ステキなお茶会とワンちゃん
見上げれば抜けるような青空に、産毛のような白雲がちぎれて浮かぶばかり。だが、あちらとこちらは、ガラスの屋根によって隔てられている。その黒い骨組みが、まるで牢獄の格子のように見えた。
ガランとした殺風景な空間に、忙しく立ち働くメイド達の足音が響くばかりだ。時折、年嵩のメイドが緊張した声で何事か指示をとばすのが聞こえてくる。だが、この慌ただしい空間は、間もなく上流階級の子女達の憩いの場として作り変えられるのだ。
「そういえば、こういった社交の場は初めてだったな」
「はい。いろいろ各国を巡って、貴族や王に会う機会はありましたが」
一足先に、俺とベルノストは現場に入っている。つまり、彼が俺の教育係というわけだ。
「それに比べれば、こちらの社交はままごとみたいなものだ。ただ、それはそれとして作法が違う。考え方もな」
「どうすればよろしいでしょうか」
「どうもしなくていい。今回の主役はアナーニア様だ。お前やケアーナは、その次だ。自分の番に挨拶して、あとは笑顔で突っ立っていればいい」
グラーブが主催するサロン、つまり前世でいうところの部活動だが、一応、公式名称があって「世界秩序再建策討論会」というらしい。暗黒時代を経て失われた平和を取り戻すためにどんな努力をするべきか、その理想について未来を担う若人達が熱量をもって論じ合う……あくまで形式上は、そういう素晴らしいサークルなのだそうだ。
シモール=フォレスティア王国側にも同様のサロンがあって、似たような名前を冠している。こちらは「世界秩序再建策意見交換会」なんだとか。もちろん、部長はマリータ王女だ。そんなに世界平和を実現したいのなら、まず帝都にある両国のサークル同士、平和的にお茶会でも交流でもなんでもすればいいと思うのだが、基本的に没交渉である。
では、こうした素敵な部活動の内実はというと、要は顔繋ぎ、営業活動だ。帝都を中心に、可能ならその他の地域の有力者の子女を招き、仲良くする。仲良くといっても、本当に友情を育むのとは違う。元々、帝都の富豪の中にもこちら側に与しているのがいるので、その子女が留学生と接触し、同盟関係を確認し合う。無論、その中には関係性が太いのもいれば細いのもいるので、離合集散はある。
「こういうお茶会では、女性が主役だからな。いつもというわけではないが、今回は私もお前も立ったままだ。椅子はない」
「はい」
「疲れても我慢してくれ。顔には出すな」
こうした政治活動の決定力がどの程度かというと、決定的ではないが無視もできないというくらいのものだ。常識として、帝都は外部に軍事力を行使できない。昔、マリータが俺に言ったみたいに、仮に帝都がタンディラールを完全に敵とみなしたとしても、平和が国是の帝都が自ら人間の王国に攻め込むなど、許されないのだ。そういう軍事行動をとっていい相手は、魔王とか、それに従うパッシャのような連中だけだ。
ただ、経済的な関係があるので、帝都が完全に敵にまわってしまうと、いろいろとやりづらくなる。といっても、これまたすぐさま致命的というほどの影響力はない。それこそ前世のようにグローバリズムが進行していて、どこかの国の原油がないと我が国の工場が動かない、なんてことが起きる状況なら、経済封鎖にも大きな威力があると言えるのだが、こちらの世界はもっとずっと自給自足の度合いが高く、経済圏が狭い。他国からの輸入品が途絶えたからといって、即座に窒息するようなところは、ほぼないのだ。
だから、半ばはベルノストが言った通り、おままごとでしかない。ただ、ここで育んだ関係性は、グラーブが学園を卒業して王になった後にも続くものなので、軽んじていいとも言えないのだ。
但し……
「それともう一つ」
「なんでしょうか」
「お前は妻帯、いや、まだ婚約だけだったか? とにかく相手がいるから間違いはないと思うが、仮に女性から求められたら、角を立てないようにうまく距離を取れ」
お茶会に群がる側には、また別の思惑がある、ということだ。
「そんな、考えすぎでしょう。ベルノスト様ほど魅力的なら、そういうこともあるかもわかりませんが」
「それは皮肉で言っているのか?」
「いえ? 嘘も冗談もなく、本気でそう思っていますが」
彼は口を開けたまま、しばらく俺の顔をまじまじと見た。
