オオキミとの面談
古びた石の階段が続いている。集落の更に東側は、深い緑に覆われていた。その森の奥に、オオキミの宮殿があるという。だが、行けども行けども山と森ばかり。草木を愛するフォレス人貴族でさえ、こんな極端な庭園を造成させたりはしないだろう。
階段の幅も広くない。三人の大人が並んで歩いたら、もうそれでいっぱいになってしまう。それ以外のところには木々が隙間なく植えられており、樹冠の下はひっそりとしていて薄暗い。山の形に合わせて石段を組んだためか、場所によっては平坦な通路になっていたりもするが、僅かに蛇行しながらも、この道はひたすら上に向かって続いている。
オオキミとの会見を許されたのは、俺一人だった。それで俺は、二人におとなしく待つこと、当局に逆らわないこと、仮に揉め事になっても対話で決着をつけることと言い残しておいた。この後、二人と再会できる保証はない。このまま一気にモゥハの処分が下される可能性だってある。もちろん、その際には彼らの命乞いはするつもりだが、そこで厄介事が持ち上がらないともわからない。
今は先導する白衣の男と、後に続く衛兵が二人、いるばかりだ。仮にも六大国の王との会見なのに、形式ばったところがあまりない。唯一、先導する男が何やら丈の長い旗なのか、杓なのかわからないが、そんなようなものを捧げ持って歩いているので、なんらか儀式とか権威とか、そんなような何かを感じさせるとすれば、それくらいか。
これがタンディラールとの対面であれば、こうはいかない。正騎士の叙任に際しては、入浴から着替えから、本当に大変だった。それが今、オオキミに会うというのに、俺の服装はといえば、旅装のままだ。ただ、今回は私的な会見で、大勢の臣下を並べた謁見とはまた違うのだが。
とはいえ、察するところはある。
ワネ島には大きな街もあり、そこにはオオキミに任命された代官がいる。スッケのあのメインストリートがもう少し華やかになった感じらしいが、それなりには栄えている。だが、所詮は辺境の島国。その富などたかが知れているし、ワノノマの皇族も、身分の割に質素な暮らしをしているに違いない。
それに実利や権力より、権威に比重を置いているのが明らかだ。なぜ経済の中心地であるワネ島ではなく、隔離されたヌニュメ島に、それもこんな不便な山の上に居座り続けるのか。
ぐるりと螺旋階段を昇ったところで、やっと山門が見えてきた。あれがオオキミの御所だ。
山門は、色合いに乏しいこれまでのヌニュメ島の建造物の中では、比較的華やかであると言えた。だが、王の住まう場所としては、やはり地味すぎる。せいぜいところどころ朱塗りにされているのと、錆びた青銅の色をした屋根のコントラストが映えるくらいで、これまでに見てきた大国の宮殿の壮大さとは比べ物にならない。
門前には棒を手にした衛兵が二人いた。鎧ではなく、案内の男と同じく白衣の上から肩口に赤い紐が垂れ下がっている。上着をダボつかせないためなのか、防具としての意味もあってか、腰のところに黄土色の帯が巻かれている他は、袖の肘のすぐ下、それと下穿きの膝の辺りを赤い布で縛っているのも同じだ。実際の防衛の必要性はほとんどなく、あくまで儀礼的な目的で置かれているのだろう。
彼らは声を掛け合うだけで、俺達の通行を許可した。
中に立ち入って見渡すと、一見して広さを感じた。丸く広い高台の上、この空間の左右には、社のようなものがいくつも並び立っていた。一言で言い表すなら、宮殿というより、大きな神社の境内といったほうが近い。
正面方向には、幅広の社があった。多分、あれがオオキミの宮殿なのだ。ただ、大きいとはいっても、正直、神仙の山の正殿よりこじんまりとしている。
案内人は階段の前で足を止め、脇に退いた。ここからは俺一人で進めということなのだろう。だが、俺が進もうとすると小さな身振りで動きを制した。内側からの許可を待てということだと察する。
やがて内側から一人の男が出てきて、謁見を許すとの声がかかった。短い階段に足をかけると、衛兵が声をあげて俺の来訪を告げた。
謁見の間は薄暗かった。それだけでなく、一種異様な雰囲気に包まれていた。
正面方向にはオオキミらしき人物が座っている。段差のあるところに、例の柔らかくないクッションがあり、その上に身を置いているのだ。その段差の左右は床と同じ高さだが、玉座の裏手にまだ空間があるらしく、衝立で仕切られている。
一方、左右には廷臣達が控えているのだが、彼らは全員、蹲踞の姿勢でいる。
どうするのが作法なのかわからず、俺は普通に膝をついた。
「賤しい身にもかかわらず陛下にお目見えできること、光栄至極に存じます」
