トカゲはイジメられた
目的地は、すぐそこだった。ブラックタワーの裏手にある、自警団の詰所。出入口のある建物のすぐ隣だ。
「悪い話じゃないって言ってたけど、一度、聖都に召還されることになったって」
エディマは順を追って説明した。
「もっと大きな管轄教会の仕事を割り振られそうだって言ってて」
「じゃ、栄転だ」
「うん。でも、その」
「何か?」
「えっと、リンさん、どうしてかわからないけど……どこに飛ばされるかはわからないですが、必ずファルスに伝えてくださいって言ってたの」
それで察した。魔宮の件だ。
そもそも俺のセリパシア旅行は、リンの紹介状ありきで始まっている。そんな俺が、一度ピュリスに帰ってからまた旅に出たのだ。ドーミル教皇としては、秘密の漏洩その他が気にならないはずがなかった。しかし、聖都に呼ばれるリンも、そこまで間抜けではない。何の保険もかけずにノコノコ出かけていって口封じされたのではたまらないから、俺に一言残していったのだ。
ドーミルは、俺が魔宮の秘密を洩らせば、俺の知人を暗殺させると言った。ならば逆は? 俺の知人を彼が殺害したら、俺もまた事実を公衆の面前にさらし、一切をつまびらかにする。
「なるほど。わかった」
「わかったって、それだけでいいの?」
「多分、大丈夫だから」
良くも悪くも、俺のその後は伝わっているはずだ。ヘルから受けた俺についての報告には半信半疑だったかもしれないが、その後、黒竜討伐から人形の迷宮攻略、ポロルカ王国の一件まで、不完全な形ではあろうが、彼が知らずに済んだはずはない。下手をするとサハリアで何をしでかしたかまで把握されている可能性もある。
詰所に一歩入ると、中が散らかっているのがわかった。といっても、だらしがないのではない。単純に物が多すぎて、それが乱雑に積まれているだけだ。特に、薄汚れた板が目につく。その後ろにある布、何か文字らしきものが書かれていた。
「これは?」
「あー、それな」
モライカが顎で指し示した。
「見世物やってたんだよ、ちょっと前まで」
「見世物?」
「ま、奥行きゃわかる」
それで、入口に積まれた木材を跨いで、次の部屋に入った。
向かいのガラス窓から差し込む光が、三人の姿を黒ずんだシルエットに変えていた。簡素な部屋、木の板の床の上に椅子が二つ。まず立ったまま待っていた彼が、真っ先に動いた。
「ギィ!」
俺の姿を見つけると、ペルジャラナンが両手を広げて俺の胸に飛び込んできたのだ。サハリア風の帽子に服を着て、人間らしさをアピールした格好で。
彼の後ろには、椅子から立ち上がったディエドラと、遅れて立ち上がるマルトゥラターレの姿もあった。よかった、みんな無事だ。
「久しぶり」
だが、挨拶を交わす間もなく、トカゲのしっかりとしたハグ。
何かおかしい。感情に乏しいはずのリザードマンが、どうしてこんなに激しい表現をするのか?
「元気だった?」
「元気じゃなかったんだよ、こいつ」
「えっ」
そんなはずはない。元々頑健な肉体に、高速治癒の神通力まで備えている。まさか病気? 砂漠より湿気のあるピュリスの風土が合わなかったとか? それとも栄養?
「あー、病気とかじゃない。イジメられてたんだ、こいつ」
「ええっ」
もっと驚きだ。俺があれこれ改造したせいで、ペルジャラナンは、もはや手のつけようのない怪物になった。彼が遠慮なく暴れた場合、この街を守る海竜兵団が束になっても止められないだろう。それがイジメられた?
