いつかまた自由になれたら
藍玉の月も既に下旬とはいえ、晴れた日の真っ昼間となればかなり明るい。特に今日は、季節外れの暖かさだった。加えてあの円形の広場の真ん中に設けた本部テントの中だから、陽光がテントの布地を突き抜けてくる。灯りを点す必要はなかったが、おかげでかなり蒸し暑い。光源を得るためというより風を通すために、入口に隙間を作っておかなくてはいけなかった。
「これが、今日、ここまでの活動で得られた成果と情報だ」
そうしてこの二ヶ月間の遠征の結果を簡単に報告した。
東西を結ぶ街道。距離にして、およそ二百キロ強といったところか。ちょうどタリフ・オリムとオプコットの間の距離と同じくらいだ。重装備の軍勢なら十日かそれ以上、この街道を利用して高速に移動する馬車なら恐らく五日前後で行き来できる。その間に、かつての宿泊施設とみられるものが五ヶ所、その間に途中休憩をとるための広場が同じだけ、道の南北両側に設置されていた。いずれも井戸などの水源を備えている。
「街道をまともに使える状態にするためには、途中の宿駅の整備もすべて済ませないといけない。それに宿駅の近くに、村落を建設するつもりでいる。その上で、港自体についても、上物は建てる必要がある」
「ふぅむ、そうしますと宿駅の整備だけでざっと半年、更に港の整備にも時間がかかる、と」
「併せて領内の街道も整備しないといけないし、他の仕事もある。ただでさえ領内は疲弊しているから、領民から労働力を募るのはなし。資金だけはあるから、各地から人を集める方がいい」
細かい計画は、どうせこの場では決まらない。城まで引き返してから、またみんなと相談することになるだろう。
「それで、そっちでは何か変わったことはあった?」
ノーラが答えた。
「だいたい予定通り。フィラックさんがシュガ村までの街道を整備し終えたから、あとは南東と山越えの道だけだと思う」
「南東の方はともかく、山越えは迂闊に手をつけられないな。あっちはオーガが出る」
「それは、やる時は、私が行けばいいと思う」
ちょっと落ち着かない。そういう危険な仕事は、なるべく俺自身で済ませてしまいたいのだが……
ただ、肝心の俺に、その時間的余裕がない。城に帰る頃には青玉の月。それからあれこれ打ち合わせや引継ぎを済ませるのに半月かかったとして、ピュリスまで出るのにやっぱり十日弱。そこでまたリンガ商会のみんなに挨拶したり、業務状況を確認したりで数日を要するから、ピュリスの港を出られるのは縞瑪瑙の月に入ってからになる。
入学式は翌年の橄欖石の月の初旬だが、その前に入学試験がある。身分が貴族なら形ばかりのもので、点数など関係ないのだが、未受験ではさすがにまずい。それが蛋白石の月の半ばからになる。どこかでトラブルがあってはいけないので、余裕を見て、今年の年末には帝都に到着できる予定で動きたい。
魔法で空でも飛んでいけばいい? 竜に化けるというのは? 身一つで行くならそうだが、荷物がある。あくまでそれらに頼るのは、非常手段だ。
「そっちは急がなくても……で、他には?」
「あとは、ホアの件。まず、北東部の穴掘りがある程度終わったそうよ」
「どうだった」
「ファルスが言った通り、大昔の横穴、というか設備が見つかったみたい。詳細はまだわからないって。すぐには稼働できる状態ではないってことだったけど」
残念ながら、夏に透視した際には何かがあるということしかわからなかった。俺はホアと違ってその手の知識や経験がないから、判断がつかないのだ。だが、統一期には重要拠点だったこの城だから、魔法全盛時代の遺物があるのは、むしろ自然なことだ。
「それから、黒竜の解体も片付いたって」
「おっ」
こちらは偽装工作に手間取った。新鮮な黒竜の死骸をいきなり放り出して、はいどうぞというわけにはいかないからだ。どこかから密かに運び込んだ、という建前を取り繕うためには、最低限、南西からの街道の整備を待たなくてはいけなかった。その上で、俺は黄玉の月に一度、夜陰に乗じて城に飛んで戻り、黒竜の体を一つ、大きな部屋に置き去りにしてきた。あとはノーラがタイミングを見て、ホアにそのことを伝えるという手順を踏んだ。
「地下設備の調査もそっちのけで、何か作ってたわよ」
「あー、やっぱりか。でも、それは仕方ない。どっちかっていうとそっちが本業だから、ホアは」
俺は頷いてから、今後について相談した。
「本来の計画であれば、帰りも僕がこの遠征隊を率いていくつもりだったんだけど……ギムさん」
「はい」
「長いこと、城の方を留守にしたので、残務がかなりあると思うんです。もしそうしてよければ、僕は先に城に戻ろうかと思っています。で、そうなると、遠征隊を城まで連れ戻す仕事をギムさんにお任せしないといけないのですが」
