二人にとっての長い夜の終わり

「では、開拓地を広げたいと」

「はい。そのためにはユーシス様の協力が欠かせません」


 城の上層階にある会議室で、俺達は大きなテーブルを囲みながら、今後について打ち合わせを進めていた。

 大規模な盗賊団を一挙に壊滅させることができた。だが、領地の立て直しはやっとここでゼロ地点。しかも、あと半年で俺がいなくなるのだから、大方針は今、この場で決めておかねばならない。


「いろいろ思うところはあるが、私個人については、どうせここを出ても、行く場所がない。本来なら、私が身を折って仕えるべきなのだ」

「そこまで貶めるようなことは到底できません。では、こうしましょう。形の上では客分ということで、ご滞在いただくというのは」

「……済まぬ」


 やり方はどうあれ、置かれた状況を利用してでも、悩みの種だった治安問題について、俺が大きな成果を挙げたのは事実だ。とはいえ、これまでの彼が無能だったとか、怠惰であったとすることはできない。彼は彼で、常識的な判断を下していたに過ぎなかった。必勝でなければ、城を失うリスクを取って敵を誘い込むような作戦など、実施できるはずもなかったのだ。


「まず、今年の麦には課税しません。いや、三年間は完全に無税でいきましょう」

「その間は、すべて持ち出しか」

「兵士の給与は据え置きで。領民には当座の生活を補助するため、支援金を配ります」


 治安対策の要は抑止力だが、それだけに頼ればコストは無限に膨らんでいく。そもそも逸脱する理由のない状況を生み出さなければ、キリがない。


「持ち込んだ金貨は、すべて使い切るつもりです」


 それにしてもこの会議室、なんとも気の滅入る空間だ。まず、日当たりもよくない。四方を廊下に囲まれている。だから機密を保てるのだともいえるが、おかげでいつも薄暗い。ただ、広さだけはかなりのもので、一度に数十人の参加者がいても受け入れることができるほどだ。真ん中のテーブルはビリヤードを楽しむには少々大きすぎるくらいだし、これも歴史ある品物らしく、燃え上がるような赤銅色に年輪の模様が美しく映えている。室内には何かの香りの名残のようなものも感じられる。富み栄えていた頃には、高価なお香を焚きながら、ここでお茶を楽しんでいたのかもしれない。

 だが、今は不自然なほどガランとしている。壁際には一定間隔で中途半端な高さまで柱が突き立っている。その台座の上は空っぽだ。察するに、本来ならそこにフィルシー家代々のお宝が鎮座していたのだろう。だが、経済的に困窮したオディウスが、何もかも売り払ってしまったのだ。


「しかし、ファルス殿。御身は仮にもこの地の領主なのだから、何もわざわざ一番遠くまで出向く必要はあるまいに」

「いえ、僕だから行けるんですよ。ここの守りはユーシス様にお願いしたいと思っています」

「私とて、馬に乗れば身動きできないことはない」

「承知していますが、僕は東に行くんですよ。さすがに代わりは任せられません」


 そろそろ夏本番がやってくる。だが、俺は容赦ないスケジュールを設定した。


 ユーシス率いる兵士達、そして捕虜になった盗賊達には、早速仕事をしてもらう。犯罪奴隷に落ちた彼らを、労役に駆り出す。また、併せて近隣の村へのパトロールも行う。

 城を守る部隊を別として、他はこれからキガ村、ついでヌガ村方面に向かって道路の補修を行う。それが済んだら引き返してフガ村、シュガ村方面に、更にその後は、最も安定している南東部に向かう。

 まず欠かせないのは、既存の道路のメンテナンスだ。これまでも馬車の移動には随分と難渋したものだが、これからは旅行者の尻の痛みも軽減されることだろう。


 順序からすると、どうしても南西部の道路から整備せざるを得ない。ピュリスや王都に接続するための大動脈が切れると、リンガ商会からの支援が届かなくなるからだ。

 ただ、ティンティナブリアの経済の要は、これまでは南東部にあった。盆地を出て南東方向には、エキセー川の本流がある。この大河がティンティナブリア以東の肥沃な平野部を支えてきた。当然、領内の農地のほとんどがそこにある。村落の大半もこの川沿いに集中している。

