クズの衝撃
「確かにご報告いただきました。では、規定通り、ファルス様のランクをサファイアに昇格します」
ひんやりとした石の壁に囲まれた一室で、俺はバンダラガフで引き受けた仕事にケリをつけた。
ユンイは宵の口にまた会いたいと言っていたので、いったん先に用事を済ませることにした。まだ日も高かったので、まずは砂漠の探索内容について、チュエンの冒険者ギルドに報告する件を片付けた。幸い、政庁からも遠くない場所にあったので、解散直後の足でそのまま向かうことができた。
報告内容だが、使徒のことを除けば、ありのままを伝えた。砂漠の中に遺跡があり、そこに多くの白骨死体が納められていたという事実だ。但し、それが動き出したこと、屍骸兵であることは伝えていない。どうせ俺がここで何を言っても、使徒なら揉み消せるだろう。
「ねぇ」
ギルドを出たところで、ノーラが言った。
「本当に今夜、あのユンイって人と、二人きりで会うつもり?」
「うん。気になってることがあってね」
中央広場を横切りながら、俺は答えた。
「理由は二つある。一つは、彼の詩集だ」
「あれがどうしたの?」
「セリパシアでクララという女流詩人に出会ったんだけど、彼女の作品に盗作疑惑がかけられていて……さっき見た詩集の作品がね」
その辺を明らかにしたい。魔術で調べてもいいが……ただ、あの内容では、そんなに売れてない気もするのだが。
「もう一つは、また使徒が動いているかもしれないから」
「どうしてそう思うの?」
「砂漠では、あっさりしすぎてただろう? あれで諦めるような相手じゃない気もする」
「だったら」
真顔になった彼女が、俺の前に立ち塞がって、詰め寄る。
「私も行く」
「意味がない。駄目だ」
「どうしてよ」
「使徒に魔法なんか通じないよ。少なくとも、僕らが使える程度のものじゃ」
俺達は、広場の真ん中で立ち止まってしまった。フィラックも顎に手をあてて考える。
「けど、使徒ってやつに何ができるんだ? この前、はっきり言っただろう。身内に手を出したら死ぬまで戦うって。そりゃ、お前を俺達から引き離して、お前がいないうちに俺達を殺すっていうんなら、できるんだろうが、そんなことしたってしょうがないだろうし」
「そこはわからない」
「よくわかんねぇけど」
ホアが頭をバリバリ掻きながら、意見を述べた。
「あんただけ呼び出すってこたぁよ、あんたにだけしたい話があんだよ。オレ達にゃ聞かせたくねぇ。砂漠のことも、使徒がどーたらとかも、オレにゃあサッパリだけどよ、荒事仕掛けるんなら、こんな回りくどい真似なんざしねぇよ。赤竜バンバン操るようなバケモンなんだろ、あいつは」
チュエンの街を丸ごと人質にする、なんてシナリオも考えられなくはないが、やっぱりその線も薄いだろう。
「けどなぁ、オレはその辺、違うと思ってるぜ?」
「というと」
「あの物騒な連中なんざ関わってねぇってこと。あのイケてるオッサン? があんたに用事があるだけじゃねぇの」
確かに、深読みしすぎているのかもしれない。
「そうだな。まず、話してみないとわからない。どうせこっちの結論は変わらないんだし、気軽に顔を出してくるよ」
「うん……」
ノーラは、それでも落ち着かないようだった。
「どうした? まだ何かあるのか」
「ううん、大したことじゃないんだけど」
顔を曇らせたまま、彼女はポツリと言った。
「気のせいならいいんだけど、なんだかあのユンイって人、やたらと私ばかり見てた気がして……」
「ハッ! さすが美人さんだな! 自意識過剰ってやつ? そりゃ見るだろ。ちぃと早いがもう食えるしなぁ?」
少しムッとしたのか、ノーラは強い口調で言い返した。
「私はあんなのいらないわ。ホアこそお目当ての人が見つかったんじゃない? チャナ王の末裔で、議員になったこともある貴公子よ? さっさと乗り換えたら?」
「やなこった。オレはこれで操正しいんだぜ? ホイホイ男を取り換えてどうするよ」
操正しい、についてはそうかもしれない。でなければ、延びた寿命の分だけ若さが続いているのに、今まで男性経験がないというのも説明できないだろうから。モテないだけとも言えるが。
「それに……なんかよ、ビビッとこねぇんだ」
「どうでもいいけど、私が気になってるのはそういうことじゃない。だったらどうして私を呼ばずにファルスに声をかけるのよ。そこが釈然としないのよ」
「まぁ、それも行けばわかる。いざとなったら、魔術で対応しよう」
「そうね」
それで俺達はいったん、宿に引き返した。
短時間だけ仮眠をとって、俺はまたすぐ、広場に取って返すことになったが。なお、一応、連絡手段がある方がいいということで、ノーラは宿で『精神感応』の魔法を使い続けて、俺といつでも通話できる状態で待機することになった。
夕焼け空がチュエンの上空を覆う頃、俺はまた中央広場に舞い戻った。運河に茜色の空が映り込む、それは美しいひと時だ。
やがて遠くに目を引く背の高い男のシルエットが浮かび上がる。俺に気付いたのか、軽く手を振りながら近づいてきた。
「やぁ」
「どうもです」
「とりあえず、軽く腹ごしらえしようか」
ユンイは軽やかな歩調で先に立って歩いた。そのまま、南側の街区に向かう。
初めて見るが、こちらも街並みは変わらなかった。運河が縦方向に走り、細長い陸上の土地の真ん中に路地が通っている。その路地を、ユンイが分け入るようにして進んでいく。
「あら、ユンイさん」
売り子の若い女性が笑顔を振りまいた。
「ああ、ご無沙汰だったね」
彼の手が、彼女の腰に伸びた。半ば抱き寄せるような格好になる。
「元気してたかい?」
「はい」
「今日は用事があるからね、また今度」
なんだ?