「今一度、自分の顔を鏡でよく確かめた方がいいぞ。今まで言い寄られたことはなかったのか」
「えっと、そうですね、そういえば」
こめかみに指を当てて考える。
「これまでに二、三回ほどは」
「そうだろう、うまく断ったんだろうな」
「落ち着いてください。旅をしていた頃の話ですよ? 一人目は完全にお金目当てでしたし、二人目は……」
オルファスカは下心ありきだった。でもホアは、俺の色香に迷って迫ってきたんだった。
「そういえば二人目は、確かに僕の顔のせいでした」
「うむ」
「初対面でいきなりズボンを下ろされそうになりましたよ」
「なに!?」
「なんでも帝都で貴公子に同じことをして逃げてきた女だったとかで、あれにはビックリしました」
また口を開けたまま、彼は俺の顔を見つめた。
「他は?」
「他? 特にないですね。あ、ノーラは別枠です」
「ノーラ?」
「今、ティンティナブリアの代官を任せています。でも、あれはずっと前からなので。婚約者のヒジリも、別に僕のことを好きなわけではないようですし」
「む……」
彼は少し考えこんでしまったが、どうあれ伝えるべきことに違いなどない。
「まぁ、お前が自分のことをどう思っていようが構わん。ただ、見た目の問題は別としても、既にお前はティンティナブリアの領主で、正式な貴族だ。それだけでも女達にとって魅力的だというのはわかるな?」
「はい、それは」
「隙を見せるな。といって、あからさまに拒絶するのもまずい。だからただニコニコして立っていろ。もし困ったことがあれば私に相談してから決めてくれ。独断でやらかしてからだと、後始末が難しくなる」
言っていることは至極まっとうなので、俺は素直に頷いた。
「時に、お前……いや、待て」
「はい?」
「そういえば誰もお前の世話をしてないんじゃないか? まずいな」
彼は周囲を見回した。
既に準備がかなり進んでいる。殺風景だった室内に、ほっそりとした白い美しい花を咲かせた鉢植えとか、季節外れの花々を活けた花瓶とかが持ち込まれて、辺りの空気の匂いを変えていた。部屋の隅にある暖炉も着火済みらしい。これは暖炉そのものは部屋の外側にあるのだが、それによって熱せられる背面が、このガラスの部屋に食い込んでいるのだ。それでどの程度の暖房効果があるかはわからないが、ちょっとは温度が上がったような気もする。
「念のために訊く」
「はい」
彼は小さな声で尋ねた。
「繁華街に出入りはしていないだろうな?」
「それは、女を買ってないかという意味ですか」
「そうだ」
「してません」
俺が断言すると、ベルノストは次の質問に移った。
「済まんな。だが、これも確認させてくれ。なら、今のワノノマの公館の方で、誰か宛がってもらっているのか」
「いいえ」
「そうだろう。婚約者の立場で、周りがすべてワノノマの人間だからな。だが、捌け口がないと、往々にして道を踏み外すことが多いものだ。自分でも気づかないうちに欲求不満を溜めこんでいたりする。そうなるくらいなら、これも私が処理する。本当に、大事になる方がまずいから、遠慮なく言ってくれ」
「平気ですよ」
ノーラの件でけじめをつけられないのに、性欲だなんだと、そんな無様な真似ができるわけもない。多分、女中のうちの二人は、無理やり抱いても許されると思うが、やるつもりはない。
「それよりベルノスト様は、そちらはどうなさってるんですか。やっぱり誰かを」
「いや、私にもそんな女はいない」
これは思った通り。ベルノストの生真面目さを思うと、どうにも考えにくかった。
「と言いますと、誰か心に決めた方でも」
「それもいない。私は女に興味がないんだ」
「それってまさかゲ……」
「違う!」
声を荒げてしまったので、彼は慌ててまた周りを見回した。
「恋だの愛だのというものに興味がない。いや、信じていない。ただ、番わねば子を生せないから、家を残すために仕事でそうするだけのもの。そのように考えているということだ」
「は、はぁ」
これまた特殊な。俺にはさっき散々、性欲で困っていたら問題を起こす前に相談しろと言ったくせに。
「それより」
ふっと彼の表情が柔らかくなった。
「さっき言っていたが、そういえば、お前はずっと旅に出ていたんだったな」
「はい」
「今度、時間のある時に、話を聞かせてくれ」
急にどうした?
