姫巫女の社にて
正殿の裏手は、意外なほどあっさりとしていた。
すぐ下り坂になるが、そこからは青々とした山稜を見渡すことができた。果ての見えない大海が、午後の日差しを照り返しているのが垣間見えた。
階段を降り切ったところに小さな広場があり、そちらには木造の家々が並んでいた。それぞれ造りはしっかりしているものの、王家の後宮と呼ぶにはあまりに貧相だった。その辺のちょっと大きめのお寺とか神社みたいな規模感だ。
「珍しいかのう」
謁見の間の裏手から先は、ワノノマ皇族の私的領域となっているらしい。行きの船の中で聞いた限りでは、傍仕えの者達を除けば、外部の人間がここに立ち入ることは、百年に一度もないという。
では、普段ヒシタギ家の人間はどこで姫巫女と会見していたかというと、さっきの正殿のある広場の左側にある、姫巫女用の社の中でなのだそうだ。だから、俺もそのような形になるものと考えていた。待たされている間に姫巫女がやってくるものと思っていたのに。これは異例中の異例ということになる。
「普通は立ち入れないんでしょう?」
「そうじゃな。だが、ファルス殿の目的からすれば、ここに連れてくる他はない」
では、モゥハに会わせるつもりでいるということだ。ただ、姫巫女の面接をクリアできれば、だが。
小さな集落のような後宮を歩いて通り抜けると、次の山頂までのちょっとした登山になった。ただ、こちらも石段が組み上げられている。オオキミは若い頃のようには歩けないといったが、なかなかどうして健脚だ。息も切らさず登り切ると、目の前の社を指差した。
「うんざりしてしまうかのう」
微妙に人をからかうようなニュアンスを感じた。
というのも、その社の見栄えたるや。周囲は樹齢の長い太い杉ばかり。だが、その高さにも負けないくらい、高く聳え立っている。二本の太い柱が天高く聳えており、そこに向かって山頂の地面から上へ上へと木組みの階段が続いている。その天辺に設けられた社が、姫巫女の居場所だという。
だが、こんなところで暮らしているはずがないのだ。普段の職場だとしても、少なくとも生活の場ではない。不便すぎる。ということは、この場所に何かが……だが、構うものか。
「足腰が丈夫になりそうです」
俺の返事に、またオオキミは笑った。
「この先は一人で行くように」
まったく木材だけで組み立てられた社の上に昇ると、中が恐ろしく簡素な造りになっているのがわかった。四方を円柱に支えられている他は、ほぼ何の装飾もない木の床が三段。最初のところで履物を脱ぎ、二段目が訪問者の座る場所、そしてもう一段上は、姫巫女の居場所だ。ここでも姿を隠す必要があるらしく、今は御簾がかけられている。二段目のところには布と丸いクッションがいくつか並べられているが、これは姫巫女の傍仕えなどが座るための場所だろう。今回は特別に、俺のための座布団が用意されていたが、傍仕えは誰もいなかった。
オオキミが同行しなかったことといい、他に誰もいないことといい……何を考えているかはだいたいわかる。
「お招きいただきありがとうございます。ファルス・リンガ、ここに参りました」
「座りなさい」
御簾の向こうから、冷たい女の声が響いてきた。ただ、その声の質から、随分と若い娘のように思われた。
俺はこちらの人間がするように、胡坐をかいて座った。
「まずはお礼を述べておこうと思います」
全然そんな雰囲気でもない。むしろ感じるのは、敵意だ。
「そなたの活躍もあって人形の迷宮が打倒され、ポロルカ王国を脅かしたパッシャが滅ぼされたとのこと。そなた一人の武功ではないにせよ、貢献は大であったと耳にしております」
俺は座ったまま、一礼した。
「女神と龍神に仕えるワノノマの民として、これに報いないわけには参りません。ファルス殿、望みとするものがあれば、述べなさい」
「望みは既に叶えられつつあります」
欲得も何もない。俺は率直に思ったことを口にした。
「私がかつて望んだのは、不死を得ることでした。姫巫女様は、噂に聞き及んだところでは、不老不死を与えられていらっしゃるとのこと」
「そのようなことはありません」
「ヒシタギ家のオウイ様も、そのようにおっしゃっておいででした」
空気は相変わらずピリピリしている。
俺についての事前情報を、オオキミも姫巫女も手にしていたはずだ。その上で、オオキミは俺を見て、問題ないと判断した。だが、姫巫女はなお警戒を解いていない。
