そしてここが俺の学級

 まるで深みのあるブランデーの海の中に彷徨いこんだような色合いの廊下は、ダラダラと歩く学生達によって軽く渋滞していた。

 初日に授業はないが、式典の後にホームルームに相当するものがあるらしい。自分の属する学級の教室に行って、一通りのガイダンスを担任の教授から受けなくてはいけない。


 なお、ここの先生方は、教師ではなく、教授だ。学生の年齢は高校生相当で修学年限も三年間だが、位置づけとしては前世でいうところの大学であって高校ではない。それでいて学級はあるし、学級のための教室もあるし、学生服もあるので、きれいに当てはめられないのだが。

 ただ、授業は教室で受けるものと、担当の講座を聴講しにいくものとがあるという。無論、必修科目もあるのだが、何を学ぶかを自分である程度は選べる。この辺は大学っぽさを感じる。


「一の三、一の三……ここか」


 教室の扉は前世の学校と違い、普通のドアだ。安全性を考えるなら、引き戸の方が優れていると思うのだが……ただ、こちらもその辺に無頓着というわけでもないらしく、廊下側から室内に立ち入る場合は、扉を押すことになる。もっとも、今は開けっぱなしになっているのだが。

 室内に立ち入ると、既に数人の生徒が席を占めていた。試験の時にも座ったが、椅子も机も木製で、座面と背凭れはなんと竹網製だ。廊下の向かいの壁には大きな窓が設けられており、そこに透明なガラスが嵌めこまれている。まだ少々肌寒い季節とあって、すべて閉じられていた。


 俺が室内に立ち入ると、教室の隅の方に固まっていた女子生徒が三人ばかり、こちらを盗み見て仲間内でお喋りし始めた。


「ワッ、なにあれ? 結構、当たりな方じゃない?」

「油断しちゃダメ! うっかりするとうっかりしちゃうんだから」

「シーッ」


 聞こえてる……


 だが、俺はフッと肩の力が軽くなるのを感じていた。

 世界各地の政治家のタマゴが通う学校。それはそれで事実なのだが、実は入学者は他にもいる。帝都の市民の子女だ。彼らは俺達外国の貴族と違って、地元の試験を経て、この帝立学園の入学試験を受けている。わかりやすく言うと、いわゆるセンター試験とか共通テストとか、そういうものがまずあって、そこで高得点を得た少年少女が、この学園やその他の教育施設に進学することができるのだ。一方、好成績を収められないと、市民としての資格を失うリスクに直面する。昔、人形の迷宮で出会ったコーザなんかは、この試験で進学できずに女神挺身隊に参加したクチだ。

 恐らく、あそこでキャーキャー騒いでいる女子学生達は、パドマで生まれ育った一般家庭の出身なのだろう。もう十五歳にもなるのに、この世界の平均で考えると、随分と幼く見える。いや、前世の中学生相当とするなら、これくらいが妥当だろうか。フォレスティアの田舎に生まれていれば、彼女らの年齢ならとっくに結婚が視野に入るし、未熟さはありつつも農作業に裁縫にと、実務で戦力になることを求められるのだから。


 同級生の男子の品定め、か。楽しそうで何よりだ。

 適当な席に腰を落ち着けて、一息ついた。なんだか一気に別世界に来たような気さえする。一年前、俺はどこにいた? モゥハとの会見を終えて、目的をなくしたまま、ぼんやりと日々を過ごしていたっけ。ワネ島で、西方行きの船の準備が整うのを待っていたものだった。そのまた一年前は、カークの街だったか。モーン・ナーの呪いのなんたるかを思い知らされて、これまでに奪った人の命の重みに押し潰されそうになっていた。

 それが今では……


 大柄な男が、大股に教室の入口に踏み込んできた。逆立つ髪は色の薄い金髪で肌も白い。ルイン人だと一発でわかる。体はかなり鍛えこまれているように見える。そいつは入口に立って、左右を見回した。それからどこか適当なところに座ろうとして、教壇の前を通り過ぎた。