このカルいノリは。彼女はユンイの愛人か何かなんだろうか?
そのまま通りを抜けて、橋を渡ってまた別の路地に入り、とある小さな飲食店の前にやってきた。
「やってるかい」
「あ、これはユンイの旦那」
出てきたのは、髪が半ば白くなった初老の男だった。恰幅がいい。白い服を身に付けていて、一目で料理人とわかる。
「座れる?」
「どうぞどうぞ」
笑顔で彼は席を勧めたが、俺はその表情に微妙な違和感を覚えた。これで何度目だろう? ユンイのことを誰もが笑顔で歓迎するが、そこに何か……淹れるのに失敗したコーヒーに混じるえぐみのようなものを感じてしまうのだ。
「適当で」
「承知しました」
早速、温かいジャスミン茶がテーブルの上に置かれた。香りはよい。さっきの男、料理のセンスはありそうだ。ただ、店内はお世辞にも立派とは言えなかった。テーブルも古いし、茶碗も急須もやや古い。掃除はしっかりしていても、店舗自体の老朽化はごまかせない。
「それで、今日はどんな」
「ああ、大したことじゃないんだ」
さぁ、くるぞ……と心の中で身構える。
「君と仲良くなっておこうかな、と」
「仲良く、ですか?」
「なんか遠くから旅をしてきたみたいじゃん。どこから来たんだっけ」
「エスタ=フォレスティアです」
「へー」
なんてことない世間話だった。とはいえ、まだ気は抜かない。
「エスタ=フォレスティア、僕も行ったことあるんだよね。どこの人?」
「ティンティナブリアです」
「おぉー、知ってる知ってる!」
あんな田舎を知ってる? いや、確かに今から二十年くらい前なら、あそこはもっと栄えていたはずだ。まだ旧ロージス街道もアルディニア方面なら生きていた。だからテンタクの父も、あちらの鉱石を輸出する仕事に携わっていたのだし。
「帝都に留学した後、一度こっちに戻ってからなんだけどね、北周りの道でセリパシアまで行ったんだ。その時に、ピュリスからぐるりとね。伯爵のオディウスにも歓待してもらったよ。彼、元気かなぁ?」
どうやら、最近の情勢には明るくないらしい。
「北周りというと、どこから?」
「ああ、ピュリスで上陸して、そこからコラプトじゃない方……どこだったかな」
「ヌガ村とか?」
「そう、確かそこ! そうそう、騎士が小城を預かってる村にさ、泊めてもらったんだよね」
騎士、そして小城。間違いない。
では、彼は……
「じゃ、じゃあ」
声が震えそうになるのを抑えつつ、俺は尋ねた。
「リンガ村、というのはご存じですか」
「いや、知らないなぁ。覚えてないだけかも」
「ティンティナブリアには、どれくらいおいででした? 数ヶ月とか」
「いや、そんなに長居しなかったよ。さっさとアルディニアに入って、一気にオプコットまで行ったからね」
俺の中の疑問。それは、俺とノーラの黒髪について、だ。
ノーラについては、由来がはっきりしている。ヌガ村の城塞を預かる騎士が、高貴の出のハンファン人を迎える際に、下働きの女性を集めて臨時のメイドとした。その中の一人に選ばれたノーラの母が、そのハンファン人に強姦された。それで産まれてしまったのが彼女だ。
クララの件についてもこれから確認するが、俺の考えた通りなら、どうやらこのユンイという男、とんでもなくクズらしい。だが、それはそれとして……
では、俺の黒髪は? まさか、こいつが俺の父親なのか?