 それに比べると、俺がよく知っている南西部の土地は、あまりに貧しい。支流がチョロチョロ流れている程度で、農地も点在しているだけだ。昔、オディウスがリリアーナとの婚約に際して、領土の南西部をサフィスに譲るという条件を出したのも頷ける。なくしても、そこまで惜しくない地域だからだ。


 では、肝心の俺の担当はというと、ロージス古道となる。つまり、暗黒時代以後、魔境に逆戻りした地域を解放し、東の海に至るまでの移動経路を確保するという、これまでの歴代領主が取り組もうとさえ思わなかった大事業に着手するということだ。なぜ誰もやらなかったかは明白で、単にそれだけのリソースを割く余裕がなかったから。強力な魔物が多数出現するであろう道を切り開き、しかも安全を維持するのは困難と考えられたからだ。

 だが、俺についていえば、そういう戦力的な問題はほぼない。大森林を縦断できるなら、西方大陸を横断することだってできる。


「確かに、ファルス殿の実力は、見ての通りだが」

「進軍するだけなら、別にそこまで難しいとは思っていません。ただ、道路として復旧できるかどうかは、やってみなければわからないことです」


 タンディラールが俺に期待しているのは、あくまで既存の領地の復興までだろう。では、なぜそこまでするのか? 一つには、帝都への留学があるからだ。最悪の事態が起きた場合に一刻も早く駆けつけられるように。そうでなくても、気楽に様子を見に戻れるようにしたい。


 学園には、夏休みと冬休みがある。神聖教国など、遠方から留学した学生は帰省などできない。だが、ティンティナブリアなら、実はお隣だ。大昔はロージス街道があったおかげで、パドマからの船が直接西方大陸の東岸にやってきて、そこから真西に直進すれば、南北の重要都市に繋がっていたのだ。それが今では、わざわざピュリスまで大回りして、そこから起伏のある道を二週間近くかけて北上しなければいけない。

 無論、本当の緊急事態でもあれば、魔法でも竜の肉体でもなんでも使って無理やりここまで飛んでくるつもりだが、そこまでの緊急事態でない場合で、かつ同行者……例えばヒジリがいるような状況では、船と馬車で移動する方がいい。街道が復活すれば、陸海あわせても二週間以内の行程になると見込んでいる。

 そしてもちろん、そうした道路があれば、ティンティナブリアの発展は約束されたようなものだ。笑顔でタンディラールにすべてを譲り渡し、俺は楽隠居を決め込める……といいのだが。


「最大の問題は補給と連絡になるでしょう。大きな盗賊団は駆逐したとはいえ、特に食料の確保には注意が必要です。ピュリスかコラプトまで買いつけにいくしかありませんが、そちらの手配はユーシス様にお願いすることになります」


 正直、必ずしもノーラを代官に任命する必要はないと思っている。経験豊富なユーシスがそのまま働いてくれるなら、何もわざわざ十五歳の少女をボスに据えなくていいのではないか。


「それであれば、思うに、やはり先に南西向けの道を整備した方がいいのではないか。足下を固める前に遠い目標に向かうのには賛成できない。ピュリスから物資を運搬できる道筋を確保してから、計画を広げたほうがいいのではないか。申し訳ないが、今の状況のままでは、期待された役目を果たすことは請け合えない」


 指摘されて、俺も頷いた。

 確かに、今のティンティナブラム城は陸の孤島になりかけている。そして領民からの徴税も期待できないのだから、兵士達への給与や食料を安定して輸送できるルートがまず必要だ。


「それに、今いる兵士達は私と四年間を共にした者達だ。ファルス殿の実力は目の当たりにしたとはいえ、すぐにうまく指揮できるとも思えない」

「おっしゃること、もっともですね。では、こうしませんか。最初は手応えを掴むために、全員でキガ村からヌガ村までの道筋の整備に向かいます。城の守りにはフィラックを残して、ユーシス様も最初はご同行いただきます」