「姫巫女候補がいて、それが魔物討伐隊を率いることもあったのです。候補がいるということは、後継ぎが必要ということ。なら、不死ということはあり得ないだろう、と」
「ならば、妾に会おうとも、望みは果たせないはずではないですか」
「既に不死そのものには、さほどの興味もありません」
彼女からすれば、掴みどころがないように聞こえているかもしれない。不死を得たいと言ったり、いらないと言い出したり。
「では、今は何を望むのですか」
「龍神に会うことです」
「会ってどうするのですか」
「裁きを求めます」
一瞬の沈黙の後、姫巫女は声を発した。
「……必要ない」
彼女がそう言い切ると、御簾がひとりでに巻き上がっていった。
そこにいたのは、小柄な女性だった。身に着けているのは紺色の上着に淡い桜色の裳。左右に結い上げられた髪が、かわいらしく丸まっている。ただ、その髪からはほとんど色が抜けていた。薄っすら青みがかった銀髪だ。顔はといえば、色白で、鼻筋もまっすぐ通り、眉も細い筆で描いたかのよう。全体として華奢で、まるで少女のような印象を与える。
だが、言うまでもなく、普通の人間ではあり得なかった。
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ウナ (443)
・マテリアル プルシャ・フォーム
(ランク7、女性、443歳)
・マテリアル 神通力・識別眼
(ランク9)
・マテリアル 神通力・千里眼
(ランク7)
・マテリアル 神通力・読心
(ランク7)
・マテリアル 神通力・念話
(ランク7)
・マテリアル 神通力・探知
(ランク6)
・マテリアル 神通力・危険感知
(ランク3)
・マテリアル マナ・コア・水の魔力
(ランク9)
・マテリアル マナ・コア・風の魔力
(ランク9)
・マテリアル マナ・コア・力の魔力
(ランク9)
・スペシャルマテリアル 龍神の恩寵
・スキル ワノノマ語 7レベル
・スキル フォレス語 6レベル
・スキル ルイン語 6レベル
・スキル サハリア語 6レベル
・スキル シュライ語 6レベル
・スキル ハンファン語 6レベル
・スキル 政治 5レベル
・スキル 指揮 5レベル
・スキル 管理 6レベル
・スキル 水魔術 9レベル
・スキル 風魔術 9レベル
・スキル 力魔術 9レベル
・スキル 格闘術 3レベル
・スキル 水泳 2レベル
・スキル 裁縫 2レベル
・スキル 料理 2レベル
・スキル 医術 7レベル
・スキル 薬調合 7レベル
空き(415)
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彼女の双眸は、暗い夜の満月のように俺を圧した。
「これ以上、詳しく確かめるまでもない。そなたには邪悪なものが憑りついておる」
「そうでしょうね」
彼女の緊張とは裏腹に、俺にとってはとっくに承知の話なので、緊張もなかった。
「何のためにここまできたのじゃ。龍神を害そうとてか」
「いいえ、まったく」
識別眼で俺を観察したのだろう。口調を取り繕う余裕もないが、それも仕方ないことだ。姫巫女ウナは、彼女自身、既に人外といえるだけの能力を有している。だが、目の前に現れた俺はといえば、それを超える異常者だ。
俺は察して、先に言っておいた。
「私を巻き込んで自爆するつもりなら、意味がないのでやめた方がいいですよ」
「何を言うか」
「最初からわかっていました。どうしてこの部屋に供回りの者がいないんですか。なぜオオキミがここまで来なかったんですか。いざという時、無意味に巻き添えにしないためですよね」
だが、どちらにせよ、意味がない。俺は首を振った。
「別に抵抗するつもりもありませんが、ただ」
「ただ、なんじゃ」
「死んでもまた、呪いを巻き込んで生まれ直すと思います」
ウナの動きがピタッと止まった。
「今、ここで殺してしまうと、呪いの在り処がまたわからなくなりますよ? それはあなたにとって不利益ではないでしょうか」
身を起こしかけていた彼女は、力を抜いて座り直した。
「ふむ……」
「率直にお伺いしますが、姫巫女様は、私を永久に封印しておくことがおできになりますか? もしできるのなら、そうしていただいて結構ですが」
明け透けな物言いに、彼女は訝しげな顔をした。
