学園デビュー

 頭上は薄曇り。まだ肌寒い中、学園の柵を左手に見て歩きつつ、奇妙な気持ちが持ち上がってくるのに戸惑っていた。

 旅をしている間は、いつも時間が貴重だった。朝、早起きするのは当たり前。明るい時間帯を無駄にせず、手早く支度を済ませて歩き出したものだ。それがまったく苦ではなかった。なのにどうしたことか、ただ決まった時間に起床して、女中が用意してくれた食事を摂り、さして遠くもない学園まで歩くだけだというのに、俺はもう倦怠感を覚えている。

 何が違うんだろう? とちょっと考えて、すぐ答えに辿り着いた。自発的な行動であるかどうか。その違いだ。


 校門をくぐり、広い校庭を横切って、暗い赤色の壁の下に黒い口を開けた校舎の中へとまっすぐ進む。

 それでもう一つの理由に思い至った。俺にはこの学園で学びたいことがない。ここに通うことに価値を見出していないのだ。ただ、タンディラールに行けと言われたから逆らわなかっただけ。ワノノマの監視を受け入れることにしたから、それとなく社会に溶け込んでいるだけ。

 無論、多少は引っ掛かりを覚えるある種の異変を目にすることはあるのだが……


 開けっ放しの扉から、教室内に踏み込んだ。すると、軽い驚きを目にすることになった。

 ギルが真ん中に座り、その向かいに、あの入学式の日に俺に喧嘩を売ってきたラーダイが。他にも男子学生を中心に数人が彼らを取り囲み、いかにも親しげに何事かを語り合っている。


「おはよう」

「おっ、ファルス、おはよう」


 ラーダイは俺をギロリと睨んだが、それだけ。揉め事に発展しそうな感じはしない。それより、彼の関心はギルに向けられているらしく、すぐに視線を戻した。


「じゃあなんだ、お前、十五歳になる前から、そんなに暴れてやがったのか」

「暴れるってほどじゃねぇよ。いきなりは無理だったぜ? 十歳で申し込んで拒否されて、それから地元の大人にみっちり鍛えてもらってさ。十三歳になったところでやっと参加を許されて、あとはずっと」

「何の話だ?」


 俺が口を挟むと、ギルは軽く手を振って答えた。


「北方開拓地。ほら、俺の事情とか、知ってるだろ? 稼がなきゃいけなかったしさ」


 そう言いながら、彼はポケットから冒険者証とタグを取り出した。


「ああ、なるほど」

「一年以上、ひたすらオーガ相手に戦ったからな。それでやっとアクアマリンだ。もうちょいでアメジストってくらいには実績が溜まってる」

「それは頑張ったな」


 俺がひたすら放浪の旅を続けていた間に、ギルは地道な努力を積み重ねてきたのだ。誇っていいことだと思う。

 ラーダイは、その冒険者証をじっと見て、少々面白くなさそうに眉根を寄せたが、やはり自分のポケットから、同じく冒険者証を取り出した。


「ま、それじゃあしょうがねぇ。先に走り始められてたんじゃ、そうそうは追いつけねぇけど」


 彼の冒険者証は、ガーネットだった。アクアマリンより一つ下。

 だが、実績からして、ギルはすぐにアメジストに昇格するだろう。一方、ラーダイは、この春に帝都に来て、すぐに冒険者証を作ったに違いない。それでもう昇格しているのだから、彼なりに頑張ったのだろうが、ギルとは経験の差がありすぎる。

 それでも周りの男子学生からすれば、既にしてガーネットの階級に達していることが凄いらしい。


「やるなぁ」

「俺はまだ、ジャスパーなのに」


 ホアが言っていたっけ。グラーブも言っていた。帝都の学生が四大迷宮に挑むのは、割とあることだと。理由はいろいろで、ギルみたいに生活に直結するケースもあるだろうし、ラーダイみたいに単に腕試しがしたい、周りに自慢したいという場合もある。

