変態王の罠

 黒ずんだ石の壁に切り取られた四角い青空。そこに小さな黒い影が一瞬、よぎっていく。遅れて小鳥の鳴き声が切れ切れに聞こえてきた。

 人間の世界がどれほど荒廃していようとも、自然の中で生きる動物達には関係ない。鳴き声一つで気持ちが和むのは、本当に不思議な気がする。

 椅子から立ち上がって、外の景色を見渡した。すると生命でいっぱいの大地の吐息が、熱気と湿気に満ちた微風が、顔に吹きつけられた。


 城内は冷え冷えしているが、屋外はそれなりの蒸し暑さになってきているはずだ。俺がピュリスに帰着したのが翡翠の月の中旬に差しかかった頃。王都との往復が済んだ時点で、もうすぐ碧玉の月だった。それからコラプトを経由して、およそ二週間かけて、このティンティナブラム城に入ったのだ。今はそれからまた、一ヶ月が過ぎようとしている。雨の多い時期も終わり、近頃は夏本番に向けて、毎日ぐんぐん気温が上がっている。もう少ししたら、小麦の収穫時期だ。


 後ろでドアをノックする音がする。


「どうぞ」


 扉を開けて入ってきたのは、ノーラとディーだった。


「ああ、お疲れ様」

「今日もいっぱい広めてきたよ!」


 ディーも、もう二十歳だ。美しい盛りだが、結婚させるならそろそろ動かないといけない。だが、そのためにはまず、彼女らを奴隷の身分から解放する必要があるだろう。

 それをする権限は既にあるのだが、そうしたいというのは、あくまで俺の私情だ。なら、先に領主としての仕事を最低限、やってみせる必要がある。なにしろここには、ユーシスがこれまで率いてきた兵士達が居残っているのだから。実績もなしに私事を優先するなどと思われたら、今後に響いてしまう。


 ……結婚と言えば、実はノーラについても、そろそろ考えなくてはいけない。


 ヒジリとの婚約が決まってしまったのと、そもそもノーラが俺の姉である可能性が浮上したのとで、関係が宙ぶらりんになってしまっている。

 いまだに俺の傍にいるのだから、多分、気持ちは変わっていないのだ。だが、状況が状況だけに、結婚しようとも言えないし、側妾になってくれとはもっと言えないし、かといって他の男のところに嫁げとも言えない。


 その辺を棚上げして、日々を仕事に費やしている。つまり、半ば現実逃避している。


「ねぇ」


 ノリノリのディーと違って、ノーラは不満顔だ。


「こんな回りくどいこと、する必要ある?」


 確かに少々、悪趣味な作戦かもしれない。


「最初の十日くらいで、盗賊団の頭目の居場所は把握したんだし、捕まえるだけなら簡単だったと思うけど」

「それだと、雑魚に逃げられちゃうからね。説明したと思うけど」


 捜査は実に簡単だった。村人は大抵、盗賊どもの脅しを受けている。その盗賊個人を発見したら、彼の頭の中を覗き見すれば、誰がボスかがわかる。あとは拠点に集合するところを狙って、そのボスの精神に忍び込む。だから、その気になれば俺達はいつでも連中のねぐらに乗り込んで、頭目を始末することができた。

 だが、それでは地域全体に安定を齎すには足りない。小粒な連中が散らばって、以後も悪事を重ねるだろう。


「一度に全滅させるためだよ。それに、無駄に殺すのも避けられる」


 もちろん、どうして彼女がそんなことを言うのかは、承知している。


「ノーラは、アレでしょ。僕が悪く言われるから、それが気に食わないんでしょ」

「それもあるけど……だって、これから領主になるんでしょう? 長い目で見たら、悪評が広まるのはよくないわ」

「それこそ問題ない。この地域が平和に栄えるようになったら、陛下が望む通り、全部丸投げするからね。やることやったら、引退するよ」


 それが許されればの話だが、なんならキト辺りにでも引っ込んで、そこでひっそりのんびり暮らすのもありだ。いつまでも貴族をやるなんてイメージできないし、そのうちに問題が起きる気がする。

 なぜなら、この肉体は既に不老だから。面倒なことになる前に、表舞台からいなくなる必要がある。ただ、それは周囲の人達の先々をちゃんと確かなものにしてからにしたい。

 これにノーラの件も重なってくる。不死の探求が続いていた間は、意図的に無視してきた問題だ。だが、それが終わった今、否が応でも突きつけられる現実がある。肉体の老化が起こらない俺と、いずれ年老いる彼女。世を去るノーラを見送る……考えただけでつらいし、恐ろしい。

 残念ながら、ヒジリらワノノマの監視は死ぬまでなくならないだろうから、それは受け入れるしかない。最終的にはやっぱり、ワノノマの辺境の島に軟禁されることになるんじゃないかと、なんとなく思っている。