「セリパシアには、何しに?」
「うん? ただの遊学の旅だよ。本当はサハリアにも寄ろうかと思ってたんだけど、思った以上にセリパス教って堅苦しくてね。シャハーマイトに出るのもやめて、引き返してきたんだ。でも」
テーブルに前菜が置かれた。
「あれはいい旅だったよ。あれで着想を得て、僕の詩集が完成したんだからね」
「さっき見せてもらったあれですか」
「そう、あれ」
やっぱり。こいつが盗作したのだ。
「あれは、アヴァディリクの女流詩人、クララ・ラシヴィアの作品を翻訳したものでは」
「ああ、まぁ、そういう面もあるよね」
少し声のトーンが下がったが、まったく悪びれる様子はなかった。
「ねぇ、ダサいと思わないかい? 僕の詩集がちょっと売れると、それを真似して売り出した連中がいてさ。そいつらは取り締まったよ。すぐ目の前にあるのを真似するなんてね。だけど、西の彼方にあるセリパシアのことなんか誰も知らないんだから」
「だから、いいと?」
「誰も知らないものを持ち込んであげたんだから、むしろ価値があるでしょ」
呆れた。最初からクララの作品だと明記して、その翻訳を売るというのなら、その理屈も通るだろう。だが、こいつは自作品だと言い張っている。
すると、彼の言う「真似して売り出した」というのも、出処はどこだろう? 案外、クララの作品を正しく翻訳して販売しようとした側が、権力にねじ伏せられたのかもしれない。
「その、いや、で、遊学の旅を打ち切ったのは」
「んー、まぁ、ちょーっとゴタゴタがあってね」
クララを抱いたせいだ。神聖教国は、未婚の娘に手を出しておいて、ただで済ませる国ではない。だから慌てて出国したのだろう。
「んで、まぁ、またアルディニアを通ってピュリスまでとんぼ返りして、船で帰国したんだ」
「そうだったんですね」
クズにも程がある。
しかし、そうとなると、もしかして、帰り道で俺の母親を抱いている可能性も……
「まぁ、帰国してから議員も一期やったけど、性に合わなくてさ。やっぱり、僕に向いてるのは詩人なんだよ」
主菜が置かれた。だが、食欲などとうに失せている。
使徒が彼を洗脳して俺にぶつけてきたのかと身構えていたのが、なんだかバカみたいに思われてくる。ホアの言った通りだった。
とにかく、この手の人間、関わっていいことなどない。
「それで、僕にはどんな用事が」
「ああ」
彼は肩を竦めた。
「本当に大したことないんだ。遊びに連れていってあげたいだけでね」
こういう男のいう遊びとは、要するに……
「もう出ようか」
ユンイは立ち上がった。
「親父さん、ご馳走様」
「へい、毎度」
「ツケといてね」
そういうことか。ユンイは当然のようにこの店にやってくるが、飲食の代金を支払ったことがない。それは確かに、歓迎などされないわけだ。けれども、相手は権力者だし、逆らえないのではないか。
「じゃあ、今日は僕が払いますよ」
「いいって」
「いえいえ、ユンイさんはここの馴染みかもしれませんが、僕は一見の客ですし……親父さん、おいくらですか」
そう言われて、店主は複雑な顔をした。ありがたいと思う反面、俺に同情を寄せるかのような、どこか悲しげな表情。
「悪いね」
再び路地に出る。既に周囲はすっかり暗くなっていた。赤い灯篭ばかりが浮かび上がっている。こんな時間でも、また商売は終わらない。通りには相変わらず、売り子の娘達が立っていた。
「あの、遊びに行くというのは……」
「うん、そうだね」
彼はキョロキョロしながら、通りから通りへと渡り歩いていく。
そこでさっきのところ、南側の街区の入口付近まで戻ってきた。そこには、先ほど彼に笑いかけ、腰に手を回された売り子の女性がまだ立っていた。
「ウェイシェ」
他所を向いていたところにいきなり声をかけられて、彼女はビクッと震えた。
俺とユンイを確かめると、怯えの混じった表情をすぐに取り繕い、笑顔を浮かべた。
「なにかしら」
「なかなか寄れなくて悪いね」
「ううん」
「今日は」
彼女の目が泳いだ。一瞬の間があったが、彼女は答えた。
「出かけてるわ。知ってるでしょ、仕入れに行くことくらい」
「だよね、じゃあ」
何の話、と思ったところで、ユンイは俺の背中をポンと押した。
「彼のこと、頼める?」
「えっ」
「ここまできたら、同じだよね? 僕のお願いなんだから、聞いてくれるよね?」
なんともいえない空気が流れる。
「……ええ、もちろん」
「よかった。愛してるよ、ウェイシェ」
「あ、あの?」
ユンイは身を翻していた。
「今夜は泊まっていきなよ。さっき奢ってもらったしね。これはこっちの奢りってことで。じゃ、また明日」
それきり、彼は立ち去ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます