


 装備品やその扱いについても、言いたいことが山ほどある。

 キースほどの熟練の戦士ならいざ知らず、ド素人の分際で兜を用意しないなんて。他の部分ならともかく、頭をやられたら一発で致命傷になるというのに。

 なるほど、あれはものによっては視界を遮るし、音にも鈍感になるので、使いたくないのはわかる。だから斥候役の一人が重い装備を身に着けずに周囲を警戒するとかであれば、それは妥当な選択だ。でも、そもそもこいつらは警戒自体していない。

 剣の扱いも、まるで頓珍漢だ。よりによって抜身の剣を肩に担いで談笑とか、何をやってるんだ。剣のメリットはその携帯性だ。迷宮の危険は戦闘だけではない。両手を自由にしておくことには、重要な意味がある。

 それだけではない。この状況でいきなり魔物が出てきたら、どうする? 取り囲まれて、驚いてメチャクチャに剣を振り回したら? 味方にもぶつけかねない。そういう事故を防ぐためにも、必要ない時はちゃんと収納して、手順通りに抜剣すべきものなのに。


 極めつけは、松明だ。先頭を行くラーダイが握りしめているのだが、これが論外だ。


「それにしても暗い通路だな」

「そりゃあ迷宮だからな」

「手元しか見えやしねぇ」


 当たり前だ。照明の運用方法が、見当違いだから。

 俺は無意識のうちに、そのようにしていたのだが、照明を持つ人間は後ろに立たせてきた。魔宮モーではソフィアを、人形の迷宮に挑み始めた段階ではノーラを、必ず背後に配置した。なぜなら、視界に光源そのものがあると眩しすぎて、逆に周囲の闇の中にあるものが見えなくなってしまうからだ。少し思い返せばわかりそうなものなのだが……屋敷に帰って夜中に読書する時、わざわざ燭台の上の蝋燭の火を見つめる間抜けがいるだろうか?

 迷宮の中における照明には、多大な利益がある。暗闇の中で視界を得ることの価値は計り知れない。だが、デメリットも伴っている。敵に発見されやすくなるのだ。そのリスクと利益を比較しながら、運用を判断すべきもの。

 ただ、こいつらの場合、それ以前の問題すぎて……


「なぁ」


 たまりかねて、俺は声を発した。


「あぁ? なんだ? 最強のファルス君」


 馬鹿にされるのは構わない。だが、危険をそのままにしておくことはできない。


「もう少し警戒した方がいいんじゃないか。浅い階層とはいえ、ここは迷宮の中だ。探索中くらいは気を付けたほうが」

「臆病だなー」

「いやいや、まぁわからんでもないな。怪我したらバカバカしいし」


 それでいい。怪我をしないために臆病になる。大正解だ。


「それじゃあまず……」


 だが、そこでラーダイが口を挟んだ。


「あぁ? いいだろ、別に。ここの一から三階層までの地図は持ってるしよ。だいたい、ここフェイムスの一階層には、スライムしか出ねぇんだ」

「スライムだって!」


 冗談じゃない! あれが出てくるのか?


「おいおい、そこはさすがにビビるところじゃねぇだろ」

「ははっ、わかった、これそういう遊びだろ。ノッてやんねぇと悪いぞ」


 まず、マニュアルに書かれた情報を鵜呑みにしていいかどうかという問題もあるが、それは脇に置く。それを言いだしたら、そもそも下調べもしていない俺自身のミスもあるのだから。


 本当にスライムが出てくるのだとしたら、これは要注意だ。魔宮モーであれを見たが、決して油断できる魔物ではない。

 なるほど、スライムによって一撃でこちらが殺される可能性は低い。運動能力は決して高くないし、攻撃手段も、自らが分泌する消化液だけ。適切に対処すれば、それこそラーダイが手にしている松明一本で、速やかに退治できる。

 だが、本当の恐ろしさは、あれが迷宮の罠そのものだというところにある。その粘着力で壁を這い上がり、天井にへばりつく。そして物音、壁や床に伝わる震動によって獲物の到着を知るや、重力に身を委ねて死角から襲いかかる。