まぁ、悩みの多い年頃と思えば、別に変でもないか。
「構いませんが」
「お前が少し羨ましい。私も……遠くに行きたいと思うことがある」
お茶会について、一通りの説明が済んでから、俺達は一旦、会場から出た。そうしてまた、素知らぬ顔で参加者として、入場し直すのだ。
入場の順番は、まず身分が低い者から、或いは主催者にとって縁遠い人から。ただ、俺は例外的に中くらいの順序で立ち入ることになる。理屈の上では、今の俺は正式な貴族なので、まだ爵位を受け継いでいないベルノストや、ファンディ侯の末娘より地位が高いのだが、二人はそれぞれ、王子と王女の付き人のような役割が与えられている。
真っ赤な布製の鎧、ほとんどオシャレ目的のそれを身に着けた兵士達が儀仗を手に居並び、通り過ぎる俺を見守る。入口を潜ると、燕尾服を着た若い男が、俺の入場を告げる。白いエプロンに黒い服のメイド達が一斉に頭を下げる。
華やかな世界、なんだろう。既に入場している女達は、隅の方に席を与えられている。悟られないよう、そっと彼女らの表情を窺ってみたが、誰もが目をキラキラさせていた。彼女らには、素晴らしい夢の空間に映っているらしい。
どうすればいいかと思ったが、視線を向けられることはあっても、あちらから話しかけられることはなかった。客を迎える役が一人はいないと困るというのもあって、会場には最初からリシュニアがいてくれたからだ。彼女が先に入場した女達に気配りをして、笑顔で話題を提供していてくれたので、本当に俺はニコニコしながら立っているだけでよかった。
最後に、グラーブとアナーニアが連れ立って入場した。お前はどこの芸能人かと言いたくなるような、真っ白なスーツ姿の王子様と、同じく真っ白なドレスを身に着けた王女様だ。二人とも満面の笑みだが、これだけ見るとなかなかサマになっている。
先に一人、壇上に立ったグラーブが、挨拶した。
「みんな、今日はよく来てくれた。今回が今年度初の会合になる。今年も大勢の参加者が集まった。帝都の理念をより実現に近づけるためにも、僕ら若者同士の連帯が必要だ。未来を担う一人として、君達との友情をこれから先も、ずっと大切にしていきたい。それがきっと素晴らしい未来に繋がるのだと思うから」
すぐ下に控えるアナーニアが一礼した。
「僕は来年まで代表を務めるが、その続きはアナーニアに任せることになる。みんな、僕に向けてくれている友情を、彼女にも与えてやって欲しい」
もう一度一礼したアナーニアに拍手が降り注ぐ。それが止んでから、グラーブは新入生の自己紹介を始めさせた。
自己紹介が済むと、あとは段取り通りだった。大きく三つの丸いテーブルに座った女子学生のところに、同じく三つほどのグループに分かれて、立ったままの男子学生が集団で顔を見せに行く。とはいえ、喋る必要はほとんどない。俺のいる集団の引率役であるベルノストがそつなく相手をして、たまに何か直接話しかけられた時に、二言三言返せば済んだ。
それが一巡したところで、タイミングよくメイド達がやってきて、女子学生のテーブルに紅茶とケーキを並べていった。うまいやり方だと思った。女子学生も、有望そうな男を見繕いたいのもいるのだろうが、それはそれとして、初対面の男と長々話せるだけのコミュニケーション能力などない。気疲れさせないために、女同士のお茶会に切り替えたのだ。
そしてそれは、俺達も一息つけるということでもあった。
「ふう」
衝立の向こうに移動して、遅れて出されたお茶を飲みながら、ベルノストはやっと溜息をついた。もちろん、周囲に気をつけながらだ。衝立があるといっても、完全に視界を遮っているのでもない。こちらからもアナーニアの席がはっきり見えている。
こちらは立ったままだ。ケーキは出されず、お茶だけだ。なお、男子学生の全員がこちらにいるのではない。ここにいるのはエスタ=フォレスティア王国出身の貴族、宮廷人や騎士、官僚の息子ばかり。つまり接待の必要のない相手だ。本当に大事にしなければいけないお客様は、現在進行形でグラーブが一人でお相手している。そして司会進行を受け持つリシュニアは、何かあった時、どちらにでも駆けつけられるよう、笑みを浮かべたまま静かに一人で立っていた。
「今年は女子学生が多めだな」
「帝都の関係者が多い感じですか」
「そうだな。こちらは特に女子教育に力を入れるお国柄でもある」
一服しながら、俺達はぼんやりとアナーニアの様子を眺めていた。脇に控えるケアーナのサポートを受けつつも、とりあえずは躓くことなくお付き合いができているように見える。
この分なら問題ないか……と思った時、小さな変化が起きた。
アナーニアがメイドを呼びつけ、何事かを命じた。しばらくすると、そのメイドは戻ってきたのだが、問題はその手の中にあったものだった。
「こんなところに……粗相をしなければいいが」
ベルノストがやや緊張した声でそう呟いた。
メイドが運んできたのは、一匹の子犬だった。白くて毛の長い、フワフワした……前世でいうと、サモエドの子犬にそっくりなのが、今はアナーニアの膝の上に腰を落ち着けている。
「まぁ、なんてかわいらしい」
やや興奮した女子学生の声が、ここまで聞こえてきた。
それに返事をしながら、アナーニアはいかにも得意げに笑顔を浮かべていた。子犬はキョロキョロしながら、しかし変に走りだしたりすることもなく、彼女の腕の間から逃げ出そうとはしなかった。
とはいえ、トラブルのリスクは常にある。彼女の膝の上でしでかしたら、真っ白なドレスが汚物塗れになってしまうのだから。そうしたら、楽しいお茶会にパニックが呼びこまれる。
「殿下は犬を?」
「ああ」
難しい顔をしたベルノストが答えた。
「毎年、あることらしいな。帝都に来た女子学生、特に良家の娘が、真っ先に手を付けるお遊びが、犬や猫の飼育だ。まあ、話題作りにはなるから、一概に悪いとも言えない」
とするなら、今年の流行はサモエドだろうか。こちらではなんという名前で呼ばれているか、わからないが。一国の姫が選んだ犬種というだけで、周りも欲しがるのが人情というものだから。
ともあれ、心配されたトラブルは起きなかった。しばらくしてメイドが子犬を連れ去って、お茶会もお開きになり、来訪者も帰った。
気疲れだけをお土産に、俺も公館に引き返した。
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