ヌガ村の用心棒
細かい砂埃が舞い上がり、熱風と共に顔に吹きつけてくる。思わず顔を拭うと、腕に濡れた砂がべっとりとついていた。
見上げれば、何物にも遮られない天上の暴君が、今日も容赦なくその威光を振りかざしていた。思わず溜息が漏れる。
スコップが、ツルハシが、乾いて固くなった地面に戦いを挑む。穴を掘ればいいというものでもない。掘り出した土を運搬し、中に混じっている石を取り分ける。石は大量に必要なので、ただ捨てたりはしない。だから穴を掘る人、土を運び出す人、それを篩にかける人、それぞれ立ち働いている。
そうこうするうち、後ろから馬蹄の響きと馬車の揺れる音が聞こえてきた。
「こっちです!」
馬上のユーシスは返事をする代わり、身振りでこちらに馬車を誘導した。あの荷台に詰まっているのは、大量の石だ。近くの岩山から切り出してきたものを、ここまで運び込んでいる。その他、無人の廃屋などがあれば、それを解体して煉瓦を回収することもしている。セメントの材料にするためだ。
「あーあー、ひでぇ」
テントの下で、汗だくになったホアが悲鳴をあげていた。
「済まんな」
「どうせ汗だくになるんだったら、もっと気持ちのいい汗がよかったぜ」
「お前なぁ……」
ブレない。本当にブレない。
「女になったことないからわからないけど、最初は痛いっていうし、気持ちよくはないと思うんだけど」
「ばっかお前、気持ちの問題だろが、気持ちの……ったく」
苦情の内容はともあれ、彼女が不平の声を漏らすのも無理はない。本当は俺も、彼女にもっと上等な仕事を割り振ってやるつもりだったのだ。ところが、道路工事が思った以上に大変で、これはもう、できる職人を遊ばせておく余裕がなかった。
ここまで本格的な工事をすると決めたきっかけは、初日に雨が降ったことにある。雨がやんでも一部は冠水したままで、これは道路の地下はどうなっているのかと掘り返したのだ。それで明らかになったのは、いかにも雑な昔の工事の跡だった。土の下に石の層があったのだが、その深さが十センチちょっとしかなかった。しかも、その形も実によろしくない。恐らくだが、このルートは統一期の幹線道路ではなく、暗黒時代に自然と拡張された道の一つでしかなかったのではなかろうか。
迷ったが、ホアを呼びつけて相談した結果、全面的に作り直しをすることにした。二メートル近くの深さにまで掘り、深い層に大きな石を、浅い層に小さな石を敷き詰めていく。更にその上に砂と粘土をかぶせて、最後に表面の石を敷き詰めていく。水が溜まるのを防ぐため、道路の中央は少しだけ高くして傾斜をつけなくてはいけない。また、道路の近くに樹木がある場合は、伐採する必要がある。根が食い込んで道路の基礎を脅かすからだ。
これだけ複雑な作業をするとなると、単に人手があればいいというものでもなく、技術と組織だった動きが必要になる。テントを設営し、定期的に日陰で休ませる。水の補給も欠かせない。
幸い、俺には魔術の力がある。作業員が飲む水を浄化して、そこに氷を入れてやることもできるし、土木工事の一部を肩代わりしてやるのも可能だ。だが、すべてを一人で賄い切れるはずもなく、結局はかなりの部分を人力に頼っている。また、そうでなくてはいけない。領内の道路工事は半年以内には終わらないだろうし、その後の維持管理は俺が不在の間にも実施できなくてはならない。
それにしても、このところ、本当に暑い日が続いている。作業に当たる犯罪奴隷達はもちろんのこと、それを監督する兵士達にも、色濃い疲労感が見て取れる。元気なのはペルジャラナンくらいなものだろう。
「これだけの工事にしては」
ユーシスが馬を進めて俺のすぐ横にやってきた。
「かなりの速さで先に進めたと言わざるを得ませんな」
「皆さんのおかげです」
彼は薄っすら笑みを浮かべてゆっくり首を振った。
「もうすぐ紫水晶の月というこの段階で、もうヌガ村が目と鼻の先ですからな。ただ、こうなると欲が出てくるというものです」
「と言いますと?」
