家僕紹介

 小さなノックの音で、まどろみから引き戻された。


「旦那様、お休み中のところ、失礼致します」


 ヒジリの声だ。パッと跳ね起きる。


 屋敷についてからすぐ、この部屋まで案内された。それから女中らしいのが軽食を運んできてくれたのでそれを食べた。そうしているうちに使用人達が浴槽を湯で満たしておいてくれたので、せっかくだからとひと風呂浴びた。すると、やはり船旅で疲れていたのか、早くに目が覚めたせいか、気怠さが勝ってきたので、横になることにしたのだ。

 油断のならない忍者屋敷なのは承知していたが、これからずっと気を張って暮らすわけにもいかない。それに、どう料理されようが構わないくらいの気持ちでもいる。


 俺が部屋から出てくると、彼女は軽く身を折った。


「お疲れでなければ、よろしければですが、改めて旦那様に、これからお仕えする召使達を紹介させていただきたいのですが」

「構いませ……構わない」


 言葉遣いや態度がまだ定まっておらず、寝起きというのもあって、うっかり地が出そうになった。するとヒジリは目を細めた。


「旦那様。ワノノマでは、子は親に従い、妻は夫に随うものです。私はまだ正式に妻として受け入れていただけてはいない身の上ではございますが、それであればなお一層、旦那様にお仕えする心持ちでいなくてはならないと弁えているつもりでございます。いまだ未熟な私のためとお思いになって、どうかお気遣いなどなさりませんように」


 曖昧に微笑んで軽く頷き返したが、内心では「怖っ」としか思えなかった。

 表向きは品のある東国の婦人、だがこれも、彼女にとっては魔物討伐隊の仕事の延長のようなものなのだ。たまたま今回の任務が、討伐ではなく監視というだけでしかない。戦場ではなんでもありだ。そのなんでもありが、この場合では貴婦人の真似事というだけに過ぎない。


 二階の渡り廊下を二人して歩く。それが途中で玄関のような場所に区切られる。フォレス風の住宅は靴のまま上がり込むものだが、ここから先はワノノマ風の板間の廊下になっているのだ。

 促されて靴を脱ぎ、ひんやりする廊下を進んで左に折れると、中庭を見下ろせる二階のテラスに出た。ここだけ視界を切り取って写真にしたら、まるで風情ある温泉旅館にでも来たみたいに見えるだろう。焦げ茶色の年季の入った板の廊下も、木の手摺りも、どこか懐かしさのようなものを感じさせる。斜め下に見える奇岩や池、その下を埋める砂利。仕切りになっている緑の木々。それらの上から、真昼の陽光が降り注ぐ様子は、華美ではないが、粋だった。

 右手はなんと障子になっており、それが半開きになっていた。ヒジリはそこで向き直り、俺に先に入るようにと身振りで促した。


 中は畳敷きの和室だった。奥だけ一段高くなっており、そのまた奥に床の間のような空間が設けられている。もっとも、そこに吊り下げられているのは掛け軸ではなく、細かな刺繍の施された布だった。

 その一段高い畳のところに座布団が置かれている。ヒジリは、俺にそこに座るよう指し示した。なんか偉そうなポジションだなぁと反射的に体が硬直すると、彼女は言った。


「旦那様は異国の方ですし、何より主人なのですから、作法は気にかけなくても構いません。楽に座っていただければ結構です」


 座り方は楽でも、座って楽な場所ではないよね、とツッコミを入れたくなるのを抑えつつ、俺は黙って言われた通りにした。

 ヒジリはというと、俺の右手側にある、一段下の座布団のところに正座した。ただ、そこは武人らしく足の指は寝かせず立てている。


「これ」


 俺に向ける柔らかな口調とはまったく違う、人に上から命じることに慣れた声。


「旦那様がお着きです。入りなさい」


 恐らく脇の部屋にいたであろう三人が、目の前の廊下に立って影を落とす。マツツァとタオフィ、それに小柄な犬みたいな顔をしたポト。彼らは揃ってその場に膝をつき、一礼した。それから中腰になってそっと俺の左側に置かれた三つの座布団の上に正座した。