いや、精神的なものかもしれない。どんなに人間らしさを真似たところで、魔物らしい外見はなくせない。ペルジャラナンは人間のルールを守るから、それこそ自衛を要するレベルで直接的に危害を加えられない限り、仕返しもできない。
「赤の血盟からの船がやってきて、知り合いを引き渡しにきたっつって、まさかリザードマンと獣人たぁビックリだった」
「でも、迷惑はかけなかったでしょ?」
エディマが頷いた。
「うん。この子、すっごく人懐っこくてかわいいよね」
そう言いながら、彼女は手を伸ばして彼の帽子を取り、そのスベスベした頭を遠慮なく撫でた。
これを見る限り、リンガ商会のみんなには、イジメどころかむしろ甘やかされていたに違いない。
「じゃあ、誰がイジメを?」
「他所の人なんだけど」
二人を送りつけられたビッタラクだが、片方は存在を知っていたので、そこまで慌てなかった。ただ、せっかく珍しい亜人、獣人、リザードマンと取り揃えたのだから、ここは一つ、何かに役立てたいと考えた。すぐに彼は、特にペルジャラナンの非凡な戦闘力に気付いて、街の自警団に組み込むことにした。だが、やはりというか、魔物が街をうろつくのを見て、不安を感じる市民は多かったらしい。
それで彼は、方針を転換した。無害なトカゲ、ペルジャラナンを見世物にすることにしたのだ。あくまで本業は街の警備だが、それはそれとして、市民に親近感を抱いてもらうため、わざわざ広場にステージを設置し、誰でも彼に木剣での試合を挑めるようにしたのだ。無論、有料で。
金貨一枚というお高い参加費だったが、物珍しさもあって、まずは地元の冒険者が、続いて一般市民も、ペルジャラナン相手に試合を挑むようになった。彼も心得ていて、ちゃんと手加減はした。その気になれば一瞬で試合が終わるところ、わざわざ引き伸ばして相手してやったり、苦戦を演出したりして見物客を楽しませた。そして決して本気で打ったりせず、客に怪我をさせることもなかった。
そうした気遣いは自然と伝わる。間もなく彼は、一躍、街の人気者になった。
「何の問題もなかったみたいに聞こえるけど」
「ギィィ」
泣き出しそうな抗議の声があがる。
「でも、それからね……」
とっても強いけど、とってもおとなしくてかわいいトカゲ君。そんなペルジャラナンの穏やかな日々は、一人の乱暴な客の登場によって、すべてぶち壊された。
逆立つ髪の毛、白い陣羽織を身に着けたそいつは、舞台の上のチャンバラを見るや、金貨を投げつけて早速勝負を挑んだのだという。
「あああ」
「あれ、お前の知り合いなんだよな?」
「キースかー……」
あちゃー、と溜息をつきながら俺は手で顔を覆った。
意外にも、初日の勝負はペルジャラナンの辛勝に終わったという。さもありなん。技の引き出しや経験ではキースが上回るものの、ペルジャラナンには俺が埋め込んだ強力なスキルの数々が備わっている。
だが、それで終わるキースではなかった。翌日も、その翌日も、毎日のように彼は通い詰めた。無理もない。キースにとっては久しく得られなかった、ちょうどいい練習台だったのだから。そのうち、ペルジャラナンが徐々に競り負けることが増えてきた。怪我をしてもちょうどよく治ってしまうのがまた、まずかったらしい。前日にぶちのめされた彼のところに、翌朝、またキースがやってくる。
見かねたビッタラクが介入した。トカゲに挑むには今日から金貨十枚です、と値段を吊り上げたのだ。無駄だった。しまいには金貨百枚だとまで言ったのだが、するとキースはいったん引き下がり、しばらくして大量の金貨の入った袋をステージの上にぶちまけて、全力でペルジャラナンに襲いかかった。
かくして再起不能になるまで練習台にされ、ペルジャラナンにはしっかり負け癖がついてしまった。
「なんだかもう、呆れて力抜けちまったよ」
そうぼやいたのは、モライカだった。
「あたしだってちったぁやれる腕があるって思ってたんだ。グルービーに雇われた時にゃあ、ついに実力が認められたかって思ったのによ。それがまだガキだったあんたには負けるし、ここで働きだしたら、こんな桁違いなバケモノばっかり目にして、しまいにはそれすら倒すのまで見ちまって……身の程、思い知らされたな」
「キースさんは、あれは特別。本物の天才だし、努力家だから仕方ない」
話が一段落したので、今度はディエドラとマルトゥラターレに向き直った。
「どうだった? 困ったことはなかった?」
「なかった。いや」
マルトゥラターレは立ち上がると、深々と頭を下げた。
「おかげでアイル村のみんなに、霊樹の苗が届く。ありがとう」
「あ、ああ、いや、持ち帰ったのはシャルトゥノーマだし」
「いつかは奥地の村に行きたい。でも、まだ」
目が見えないままでは、大森林を通り抜けるのは難しい。道中には、あの危険な沼地もあるのだ。といって、ショートカット狙いで南側から抜けようとすれば、今度は緑竜の棲み処をくぐり抜けなくてはいけない。
