相次ぐラブコール

 もうすぐ昼という時間。ほとんど雲のないカラッとした晴天の下、佇む馬車の影がやけに黒ずんで見えた。


 歩いて公館の前まで戻ると、そこに何者かの馬車が停められているのに気付いた。俺が不在の間に来客があったらしい。少し考えてから、とにかく使用人に話を聞くしかないと結論した。俺目当ての客かもしれないのだから。

 離れの玄関から立ち入ると、そこには小男のポトが待っていた。


「婿殿、お帰りなさいませ」

「何かあったのか」

「あなた様にお客様ですぞ。ネッキャメルの族長の嫡男、アスガル様がお越しです」


 その名前を聞いて、記憶を掘り起こすのに少し時間がかかった。あの東部サハリアの南北の戦争の後、俺はハリジョンにしばらく滞在していた。その時に、一度だけ顔を合わせた程度だ。ただ、当時の俺は、大量殺人に茫然自失といった有様で、実は彼のことはほとんど印象に残っていない。

 あれから三年だ。多分、顔形からして別人になってしまっていることだろう。


「今は」

「ヒジリ様がお相手して、お待ちいただいております」

「わかった。案内して欲しい」


 俺の離れの玄関は邸宅の南東にあるが、もう一つ、北東に市街地向けの出入口があり、こちらが正式な通用門になっている。一階の廊下を南から北へとまっすぐ歩き、そこから回り込んだ先にある応接室の前に立つ。身分が高くなったのもあって、自分で扉をノックしたりはしない。ポトがまず声をかけて、入室の許可を得る。

 扉を開けてもらって中に入ると、背凭れのない椅子に座った二人の姿が見えた。部屋の北東側に青年が、南西側の出口に近い側にヒジリがいる。窓からの光が、ちょうど二人の間の丸いテーブルの表面にかかって眩しかった。


「外出しておりました。お待たせして申し訳ございません」


 俺はそのアスガルと思しき青年に身を折った。

 青年とはいったものの、その外見はもういい大人のそれと変わらない。もうティズより背が高いように見える。肩幅も広く、一言でいって大柄だ。ほとんど真っ白な貫頭衣の上に、寒さを和らげるための焦げ茶色の長衣を羽織っている。例の赤い長衣ではないので、これは非公式な訪問であるという意思表示となる。頭にはターバンではなく、これまた多少の装飾の入った白い帽子。浅黒い丸顔の下には、タワシになりそうなくらいの硬そうな顎髭が生えている。

 三年前は一応少年だったのに、ここまで人相が変わるものか。


「おぉ」


 アスガルは直ちに席を立った。


「とんでもない。だが、何から話せばいいのか。まずはこのたび、このような麗しい婚約者を得られたこと、御身の幸運を女神に感謝せねばなるまい」


 彼は一年先輩にあたる。他人の目もあり、長幼の順もあって、俺には微妙な言葉遣いを選んでいるように見えた。

 ヒジリも立ち上がって、俺に言った。


「アスガル様は、旦那様が帝都にいらしたとの知らせを受けて、取るものもとりあえずこちらにいらしたのだそうです。ぜひ一度、できれば今日にもお食事を共になさりたいとのことです」

「今日? ですか?」

「いきなりのことで大変失礼とは思うが」


 うっすらとした笑みを浮かべつつ、アスガルは引き下がらなかった。


「旧交を温めたいとの思いもあってのこと、多少の不作法には目をつぶっていただけるとありがたい」

「いえ」


 こんな言われ方をして、この後に予約が入っているのでもないのに「帰れ」とは言えない。


「では、ヒジリ」

「はい」

「あ、待たれよ」


 それで察した。


「もしかしてアスガル様、ご自宅の方でもう」

「そうなのだ。今にして思えば考えが足りぬこと、身勝手で恥ずかしく思うが」

「いえいえ、では僕がお伺いすればいいんですね」


 旧交も何も、一度短時間会っただけの彼が、俺に対して本当になんらかの感情を抱いているわけもない。そうではなく、彼は赤の血盟の特使なのだ。そしてワノノマの人間を交えず、俺だけに話をしたい。そんなところだろう。

 ヒジリが視線を走らせた。


「では、ポト。お供を」

「あ、いや」


 俺は慌てて押しとどめた。


「ちょっと軽く食事して帰るだけのことなのに、大袈裟なことはしなくていい。あれこれ気を遣ったり、遣わせたりするのは、サハリア人の好むところではない」

「ははは、その気遣いだけで、もう十分すぎますな」

「少し出てくる。正式な訪問ということになったら、その時には供を連れていく」


 言い切った。ヒジリは表情を変えなかったが、多分、内心では不満が燻っているだろう。それが怖くないかといえば、怖いのだが……


「承知致しました。いってらっしゃいませ、旦那様」


 馬車はほぼまっすぐ東に向かった。右手に商社街を見ながらそこを通り過ぎ、左手前に時の箱庭のある高台が見えてきた辺りで、とある門を潜った。

 そこにあったのは、恐らく大きな商会の敷地を買い取って建て直したであろうサハリア風の家屋だった。陸屋根の三階建て、場所によっては二階建ての家々が並び立っており、その手前に広い空き地が広がっている。せいぜい隅の方にヤシの木が生えている程度でいかにも殺風景だが、俺にはあの四角い家々の裏側に緑に溢れた中庭が設けられているのがわかる。