 それにしても、ギルは大したものだ。先日の時点では揉めそうになっていた相手なのに、もうこうして雑談ができる関係性を構築しつつある。そのさっぱりした性格ゆえだろう。


「で?」


 そんなことを考えていると、ラーダイの視線が俺に向けられた。


「ファルスっつったか。お前は冒険者証はもう作ったのか?」


 彼の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。若干、見下されていそうな雰囲気はあるものの、これといった敵意があるのでもない。俺としては、面倒な揉め事にならなければいいので、特に逆らわず、やり過ごせればいいだけのこと。

 で、さて……冒険者証は、ちょうど持っていた。首にはホアが作ってくれた魔道具の首飾りがかけてあるので、冒険者証はカバンの中に放り込んである。


「僕のは……これだけど」


 チュエンに到着してすぐ、最上位のサファイアに昇格した。最後の依頼が使徒の用意した探索任務だったっけ。もう一年以上も前のことになる。

 俺がそれを、彼らの目の前、机の上に置くと、早速、ラーダイが手を伸ばして確認した。他の学生の視線も集中する。だが、明らかに冒険者証の形がおかしい。本物の宝石が嵌めこまれているのは、上級冒険者のものだけだから。

 ラーダイは、実績を示すタグを裏表ひっくり返して確かめたりしていた。誰もが終始無言だったが、突然、彼は俺の冒険者証を机の上に放り出した。そして改めてひっくり返して、本物の宝石が見えるようにして、指差した。


「おい、マジかよ、これを見ろ! お前ら!」


 それからは、ラーダイは元より、周囲の学生まで巻き込んでの大爆笑になった。


「やりやがった! マジでやる奴いたのかよ! 笑いが止まんねぇ!」


 笑ってなかったのはギルだけだった。


「何がおかしいんだ?」


 わけがわからず首を傾げていると、もはや笑い過ぎて息絶え絶えになっているラーダイが、声を途切れさせながらも理由を説明してくれた。


「学園デビューとか、こいつイタすぎんだろ! おいおい、リアルすぎねぇ? この冒険者証」

「いや、それは」

「いいっていいって! わかってるから! 面白過ぎんだろ、ヒッ、ヒッ」


 笑い過ぎて息が詰まってしまっている。それでも笑うのをやめられないらしい。

 だいたい理由に行き当たっていたが、俺はギルに振り返って確かめた。


「これって、つまり、どういう」

「あー、だってよ、ファルス、常識で考えてみろよ」


 そして、俺の思った通りだった。


「普通、冒険者証は成人、十五歳以上じゃなきゃ発行されねぇだろ? 俺は体も大きかったし、自前で留学費用をある程度稼ぐ必要もあるってことで、無理やり十三歳で認めてもらったんだけどよ。で、そうなると、学園に入った時点で十五歳くらいが普通なのに、なんでもう最上級のサファイアなのかっていうことになるわけでな」

「やっぱりか」


 つまり、ラーダイら他の男子学生は、俺が見栄のために偽造した冒険者証を持ち込んだのだと思って大笑いしているのだ。学園デビューとか言っているし、そういうことをするのが、過去にもいたのだろう。それを伝え聞いていたから、こうして今、大ウケしてしまっているわけだ。


「あの、どうでもいいけど、一応言っておくと、それ、本物」

「わかったわかった! ブフッ、お前が最強だ、ファルス!」


 ラーダイは笑いながら俺に冒険者証を返した。

 それから、もう俺に興味がなくなったらしく、彼はギルに向き直った。


「なぁ、今度四大迷宮に一緒に行かないか? 頼れる奴と組みてぇしよ」

「構わねぇけど、時間のある時な? 迷宮はちょい遠いし、当面は稼ぎやすい仕事を優先したいんだわ」


 興味本位で冒険者の真似事をしたい学生とは違い、彼にとっては生計を立てる手段でもある。それでギルは、俺の方をちらりと見た。


「ファルス、お前は時間あるか?」

「まぁ、ギルほど差し迫った用事はないけど」

「俺が無理だったら、よければお前が一緒に行ってやれよ」


 他意はない。ギルは俺の実力を知っている。タリフ・オリムの近衛兵を片っ端から打ち倒すのを見ているのだから。しかもそれが四年以上も前だ。だから本当に俺を、未熟なラーダイ達の保護者として指名したのだろう。