「王家に許可をもらって、ピュリスからヌガ村城砦までの道も整備してしまいたい。それに、王家の中央森林開拓計画からすれば、ヌガ村と王都を結ぶ線も、そのうちに切り拓かれるはずです」
充分な支援もなく、四年間の頑張りの末に解任。貴族身分への復帰も叶わないということで腐っていたユーシスだが、近頃は態度が変わってきている。人は元来、働かないようにはできていない。体を動かし、結果が目に見えると、自然と意欲が湧いてくるものだ。
あと、俺が勤勉なのもあって、そちらの面でも態度が変わってきた。特に言葉遣いが。
ただ、それはそれとして、この前向きな態度の中には、復讐心も入り混じっている可能性がある。俺のコンセプト、ロージス街道の復活がもし実現すれば、王家は顔色をなくすだろう。なぜならピュリスの経済的価値が大幅に下落するだろうから。内海や南方からの船が訪れるから、決して無価値にはならないが、世界の東側からの船はみんなティンティナブリアを経由することになる。関税の税率次第では、わざわざ北上する商船だって、きっと出てくる。
それでも、タンディラールはこの事業を歓迎するだろうとも思っている。長い目で見れば無視できないほど大きな利益になるからだ。つまり、シモール=フォレスティア王国を、通商圏において孤立させられる。
これまでアルディニア王国にとって外部の世界に繋がるための最短経路は、山脈を迂回してリント平原を南下し、レジャヤに出て、そこからパラブワンに出る道筋だった。それが国土の東にバイパスができてしまえばどうなるか。神聖教国にもシャハーマイトという出口があるものの、マルカーズ連合国は安定性を欠いている。そのため、次善のルートがレジャヤ経由になるのだが、ここに別の選択肢が生まれることになる。
「最終的には、北向きのルート、山を越えてアルディニア王国に入る道も整備します。あちらはオーガも出るので、一筋縄ではいかないでしょうが……ミール王に手紙を書かないといけません」
あの国にどんな影響が出るだろう。独立派と融和派の争いは意味がなくなるかもしれない。前者はロージス街道の続きの部分を整備するメリットを強調するだろう。だが、道路が完成し、物流が盛んになったなら、逆にドーミルはアルディニア王国への態度を軟化させるように思われる。彼だって、新たな高速道路の恩恵に与りたいはずだ。
俺の言うことに頷いたユーシスは、頷いて言った。
「明日には、先にヌガ村に入られるといいでしょう。村の中の道も修繕しますし、告知しないといけません。どうせ測量も必要になります」
あの村も久しぶりだ。名物の蜂蜜菓子、また食べられるだろうか。
長きに渡っての作業もようやく一区切り。やっと辿り着ける。そう思うと、自然と頬が緩むのを感じた。
翌朝早く、近くの小川で身を清めてから、俺達は部隊をユーシスに任せて、ヌガ村に先行した。俺にとっては実に六年半ぶりの訪問となる。ノーラはといえば、なんと十二年ぶりだ。
陽光を照り返す明るい黄土色の街道。その上には小石が散らばっていた。見た限り、この道は現在、ほとんど活用されていない。
どんな集落にとっても、物流が完全に途切れるというのは、決して小さな痛手とは言えない。幸い、ティンティナブリアの外れにあるおかげで最低限、ここからピュリス方面へは繋がることはできているのだろう。だが逆に北側の他の村落との接続は、ほぼ失われてしまったらしい。
オディウスの圧政もあった。その後も大きな盗賊団が出没して、ユーシスの手による防衛も手が回っていなかったという。この村は、どれほど荒廃しているだろう?
そう思って木々と岩山の狭間の道を進み、左手に折れた。
そこから目にすることができるのは、ヌガ村の外れだ。左右の岩山と林が途切れ、遠目にポツポツと家々が見え始める。昔からティンティナブリアでは比較的豊かで、屋根もしゃれた赤い瓦が使われているのだが……以前と比べて、少しだけ景色が変わっていた。
村の入口のところに、木造の門が据えられていたのだ。さしたる高さではない。それでも、あるとないとでは大違いだろう。ただ、人気がない。設備はあるのに、見張りがいないとはどういうことだろう?
