はじめてのホームルーム

「うおっ、美人だな」


 俺のすぐ隣で、ギルが暢気な感想を漏らしている。だが、俺は生返事もせずに彼女を見つめていた。


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 フシャーナ・ザールチェク (72)


・マテリアル プルシャ・フォーム

 (ランク7、女性、72歳)

・スキル フォレス語  7レベル

・スキル サハリア語  6レベル

・スキル ルイン語   6レベル

・スキル シュライ語  6レベル

・スキル ハンファン語 7レベル

・スキル ワノノマ語  5レベル

・スキル 火魔術    4レベル

・スキル 土魔術    7レベル

・スキル 光魔術    6レベル

・スキル 力魔術    7レベル

・スキル 治癒魔術   5レベル

・スキル 魔力操作   5レベル

・スキル 指揮     2レベル

・スキル 管理     3レベル

・スキル 政治     4レベル

・スキル 医術     6レベル

・スキル 薬調合    6レベル

・スキル 魔力鍛造   6レベル

・スキル 鍛冶     1レベル

・スキル 裁縫     2レベル

・スキル 料理     2レベル


 空き(51)

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 能力の高さもさりながら、問題なのはその肉体だ。魂は副学園長と同じく七十二歳、だが肉体的な老化を克服している。

 そして、俺にはこの名前に接する機会が、過去にあった。大森林の南部、あの不老の果実のあった場所に残されていた石碑。となれば彼女は、あの地に辿り着き、緑竜を欺いて不老を得たのだ。


「あのう」


 教室の隅から、声があがった。


「なにかしら」

「ザールチェク先生って、もしかしてお名前からすると、学園長ですか?」


 そういえば、今朝の式典の際に挨拶したのも副学園長で、彼女は一切、あの場に姿を現していなかった。普通は一番偉い学園長がああいう式辞を述べるものではないのかと思ったのだが……

 この指摘に、彼女は数秒間、硬直した。


「はぁ」


 それから嫌そうに溜息をついて、頭を片手で掻きむしった。


「そうよ。あんまりサボってたもんだから、ケクサディブから働けって言われちゃってね、しょうがなく」


 この言いざまには、さすがに教室の空気も重苦しいものになった。実は学園長でした、でもやる気ありません、しょうがなく面倒を見るんですよ、と言われて、気分がよくなる学生なんていないだろう。美貌が齎した好感度を軽く踏み潰すほどのマイナス感情が、この狭い教室内に渦巻いた。


「安心していいから。うちの学級は全員卒業は確定。形だけ卒論書いてくれれば、内容がなんであれ、単位は認定するつもりよ。ああ、ただ、つまんなかったら途中で読むのやめるけど」


 投げやりにもほどがある。


「そっ、それはいくらなんでも、いい加減過ぎませんか?」

「いいじゃない。無事、卒業できて市民権確保できるんだし。ねぇ? うちの学園、共通試験の足切りは高めだけど、二次試験はザルでしょ。で、特定推薦制度もあるから……まぁ、パドマにある大学の中じゃ、権威は一番だけど、学力は……中身バカなのがワンサカいるんだし。そんなのが書いた、単位欲しいだけのどうでもいい論文なんか、読まなくていいでしょ」


 投げやりどころか、クソミソである。


「教室の中、ザッと見ただけでも、そういう腹積もりらしいのがいるのはわかるわ。どこでも大学出ておけば市民権だけは取れるからって、そうしたら女の子なら、急いで産まなくても足下見られないで済むから、有利な結婚もできるし、いいんじゃないかしら? それに、ここなら『あわよくば』もあるんだし」

「ひどすぎませんか!」


 俺の後ろで席を立ったのがいた。

 どちらかといえばフォレス系に見えるが、よくわからない。四角い黒縁眼鏡をかけた、セミロングヘアの女の子だ。背は低く、体も細かった。


「学問の場をなんだと思ってるんですか! 学園長でしょう!」

「どなた?」

「マホ・アルキスです」

「ああ」


 フシャーナはゆったりと体を揺らしながら頷いた。


「例の団体の特定推薦で入った子ね? で、何が問題なの?」

「そういう言い方はやめていただけますか。私は志があったから、あえて特定推薦を受けたんです。でも、ちゃんと共通試験も受けました」

「知ってるわ。確か順位一桁なんでしょう? 頑張ったわね。偉い偉い」


 人をからかうような物言いに、彼女はますます怒りを募らせた。


「でも、悪いこと言わないから、あなたみたいな子は、ここじゃなくて他に転入した方が身のためだと思うわよ? 一番いいのはナーム大学だけど、あそこは今からだと厳しいから、王立学院あたりなら手をまわしてあげてもいいわ。専門技術を身につけて、世の中の役に立ったらいいんじゃないかしら」

