めでたいお話
龍神との会見が終わってから、俺とウナは引き返した。社に戻ってからは側仕えの人々に案内が引き継がれ、俺は宿舎に戻った。遅い時間でもあり、既に夜食が持ち込まれていたが、俺は食欲もなく、布団の上に倒れ込んだ。ただひたすらに疲労感だけがあった。まるでこの四年間の疲れが一度に圧し掛かってきたかのようだった。
泥のように眠って目が覚めると、既に日が高くなっていた。それで俺はもぞもぞと起き出して、昨夜の夜食を少しだけ食べた。それから宿舎の裏手の露天風呂に行き、今一度体の汚れを落とした。
着替え終わって畳の上に座った。
とりあえず身支度を済ませた。それだけ。もう、予定はない。目標も目的も、何も。未来は白紙だった。
何も考えられずにぼんやりしていると、外から戸を叩く音が聞こえた。
「お休み中のところ、申し訳ございません」
俺を呼び出しにきた女官は、頭を下げた。
「昨夜、お疲れのようで、今朝も朝食をお持ちした際にはお返事がなかったのですが、お加減はいかがでしょうか」
「気付きませんでした。先ほど目を覚ましたところです」
「お疲れのところ、申し訳ございませんが、オオキミがお話したいことがあるとのことで、ファルス様を呼んでおられます。今、よろしいでしょうか?」
構わない。俺はそのまま、彼女らについて外に出た。
だが、歩くうち、行き先がおかしいことに気付いた。オオキミの宮殿は集落の東側にあるのに、彼女らはむしろ集落の真ん中にある小屋に向かっていたからだ。でも、どうでもよかった。指摘もせず、逆らいもせず、問い質すこともなく、俺は大人しく続いた。
建物の前で、女官達は立ち止まった。
「こちらになります」
簡素な一軒家だった。そこらの民家のような。
「お入りください。私どもはここで失礼させていただきます」
心なしか彼女らの表情が強張っていることに、やっと気付いた。だが、さして注意を払うこともなく、俺は言われたままに戸を引き開け、靴を脱いで家の中に上がり込んだ。
暗い廊下の向こうから、何やら話声が聞こえる。そちらに向かえばいいのだろうか? ひんやりとした板の廊下を歩いて、声の出処の戸を引き開けようとして、軽くノックをした。
「おぉ、やっと来たのじゃな」
この声は、ウナだ。すると、オオキミだけでなく、ウナまでこんなところに?
だが、俺は深く考えずに戸を開けた。
「よく眠れたか?」
そこには、オオキミとウナだけでなく、フィラックとノーラもいた。俺が起きる前から話し込んでいたらしい。
しかし、狭い畳の部屋の中、真ん中にはお盆を置き、そこには湯呑みとお茶請けが。いくらなんでもカジュアルすぎないだろうか。
「寝惚けておるようじゃ。どれ、妾が茶を淹れてやろう」
急須から空っぽの湯呑みに茶を注ぎ、お盆の上の空いたスペースに向けてそれを置いた。
「ほれ、さっさと座るがよい」
どういう風の吹き回しだろう?