「誰かいませんかー?」
軽く呼びかけたが、そもそも近くに誰もいない。
「仕方ない、通ろう」
「ギィ」
ペルジャラナンの好奇心の強さは相変わらずのようだ。今でも新しい街に行くたび、物珍しそうに周囲を見回す。そして今回も、大喜びで一人ペタペタと駆け出して、木の門を押した。
門を潜ると、ようやく見覚えのあるままの景色が広がっていた。赤い屋根に白い壁、そこに焦げ茶色の木の柱。曲がりくねった道の向こうには、領地の境界線にある城砦がそそり立っていた。
そんな中を、身を躍らせて走るトカゲ。俺達にとっては微笑ましいが、傍から見れば違和感のありすぎる図だ。
「おーい、あんまり」
一人で先行すると、村人が驚いてしまうだろう。そう思って声をかけた、その時。
とある家の陰から、背中を丸めた大男が、斧を片手に転がり出てきた。
「危ない!」
反射的に叫んでいた。ペルジャラナンも気付いていたのか、最初の一撃を辛うじてかわし、街道の上を転がった。
黒い旋風のように、その男は休む間もなく斧を繰り出した。手にしているのは戦闘用のそれというより、日用品といったほうがいい小ぶりなものだったが、それだけに動きはコンパクトで、鋭かった。
いったい、誰……
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ギム・イグェリー (45)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク5、男性、45歳)
・スキル フォレス語 6レベル
・スキル ルイン語 4レベル
・スキル 戦斧術 6レベル
・スキル 盾術 5レベル
・スキル 剣術 4レベル
・スキル 格闘術 4レベル
・スキル 土魔術 4レベル
・スキル 騎乗 5レベル
・スキル 医術 4レベル
・スキル 料理 2レベル
・スキル 裁縫 2レベル
・スキル 農業 3レベル
空き(33)
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どうしてこんなところに?
見覚えのある名前に、俺は一瞬、硬直した。だが、すべきことをすぐ思い出す。
相手に武器を抜く間を与えまいと、暴風のように荒れ狂うギムだったが、突然、糸が切れたように動きを止め、その場に膝をついてしまった。その瞬間を見逃さず、ペルジャラナンは腰の剣を引き抜き、降り下ろそうとする。
「待て!」
俺の制止の声で、間一髪、うずくまったままのギムの首が刎ね飛ばされずに済んだ。
急いで駆け寄って、俺は改めてギムに剣を向けた。
「何者だ」
彼は何も言おうとしなかった。そして下から俺を睨みつけ……それから戸惑い、目を泳がせ始めた。
「おっ? お前達は何者だ」
逆に訊き返されてしまった。
「ファルス・リンガ・ティンティナブラム。この地の新たな領主だ」
「お前が……噂には聞いていたが」
そういえば、変な噂を流したっけ。盗賊達の耳に入れるために吹聴しまくったのだが、おかげで彼からも冷たい視線を向けられてしまった。
「そのリザードマンは人の言葉を理解する。襲われなければ危害は加えない」
もうそろそろ、体の痺れもなくなる頃だろう。
「それで、あなたは?」
彼はじっと俺を見つめて、それからやっと名乗った。
「……イレットだ」
「嘘だ」
どうやら俺のことを忘れてしまったのか、成長したせいで見分けがつかなかったらしい。
「フォンケーノ侯に仕えていたはずのあなたが、どうしてこんなところにいる」
「なぜ私を知っている」
「ドメイドがシシュタルヴィンに殺されるところを見ている」
この言葉で、やっと思い出したらしい。
「では、お前は」
「ここで何をしている」
「足止めだ」
それで俺は、改めて村の様子を眺め渡した。見た目には以前と変わりない景色。周辺環境が荒れているのだから、ここももっと荒れ果てていいはずだが、そうはなっていない。
「用心棒、といったところか?」
「……この村の善意に救ってもらったのだ」
主人を殺害されて、侯爵家からも追放されて、行く場所を失った。その彼が彷徨い、辿り着いたのがこの村だったのだろう。
俺が剣を引くと、彼も立ち上がった。
「大勢の盗賊が攻め寄せたなら、一人ではどうにもならなかっただろうに。どうしていた?」
「あれだ」
彼は手斧で城砦を指し示した。
「村人の財産は、みんな城の中に詰め込んである。私が足止めしている間に、みんなあそこに立て籠もる」
「なるほど、それで一度は撃退したか」
だから、あんな簡素な門でもよかったのだ。盗賊達が侵入するのに時間がかかれば、村人は城砦に避難する。以前に痛い思いをしているから、盗賊団も標的にはしなかったのだろう。
「害意はない。村まで案内してくれないか」
「捕らえないのか」
「今更、何の意味がある」
俺にそう言われて、彼は目を丸くしたが、その後、口元を歪めて首を振った。
何の意味もない。罰する必要さえない罪のために、彼はフォンケーノ侯爵家での居場所を失い、逃げ回らなければいけなかった。誘拐事件から八年近くも経っているというのに。