彼は目を見開いたが、すぐ飲み込んだ。
「初仕事ですな」
「これまでの道路工事に必要だった工具類は、先に回収していく。奴隷達の武器になったら面倒だから。今は僕が怖くて逆らわないけど、いなくなったら何が起きるか、まだわかったものじゃない。一応、ここは魔境だし、変な真似をしても逃げ場なんかないけど……一番気をつけなきゃいけないのは、魔境を出た直後だ。脱走させないようにして欲しい。特に元凶悪犯」
「承知しました」
ありがたい。これで一足先に帰って、細かい仕事を片付けることができる。
「今日はもう、仕事らしい仕事はしないことにしよう。せっかくだから、他の誰も見たことのないこの辺の景色を、見物してくるといいよ」
「ははは、それはそれは。では、少し散歩して参りますかな」
そう言うと、ギムは腰を浮かせた。
ノーラと俺も、テントの外に出た。昼下がりの陽光が広場の真っ平らな表面に照り返されて眩しい。
「あ、そうだ」
「なぁに?」
ギムが海を見に……というよりは今後の仕事場を見学するために歩き出していった後、俺は急に思い出して言った。
「帰ったら、あれを封印しないと」
「あれ?」
「シュプンツェ。ケッセンドゥリアンの魔眼で、封印した種を石に変えてある。ピュリスの、あの地下室の財宝は、もう運び込んでもらったんだっけ?」
「ええ、ホアに魔法金属のインゴットを渡すんでしょ?」
「なら早速、ホアにアダマンタイト製の小箱を作ってもらって、石化した種が割れないように布とか綿とか詰めた上で、できれば城の最下層に埋めてしまいたい」
俺がそれを伝えると、こちらをまじまじと見てから、彼女は溜息をついた。
「どうした?」
「仕事ばっかり」
「あ、ああ」
俺は慌てだした。
「悪いとは思っている。ずっと大変な旅に付き合わせたのに、帰ってきてからも休む時間もなかったし、ノーラも巻き込まれてこんな土地の」
「それはいいの」
上擦った俺の声にかぶせるように、ノーラは低い声で言った。
「全然休んでないじゃない」
「えっ?」
「ファルスが」
俺はポカンと口を開けていた。だがすぐ我を取り戻した。
「それはだって、ワノノマからも見張られているし、陛下からここの領主に据えられちゃったんだから、仕方ないよ。今のうちにやれることをやっておかないと」
「そういうところよ。今、急いで仕事を詰め込んでいるのは、誰のため?」
また、間が空いた。
「それは、まぁ、だって留学は絶対行けと言われているから、後に残される人が大変な思いをするよりは」
「周りの人のためでしょ?」
「でも、だって留学なんかしたら、あっちは全然楽だろうし、暇だってのは聞いてる。僕だけ遊んでるのに、大変な仕事を残したままでなんて、行けないし」
ノーラは頷きながらも納得はしていなかった。
「それなら、こんな開拓事業までやらなくてもよかったんじゃない? どうして?」
「うん、それは」
これについては、ここ二ヶ月、じっくり考えることができた。
「やっと気付いたんだ」
「何に?」
そもそもどうして領主の仕事を引き受ける気になったのか。そして頼まれもしないのに、東部の街道修復までやろうと思ったのか。タンディラールにこの地を任されたから? 帝都からの直通ルートを確保したかったから? 旅の最中に大勢を手にかけた、その罪滅ぼしをしたかったから? 周りの人の役に立ちたかったから? 全部正解だが、核心ではない。
「僕にできる最善だからというか。大雑把に言ってしまうと、多分、これが大きいんだけど……不自由でいいかな、と思ったからだよ」
「不自由? でいい?」
「多分、今すぐ自由になったら、僕はピュリスで料理人になると思う」
「うん」
それが難しくても、どこか他のところで、そうして静かに暮らすだろう。
「でも、それは自由なのかな」
「自由なんじゃない? やりたいことをしてるんでしょ?」
「でも、やりたいことの中にも、やりたくないことは混じってる。僕はおいしいものを作ることだけしていたいけど、実際にはお金の計算もしなきゃいけないし、お店で雇う人の面接もしないといけない。もしかしたら掃除や皿洗いも全部僕の仕事だ」
好きな、という言葉はあまりに漠然とし過ぎている。範囲を狭めれば狭めるほど、それは刹那的な快楽と区別がつかなくなるだろう。
だが、今、俺の心の中を占めているのは、もっと漫然と広がる感情だった。
「もちろん、いつかは料理人の仕事に戻りたい。でも、領主なら領主でいいじゃないかって思うんだ。それならそれで、僕にしかできない形でやれることがある。不自由だけど、好きなことではないけど、その好きではない仕事の中に、僕の好きなことの欠片が混じってる。何をしても、僕はここで誰かの役に立てる」