 頭からスライムに取りつかれたら、悲惨なことになる。引き剥がすのもそう簡単ではない。壁を垂直に登っていけるだけの吸着力があるのだから。そして消化液は常に犠牲者を焼き続ける。結果、なんとかスライムの魔の手から逃れたとしても、その人の顔には消えない傷跡が残るだろう。視力を失うなどの重大な結果に繋がる可能性も十分にある。


 これはもう手を抜いている場合ではない。全力で対応しないと、このパーティーから重傷者を出しかねない。

 俺は手早く詠唱を始めた。まずは暗視能力を得る必要がある。


「なんかブツブツ呟き始めたぞ」

「え? マジでビビッてんの? ウケるんだけど」


 言わせておけばいい。とにかく、気を付けるべきは天井だ。

 詠唱が終わって視界がクリアになる。天井の高さは目測でおよそ四メートルほど。普通の家屋よりは高い。通路の幅もそれくらいはある。連携が取れていれば三人が並んで戦うのもありだが、彼らの意識と練度では難しいだろう。咄嗟に二手に分かれるとか、壁を背にするとか、そういう判断ができればいいが。

 ざっと見渡したところ、天井には何も見つからない。黒ずんだ外壁がどこまでも続くばかりだ。


 だが、いつ、どこでどんな奇襲を浴びるかもわからない。ここは慎重に……


「おっ、出たぞ」


 馬鹿な、どこから!?

 俺はラーダイの視線の先を追った。そこには、確かに何者かの影があった。

 両手で抱えられるくらいの大きさの、水滴型の何かが、床をバウンドしながらこちらに近づいてきている。

 まさか、あれがスライム? ここではあれがそう呼ばれている?


「ちょっと持ってろ。俺がやる」


 松明を預けると、ラーダイは抜身の剣を肩から下ろし、構え直す。


「オラァ!」


 バシッ、と音がした。力任せの一撃ではあったが、その魔物のど真ん中に剣の切っ先が突き刺さっていた。


「へっ、楽勝」

「いーなー、気持ちよさそう」

「次はお前やれよ」

「よっし、もっと奥に……おい、ファルス、なにボーっとしてんだ?」


 信じられないものを見てしまったせいで、思わず硬直してしまっていた。


「おい、これ。スライム置いてくのか? 一応戦利品だぞ?」

「いーよいーよ。どうせ銅貨一枚だろ、それ」

「食えるらしいよな」


 彼らがスライムと呼んだそれは、半透明の水色で、ゼリー状の何かだった。そして、どういう仕組みで動いているのかわからないが、とにかくこの床の上を跳ねて移動して、ラーダイに体当たりしようとした。

 それはいい。だが、何より俺を驚かせたのは……


「ブニュブニュしててまずいらしいぞ、それ」

「誰が食うんだよ」

「知らん。あれか? スラムへの寄付とか、あと、養老施設のとか、そっちじゃね?」

「はははっ、確かに。歯がなくても食えるかもな」

「おい、ファルス、そろそろ先進むぞ?」


 このスライム、ピアシング・ハンドに一切反応しなかった。

 それが意味するところは明瞭だ。このスライムの肉体には、魂が宿っていない。つまり、どんな形、どんな機能を備えているにせよ、これは生物ではない。神霊の類でもない。強いて言うならゴーレムだ。


 なぜこんなものが存在しているのか?