「お断りします。私が自分で選んだんですから」

「そう? かわいそうに、若さを無駄にするのね」


 もはやマホは火を噴きそうになっている。


「私はこの社会に蔓延る不正義を糾し、帝都の理念を元にあるべき姿を」

「はいはい、早く気付いてね。あなた、自分がただの発情中のメスザルだなんて、わかってないでしょ」

「メ、メスッ!?」


 クソミソどころか、このやり取りにまったく関係ない俺でさえ青ざめる暴言である。

 大丈夫か、この教授。


「とりあえず座ってくれない? まだ伝達事項があるんだから。仕事終わんないじゃない。私、あなた一人だけの相手をすればいいわけじゃないの。そういうところよ?」


 爆発寸前のマホだったが、こう言われてはどうしようもない。憤然としながらも、乱暴に腰を下ろした。

 それを見届けてから、フシャーナは静かに言った。


「……さっきバカがワンサカいるって言ったけど、いるのはバカだけじゃないってことも付け加えておくわ。この学園にはね、床もないけど天井もないの。卒業しても、手元に残るのは卒業証書一枚だけ。何ができるかを保証するものは何もない。いい? 決められた仕事を人からもらって、その出来栄えで自分を評価してもらうようなのは、ここではいらないの。何もなくても、自分でどこまでも上り詰めなさい」


 なんとも厳しいコメントを残して、彼女は伝達事項を述べ始めた。


「知らない人もいるかもしれないから、簡単に。私は担任だけど、普段の講義はしない。受け持つのは週一回のホームルームだけ。基本的にそれだけは、各担任の教授の裁量になっているから、それはやらせてもらうわ。それ以外では、みんな各自で受講する講義を選んで、今週末までに私まで提出すること。必修科目もあるから……面倒だし、この小冊子を見て確認して」


 教壇の下に置かれていた箱を、彼女はいかにも重そうに持ち上げた。それを六冊ずつ、先頭の席に座っている人の前に置いた。それが順繰りに後ろの席に受け渡される。


「男子は戦闘訓練、女子は裁縫が必修になっているけど、最近の方針で、どちらかとなら入れ替えが可能になっているから、そうしたい人は早めに連絡して。あと、ここはフォレス語の学級だから、みんなハンファン語初級の講義も必修。あとは文化学が必修ね。わからない人のために簡単に言うけど、要はただのマナー講座。これが必要な理由は、言わなくてもわかるわよね?」


 建学の理念に沿った必修科目ということだ。

 特に戦闘訓練などは、文字通りに受け止めることはできない。この学園が創立されたのは、ギシアン・チーレムが地上にいた頃で、つまりは世界が統一された直後、まだ各国が互いに遺恨を抱えていた時期だ。貴族の子弟は当然のように先祖伝来の武技を身につけており、そうした技術はそれまで門外不出だった。そういう武術の腕を見せ合うことを強制する……つまりは戦闘訓練という名前の、実質は武装解除のためのセレモニーだったに違いない。

 フォレス語話者にハンファン語を、逆にハンファン語話者にフォレス語を必修とさせるのも、文化学という名の異文化マナー講座を学ばせるのも、すべては全世界の融和のためだ。


 それにしてもこの冊子、作りは雑だが、文字が手書きではない。これはつまり、印刷技術がある?

 そこはやっぱりさすがは帝都だ。


「それ以外は自由選択だけど、最低限取る必要のある単位数、そんなにないから。分野も自由だから、各科目の初級だけ受けて卒業ってのもできなくはないし、何か一つに絞って極めてもいいし。卒業に必要な単位を超えて学んでもいいわ。それでも二年で卒業とはならないけど。あと、取りたい講義があっても前提ができてないと受講できないから注意して。毎年、魔法が人気なんだけど、やるんだったら最初に魔法学基礎、魔術文字初級を履修しておかないと、先にいけないから。ま、その辺すっ飛ばしたければ、別途試験を受けて合格すればいけるから、そういう人がいたら相談してちょうだい」


 頭を掻きながら、彼女はぼやいた。


「私としては、魔術なんかお勧めしないけどね。勉強したってどうせ、卒業までに大した腕になんてならないし、その後の修行をしたくたって、よっぽどお金持ちとかでもなきゃ、そんな機会ないでしょ」


 手元の冊子をめくりながら、彼女は雑に説明を続ける。


「授業は来週からだけど、一応、前期と後期に分かれてるから。紅玉の月の半ばくらいまでが前期。で、夏季休暇を挟んで黄玉の月の初めから縞瑪瑙の月の終わりまでが後期。後期に取れる単位、期間が短い分、少ないから気をつけて。外国の貴族の娘さんとか騎士の息子さんとかには関係ないんだろうけど、三年の後期は実質、就職活動の時期だからね。それも頭に入れて、何を勉強するかよーく考えて。あと、特定推薦で入った人は、申請があれば社会活動のための欠席も認められるから……まぁこれはわかってる人だけの話かな」