 この身分差感。それもそうかと納得はする。マツツァ達からすれば、ヒジリは最高司令官だ。しかし、召使一同で俺を歓迎って、こういうノリなのか。


「マツツァ、タオフィ、ポト。今日までよく旦那様を助け、ここまで連れてきてくれました」

「ハッ」

「ですが、明日からもよくお仕えするのですよ。まかり間違っても、旦那様よりその婢に過ぎない私を貴ぶなどということがあってはなりません」

「ハハッ」


 これ、歓迎という名目で俺に圧力かけにきてるんじゃないか。いや、元々そういう場所だし、そういうイベントなんだろうけど。


 入り婿の肩身の狭さというのは、一つにはこれなのだろうと再確認させられる。正式に結婚していないとはいえ、俺は既にこの屋敷の家長なのだ。そして、家長には家長としての自覚が求められる。俺にはその覚悟は希薄だが、その意味はよく理解できる。だからプレッシャーを感じてしまうのだ。

 さっきヒジリは「子は親に従い、妻は夫に随うもの」と言った。前世日本からやってきた俺には馴染みのない価値観だが、長い歴史を振り返れば、むしろこれがスタンダードだった。それは人と人とが包摂と抑圧の網の目に囚われる世界だ。自分で自身の重さだけを担う個人主義の快適さは、そこにはない。

 この世界観においては、社会に所属するめいめいが自由を制限される。妻たるヒジリは俺に口答えもできないし、その下で働くマツツァ達に至っては尚更だ。そして仮に有事でもあれば、末端の構成員は犠牲にされることさえ起こり得る。だが、その代わりに集団を形成することによるスケールメリットを得るのだ。一方、家長は家長で、いつもは偉そうな顔をしてふんぞり返っていればいいのだが、集団全体の生存についての全責任を負わねばならない。

 それでも、生まれながらにこの社会集団の中で育ってきたのなら、そういうものかと受け入れるのも難しくはないだろう。だが、俺は落下傘で飛び降りてきただけのご主人様だ。


 どう生きるのが好ましいのか。

 俺は、底辺で生きる気楽さと、搾取される苦しみを知っている。頂点における豊かさと、責任の重さを知っている。そして、一人で生きる自由と危うさをも知っている。


 一応、士分にあたる彼らだけが、宴に同席する資格があるのだろう。他の席は設けられていなかった。


「では」


 末席に座ったポトが、手を打った。それを合図に、座布団の前に置く膳が運び込まれた。だがそこには、箸と匙、湯呑みと酒杯、取り皿があるばかりだ。

 年嵩の女中が進み出て、ヒジリに徳利のようなものを差し出すと、彼女は進み出て俺の下で膝をつく。なんとも恭しいこと。目の前の配下や使用人の前で、きっちり上下関係を示そうとしているのだ。

 まったく気持ちが休まらないながらも、俺はさも当然のように酒杯を差し出した。そこに彼女は透明な酒を注ぐ。横目で盗み見ると、他の三人の男にも女中達が同じようにしている。だが、ヒジリの膳には酒杯そのものがない。これはあれか、男の目の前では酒は飲まないし、飲むべきではないという男尊女卑的な振る舞いというやつか。

 けど、これではどんな顔をして飲み始めたらいいのか。いや、俺が「乾杯」とか言わないと、マツツァ達も飲みようがないのだが。


「では改めて……ようやくにして旦那様をお迎えすることができ、私どもにとってこれに勝る喜びはございません。今日、この日の喜びがいつまでも続きますように。旦那様、これを共に祝う幸せをくださり、誠にありがとうございます」


 堅苦しいが、これが彼女なりの助け舟なのだろう。


「旅の果てに今朝、帝都に辿り着いたばかりなのに、もう我が家に帰ったような気がする。ここより安らかでいられるところが他にあるだろうか。私は作法を弁えないが、その上でどうか、共に酒杯で喉を潤して、このよき日を祝って欲しい」


 我ながらよく咄嗟にここまで言えたものだ。数年間の旅の間、貴族や要人相手に渡り合ってきた経験ゆえか。


「乾杯!」


 俺が左手の男達を眺めながらそう言うと、彼らも唱和して、酒杯に口をつけた。これでよかったらしい。

 ホッとしながら、俺も形ばかり酒を口に含んだ。


 それにしても……


 脇に控えるヒジリを盗み見る。

 酒を飲む気もなければ、多分、料理にもほとんど手を付けるつもりもないのだろう。今回は司会役に徹するつもりらしい。

 名目上の家長は俺だが、実質的には彼女をリーダーとするファルス監視部隊だ。その責務を全うするために、ヒジリはすべてを背負い込もうとしている。言ってみれば、ほとんど彼女と俺は敵同士のようなものなのだが、それはそれとして、その使命の重さを思うと、同情せずにはいられなかった。お前も大変だな、と言ってやることさえできないのだが。