彼は先に立って歩き出した。
街道の左右にある家々は、どれも扉を開けっぱなしにしている。俺達が村に入り込んだことは伝わっていて、迅速に避難したのだろう。やがて城砦のすぐ下までいくと、中に立て籠もっている村人が、窓から顔を半分だけ出して、こちらを見下ろした。だが、ギムが一緒にいるのに気付くと、すぐ警戒を解いた。
「危険はない! 降りてきても心配ない」
ギムの宣言を聞いて、村人達は城砦から出てきた。
「どうも、村人の皆さん」
俺は周囲を見渡しながら言った。
「ええと、王家の命を受けて、ただいまティンティナブリアの再建に取り組んでいるファルス・リンガです」
領主、といってもピンとこないだろう。今の俺の服装は普通の庶民と大差ない。この一ヶ月、朝から晩まで砂と泥に塗れて工事ばかりしていたのだから。むしろ逆に、村民の服装の方が華やかなくらいだ。
身分に相応しくない外見で信じがたい発言をしているからなのか、やっぱり悪評が伝わっているせいなのか。どことなく視線が痛い。
「既に領内の盗賊団はほぼいなくなりました。討伐までに長い時間がかかりましたこと、お詫び申し上げたいと思います。なお、今年の税は全額免除を予定しております。今は長年放置されていた各地の街道を補修する作業に当たっています」
あっさりと喋っているが、割と重大な告知だ。しかも、俺の隣にはリザードマンまでいる。理解が追いつかないのもあってか、程なくざわめきが広がり始めた。村長らしき人物が手を叩くと、また静まった。
「なお、まだ未確定ですが、来年からは代官として、こちらのノーラ・ネークが一時的にこちらの村のことも含めて対応することになるかと思います。皆さん、どうかご協力をお願い致します」
我ながら「領主」って感じがしない。どうせまた王家に返す土地だし、別にいいのだが。
「急な話で驚かれるかもしれませんが、あと二、三日のうちに、この村まで一千人近い作業員と、監督に当たる数百人の兵士が来ます。この砦のすぐ下までの道路を掘り返して修繕することになるかと思いますが、なるべくご迷惑をおかけしないように致しますので、ご容赦願います。これについて、何かお困りのことなどありましたら、随時お問い合わせください」
「あ、あの」
村人の中でもとりわけみすぼらしい格好をした中年男が、よろめきながら進み出てきた。無精髭が汚らしいし、身に着けている服も、見るからにくたびれている。比較的裕福なこの村の住人の中では、浮いた雰囲気があった。
彼に向けられる周囲の村人の視線が険しいものになっている。小さな違和感をおぼえた。
「なんでしょうか」
「い、今、ノーラ・ネークって」
「はい。こちらがそうです」
すると、男はいやらしい笑みを浮かべて、俺達を取り囲む村人の輪から進み出てきた。
「お、おう……わかるか? ノーラ、俺だ」
「わかりません」
馴れ馴れしい中年男に向かって、ノーラはピシャリと言い放った。
「そんなことはないだろう。お前の父さんだぞ」
「知りません」
思い出した。
ノーラは四歳になる前に売り飛ばされた。彼女の母がユンイに強姦され、身籠ってしまったせいだ。そのために夫だった男は彼女を嫌い、その娘のノーラにも嫌悪の情を向けた。当時、ヌガ村城砦を預かっていた王家の騎士からたっぷりと補償金を与えられていたが、それは何の慰めにもならなかった。そうしてノーラの母が病になると、医者も呼ばずに見殺しにし、まだ幼かったノーラも奴隷商人に叩き売った。
そうまでしておいて、今になって父を名乗るとは。しかし、この貧しい身なりはどうしたことか。いや、そうした経緯があればこそ、か。
一時的に大金を手にして、贅沢を知ってしまった。それと同時に、真面目に働くことを忘れたのだ。そのうちに、同じ村人達からの信用もなくしていったのだろう。困窮の末の借財などもあったのかもしれない。もし想像した通りだとするなら、皮肉なものだ。金は信用を形にしたものなのに、金を手にした挙句に信用をなくすとは。
「嬉しいなぁ、また会えるなんて」
「話したくありません。いいですか」
ノーラは向き直って鋭い視線を向けた。
「あなたが過去に何をしたにせよ、改めて罰することはしません。と同時に、この先何があろうとも、特別扱いもしません。これまでも、今も、これからも、私とあなたの間には、何の関係もありません」
断固とした口調に、男の顔色が変わった。最初は怒り、だが小さな恐怖が滑り込み、そして不満げな顔に移り変わる。それでスゴスゴと群集の中に引き返した。
なんとも気まずい里帰りになってしまった。
「ええー……と。では、どうもお騒がせしました! 村の皆さんも、お仕事の方にお戻りください。あと、こちらのギ……じゃなかった、イレットは借りていきます。あ、免税の件は、改めて正式な布告を出しますので、しばらくお待ちください。それでは作業に戻りますので失礼します!」
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