「その辺はおいおい考えよう。向こうには、ディエドラから聞いたかもしれないけど、ストゥルンっていう協力者もいる。いざとなったら、万事手伝ってもらえると思っていい」
「うん、慌てない」
ようやく自分の番になったと悟ったディエドラは、わざとらしく溜息をついてみせた。
「ニンゲンのセカイ、タイヘン」
「どうした?」
「ヨみカきとか、レイギサホウとか、オボえることがありすぎる」
俺は苦笑しながら、それでも彼女の言葉が流暢になってきているのがわかった。
「かなりよくなってる。あと少し頑張れば、普段の暮らしにも困らなくなるよ」
これで、みんなの顔は見た……いや。
まだ一人だけ、確かめてない。
「エディマ、サディスは?」
「サディスちゃんは、すぐには来られないの。夕方になったら帰ってくると思うけど」
「今はどこに?」
「女神神殿」
彼女は顔を曇らせた。
「どうして?」
「あのね」
躊躇いながらも、彼女は少しずつ話し始めた。
幼少期に負った心の傷ゆえだろうか。
ジョイスが師の命令通り、ピュリスを去った直後は、サディスもあの家で一人暮らしをしていた。だが、ほどなく生活スキルの欠如が顕在化してきた。自炊できない、掃除や洗濯もあまりできない、お金の管理もいい加減……ガリナ達が定期的に通って様子を見てくれていたからよかったが、もうすぐ成人という年齢でありながら、いくらなんでもこれでは一人にしておくことはできなかった。
それでエディマが同じ部屋で寝起きして、最初はブラックタワーでの仕事を一緒にするようにした。サディスも読み書き計算はリンから習っている。だが、欠落していたものがあった。常識だ。少し考える必要のある書類仕事などになると、途端に使い物にならなくなった。わからないことがあるのはいいとしても、何を相談すればいいかが判断できなかったのだ。
事務とか裁縫とか料理とか、そういった有用な技能云々以前に、まず社会性を身につけさせる必要がある。一緒に悪臭タワーを生き延びた仲だから、見捨てるような真似はしたくなかった。彼らは悩んだ末に、女神神殿に基本的な生活習慣から正してもらおうと決めた。
それで、誰も住まなくなった俺の家は片付けられてしまった。今では月一回程度、清掃と確認のために立ち入る程度になっていたのだとか。
「どうにか幸せになって欲しいんだけど」
「いや、苦労をかけちゃったみたいで」
聞いた限りだと、このままでは普通の結婚も難しいだろう。それならそれで、なんとか彼女に適した居場所を与えてやれるといいのだが。
ただ、こうしてみんなの消息を耳にするごとに、帰ってきたんだという実感が強くなっているのに気付いた。そうだ、そうだった、人間の世界とは、こういう面倒臭いものだった。リーアのこと、サディスのこと、その他諸々……誰かの困難を、感情を、自分と切り離すことができない。旅の途上では、そういうことは少なかった。もし何かあっても、立ち去れば済んだから。
「家の方は、明日にでも元通りにするよう、手配するから」
「いや」
俺は首を振った。
「しばらくはホテル暮らしでいい」
今、俺は十四歳。まだ四月だ。
出国前のタンディラールとの約束通りであれば、俺が帝都に向かうのは年末になる。ならまだ、半年以上は自由でいられるはずなのだが、多分、そうはいかない。
「えっ、でも、自宅で過ごしたくない?」
「多分だけど、あれこれ準備してもらっても、長居できない気がするから」
と言いかけて、ハッと気付いた。
「鉢植え!」
「わっ!?」
「エディマ、屋上にあった鉢植えは? 水遣りは絶対欠かさないでって言った、あれ」
「あ、ああー……ビックリしたー」
深呼吸してから、彼女は答えた。
「うちに置いてあるよ。毎朝見てるから、大丈夫」
「そうか、ならよかった」
とは言うものの、よかったのかどうかは、わからない。今でもその二つの鉢植えには、アイビィとグルービーの魂が宿ったままだ。どうせ助けられないのなら、いっそ輪廻に返すべきなのかもしれないが。今、二人を生かしたままにしているのは、俺のお気持ちでしかない。
「じゃあ、ちょっと外に出てくるよ」
あとは酒場の親父さんの顔だけだ。挨拶して、頭を下げておきたい。旅に出る前に包丁を持たせてくれたのは彼だ。自分が料理人であることを忘れずにいられたのは、彼のおかげでもある。
「夕食の時間までには戻ってきてよ」
「ん? どうして?」
「あのセーンさんが、作りかけの料理を完成させないなんて、あり得ないでしょ?」
お帰りなさいの祝賀会、とはいかなくとも、会食そのものは中止にならないということか。なるほど、彼らしい。
「確かにね」
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