 特定推薦、つまり俺みたいに貴族枠で入学した人は、別途責務を負っていることが少なくない。例えば、自分の父の所領が大変な状態になっているのに、暢気に学園なんかに通っていられないだろう。だから非常時には気楽に欠席できるようにしてある。

 なお、あくまで推薦なので、当然に推薦した有力者や組織が他にある。俺の場合は、名目上、タンディラールがそれに当たる。外国から来た学生は、だいたい王とか貴族の推薦を受けている。

 ただ、そうするとさっきのマホとかいう女子学生は、どこで誰の推薦を受けたのか……共通試験の結果で合格できるだけの学力は余裕であったはずなので、してみると彼女はこの「社会活動のための欠席」という特権を得るために推薦を受けたとみることもできそうだ。


「それと課外活動。これも重要だから。必ずどこかには所属すること。ここを出たら、新入生狙いの先輩方が待ち構えてるから、楽しみにしてなさい。ま、行き先が決まってる人、半分くらいはいそうだけど。決まったらこれも届け出を私まで。あと、制服とかの規約は……」


 ぐるりと教室内を見回して、フシャーナは頷いた。


「わかってそうね。はい、何か質問は? なければ自己紹介の時間にするけど」


 誰からも声はあがらなかった。


「じゃ、あとはよろしく」


 すると彼女は、教壇の前の椅子を引き寄せ、そこに座ると、突っ伏して寝始めてしまった。


「……強烈な教授だったな」


 フシャーナが立ち去った後、ギルは呆然とした様子で、そう呟いた。


「まぁ、只者じゃないね、あれは」

「やっぱそうか。お前が言うんなら、そうなんだろうな」


 そうして俺達が話していると、そこに影が差した。


「ファルス」


 アナーニアから俺に話しかけるとは珍しい。


「おぉ、王女様だ」


 座ったまま仰け反るギルを一瞥して、彼女は俺に向き直り、念を押した。


「この後、わかってるわね? 変な寄り道はしないで、ちょっかいをかけられてもまっすぐ兄のところに行くこと」

「ええ」

「ならいいわ。ケアーナ、行きましょう」


 これだけで、二人連れ立って教室の外へと出ていった。


「教授もおっかねぇけど、姫様もなんか怖ぇな。美人だけど」

「なんとも言葉にしづらい」

「っと、悪ぃ悪ぃ」

「ちょっといいかな」


 後ろから男の声で話しかけられた。


「ファルス君と言ったっけ。僕のさっきの自己紹介、覚えてるかな」

「名前だけは。コモさんだというのは」

「よかった」


 彼も帝都人だ。ハンファン系の特徴が強く出ているが、人種を特定できない。手足が細く、豆型の顔をしていて、髪の毛は黒い。


「リー・コモだよ。改めて、はじめまして」

「宜しくお願いします」

「それで、早速だけど、訊いてもいいかな」

「なんでしょうか」


 さっきアナーニア達が歩き去っていった出口を盗み見ながら、コモは言った。


「君、自己紹介のときには、どこの国から来たかと、名前しか言わなかったけど、姫様とは親しいのかい?」


 それでわかった。彼はもう「仕事」に取り掛かっている。


「親しいというほどでもないですが、面識はあります。お兄様のグラーブ王太子とも」

「それはいいね。じゃあ、今度時間があるときに、みんなでうちまで遊びに来てくれないかな」

「僕一人では決められないので、彼女のお気持ち次第ですが」

「それでいいよ。行けそうだったらまた声をかけて。それじゃ」


 それだけでコモは去っていってしまった。


「モテモテだな、お前」

「僕がモテてるんじゃない。殿下目当てなんだから」

「ああ、そうか。でも、姫様から目をかけられるくらいには大物なんだから、やっぱりお前もモテてるのさ」


 肩をすくめ、それから机の上にカバンを置いた。


「そろそろ出よ」

「おい!」


 後ろから怒鳴りつけられた。振り返ると、今朝の乱暴者……ラーダイというらしい……が肩を怒らせていた。


「てめぇ、このまま逃げる気か」


 俺は溜息をつきながら、椅子から立ち上がった。


「逃げていいなら、逃げる」

「んだとぉ?」

「校門の前で突っ立ってて邪魔になったのは悪かった。でも、他には何もしていない。こっちは殴りかかってきたのを避けただけだ。僕が泥水の中に蹴落としたんじゃないんだから」


 落ち着いてそう言うと、彼は火のような眼差しを向けてきた。


「ま、いい」

「喧嘩はしたくない。いいよ、ファルスがビビッて逃げたって言ってくれてもいい。忘れてくれないか」

「戦闘訓練の講義が楽しみだなぁ? 覚えとけ」


 それだけいうと、彼は俺を睨みつけながら背を向け、出ていった。

 ラーダイを見送ってから、俺とギルは顔を見合わせて溜息をつき、今度こそ教室を後にした。

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