左右の廷臣達は、その姿勢のまま、微動だにしない。オオキミも何も言わない。
俺は無礼にならないよう、顔を伏せたままそっと相手の姿を見た。
オオキミは初老の男だった。髪にも髭にも白いものが混じり始めている。こちらのスタイルなのか、やはり長い髪を耳の後ろで結わえて纏めている。王冠のようなものはないが、重さのありそうな金色の首飾りをぶら下げていた。また、腰には反りのない剣を佩いていた。
「ようこそ、我が国へ、ファルス殿」
ようやく声をかけられた。
「何を望まれているかについては、事前に聞き知っておる」
そう言ってから、彼は手を挙げた。
「皆の者、下がれ」
空気の密度が上がった気がした。廷臣達は、納得していない。だが、オオキミに引き下がる気がないとわかると、無言で立ち上がり、宮殿の外へと出ていった。
「これでよかろう」
「お気遣い、感謝致します」
「楽になされよ」
そう言ってから、彼は補足した。
「本当はこの謁見の間ではなく、私的な場所で話をするつもりだったのだが、御身の望みが何であるかが漏れてしまってのう」
「それで」
「傍付きの女官か皇族でなければ姫巫女とも御簾越しでしか会えず、モゥハに面会する機会など、この島に住まう者であってもそうそう与えられぬ。それが余所者の旅の騎士がというのだから、心中穏やかではなかろうて」
それから彼は手で指し示した。
「普通、こちらの人間は時間をかけて話し合う時、余がしているように座る。そこは土間だが、仮にもここは謁見の間。不浄と思わず腰を落ち着けてはくれまいか」
「はっ」
俺は言葉に従って、その場に胡坐をかいた。
「改めて問いたい。ファルス殿、そなたは何を望んでおるのか」
「では、率直に申し上げます。裁きを」
「なんと」
神仙の山からの報告があがっているのなら、俺の危険性もまた、知られているはず。隠し立てする意味など、この期に及んではまったくない。
ただ、この「裁き」という言葉には、二重の意味がある。
「私は世界の真実を追い求めてきました」
「うむ」
「不死はあるのか。女神とは何者か。なぜ魔王がこの世に現れたのか。そのいくつかは、明らかにできました」
オオキミの目が細められる。
「私が抱えている秘密は、人の身には余るものです。故に裁きを必要としているのです」
但し、裁かれるべきは俺だけではない。
俺にとって重大な問いがまだ一つ、残されているからだ。
この、苦しみ悲しみに満ちた世界を創造した女神、その協力者たる龍神達もまた、裁かれねばならない。
もちろん、俺にモゥハを滅ぼす考えなどない。ピアシング・ハンドでディバインコアを引っこ抜いて消滅させてやろうとか、そんな腹積もりはない。
あくまで問うだけだ。女神と五色の龍神がこの世界を創造したのは、何のためだったのか。魔王召喚に至るまでの経緯について、俺は彼らの責任を追及しなくてはならない。
なぜなら俺自身が罪人だからだ。一度は滅んだ魔王モーン・ナーが、一人の男の魂を依り代にしてこの世界に舞い戻った。その結果が、この手による大量虐殺だった。だが、恐らく前世からギシアン・チーレムなる異世界人を呼び込んだのもこの世界の女神だろうし、またそうしたプロセスの中で、俺の世界にモーン・ナーの残留思念が居残ったのだろうから、原因を突き詰めれば、それは女神と龍神に辿り着く。
モゥハの裁きが死刑であっても、封印であっても、すべて受け入れる。だがその罰は、彼らの過ちに端を発するものでもある。それで俺の罪悪が薄められるわけではないが、俺がこの世界に来なかったとしても、相変わらず戦争は起きただろうし、パッシャも暗躍し続けていた。程度問題でしかなく、やはりこの世界は悲劇に満ちていただろう。
だから、問わねばならない。何も知り得ない大勢の人々に代わって、俺が。
「覚悟はある、と」
「左様です」
元よりここが旅の終わり、そして俺の人生の終わり。そう思い定めてやってきた。
「ただ、一つだけお願いの儀が」
「なにか」
「私の同行者達の命だけはお許しくださいますよう」
拍子抜けしたらしい。オオキミはふっと力を抜いた。
「そのようなこと、今更改めて述べるような話であろうか」
「私に何かあった時、彼らが抵抗を選ぶかもしれません」
そう言われて、彼は表情を引き締めた。
「どのような決着になろうとも、それは私自身が納得し、同意した上であるということを、なんとか受け入れさせてくださいとお願いしているのです」
「あいわかった」
頷いた彼は、腰帯に吊り下げられている鈴を取り出して、鳴らし始めた。ほどなくして、裏手の衝立の向こうから、女官が一人、姿を現した。
「これより、客人を連れていく。伝えよ」
「畏まりました」
これだけでいいらしい。女官が引き下がると、オオキミは俺に向き直った。