 そこで目が合った。


「んん?」


 そいつは目をパチクリさせながら、身を屈めて俺に顔を寄せた。


「お前、もしかして……」


 俺もまさかと思い、ピアシング・ハンドで確かめた。


「ギル?」

「ファルスか!」


 すっかり別人だ。何を食ったらこんなに膨れ上がるのか。俺も随分背が伸びたが、こいつは俺より大柄に育っていた。


「おほーっ! マジか! マジかよ! お前も帝都に来たのかよ! はっはぁ、おい、元気だったか?」

「あ、ああ」


 その太い腕で俺の肩を乱暴に叩きながら、彼は笑顔を浮かべた。


「いやー、お前、生きてたんだなぁ、手紙の一つもねぇからよ。あれからどうなったか、一応心配してたんだぜ?」


 手紙なんか、書くはずもなかった。そもそも死出の旅だったのだから。

 それでも、その気になれば、ティンティナブリアの領主になった時点で手紙くらいは書き送ることができたはずだった。そこは反省している。ただ、ノーラ達を残して遊学の旅なんかに行く身の上で、私事を優先する気になれなかった。ただでさえアルディニアへの道は、事実上、途絶したままだったのだし。俺が一暴れすれば通れない道ではなかったが、そこに手間をかけられる状況ではなかったのだ。


「なんとか、ね。いろいろあって忙しかったんだ」

「おぉ、そうか! ま、お前のことだし、どうせとんでもねぇことしてたんだろ! 後で詳しく聞かせろよ!」


 もうすぐ教授が来るだろうと考えて、立ったままの長話はやめ、彼は俺の隣にどっかと座り込んだ。


「そういやお前、今、どこに住んでんだ」

「えっと、川沿いの」

「カワァ? 運河じゃなくて川かよ!」

「あ、まぁ」

「いいとこ住んでんなぁ! 俺なんざ西の二番運河の向こうだぞ」


 そうだった。ギルの場合、実家にそこまでお金がない。留学させるのが精一杯で、その後の仕事の世話すらしてやれない。イリシットに喧嘩を売った件も、まだ響いているのだろう。


「借家?」

「おう。せまーい下宿でなー」


 恵まれた環境にいる俺が言うと嫌味になるから言えないが、それはそれで学生らしくていい。その代わり、誰にも煩わされずに一人の時間を過ごせるのだし。


「早速ギルドに行って稼がねぇと」

「そういえば」


 あれからどれだけ鍛えたのか、北方開拓地のオーガ退治に参加はしていたのか、アルディニア王国の様子は……

 尋ねようとした時、また一人、入口から誰かがやってくるのが見えた。


「やぁやぁやぁ! こんにちは、諸君!」


 入口に立っていたのは、ポニーテールに眼鏡の女だった。人種的に、フォレス人なのかサハリア人なのか、はっきり区別できない。髪の毛は黒いのに、肌の色は明るいからだ。ただ、女にしては背が高い。ほっそりとしている。顔かたちもそれなりに整っているのだが、その立ち居振る舞いから醸し出される雰囲気は、到底色恋沙汰には発展しそうにない奇人変人のそれだった。ともあれ、制服を着用しているところからすると、やはり学生らしい。


「んー……」


 彼女は、話しかける相手を物色し始めた。

 俺は反射的に顔を伏せた。なんだかわからないが、ここで迂闊に仲良くなると、スクールカーストが変なところで固定されそうな気がする。いや、絶対そうだ。

 それにしても、ピアシング・ハンドが表示する彼女の名前、フリッカ・ギャラティ……どこかで見かけたような気がするのだが。


「あの」


 だが、フリッカの獲物探しは、背後からの抗議の声に中断された。


「通れないんですけど」

「あっ、ごめんよ!」


 慌てて振り返った彼女に声をかけたのは、一回り背の低い女子生徒だった。陰気そうな声色、あまりきれいでない肌……ニキビのようなものが噴き出ている……そして結い上げた髪。まるでプチトマトのように見える。

 もしかして、また知り合いかと思ったところで、それが裏付けられた。そのすぐ後ろから、忘れようにも忘れられないあの王女、アナーニアが姿を現したから。つまり、このプチトマト娘は、ファンディ侯の娘、ケアーナだ。

 思えば六年も前になる。夜会でファンディ侯から彼女との縁談を勧められたのは。あの時は奴隷出身の騎士ということでボロクソ言われたものだが、今となっては身分が逆転してしまった。俺は既に正式な貴族だが、ケアーナが貴族の妻になれる保証などないのだから。