首を振りながら、俺は言った。
「何にも道を遮られない自由は、何もできない不自由と大差ないのかもしれない。僕が追い求めていた不死も、多分、そんなようなものなんだ。死なないってことは、生きてないってこと。不自由に生きるってことが、そんなに嫌ではなくなったんだよ」
それから肩を竦めた。
「でも、どういうわけか、これから帝都に行かなきゃいけない。世界一、自由な場所だそうだけど」
今の俺は、俺自身の自由より、他の人の自由の方が気になっている。そうなってから、高等遊民の生活を与えられるとは。
「僕はもう、世界中を旅した。好きなようにした。だからもう満足だ。でも……」
特に、ノーラだ。
彼女の人生は、俺に大きく歪められてしまった。使徒の脅威もとりあえず去った今、もう好きに生きてくれていいはずだ。第一、俺とはもう、結婚しようがないのではないか。姉と弟かどうかは、結局はっきりさせられないままだが、その可能性がある状況で、しかも俺はヒジリという許嫁に束縛される身の上でもある。
何より、ノーラこそ休んでほしい。楽しんでほしい。ユーシスが前向きに協力してくれているこの状況なら、タンディラールだって無理にとは言わないはずだ。
「……ノーラは、帝都に行ってみたいとは思わないか?」
「私が?」
「うん」
彼女は、青空を見上げて、少し考える風にした。
それから向き直って、俺に質問を投げかけた。
「帝都では、どんな仕事があるの?」
「何もない。僕は学園に通わなくちゃいけないけど、ノーラにはそんな義務はない。仮に学園に行ったところで、そこまで大変でもないけど」
「帝都は、危ないところ?」
「とんでもない。多分、世界一安全な場所だよ」
「あちらでは、どんな苦労があるの?」
「何の苦労もないと思うよ。ワノノマの公館を借りられるんだし、衣食住、全部面倒を見てもらえる」
「そう」
それだけで、もう彼女の結論は決まっていた。
「なら、私が行く必要はないわ」
「必要って。ノーラこそ、休めばいい」
「私はここで、できることをするつもり。でも、そうね」
俺を見て、そっと微笑んだ。
「用事があったら、一度くらいは帝都を見物に行くかもしれないわ」
半ば予想した通りの反応だった。
俺に休めというくせに、彼女こそワーカホリックそのものなのだ。そして、今まで通りの曖昧な関係を、まだ続けるつもりらしい。
それでいいのだろうか。これから、俺も三年間のモラトリアムを与えられる。でも、それは彼女にとっても同様なのだ。あと三年、長くても四、五年もすれば、さすがに婚期の限界に達してしまう。この時点でノーラは、どう足掻こうとも不自由を受け入れなくてはいけなくなる。誰かの妻になるか、生涯未婚か、それとも……俺の傍で、日陰の女になるか。
まだ結論を出さなくてもいい。でも、その時は刻一刻と迫りつつある。
「そうか」
心の中のモヤモヤを押さえ込んで、俺は努めて明るい声で言った。
「せっかくだから、海を見ていこう」
広場から階段を下りて踊り場に出る。それからまた、南北を結ぶ幅広の道路に出て、更に降りた先には、大昔の波止場があった。どんな石材で拵えたのか、基礎部分は今もしっかりしている。ただ、やはりというか、何百年も放置されていただけあって、あちこちに土砂がうず高く積もってしまっているが。これらを除去しないと、港としては機能しないだろう。
「あの向こうが帝都なのね」
「思えば、世界中歩き回ったけど、帝都にだけは行ったことがないんだなぁ」
そう言っておいてから、ふと思い出した。
「ああ、でも」
「なぁに?」
「よくよく考えたら、まだ行ってないところもあったっけ」
「どこ?」
「ほら、マルカーズ連合国、本当はシャハーマイトまで出るつもりだったんだけど、ヤノブル王に呼びつけられちゃって、行ってない。それにワディラム王国にもまだ行けてないから」
世界的にも有名な大都市や、名前だけは聞いたことのある知恵の塔、それにサハリア西部の街。
「僕の知り合いは行ったことがあるのに、僕は見てもいない。ほら、タマリアだって内海を一周したし、キースさんもビルムラールさんも知恵の塔には行ってるんだし」
「興味あるの?」
「ここまで見て回ったんだし、いつかまた自由になれたら、どうせなら一目見ておきたいかな」
呆れ混じりに彼女は微笑んだ。
「そうね。じゃあ、今度また、この面倒な仕事が片付いて、もしも身軽になれたら……その時は、旅をしようかしら」
「ノーラも来るの?」
「また置いてきぼりにするつもりなの?」
俺達は顔を見合わせた。それから、笑った。肩の力を抜いて。
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