 焼き鳥屋開店の野望? まぁ、そちらは後で考えよう。


「でも、確かにこれ以上、変な噂を流す必要もないかな」

「もう明後日だしね」

「うん」


 俺はディーに視線を移した。


「そろそろみんなに戻ってきてもらって、篭ってもらわないと。多分、大丈夫だと思うけど、失敗したらすぐ逃げてもらわないとだし」

「大丈夫じゃない? 予行演習見てたけど、あれ、ヤバいって」


 ユーシス配下の兵、残り一千人弱。彼らを使って一度、練習はしている。

 それに多少しくじっても、割り切ってしまえばどうとでもなる。腐蝕魔術を容赦なく使えば、雑兵を数百人くらい、数分で全滅させられる。

 なお、盗賊団の規模だが、三つあわせておよそ一千名ほどいるらしい。三百人もの大所帯が三つ、領内を荒らしまわっているわけだ。

 本来、ティンティナブリアが養える兵士の数は数千人から、頑張って一万人程度とみなされているから、それから考えると今の状況は相当に歪だ。人口が減って兵士の補充ができないのに、逆に治安を乱す盗賊は増えるばかりで、頭数だけなら拮抗してしまっている。


「でも、一度、城をガラ空きにするからね」


 今日、俺はユーシスと仲違いすることになっている。これは外部から見れば信憑性のあるストーリーだ。切り捨てられた元貴族と、王に諂う成り上がり。反りが合わないのは容易に想像がつく。


「ファルス、面白がってない?」

「ないよ」

「何も自分から『変態王』なんて名乗らなくたっていいじゃない」


 嘘をつくコツ。それは、嘘の中に多少の真実を混ぜること。

 台本はこうだ。西方大陸一の好色家にして資産家だったラスプ・グルービーのお気に入りだったファルス・リンガは、師匠に負けず劣らず好色だった。彼から受け継いだ資産のおかげで一躍お金持ちになり、その資金で今もピュリスに多数の娼館を経営している。

 カネの力で貴族の身分を買ったこの若者は、領主の権限を利用して若い娘を漁ってやろうと考えていた。なにしろティンティナブラム城に入った時にも、多数の女奴隷を連れ込むくらいだ。有り余る財産を浪費しながら、酒池肉林の日々を過ごしているのだとか。

 このありさまに、王家の命を受けてこの地の安定を図ってきたユーシスは怒り狂い、呆れ果てて、配下の兵士を連れて出て行ってしまう。だが、ファルスには危機感などまるでない。いまや俺は領主なのだ、領民は俺に従うべきだ……意地っ張りな彼は、次の満月の夜に城門を開け放ち、新領主のお妾さんになりたい女性を集めて、賞金ありの美人コンテストを開催する、と言い出した……


 守備兵がいない城。そこに大金を抱えた間抜けなボンボンがいる。このバカ殿は、領地に到着してから、朝から晩まで女遊びに狂っている。つまり、攻め落とせば金と女が一度に手に入る。

 あまりに見え透いた罠なのだが、しかし、盗賊達が俺の異常な能力について知っているはずもない。逆にピュリスのリンガ商会の存在は身近な現実であって、裏を取ることもできる。

 付け加えると、実は既に三つの盗賊団の首領達には『暗示』の魔法をかけてある。当日は、同盟を組んだ彼らが一度に城に攻め込む手筈となっている。


「変な呼び名が定着したら、僕も嫌だと思わないでもないけど……後から善政を敷けば、みんなすぐ忘れるよ。殺すだけなら簡単だけど、できれば労働力も欲しいから」


 結局のところ、これが最大の理由だったりする。

 この領土は広大だが、インフラが壊滅的な状態になっている。オディウスの時代からずっと道路の整備などがまともに行われてこなかった。だから遠慮なく労役にまわせる男達の命は貴重だ。

 それに、俺は帝都への留学を命じられている。あと半年しかないのだ。それまでにできる限りのことをやっておかないと、代官の苦労が大きくなる。


「おとなしく従うかしら」

「なんとかするつもりだよ」


 それから二日後の深夜。金色の満月と、それに覆いかぶさる雲が、濃淡のある空模様を描き出していた。夜の静寂の下、無骨な城門は、いまや開かれていた。年を経た扉は淡い月の光を鈍く照り返していた。

 そして程なく、流れ続ける川の水音にも掻き消されないほどの足音が響き渡った。彼らは一直線に橋の上を駆け抜け、城門を潜った。

 彼らは美人コンテストへの参加を希望する美少女達だろうか? まさか。村人に流した情報は、即ち盗賊団に流れる情報だ。ましてや、盗賊と大差ない圧制者が居座ったとなれば、義理立てする理由もない。