俺の視線に気付いたのか、フィラックは笑顔で説明した。
「いやー、ビックリしたんだけどな。王様からお呼びがかかったって聞いて、正直ビビってたんだが、こんなに気安く話せる方々だとは」
「はっはっは」
……やっぱり変だ。オオキミも、微妙にキャラを作っている。
「こちらのウナさんも、今の姫巫女? らしいけど、若いんだな。もっと近寄りがたい人達なのかなって勝手に想像してたよ」
「ほっほっほ」
……昨日、会うなり俺を巻き込んで自爆しようとした女が、微妙に眉間に皺を寄せながら笑っている。怖い。
「これはどのような」
「なに、難しいことではないぞ」
オオキミがこの状況を説明した。
「そなたの旅と活躍について、詳しいことを知りたかったのでな。共に歩いた者達に、どのような出来事があったかを尋ねることにしたのじゃ」
心の中に、小さな緊張感が走った。
別に俺個人のことはどう言ってくれても構わないが、伝えたらまずいことまで言ってないだろうか。特にノーラだ。一つは、ドーミル教皇との約束。あれをバラされると、ピュリスに暗殺者がやってくる。もう一つは使徒だ。うっかり口を滑らせたら、あの砂漠での取引が無になってしまう。彼らについて伝えないことが、俺の身内への手出しを止めるための抑止力になっているはずなのだから。
「いや、驚きじゃった。ヒシタギ家のヤレルからの報告はあったが、改めて話を聞いてみると、信じられぬほどの働きぶりじゃ」
「左様、左様。スーディアでは魔王シュプンツェを打ち倒し、人形の迷宮の守護者を討ったのも実はファルスで、大森林では緑竜を、ポロルカ王国ではパッシャの大幹部だったアーウィンなるものを退け、クロル・アルジンなる怪物を滅するのに成功しておったとは」
伝わってまずいことは伝わってなかったようだが、それ以外の話も、割と伝わらない方がよかったのかもしれない。
「これほどの武功は百年に一度、否、千年に一度じゃ。のう、フィラック殿?」
「いや、正直、そう思いますよ。まるでおとぎ話の中にいたみたいな気がします」
「そうであろう、そうであろう」
この褒め殺し、理由があるはずだ。二人はわざとやっている。
「本来なら、世界の守護者たるワノノマこそ、これだけの仕事を果たさねばならなかったのに、手柄を先取りされてしまったのでは、仕方がないところ」
「左様です、叔父上」
叔父上?
ウナが気持ち悪い発言をした。オオキミに向かって叔父上って。そういう設定か。自分の異常なほどの長寿については、何も教えていないらしい。
「誰も賞する者がいないのなら、仮にも六大国の一角を預かる立場として、何もせずファルス殿を帰すなど、あってはなりませんぞ」
「その通りじゃ」
どうやら、それが狙いらしい。回りくどいことだ。
もちろん、恩賞を与えたいのではない。恩賞という名目で、俺の身柄を拘束したいのだ。
「のう、ファルス殿」
「はい」
「よければ爵位を受けて、ここ、ワノノマの将軍にならんかのう」
きた。
「ヌニュメ島の防衛には、既に一隊があるのじゃが、それとは別で、そなたの府を構えたいと思うのじゃが」
将軍府じゃなくて、俺を軟禁する屋敷じゃないのか。
でも、逆らう理由もない。それに、俺一人が幽閉されて、二人が無事に帰国できるなら……
「恐れながら」
……と思っていたら、横からノーラが低い声で割り込んだ。
「それでは道理が通らないことになってしまうのではないでしょうか」
「おや、ノーラ殿、なぜかな?」
「ファルスはポロルカ王国で奮戦したのにもかかわらず、爵位を受け取りませんでした。フォレスティア王タンディラールより騎士の腕輪を授かっていることを理由に、他の王からの叙爵を辞退しているのです。なのに今、直接助けられたわけでもないワノノマからの叙爵を受け入れたら、ドゥサラ王の面目を潰すことにはなりませんでしょうか」
相変わらず気分はブルーなのが表情から見て取れるものの、口を開けば理路整然としていた。
「むむぅ」
オオキミは、顎髭を撫でながら唸ってみせた。
「それも道理じゃの」
ピンときた。
これも織り込み済み、ということらしい。
「では叔父上、こうしてはいかがでしょうか」
「ほう、名案があるのかの」