 だが、この文脈では、当然に別の意味として受け止められてしまった。


「ぶっははは! わかった! 安心しろ、ファルス! 俺がお前を本物の英雄にしてやるからな!」


 これでよかったのか悪かったのか。とにかく、彼は俺を睨みつけてきたりはしなくなった。敵意がなくなって何よりだ。ナメられた、とも言うのだが。

 しかし、その見下しは、今日中に訂正される見通しではあった。なぜなら、今日は必修科目の戦闘訓練があるから。


 昼前にそれぞれの講義を済ませて教室に戻ってきた俺達男子学生は、着替えを手に更衣室に向かった。そこで動きやすい服装に着替えて、校庭に出た。

 既に授業の準備として、片手用の木剣が乱雑に金属の籠の中に放り込まれていた。


「これ使うのかぁ」


 一本を引き抜いて、ギルが難しい顔をした。


「どうした?」

「あぁ、俺はずっとオーガばっかり狩ってただろ? だからいつも使う道具は両手で持つ大剣なんだよ。お前も知ってるだろ」

「なるほどな。小さな剣だと心許ないか」

「慣れもねぇしな」


 それにしても、この木剣で何をさせるのか。せいぜい素振りくらいしかできないだろう。プロテクターもないのに、学生同士で試合をするわけにもいかない。ズブの素人だっているのだから、うっかり大怪我なんてこともあり得る。

 そう思っていたところで、校舎の方から講師と見られる人物がやってきた。しかし、遠目に見ても、かなりの高齢らしい。髪の毛が白いし、頭の天辺がハゲている。体格はそれなりに大きいし、筋肉もついているようだ。大きな木剣、それこそ大剣と呼べるサイズのものを肩に担いでいる。そして、こちらにゆっくりと歩いてきていた。


「三組の学生は、これで全員か」

「はい」

「よし」


 帝都の学園の剣術講師、となればどれほどのレベルなのかと思っていたのだが、悪い方に期待外れだった。

 ピアシング・ハンドで見るまでもなく、強者の風格が備わっていない。老人だから仕方ないといえばそうなのだが、高齢でもイフロースやマオみたいな強者もいたのだし、この場合は別に歳を重ねたから弱くなったというのでもないのだろう。

 実際、剣術スキルのレベルが4しかない。あとは風魔術が3レベル。その他戦闘に役立ちそうなスキルや魔法、神通力は有していない。


「わしがティンセル・フッコ、お前達の戦闘訓練の講座を受け持つ講師だ」


 世界中を経巡って、大人物を数多く目にしてきた経験もあってか、俺は人の顔を見る時、その表情により着目するようになった。

 老人の顔が醜いのはある意味自然なことだが、ティンセルについて言えば、どうもそれだけではない。なにかこう、顔の上に膜でもへばりついているんじゃないかというような……ああ、これは虚栄心のような、自分の尊厳を何かで保ちたいと思っているような、そんな感情だ。偉さを実感したがっている何者かではなかろうか。


「早速だが、初日から、お前達に最強必勝の剣技のなんたるかを教えてやろう」


 そんなものはない。

 あるとすれば、それは地道な基礎の積み重ね以外になかろうが、それさえ時には本人を裏切ることがある。例えばアネロスの『首狩り』などは、そのいい例だ。体捌きで敵の攻撃をいなす戦士の熟練を逆手に取った技なのだから。

 だから、イフロースにせよ、キースにせよ、俺が出会った強者達は、自分の今いる場所に安住しようとはしなかった。これが最強、これが必勝、そんなものに縋りついたりはしない。いつでも試行錯誤の繰り返しだった。

 つまり、必勝の剣なんて言い出す時点で、もうこいつの程度が知れるというものだ。


「この剣を見よ」


 そう言いながら、ティンセルは自分の木剣を地面に突き立てた。


「重く大きく、扱いづらい代物だ。だが、その利点は大きい」


 彼はそれを担ぎ直すと、今度は横ざまに構えた。そして水平に振り回す。敵の胴体を薙ぎ払う動きだ。


「こうして、広い範囲を切り伏せる動きをすることで、敵は近づくことができない。そして、決して敗れない体勢から、敵を追い詰めていけばよいのだ」


 俺は口を開けてポカーンとしてしまった。

 そんなわけがあるか。そういう戦い方ができる状況ばかりではなかろうに。


 それでふと思い出した。

 これとそっくりな戦い方を見せた相手がいたっけ? そうだ、レジャヤにいた、あのフォニック将軍。敵を横薙ぎにしながら、近寄れないところで風の拳を放つという、あのセコい戦術。あれの出処が、こいつだったのか。


 こんなの、何の役にも立たない。実戦で相手どるのが一人という保証はないし、敵が弓やスリングショットを持参していることだってある。投擲用の網とか、目潰し用の火薬とか、割と広く普及している光魔術の『閃光』を使用されたりとか。いくらでも攻略できてしまう。

 再び臆病者の剣、というフレーズが頭の中を突き抜けていった。


「じゃあ、誰かわしに挑んでみよ……そうだな、お前」

「はっ!?」

「そこの黒髪、そうお前だ。名前は」

「……ファルスです」


 ああ、アホらしい。そのアホらしいという気持ちが顔に出てしまっていたせいか。この手の人間、そういう感情だけにはやたらと敏感だから。

 だいたい最強の剣だかなんだか知らないが、それを言い出すならまず、生徒の側に同じだけの間合いのある武器を渡すべきだろう。自分だけ長物をもって有利を確保するとか、情けないと思わないのか。


「ではファルス、実際にわしの剣に挑んでみよ」

「はい」


 面倒臭い。ホアがくれた魔道具もつけたままだし、単に距離を取って離れたところから魔法で一撃を浴びせるだけで、一方的に倒せる相手だ。でも、そんな上等なやり方をする気にもなれない。


「では、そこのお前」

「はい!」

「名前は」

「コモです」

「お前が開始の合図をせよ」


 それで彼は、俺が既に木剣を手に向かい合ってるのをみて、やや乱雑に号令を発した。


「では、はじめ」

「あっ、先生」


 開始の合図を待っていた俺は、その直後にわざと校舎の方を指差した。


「教頭……ケクサディブ先生が手招きして呼んでます」

「なにっ」


 キースがドゥミェコンでコーザに教えた手だが、案外、通用するものらしい。

 振り返ったティンセルが無防備になったところへ一気に踏み込んで、首元に木剣を突きつけた。


「これで終わりです」


 技術がどうとか、それ以前の問題だ。武器を手に向かい合っているのに、気を抜く方が悪い。卑怯もへったくれもない。一度でもしくじれば死ぬ。それが剣だ。


「なっ、なぁっ、なあっ!」


 だが、案の定、俺のやり方にティンセルは顔を真っ赤にして怒り出した。


「そんなズルいやり方があるか! バカモン! 貴様は剣のなんたるかをわかっておらん! 下劣すぎると思わんのか! もういい、下がっておれ!」


 下劣も何も、下劣なのが剣だ。人を殺す。苦痛を与え、悲しみを撒き散らし、すべての幸せを奪い去る。それのどこが下劣でないというのか。それでも、やむにやまれず振るうのが剣ではないか。

 まぁ、わかる人にはわかるだろう。俺が今やったのが正しい剣で、ティンセルこそ大きな勘違いをしているのだということが。


 しかし……


 どうやら、これで逆に俺の評価が定まってしまったらしい。

 後でギルが教えてくれたのだが、戦う腕がないから騙し討ちにしたということで、ラーダイ達の中では、最強なる最弱として受け止められてしまったのだという。

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