 ヌガ村には城砦もある。あれも整備し直して、拠点として活用できるようにすべきだろう。この先三年間は関税をかけないのだが、それはそれとして、好ましくない人物の流入を食い止めるという意味で、あの手の設備が生きているに越したことはない。


「なんか話聞いてっとよぉ」


 考えがあってこの会議に出席させていたホアが口を挟んだ。


「じゃあなんだ、王子様、じゃなかった男爵様はずーっと外に出たままっつうことか?」

「そうなる」

「んじゃ何しにオレがわざわざここまで来たんだよ」


 こいつの頭にはそれしかないのか。いや、それしかなかった。知ってた。

 何しにわざわざここまで来た、という問いには答える。但し、別の文脈で。


「ホアにはやってもらいたい仕事がある」

「おう、なんだ」

「兵士を借りてもいい。特に北東部だが、城の下層を掘って欲しい」

「ハァ?」


 先日の落とし穴作戦の際、偶然にも発見してしまった。あの砂に覆われた北東部の地面だが、どうも元々そうなっていたのではないらしい。

 土魔術で出入口付近をいきなり深掘りして、脱出困難にする計画だった以上、あの砂の下がすぐ石の床だったりしたら、やり方を考え直す必要があった。だから念のため、砂の深さがどれくらいか、透視してみたのだ。

 すると、思った以上に深い空洞があったらしいことがわかった。その奥には、地下室に通じる扉らしきものもあった。金属の配管のようなものも見えた。もしかすると、タフィロンで見たような古代の装置が残されているのかもしれない。

 この手の大型の魔道具は、ごくたまに見つかるものだ。そして、この見立て通りであれば、それこそホアの出番となる。


「大昔、暗黒時代に入った頃に、この城は一度、水攻めにあって陥落している」

「おう?」

「その時に土砂で埋まったんだろう。恐らく、この城の地下には何かがある。もし、魔道具のようなものがあったら、お前に調べて欲しい」

「そういうことかよ」


 頭をバリバリ掻きむしりながら、しかし、彼女は不満げだった。


「けど、穴掘りだったらオレじゃなくても、誰でもできんだろ? なんかもっと他に面白ぇ仕事はねぇのかよ」

「だったら……そうだな」


 確かに、彼女は職人だ。職人には職人の仕事を宛がうべきだろう。

 それでふと思いついた。


「そういえば、ホアは黒竜の皮は扱ったことはあるか?」

「んあ? ああ、一度か二度はあるぜ。どっちも修繕だけどな」

「赤竜は」

「そっちはもっとだな」


 ピアシング・ハンドで乱獲した素材がデッドストックになってしまっている。どうせ竜の肉体に乗り換えるなんて、そう何度もやることではないのだから、余っているものは加工してもらおう。