 なお、この立地だが、フォレスティアの二つの公館はおろか、俺の滞在するワノノマの旧公館と比べても、数段格が落ちる。一応、商社街の外れにあって、すぐ北には旧帝都の端、時の箱庭もある場所だが、ほとんど庶民エリアとの境界線上に位置しているようなものだ。

 ここから少し東に向かうと、なんとそこにあるのは競技場だ。その主要な用途は、週末の競馬だったりする。


「急な話だったのに、一人で来てくれて、本当に助かった」

「いえ」

「とりあえず中へ」


 言葉少なく、アスガルは俺を大きなアーチの門から家の中へと差し招いた。薄暗い家の中に一歩踏み込むと、ほのかにお香の匂いがした。

 彼が案内したのは、思った通り、この邸宅の最も奥まった一室だった。右手には半屋外の中庭が垣間見えている。冬場の寒さを和らげるために、あちこちにカーテンが下ろされている。足下から温かいが、これはオンドルのような機構が用意されているのかもしれない。足下はと言えば座敷で、こちらは畳ではなく、シュライ風の敷物があり、その上に薄っぺらい座布団のようなものが置かれていた。

 使用人が言葉少なにいくつかのお椀を持ち込んで、最後にお茶のポットをおいていなくなる。その足音が遠ざかったのを確かめてから、アスガルは床に両の拳をつき、俺に深々と頭を下げた。


「ここまで、大変なご無礼を」

「あ、いえ、全然気にしていません。顔を上げてください。立場もおありでしょう」


 彼は彼で、バランスの取れた振る舞いをするべく、知恵を絞っていたのだ。いまや東部サハリアの覇者である父を持つ彼の権勢は、決して小さくない。形式上の身分は豪族の息子に過ぎなくとも、実質的にはグラーブと同等の勢力を背景にする王子様なのだ。だから、成り上がりのポッと出貴族の俺にペコペコするのはおかしい。しかし、元はと言えばそのような成功も、俺がティズに力を貸したがゆえだ。その父が俺に頭を下げて上納金を受け取っていただいているのに、彼が俺を軽視するような態度などとれないし、したがるはずもないし、また許されない。

 だが、あの戦争での俺の活躍は、秘密とされている。屋敷の使用人にも変な形で情報が漏れては困るから、この奥まった場所に来るまで、先輩面したままでいなくてはいけなかった。


「多分、こうするのが一番面倒がないかと思います。僕はハリジョンにずっといたことになっているんですから、その時期に付き合いがあって、年齢も一つ違いますから、アスガル様が兄貴分だったというような感じにすれば、あまり違和感を抱かれずに済むかと」

「助かります」

「もっと楽になさってください。それこそ本当に兄貴分の顔でもなさった方が……ほら、無駄な気遣いはサハリア人の歓待にはない作法でしょう?」


 すると、彼はやっと顔をあげた。


「では、そのように。確かに、うっかり誰かに聞かれても、態度がおかしかったなどと言われると、理由を知られかねない」

「はい。僕が先輩扱いすれば済むことです。自然な態度でどうぞ」


 大きく息をついた彼は、俺に身振りで食事を勧めながら言った。


「今朝は出かけていたとのことだが」

「グラーブ様に呼ばれました」

「ああ、先を越されたか」


 俺は首を振った。


「変に出し抜こうなんて思わない方が……フォレスティア側と赤の血盟の関係がよくないのはわかっていますが、僕のせいで火種が蒔かれるなんて、冗談ではないですし」

「こちらのサロンに所属してもらおうと思っていたんだが」

「その言葉は聞きましたが、サロンというのは?」


 アスガルは頷くと、説明してくれた。


 サロンというのは、前世の学校でいうところの同好会と部活動を混ぜて割ったようなものらしい。誰かが始めたいと言い出し、それに同調するメンバーが一定数揃っていると、学園側で認可が下りる。活動のための部室も用意される。活動内容は公序良俗に反しない範囲で自由とされる。

 ただ、この世界は俺の前世と違って、高校が同じ地域にいくつもあるような社会状況にない。一応、帝都には他にも学園相当の学校が存在しているが、そちらは国内用のエリート養成機関だ。よってそちらには、課外活動のようなユルい部分はない。つまり、学校対抗の野球大会みたいなものは、そもそも成立しない。