 二人がそそくさと廊下側の空席に身を落ち着けると、フリッカも通行の邪魔になるまいと、教室の奥の方の空席に向かった。

 既にほとんどの学生は到着しているらしい。椅子の配置が五列六行、室内にはもう二十人以上いる。そろそろ担任の教授もやってくる頃だろう。

 ギルに「また後でな」と言おうとして横を向いた時、入口の外側から、やけに耳につく足音が迫ってきた。


「……クソッ!」


 俺は一瞬で首を振って前を向いた。

 入口に立ったそいつは、苛立ちを吐き出すと、教室内を大きく見回した。なんてこった。さっき絡んできた乱暴者じゃないか。でも、トラブルなんてごめんだ。俺は喧嘩なんかしない。いじめられるのも嫌だ。だからここは知らんぷりがいい。

 と思ってはいても、やっぱりそうは問屋が卸さない。


「あっ……てめぇ!」


 俺を見つけると、大股に歩み寄ってきた。見れば、乾きかけているとはいえ、彼の新品の制服にはきっちり泥汚れがついている。


「さっきはよくも」

「何かあったのか」


 遠慮なく俺の襟を掴んだそいつの手を、ギルは上から抑え込んだ。


「のいてろ! てめぇにゃあ関係ねぇ」

「関係あんだよ。こいつは俺のダチだ」

「あぁ? 知るかよ。すっこんでろ!」


 これは弱った。ブチのめすのは簡単だが、トラブルは避けたいし、でもギルに泥をかぶらせるわけにも……


「ギル、大丈夫だから」

「んなのわかってら。逆だろ? 余計にマズいことになるから俺が止めてんだよ」


 そういうことか。仮にも現役の兵士達を少年時代に圧倒した俺が、こんなチンピラまがいのガキに負けるなんて、ギルが考えるはずもない。むしろ俺が直接手を下すともっとひどいことになるから、親切で介入してくれているのだ。とはいえ、ややこしい。


「ごちゃごちゃうるせぇ! てめぇら二人とも」


 そいつがいよいよ暴れ出そうとした時、俺達三人の頭上に夜の帳が下りた。


「喧嘩、よくない」

「うおっ」


 これにはさすがに俺も驚いた。

 身長、実に二メートル越え。全身筋肉質で、横にもそれなりに太い。墨を塗りたくってもこうはならないというくらいの色黒で、髪の毛はパンチパーマ。顔はコーヒー豆のように長いが、頬骨も張っているので細いという印象はない。

 だが、何より印象的だったのは、その服装だった。制服ではない。焦げ茶色のマントを二枚、肩から左右に下げている。板金鎧のように節目のついた黒い上着を身に着け、腰のベルトからは腕のような装飾が垂れさがっている。そして袖にもふくらはぎにも、見た目にトゲトゲしい装飾が施されていた。

 人種的には西部と南部のシュライ人の混血に見える。年齢は既に十八歳だが……彼も学生か?  やや不自然なフォレス語だったが、学園の授業はフォレス語かハンファン語で行われるらしいから、ある程度理解できるようになるまで学んでから留学に来た、という感じだろうか。


「みんな友達。仲良く」

「お、おう……」


 強引に握手され、毒気を抜かれたチンピラ君は、そのまま脱力して部屋の隅に行き、そこで崩れ落ちるようにして着席した。


 これでこの学級の生徒は全員、集まったことになる。

 そろそろ教授が来る頃かと察した学生達は、徐々に会話を小声にしていった。


 静まり返った廊下の向こうから、木の床を打つ音が近付いてきた。ハイヒールでも履いているのだろうか? そしてその音が、入口のすぐ前で止まった。この教室の担任は、女?

 注意を向けた俺の耳が、小さな溜息を捉えた。いかにもやる気が出ないというような。それからまた、すぐ足音がして、ようやく彼女の姿が俺達の視界に入った。


 スリットの入った黒いロングスカート。暗い灰色の上着はまるで胸当てのようにも見える。金縁眼鏡をかけていて、深みのある黄金色のロングヘアの上には黒い帽子が乗っかっている。あの、前世のイギリスの大学の卒業式でかぶるような、下が丸くて天辺が四角いやつだ。均整の取れた嫋やかな体つきは魅力的といえたが、同時にどこか退廃的な雰囲気をも感じさせられた。

 彼女は、俺達に向き直ると、一瞬沈黙し、それから改めて息を吸い込んでから、やっと声を発した。


「えー……あー……入学おめでとう」


 いかにもやる気ありません、と言わんばかりの気の抜けた挨拶だった。


「私が担任を務める教授、フシャーナ・ザールチェクよ。これから多分だけど三年間、よろしく」

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