 乾杯が済むと、すぐに次の料理が持ち込まれた。まずはお吸い物と白米、それに立派な魚一尾丸ごとの塩焼きだ。

 この米の焚き方も、見ただけでうまくできているのがわかる。塩焼きはシンプルな料理だが、きっちり手間をかけていなければ、こうはならない。


「マツツァ、ティンティナブリアでの旦那様は、いかがでしたか」

「それはもう、さすがはとしか申せません。たった一晩で領内を荒らしまわっていた賊どもを捕らえておしまいになられましたし」


 そのために、奴隷女を掻き集めては性欲の捌け口にする変態王を自ら名乗ったりもしたのだが、さすがにその辺は伏せて欲しい。

 タオフィも口を開いた。


「それより驚きなのは、数百年、誰も通ろうとしなかったロージス街道を切り開かれたことでしょうな。まだ道が通ったというに過ぎませんが、これは近々大変なことになりますぞ」

「なんと、そのような……いずれ嫁いで目にするかと思うと、楽しみでなりませんね」


 むず痒くなるような褒め殺しが始まったが、多分、今は食べるターンだ。ヒジリはそのための間を空けるために、中身のないトークを配下達としているのだ。もうすぐ、また何かイベントが差し挟まれて、何もできなくなりそうな気がする。

 なぜならまだ「召使一同」が出揃っていないから。多分、今回で主要人物は俺に引き合わせるはずだ。


「では、そろそろ」


 ほら、きた。


「旦那様、よろしければ、これから身近でお仕えする者達を呼んで挨拶させたいのですが、よろしいでしょうか」

「構わない」


 するとまた、ポトが手を打った。すると女中達がやってきて、俺達の前にある膳を下げていき、新しい膳を持ち込んだ。そこには温かいお茶に満たされた湯呑みと、小さな皿の上のお菓子があるだけだった。


「トエ、ご挨拶なさい」


 近くに控えていたであろう彼は、障子の裏からやってきて、部屋の入口で膝をついた。

 この邸宅にやってきた時、最初に出てきた老人だ。さっきと同じく、フォレス風の茶色い服を身に着けている。


「こちらがトエ、この館の執事です」


 彼は人の警戒心を解いてしまうような穏やかな笑みを浮かべつつ、その場に膝をついた。


「彼はあらゆる国の言葉を解します。帝都には世界中から旦那様の学友がやってきますが、トエがお迎えするなら旦那様に恥をかかせることはないかと思います」

「お仕えできて光栄至極に存じます。この館の一切について、何かお困りのことなどございましたら、お気軽にお申しつけください」


 紹介すべき家僕はまだ大勢いるのだろう。たった一言でトエは下がってしまった。

 次に出てきたのは、中年女性だった。


「ウミ、女中頭です。トエの下で内向きの一切を取り仕切っています」

「女中達の管理と指導を受け持っております。万事不都合がないよう、しっかりと務めを果たしたく存じます」


 彼女が去ると、次はホームベース型の顔をした、白髪の男が静かに膝をついた。トエにあった親しみやすさ、ウミに見られた何かの迫力のようなものは帯びていない。そして、ピアシング・ハンドの力を借りるまでもなく、俺には彼がどんな人種なのか、わかってしまった。


「ミアゴア、料理頭です。この館で供される食事のすべてについての責任者です」

「精一杯、お仕えさせていただきます」


 ここで思わず俺は割り込んだ。


「よい腕をしているようで」

「えっ? あっ、は、ははっ、あ、ありがたき」


 社交性はいま一つ。職人らしい職人なのだろう。

 だが、俺は皿の出来栄えに敬意を払う。


「適切な量の塩をまんべんなく振っておき、生臭さの元になる水気を丁寧に拭き取り、予め熱しておいた釜で手早く表面を焼いてしまうのでなければ、こうはならない。料理について、教わることもあると思う。その時には宜しく頼みたい」