「許可が下りるまでしばらくかかる。待っていただくしかない」
「ありがとうございます」
許可、か。オオキミといえども、姫巫女相手では首長の顔などできないらしい。
ここで彼は、柔らかな笑みを見せた。
「名を捨てオオキミになってから三十年、わしは外の世界を見ておらん。聞いた限りでは世界各地を経巡ってきたそうだが、世間話でもしてくれぬか」
一人称が「余」から「わし」になっている。
隙間の時間が続く限り、彼は人間の立場に戻ることにしたのだ。
「そうですね。どんなことにご興味がおありですか? 四年にも渡る旅路です。一言ではとても言い表せません」
「それもそうだ。しかし、どんなことに興味、か……」
髭をしごきながら、彼は少しの間、考えた。
「ふっふふ、わしも老け込んだものだ。この歳にもなると、何を食べてもさして味などせん。僅かで腹も膨れてしまう。昔のようには元気に歩けもせぬ。そうなると、どうしても仕事のことばかり考えてしまうのだが……そうだな、それを離れて、というのなら……世にも珍しい絶景について、教えてくれまいか」
「絶景、ですか」
今度は俺が考える番だった。
「失礼ながら、今までどんなところに立ち寄ったことがおありでしょうか」
「大したところには行っておらん。この島で生まれ育って、あとはこの群島の外では、帝都に留学する際に東方大陸の南岸と、南方大陸の北東部の街を少し見た程度じゃな。あとは留学中に、ミッグまで足を延ばしたこともあるが、その程度よ」
であれば、あとは彼の好み次第だが……
「例えば、バンダラガフから南に陸路で砂漠を越えますと、それは壮大な景色を眺められますよ。夜明けには金色の海、砂金のような砂漠、それに遠くには銀色の峰々が輝きます」
「ほう」
「冬のリント平原も通り抜けました。一面、ひたすら平らなところに雪が積もっているのです。本当に何もない、静かな場所でした」
「冬に抜けたのか。無茶をするのう……昔、聞きかじった限りでは、秋の終わりまでに交易用の馬車はみんな出払ってしまうというが」
それ以外だと、例えばこんなのはどうだ。
「ムーアン大沼沢の廃墟の上で眠ったこともあります」
「なんと!」
「驚くことですか?」
「さすがに危うくはないか」
「高所であれば、毒気があがっていきませんから。ただ、沼地の魔物が這い上がってくると面倒ですが……もの寂しい場所ですが、黒雲の狭間に浮かぶ月の光があれほど美しいところは、他にありませんでした」
オオキミの方からも質問があった。
「報告では、大森林の奥地を通り抜けたそうだが」
「はい。大河ケカチャワンの南から先は……この世の人のほとんどが知らない世界です」
「ほほう」
話を一通り聞いて、オオキミはあらぬ方を向きながら、こう呟いた。
「この身に生まれつかねば、一度は訪ねてみたかった」
「誰もがそうおっしゃいますけどね」
俺はしたり顔で言った。
「でも、皆さん、あんまり真面目には考えてないんですよ。ご存じですか? リント平原のど真ん中で宿営すると、雪の重みでテントが潰れるんです。砂漠では毎日昼間は日差しが焼けつくほどなのに、夜になると急に冷え込みますし。大森林はいつも蒸し暑くて汗だくで、オマケに虫けらが湧きます。想像できますか? 細かなノミ、シラミが髪の毛の中に巣を作って、ずっと頭が痒いんです。毎日の行軍の際には、いつも蚊の羽音が耳元をかすめるんです。悪いことは言いません。ご自宅が一番です」
そこまで言われて、一度は真顔になった彼だったが、すぐ大笑いした。
「それはそれは、大変だったな」
それから眉毛を片方だけ吊り上げて、俺に尋ねた。
「では、旅はもう十分かな?」
「はい、さすがにもう満腹しました」
「ならば重ねて。旅を終えて、どうだった。目にした世界は、さほどのものでもなかったかのう?」
俺は少しだけ考えた。
「いいえ」
「ふむ?」
「暑くて寒くて、ときには不潔で、疲れたり腹を空かせることもあって、何度も怖い思いをしました。失敗も後悔もたくさんあります。でも」
この四年間の旅路に思いを馳せる。俺の答えはこれしかなかった。
「歩き出してよかった。これだけは、確かにそう言いきれます」
俺をじっと見つめていた彼は、やがて大きく頷いた。
「ならば憂えることもなかったか」
そうして、一人納得していた。
それから間もなく、裏手からまた女官がやってきた。
「陛下、失礼致します」
「うむ」
「姫巫女様の準備が整いました」
即日の面会が許されたらしい。
俺とオオキミは、同時に立ち上がった。
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