「黒竜の素材が手に入りそうなんだ」

「おっ?」

「解体から何から任せることになるが、やってもらっていいか」

「ありゃあ毒があるぜ? ってか、丸ごと一頭分かよ? すげぇな。いくらすんだ? 気ィつけねぇとヤベェ仕事だが、ま、いいぜ」


 これで彼女が暇になるということもないだろう。


「あとはピュリスに、いくらか魔法金属の地金が保管してある。魔石もあったな。それを運ばせよう。何を作るかは任せる。腕が鈍るのは嫌だろう。好きにしてくれていい」

「んなもんまで持ってんのか。やっぱ王子様だな」

「ただ、地下の探索が進んだら、そちらの調査に移ってもらいたい」

「おう」


 一通りの打ち合わせが終わったが、まだこの後に済ませてしまわなければいけない用事がある。


「フィラック」

「ああ」

「ちょっとついてきて欲しい」


 会議室を出て、渡り廊下を抜けていく。その向こうにあるのは、もう少し日当たりのいい空間だった。

 真っ赤な絨毯は古びてこそいるものの、やはり見栄えがいい。王城のそれとも見紛うほどの立派な謁見の間。一段高いところにある玉座に、俺は厳かに腰掛けた。


「いったい何を」


 一切は予め言い含めておいた。ノーラが別室に待機していたガリナ達を呼びに行って、すぐ戻ってきた。かつての婚約者の顔を見て、フィラックは慌てて目を伏せた。

 ピュリスでの再会以降、リーアは引きこもるようになってしまった。自殺こそ思いとどまったものの、合わせる顔がないという気持ちに変わりはなかったのだ。

 当人同士の問題を、俺がどうこうすることはできない。ただ、今の身分になったからこそ、してやれることはある。


「この地の領主として」


 俺は立ち並ばせた彼女らに宣言した。


「これまでの労苦をもって、既に過去の罪は贖われたものとみなし、犯罪奴隷の身分より解放する」


 遅ればせながら、これであの悪臭タワーに監禁されていた彼女らは、奴隷身分から解放されたことになる。

 本当なら、この地に到着したその日に解放することもできたのだが、やはりそれは憚られた。大きな問題がいくつもあるのに、領主としての仕事を何一つこなさないまま、領主の権限で私的な用事を先に片付けるというのでは、ユーシスはじめ、四年前からここにいた兵士達もいい顔をしないだろうから。


 そしてこの宣告の後、俺は椅子から立ち上がった。


「フィラック・タウディー」

「お……あ、はい!」


 名前を呼ばれ、普段のように返事をしかけて……彼は慌てて威儀を正した。

 いつもの「仲間として」ではない。敢えて「領主として」振舞っている。その違いに気付いたから。


「サハリアからこの地に至るまでの長旅において、既にその資質は見極められた。今日、この時をもって銀の腕輪を授けるものとする」


 彼はその場に膝をつき、俺は腕輪を手ずからその左腕に嵌めた。今度は辞退したりはしなかった。

 俺は再び椅子に身を沈めた。ここからが、俺の伝えたいことだ。


「騎士には、自由がある」


 強制することはできない。ただ、勇気を出してほしいのだ。ラークがそうしたように。


「奴隷はその罪に縛られる。過ちを償わなければいけないからだ。平民は生まれた土地に縛られる。善導する領主に従い、秩序を保って生きるためだ。だから領主は領民に縛られる。彼らを善く導く責務があるからだ。でも、騎士は」


 俺がそうだった。騎士に与えられる特権は、その活動の自由を保障するためのものだった。


「どこにでも行ける。なんでもできる。正しいと思ったことを心のままに選び取れる。それは今、腕輪を授けた領主にさえ、妨げられない」


 騎士の腕輪は、たとえそれを授けた貴族との主従関係が切れたとしても、通常は没収されない。騎士はその能力と品性が認められたからこそなるもので、支配と被支配の枠組みの中にはないからだ。


 騎士は、その優れた資質が認められた存在だ。だからこそ、領主の支配を半ば受け付けなくてもいい。誰かに命じられて行動するのではなく、自分で考えて選択できるから。その能力があると認められたから。

 操を失った女を娶るべきではない……これは規範だ。規範は、社会の中で生きる大半の人間にとって有用で、自律する能力がないならいっそ盲従すべきものとさえいえる。だが、裏を返せば、自律できるなら、規範は無用の長物だ。


 自由とは、強く賢い者にのみ許される特権だ。今、特権を与えた。ならば強くあれ。賢くあれ。


「何物にも縛られてはいけない。騎士である以上、生まれも育ちも関係ない」

「もういい、わかった」


 彼は、俺の意図を汲んで、それを受け入れた。

 いちいち俺の許しを得ずに立ち上がり、背を向けた。それから大股に歩み寄って、立ち尽くすリーアの手を取った。


「待たせて済まなかった」


 彼女は、何も言えなかった。願望と罪悪感の狭間で、ただ瞼に涙を湛えたまま、小刻みに震えるばかりだった。


「頼む。俺とここで生きてくれ」


 フィラックが言い終わるが早いか、言葉にならない嗚咽が聞こえた。それも彼の胸に顔を埋めると、すぐ忍び泣きに代わった。


 思わずほっと胸を撫で下ろした。

 数年間に渡る一つの悲劇が、やっと幕を下ろしたのだ。

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