 だが、俺が疑問を胸に思索にのめり込んでいる間にも、彼らの探索は続いた。スライムが物陰から飛び出てくると、誰かが剣を手に飛びかかる。必ずしも一撃で仕留められるとは限らず、中には鎧の上から体当たりを浴びることもあったが、骨折その他大事に至ることもなく、実に十数匹のスライムが剣の錆になった。


「よっし、こんなもんか」

「稼ぎなんかほとんどねぇじゃねぇか」

「ま、最初はお遊びだろ。帰るぞ」


 呆然としたまま、俺は一匹も仕留めることなく、彼らの後に続いて迷宮を後にした。


 迷宮探索の後、ギルドで落ち合うことになっていたので、俺は一足先に馬でいったん公館に帰り、それから長剣をベルトから外して、歩いてギルドまで向かった。

 生クリームを絞り出したみたいな特徴的な形をした塔が目印の支部に立ち入るのは、これが初めてだ。内部から見ると、なかなかの建物だった。

 高いところに大きな四角い窓がいくつもあり、時間帯を問わず陽光が広いロビーの中に差し込むようになっている。足下は大理石で埋め尽くされていて、汚れもなく美しい。壁際にはいくつもの受付カウンターがある。そこにズラリと受付嬢が並んでいるのは、壮観だった。

 アーチ構造を用いて強度を保っているのだろう、例の塔の真下がこの建物の中心だった。逆さにしたすり鉢状の天井には、金色の背景に十二色の宝石が嵌めこまれ、その中心から斜めに突き出た時針が、現在時刻を指し示していた。


「おーっ、ファルス、お前、早いな」

「銅貨十五枚、これ、どうする?」

「んー、どうでもいいけど、ファルスはついてきただけだしな」

「じゃ、五等分するぞ。いいな?」


 一度は付き合ったんだから、もうこれでいいだろう。彼らの探索スタイルはあまりに心臓に悪いので、二度と同行したくない。


「おっ、ギルじゃねぇか」


 振り返ると、別のカウンターで清算を済ませたギルが片手を挙げて俺達に挨拶した。


「お疲れー」

「ああ」


 タリフ・オリムで仕立てた一式装備なのだろうが、なかなか実用的で似合っている。鋲を打ちこんだ革の鎧。簡素ながらヘルメットのようなものもある。こちらは今は、脱いでいるが。体の前面を覆う手甲に脛当ても大切だ。野犬が相手でも、油断するとろくなことにならない。この世界に狂犬病があるかどうかは知らないが、少なくともそのワクチンは存在しないだろうから。


「稼げたか?」


 俺の質問に、彼は微妙な笑顔を浮かべた。


「まぁな」

「どれくらい」

「今日だけで金貨九枚」

「おぉーっ」


 ラーダイが目を剥いた。


「なんだよそりゃ、俺達の何倍稼いでんだ」

「ま、今日は特に運がよかった。それに、俺のは稼げる仕事だから」


 ただ、それにしてはあまり嬉しそうではないのだが……

 その思考が中断された。


「あのー、ちょっといいですか?」


 女の声だ。受付嬢かと思って、俺達全員がそちらに向き直る。だが、そこにいたのは、革の胸当てをつけた女達だった。その視線はラーダイに向けられている。


「なんだ? 姉ちゃん」

「もしかして、迷宮探索からの帰りですか?」

「おう。ま、今日はただの様子見しかしてねぇけどな」

「えー、スゴーい」


 なんだこのノリは。武装しているから一応冒険者なんだろうが、キャピキャピしすぎてはいないか?


「私達、冒険者になってまだそんなに経ってなくて」

「おう」

「知り合いを増やしたいし、助け合える人が欲しいので、今度、一緒にお食事とかしませんか?」


 まさかの逆ナンである。

 女達の視線は、時折、俺やギルにも向けられている。


「ああ、いいぞ」


 ラーダイが勝手に全員を代表してそう答えた。


「ええー、いいんですかー?」

「おう、いつが暇だ?」

「じゃあ、次のお休みとか、どうですかー?」

「わかった、予定空けとくぜ」


 これはどういう状況なんだろうか。理解がまだ追いつかない。ここで詠唱して心の中を覗き見るわけにもいかないし。

 ただ、俺の中の何かが、これは不自然でよくないものだ、と警告を発している。


 女達が手を振って遠ざかっていくのを見送ってから、ラーダイは上機嫌に言った。


「いや、冒険者ってのは面白ぇな!」


 なお、今回の迷宮探索のおかげで、次の休み明け以降、俺には「腰抜け」のあだ名が追加されることになったのは別の話だ。

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