 だからサロンにおける活動のほとんどは、部内での討論がメインということになっている。というか学園側の正式名称はあくまで「課外活動」であって、サロンは通称だ。ただ、ほとんどの課外活動が学究・討論目的という名目で設立されている。

 この活動内容、あってないようなものだ。普段は議論らしい議論などせず、みんなでお茶ばかり飲んでいたりする。事実上、各地域の次世代リーダー達による外交の前哨戦の場でしかない。


「やっぱりまずいですよ、それは。タンディラール王も警戒していたんでしょうね」

「そうは言ってもな……うちとしては、ファルスのことは最優先だ。だが、後の祭りだな。ただ、そういうことなら、何か困ったことでもあったら、まずうちを頼ってくれ。帝都にも少なからずサハリアの商人が居着いている。いざとなれば、それなりの役には立てると思う」


 だからといって気安く面倒ごとの始末を頼んだら、それはそれで借金になりそうな気もするが……

 ここで急に彼は真顔になった。


「ファルスのことがなくても、この二、三年は、学園としては本当に正念場だろうから、身の振り方を考えないといけない。それは誰もがそうだ」

「なぜですか?」

「各地の有力者が一堂に会する世代だからだ。東部サハリアからは自分が、二つのフォレスティア王国からも既に王子や王女が複数入学している。それと帝都にいる大富豪のリー家からも、今年入学するのがいるらしい」


 それで会話が一区切りしたところで、彼は別の話題を切り出した。


「それからこれは、多分、あと一週間ほどすれば、世間に広まると思うんだが」

「はい」

「父が、ポロルカ王国の諸侯になった」


 どういうことか? 俺の視線を受けて、彼は一度頷き、説明した。


「与えられた爵位はムールジャーン侯だ。統治する範囲は、エインからキト、但しカリを除く。それと半島側ではジャリマコンからジャンヌゥボンまで」

「そこまでやるとは」

「やらなきゃいけなかった。歴史の繰り返しを止めるためだと言われたよ」


 つまり、ティズはもう「豪族」ではなく「貴族」だ。真珠の首飾りの各地をその領地と認められ、ポロルカ王国に代わって統治を受け持つ身分となった。つまり、六大国由来の正統性を身に帯びることになる。

 彼は異なる二つの社会の支配者になったのだ。従来の、赤の血盟のリーダーにしてネッキャメル氏族の族長という立場が消えたわけではない。と同時に、ポロルカ王国の貴族でもあり、今、名前を挙げた都市の正式な支配権は、この爵位と紐づけられる。要するに、それが他の氏族であれ、同胞の誰かであれ、王権の下のムールジャーン侯の権威なしに真珠の首飾りに手を伸ばすなら、それは世界秩序への反逆ということになる。

 これまで、俺という怪物の力を背景に、ティズは睨みを利かせてきた。だが、当然に「その後」のことも視野に入れていた、ということだ。仮に用心棒がいなくなっても、この体制が安定すれば、利権を巡る争いを最小限にとどめることができるだろう。東部サハリアの体質そのものの改善に取り組み始めたのだ。


「まぁ、それはそれとして」

「はい」

「ワノノマの皇女と結婚とは」

「まだ婚約ですが」


 アスガルはにやりとした。


「正式な結婚でないなら、どうだ? もしよければ、ネッキャメルから選り抜きの娘達を差し出したい」

「それはちょっと……」

「なぜだ? 生まれは高貴、教養にも品性にも欠けるところはない。美貌も約束できる。なんなら側妾にしても構わない」


 愛情も何もないのに、俺みたいな怪物への供物にされる女が気の毒だから、だ。


「政略結婚そのものじゃないですか」

「貴族が政略結婚して何が悪い」


 正論で、ぐうの音も出ない。


「まぁ、まだ気乗りしないというなら、無理にとは言わない。ただ、これだけははっきり言っておく。赤の血盟は全面的にファルス個人との同盟を優先する」


 食事の後、馬車で送られて北東側の玄関から帰宅を告げた。

 すると、奥からヒジリが自ら姿を現した。


「旦那様」

「済まない。急なことで……あの人は、昔の知り合いで、本当は気楽な付き合いをしていた仲だった」

「そうなのですね。ただ、その件ではなく」

「どうした」

「お手紙が届いております」


 そう言って彼女は俺に封筒を持たせた。だが、どうにも手触りがおかしい。


「申し訳ございません。異物が入っているとわかったので、勝手に開けてしまいました」

「いや、それはいいが、いったいこれは」

「危険はないのですが」


 それで俺は、中身を検めた。

 中にあったのは……


「ペン?」


 そして中には紙切れが一枚。


『入学式が終わったら、ご挨拶に伺います』


 これだけ。


「悪質な悪戯でしょうか」


 ヒジリは深刻そうな顔をしているが、俺にはわかってしまった。面倒臭い隣国のお姫様の仕業に決まっている。

 深い深い溜息が漏れるばかりだった。

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