「お、畏れ多いことでございます!」


 彼はほとんど地べたに這いつくばるような勢いで顔を伏せてしまった。無理もないことだ。腕があるとはいえ、ただの料理人が、いきなり姫巫女候補の婚約者としてやってきた人に仕えることになったのだ。普通、姫巫女候補は結婚なんかしない。異例中の異例で、そこらの貴族や豪族のそれとはわけが違う。そんな状況に放り込まれるとあっては、一般人からすれば、畏れしかないだろう。


 次にやってきたのは、フォレス風のスーツをスマートに着こなした青年だった。キザったらしく前髪を垂らしている。その眼光は鋭く、自信に満ちていた。


「フォモーイ、医者です。旦那様が体調を崩されることがあった場合には、彼が責任もって治療に当たります」


 専属の医者とは、まったくいい身分になったものだ。

 だが、ここでようやく、俺はこの忍者屋敷の本領発揮を目にした。というのもこのフォモーイ、ただの医者ではない。暗器のスキルがある。医薬だけじゃなくて、毒薬の知識もあるんじゃないのか。


「主だったものはこれで以上ですが」


 ヒジリは俺に振り返りながら言った。


「王家より要地を預かる旦那様は、押しも押されもせぬ貴公子です。そのような方が、供回りもなしに出歩くなど考えられないことでしょう。けれども、本土の方は大変に忙しく、郎党の方々をここに置く余裕もございますまい」


 という話にしておきたいのだろう。そもそも俺に体一つでやってこいというのが、オオキミの要求でもあったのだし。


「ですので、ここにいるマツツァ、タオフィ、ポトをご自身の郎党とお考えになってお使いいただいて構いません。マツツァは操船に長けておりますゆえ、船で遠出される際にはお役に立ちましょう。また、タオフィは馬術に優れております。旦那様も、アーシンヴァルと名付けておいでの馬をお連れですから、遠駆けの際には、お供としてお連れください」


 監視をつけますよ、の言い換えだ。


「それで内向きのことですが、旦那様が起居する部屋のお掃除など、身の回りの世話は女中達の役目となります。特にお傍にて仕える者達をご紹介致します」


 すると、また障子の向こうから、三人の女中がやってきた。


「こちら、左からタウラ」


 亜麻色の髪とは、これはフォレス人との混血だろうか? 名前もそれっぽい。


「真ん中がファフィネ」


 こちらも若く、しかも美しい。


「最後がカエデとなります」


 最後は更に若く、まだ十四歳だ。成人していないので、彼女だけ髪の長さが肩にかからないくらいのおかっぱ頭で、後ろで束ねられていない。

 それと、一人だけ服装が異なる。先の二人は、首からエプロンを下げており、上着は絣模様のゆったりした袖の、いかにも和装という感じで、下は動きやすそうな袴になっている。ところがカエデだけはほとんど真っ白な和服だ。


「館の中で御用がおありであれば、いつでも命じていただければと思います」


 いつでも……か。

 真顔になってしまう。タウラもファフィネも、未熟ながら若干の戦闘技術がある。だがそれより引っかかるのは、二人とも房中術のスキルが伸びていることだ。これは、夜中にでも呼び出して、なんなら襲ってしまえということか?

 ヒジリとしては、そうなることも織り込んでいるのではないか。単純に愛着の湧く女がいれば、それだけで俺が妙な方向に暴走する危険を小さくできるし、あれこれ信用して秘密を漏らすかもしれないから。


 二人と比べると、なんでそこに混ざっているのかわからないのがカエデだ。目を伏せている二人とは対照的に、彼女は物怖じせずに俺を直視している。下手をすると無礼とされかねないくらいに。

 ピアシング・ハンドが告げる能力だが、年齢の割には槍術のレベルが高い。こちらは武人の娘といったところか? 当然ながら房中術など影も形も見えない。本当に、何しに配置したんだろう?


「他にもまだまだ大勢の使用人がおりますが、とても全員を一度には紹介しきれません。ですがその辺はそのうち、おいおいでよろしいかと思います」

「そうだな」


 返事をしながらも、俺は半ば、内心では逃げ腰になっていた。

 この宴席の間、ヒジリの背はピンと伸びて、まったくブレていない。声色や表情こそ穏やかでも、何が何でも俺への監視任務をやり遂げてやるという気持ちがそこに滲み出ている。


 それにしても、因果なことだ。

 ピュリスで忍者と同居する生活をして、もうこれきりと思ったところが、またこうして、正真正銘の忍者屋敷で暮らす破目になろうとは。


 この状況で、あと三年間、か。

 少し気が遠くなった。

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