「はい。このような武勲を挙げた勇士は前代未聞。今後とも世界を邪悪から守っていただきたい。であれば、叙爵はタンディラール王に任せ、私どもは真心を差し出せばよいのです」
真心。この文脈で言われると、途方もなく胡散臭い。
「ウナよ、ではわしは何を差し出せばよいのかのう」
「それはもう、ワノノマで最も尊い宝です。けれどもそれは宝剣でもなければ、金銀でもありません」
「もったいぶらずに早く教えてくれぬか」
「では申します。叔父上の大事な娘、ヒジリを娶わせてはいかがでしょうか」
なんてわざとらしい。
オオキミは手を打って大袈裟に頷いた。
「おお! それは名案じゃ! しかし、ヒジリがどんな顔をするかのう」
「そのようなことを気になさる必要がおありでしょうか。貴顕の家に生まれた娘は、その身分に相応しく、家長の命じる責務を果たすが道理でしょう。けれどもご安心ください。実は私、先日からヒジリに相談を持ちかけられていたのです」
「というと、どのようなことが」
「先日、ファルス殿がこの島にいらした際、ヒジリは外国の騎士に興味を抱いて、こっそり下女の姿をして様子を見に行ったのだそうです。ですがこの凛々しい姿を見れば、心奪われるもやむなく」
「なんじゃなんじゃ、わしは娘を甘やかしすぎたのかのう」
「実を申しますと、既にこの家のすぐ近くまで、招いてございます」
「なんと? これ、ヒジリ、ヒジリ!」
オオキミは呼びかけながら手を打った。
この怒涛のお芝居を前に、俺達は硬直するばかり。異議を申し立てる暇を与えないためなのだろうが、茶番にも程がある。
廊下の向こうから摺り足でやってくるのが聞こえてきた。
「許すぞ。入れ」
スッと戸が引き開けられると、そこには三つ指ついて頭を下げる若い女の姿があった。
艶やかな黒髪は肩にかかるほど。成人女性にしては短めだ。色白で、その顔立ちは整っていたが、どちらかというとかわいらしさのようなものはあまり見当たらず、凛々しさと気品が目立つ印象だった。それと、何より姿勢が美しい。体つきは均整がとれているが、背は普通の女性よりやや高めだろう。
水色の上着に鮮やかな青い裳がよく似合っている。更にその上から、打掛のような上着を羽織っていた。
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ヒジリ (144)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク8、女性、16歳)
・マテリアル 神通力・長寿
(ランク6)
・マテリアル 神通力・識別眼
(ランク5)
・マテリアル 神通力・怪力
(ランク5)
・マテリアル 神通力・俊敏
(ランク5)
・マテリアル 神通力・超柔軟
(ランク5)
・マテリアル 神通力・念話
(ランク5)
・マテリアル 神通力・探知
(ランク4)
・マテリアル 神通力・危険感知
(ランク4)
・マテリアル マナ・コア・水の魔力
(ランク8)
・マテリアル マナ・コア・風の魔力
(ランク8)
・スペシャルマテリアル 龍神の加護
・スキル ワノノマ語 7レベル
・スキル フォレス語 6レベル
・スキル ルイン語 5レベル
・スキル サハリア語 5レベル
・スキル シュライ語 5レベル
・スキル ハンファン語 6レベル
・スキル 指揮 5レベル
・スキル 管理 4レベル
・スキル 水魔術 8レベル
・スキル 風魔術 8レベル
・スキル 格闘術 8レベル
・スキル 投擲術 8レベル
・スキル 棒術 7レベル
・スキル 刀術 7レベル
・スキル 軽業 7レベル
・スキル 隠密 7レベル
・スキル 水泳 7レベル
・スキル 操船 6レベル
・スキル 裁縫 2レベル
・スキル 料理 2レベル
・スキル 医術 7レベル
・スキル 薬調合 7レベル
空き(121)
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……いや、若く見える女でしかなかった。