「それは本心……いや。そなたにどんな得がある?」
「今にして思えば、元々そのために不死を求めていたようなものでした。前世からどうもモーン・ナーの呪詛を引き連れてきてしまったようなので、尚更」
彼女の顔に緊張の色が浮かぶ。だが、逆に俺はどんどん気が抜けていった。
「では、ご存じなんですね? ギシアン・チーレムも異世界から来た。そうでしょう?」
この際だ。砂漠で出会ったナード王子の発言はやっぱり嘘だったのか、それとなく確かめよう。
「今、ギシアン・チーレムはどこにいるんですか? もう死にましたか? それとも、元の世界に帰ったんですか?」
この質問に、彼女は精神の方が疲れ果ててしまったらしい。手を後ろにつき、背中を丸めて溜息をついた。
「どういうことじゃ……」
「どういうことって、何がどういうことなんですか」
座り直すと、ウナは俺に問いを浴びせ始めた。
「まず、そなたはこことは違う世界からやってきた。そうじゃな?」
「はい。ただ、こちらはこちらで、人間の姿で生まれ直しています」
「そなたが望んでおるのは、自らの封印。これで間違いないのか?」
「できるのなら、それでお願いします。ただ、つらそうなので、できれば意識もなくしてほしいですが」
「モーン・ナーの呪詛といったが、そなたはどうしてそれがわかった?」
「心の中で話しかけられたからです。これは逆に質問になってしまうんですが、モーン・ナーはギシアン・チーレムに滅ぼされていますよね?」
この問いに、彼女は黙り込んでしまった。
これは仕方がないだろう。果たしてどこまで真実を述べていいのか。特に、神に近い存在は、その行動に制約を受けやすいものなのだから。
「済まぬが、あと一つ。なぜそなたは……正気を保っておられるのだ?」
「はい?」
「破片とはいえ神格を有していながら、なぜ意志を奪われておらんのだ。そのようなことがあり得るのか」
それは……
モーン・ナー自身が機会を提供し、俺がそう望んだから、だ。前世を離れ、今世に生まれ変わる狭間で。
だが、今にして思えば、それこそが最大の異常だったのだ。
神格を有する者は、その思考を制約される。無論、俺も多少は影響を受けていたのだが、普通はこの程度では済まない。現に、アルジャラードやヘミュービのコアを奪おうとした際には、非常に強い警告が発せられていた。もし、彼らの神格を奪い取っていたら、俺は今頃、彼らの仕事を引き継がされていただろう。それは、俺が俺ではなくなるということだ。
もしそうなっていたら、俺は望みを達していただろうか? 意志や記憶を失い、永久に死なず、輪廻から逃れることができていただろうか?
いや、むしろ最悪の状況に陥っていた可能性がある。例えば俺がヘミュービを滅ぼし、それを取り込んだとして。俺はヘミュービの神格に精神を乗っ取られるが、恐らく、それだけでは済まない。
なぜなら、モーン・ナーが自由意志を認めたのは俺であって、ヘミュービではないから。両者の神格がぶつかり合って、途方もない結果に繋がっていたかもしれない。弱体化しつつもヘミュービの力を得たモーン・ナーの復活、みたいな展開もあり得た。
「それは、許されたからですね」
「なんと?」
「なんでも望みのものを与えると言われて、その通りにしたようです、私が」
理解が及ばない出来事を前に、彼女は目を見開くばかりだった。
「いや、だが、しかし、辻褄が合わぬ……」
「私もそう思います」
結局、モーン・ナーは人選ミスをしでかしたのだ。彼女がギシアン・チーレムに敗れ、消滅するまでの僅かな間に、影響を及ぼせる範囲にいた中で、呪詛の受け皿になれる人間が俺しかいなかった。そうでもなければ、この状況は説明できない。熟慮して選び抜いていたのであれば、またその余裕があったのなら、こうはならなかったのだ。
「……やれやれ」
彼女は深い溜息をついた。
「今日こそは妾の死ぬ日かと思い定めておったのだが」
そこまでの覚悟で待ち構えていた、か。事の重大性からすれば、それも当然ではある。
「そう簡単に亡くなるような方には見えないのですが」
「悪運が強かっただけじゃ……」
もう一度溜息をついてから、決心したらしい。
「ようわかった。では、しばしの間、休まれよ。夕刻にそなたをモゥハの下に連れていく」
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