 その先にあるのはロータリーのような一階の広大な空洞だが、今は南門以外はすべて閉ざされている。ただ、上層階に向かうための螺旋階段が中央にあるので、そこから城内に侵入することができる。

 盗賊団といっても、一部は元王国兵だ。読み書きもできるし、この城に詰めていた経験もあるので、ある程度は内部構造を知っている。二階に上がった彼らの目の前には、燭台の灯火と、それに照らされた立て看板が待っている。


『カワイ子ちゃんはこちらへ→』


 罠かと訝るのもいるに違いない。だが、現にユーシスは兵を率いて城を離れ、キガ村を通過して、もうすぐヌガ村という地点まで移動している。いくら急いでも、二日前にここを立ち去った軍勢が戻ってくるなどあり得ない。

 なお、順路以外に入り込まれると面倒なので、実は厳重に封鎖してある。人払いの魔法までかけてある。

 そうして誘導する先は、城の北東部だ。巨大な円形の城壁に囲まれた、井戸の底のような空間。足下は、いつ積もったかわからない砂利でいっぱいだ。以前に俺がルースレスの手勢に追い詰められて、ついには城壁の天辺から身を投げた、あの場所。もちろん、そのままの状態では内側の壁から上へと抜けられてしまうので、上り階段のところは魔術で積み上げた土のブロックで封鎖して、登れないようにしておいた。


 その北東部の広場を、城壁の上から身を隠しながら見守っていると、やがてバラバラと盗賊達がやってくるのが確認できた。彼らは、入口の向かい側に置かれた三台の馬車を指差している。それからそちらに駆け寄っていき、中を確認すると、大騒ぎになった。

 狙い通り。あの中には、領地の復興資金として持ち込んだ百万枚の金貨が詰まっている。だが、簡単に持ち出せはしない。一万枚程度の金貨でも、大きな麻袋いっぱいに詰め込むほどの量になる。その重量は桁外れだ。到底、一台の馬車に積めるものではないので三台に分けて収納した。だが、俺はわざと中に麻袋を用意しなかった。つまり、剥き出しの金貨がそのままになっている。そして馬車のサイズは、この北東部の広場の出入口より大きい。

 落ち着いて考えれば明らかに罠なのだが、この状況で冷静になれるくらいなら、そもそもこんな地域にいつまでも留まって盗賊なんかやってないだろう。この大金をどう持ち運ぶか、喜びと戸惑いで混乱に陥っている。そうこうするうち、どんどん広場に盗賊達が集まってきた。


「全員ではないけど、そろそろかな」

「そうね」

「じゃあ、やっちゃおう」


 詠唱の必要はない。既に城門には魔法がかけてある。念じるだけで、南門がひとりでに閉じた。とりあえず、これで出口は塞げた。

 次。今度はこの広場の入口の扉だ。これもいきなり、凄まじい勢いで閉じられた。直後、悲鳴があがった。その扉の近く、数メートルに渡って広場の地面が陥没したからだ。


「これでよし」


 上に向かう階段は使えなくしてあるし、もしそれでも登ってきたら魔術などで撃ち落とせば済む。唯一の出口の扉も補強済みで、しかも足場の地面が深く陥没しているために、どうせ手が届かない。まだこの広場に到達していない盗賊が若干いるが、それはこれから一掃する。

 俺が仕掛けたのは、いわゆる空城の計の亜種だ。相手にこちらの戦力を過小評価させることで、陥穽に突き落とすのに成功した。ただ、こちらがこの少数で一軍に匹敵する武力を有しているとは、普通は想像もつかない。


「あっ」


 遠くから轟音のようなものが聞こえてきた。早速ペルジャラナンが無力化を始めてくれているらしい。この分だと、これ以上、俺の出番はないかもしれない。

 ほどなくして、広場の扉が外側から開けられると、そこにぐったりした盗賊達が投げ込まれた。そしてすぐ閉じられる。

 夜が明ける頃には、城内に侵入した盗賊はすべて、この北東部の広場に閉じ込められて、作戦は終了した。


「これでもう、順番に見張りをしながら、二日くらい放置するだけだ」


 あとは難しいことはない。水も食料もないこの場所に、ただ転がしておく。そのうち音を上げて、彼らも降参するだろう。その頃にはユーシスも兵を率いてここまで戻ってくる。

 次の課題は、彼らをいかに労働力とするか、だ。考えはあるが、こちらの方が面倒かもしれない。


「あっさりね」

「正直、半分はユーシス様のおかげだよ」


 彼が四年間に渡って盗賊の討伐を続けてきたからだ。だからこそ、追われる側も結束し、組織化された。組織化されていたからこそ、こうして城に攻め込んできてくれたのだから。


「さ、これからやらなきゃいけないことが山ほどある。どんどん片付けていこう」

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