長寿の神通力のランクの割には、魂の年齢が高い。これは龍神の加護によるものだろうか。つまり、ウナほどではないにせよ、彼女もまた、その存在が龍神と影響し合う状態にある。要するに、どう見ても姫巫女候補だ。
そういえば、大昔にユミから、姫巫女候補から武術を習ったことがあると聞かされたことがあった。それとヤレル達、魔物討伐隊が指揮官と仰いでいた女性がいたのも思い出す。その名前が確か……
「おお、ヒジリよ、今日も美しいのう」
「父上、お恥ずかしゅうございます」
彼女も芝居の台本を心得ているらしい。何が父上だ。お恥ずかしいなんてタマか。オオキミの三倍近く生きてきたくせに。
またピンときた。つまり、初日に俺を鋭い目で観察していたのは、こいつだったのだ。
「わしが思うに、お前も年頃じゃ。さりながら良縁は得難いもの。ここにある勇士ファルス殿は、身分こそ騎士に過ぎぬが、この若さにして既に誰にも引けを取らぬほどの武功を挙げておる。これ以上の婿はおるまいて」
「父上、慎みに欠けた物言いをお許しください。正直に申し上げて、これほど嬉しいことはございません」
「そうであろう、そうであろう」
という筋書きで、俺に監視要員を張り付けようと、そういう結論に至ったらしい。
「あ、あの」
俺はもう観念していたが、俺とノーラを見比べつつ、フィラックが声をあげた。
「何か」
無言の圧力に気圧されながらも、彼は意見を口にした。
「ファルスはもうすぐ十四歳ですが、まだ成人していません。それにフォレスティアに帰ったら、一年経つかどうかですぐ帝都に留学することになるのではないかと思うのですが」
「何か問題かのう。ああ、そうじゃ、ウナ」
「はい、叔父上」
「確か帝都の川沿いに、以前、我が国の公館としていた建物があったはずじゃ。今は誰も使っておらんのだが、留学中にはファルス殿の住まいとして、あれを提供しようと思うのだが」
「いい考えかと思います。あとは下働きの者どもも、ワノノマの各地から選り抜きの男女を割り当てましょう」
ヒジリ一人に監視任務を任せたりはしない。サポート要員もキッチリつけます、と。
「あ、あの、そうではなくて」
わかっている。
フィラックは、ノーラの気持ちを慮っているのだ。とはいえ、こんな上の身分の人間から「嫁だ、受け取れ」と言われて、正面から拒否などできるはずもない。だが、何度も危険に身をさらしながらここまで一緒に歩いてきたノーラが、こんな形で望みを断ち切られるなんて、黙ってみていられないのだろう。
「ふむ? よもやフィラック殿は、我が娘のヒジリでは、ファルス殿には相応しくないと、そうお考えか」
「いえっ、そ、そうではなくて」
彼は冷や汗を額に浮かべながら、必死で言い訳を考えてくれている。
「ヒジリ様ほどお美しく気品ある姫君など、目にしたことがありません。ですが帝都留学の時点でもファルスは十五歳です。しかし、その若さで美しい妻も身分も、何もかも与えられてしまったのでは、安逸に流れて学業を疎かにすることも考えられますし」
「これほどの実績を挙げたファルス殿がその程度の人物だと?」
「どれほど優秀で偉大な人物でも、道を踏み外すのはあり得ないことではありませんし」
ウナとオオキミは目を見合わせたが、問題ないと判断したらしい。
「では、こうしよう。もし帝都留学ということになったならば、今、宣言した通り、我が国が留学先での面倒一切を受け持つ。無論、その後もファルス殿への支援は継続するつもりじゃ。だが、ヒジリとの関係は結婚ではなく、当面はあくまで婚約という形にするとしよう。正式な結婚は留学が終わってからでよい。いかがかな」
仮にも六大国の王相手に主張をして、譲歩を引き出したのだ。この上何かを申し立てるなど、フィラックにはできようもなく、口をパクパクさせるしかなかった。
それでも、と彼はノーラの方に振り返った。ノーラは、死んだ目をしていた。
「……いいと思うわ」
この一言に、オオキミ達はわっと盛り上がってみせた。
「いや、めでたい!」
「喜ばしいことです、叔父上」
「父上、ありがとうございます」
こうしてなし崩し的に、俺の婚約が決まってしまった。
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