チュエン観光
「もう、半分以上は失われてしまったんだけどね。今では市民の公園代わりだ」
午後に入ってからも、つまり「お詫びの茶菓子」の後も、ユンイは俺達と行動を共にしようとしてきた。仕事はしていないのか、と言いたくなるところだが、そんな質問は野暮だろう。
三人いたお供のうち、一人がいなくなっていた。眼鏡の男だ。あとの二人は相変わらず、まるで影のように俺達の後ろについてきていた。
俺達は路地を歩いている。若い娘の売り子がいる、あの細い通り道だ。そこにいた娘の一人がユンイに気付いて、声をかけてきた。
「あら、こんにちは」
「ああ」
彼は片手をあげて答えた。だが、それ以上構うことなく、どんどん歩き去ってしまう。
何気ない仕草だが、俺はその関係性に眉を顰めた。ろくに目線を合わせようともしなかったからだ。彼にとって、今、声をかけてきた女性は、そこまで大切にする理由もない相手なのだろう。客人を案内している最中だから、という言い訳もできるが、その態度から、どうにも引っかかりを覚えた。
「もうじきだ。そこを抜けると、街の中心に出られる。すると、西側に政庁があるんだけど」
実際に、街の中心に立ってみると、視界が大きく開けていた。周囲より少し高い位置に丸い広場がある。そこには何もなかった。遠巻きに低木が植えられているだけで、目立つものはない。だが、ここはこの街の心臓部だ。なぜならこの真下は、北西の川から流れ込む水に満たされている。
「こちらがね、そう、あの四角いのが共和国の議会なんだ。僕も一期だけど議員を務めたことがあってね」
「そうなんですか?」
「さっきも言ったけど、僕はチャナ王の末裔だからね。ま、暗黒時代の軍閥の多くがそうだったんだけど……」
偽帝アルティの手によってチャナ王が討ち取られた後、チーレム島に同行した将軍達は、散開してゲリラ的抵抗を繰り広げた。だが、なんとか帝都を守り切って帰国した彼らを待っていたのは、荒廃した王宮だった。
先王の死去は既に伝えられており、王太子がその地位についていた。だが、彼は猜疑心の強い人物だったらしい。この戦乱がなければ、そのまま繰り上がりで王位を引き継ぐだけで済んだのかもしれない。だが、アルティの進撃に怯えたのもあり、またポロルカ王国で起きた反乱について知っていたのもあって、しなくてもいい残虐行為に手を染めた。つまり、自分の兄弟を次々処刑していたのだ。当然、その妻や妻の実家の貴族達も。
これでは世界秩序を守るために奮戦した将軍達も報われない。しかも、中には親族が虐殺されたのもいたのだ。それでも最初の一年ほどは、新王に服従した。だが、そんな小心者の下で安定した統治が望めるはずもなく、疑心暗鬼に駆られた将軍の一人が反逆に追い込まれ、こうしてチャナ王国も内乱の時代を迎えるに至った。
その時、各地に散らばった将軍達が旗頭に据えたのが、チャナ王家の傍系だった。ユンイのシュウファン家もその一つだという。
「だから貴族院の議席があってね。まぁ、各家で持ち回りなんだけど」
「それは凄いですね」
「凄くはないよ。選士院の方と違って、こっちはただの世襲だし」
戦乱が収まってからの東方大陸では、帝都の制度をなぞるようにして共和制が成立した。ただ、どこかの勢力が軍事的に他を圧倒した結果ではなく、当初はワノノマの仲介ありきの軍事的な同盟で、緊張を孕んだものだった。
そうした社会情勢を反映した共和制なので、二院制とはいえ、貴族院の権限が優越しているし、こちらは一般市民の選挙の対象でもない。もう一つ、選士院というのがあるが、これにしてもただの選挙ではない。投票はチュエンの市民のみが可能で、立候補できるのは、特定の試験に合格したエリートのみ。共和制とはいえ、権力は偏っている。
ユンイが謙遜してみせたのは、つまり、試験を突破できるだけの知性とか、市民からの人気で地位を得たわけではないという文脈だ。しかし、同時にこれは、選挙を経ずとも地位を確保されている身分、生まれながらの貴種であるというアピールにもなり得る。
「それに僕は詩人だからね。政治は……やってみたけど、肌に合わない」
さて、彼の本音はどこにあるのだろう?
いや、魔術で心を読み取れば、それで済む性質のものだろうか?
ピアシング・ハンドで見た限り、ユンイに大した能力はない。少なくとも、暴力で俺達を脅かすことはできないし、権力にしても、なくはないだろうが、今は現役の議員ではない。だから脅威ではないと考えるのは、油断ではなかろうか。
なぜなら、使徒には憑依の魔術があるからだ。タリフ・オリムでサモザッシュの首を捻じ切って殺した時のことは、今でも忘れられない。そして憑依の魔術は、直接本人を視認できないという意味で、俺にとっての鬼門になり得る。
砂漠での対決の後、使徒が俺達に働きかけてくる様子はなかった。魔物をけしかけるでもなし、また対話をもちかけるでもなし……だが、ここに至って、明らかに俺達に狙いを定めて話しかけてくる誰かが現れた。
これが偶然か? しかも、俺の知り合いと因縁のある人物が? まさか。
今のところ、俺はユンイを拒絶していない。意味がなさそうだから。彼が使徒に操られて動いているのだとすれば、本人には自覚すらないかもしれない。
あれで終わったのかもしれないが、俺の中ではまだ、不安が燻っている。ギシアン・チーレムを名乗ったナード王子、あれはいったい何なんだろう?
いずれにせよ、使徒が動くとすれば、俺がモゥハに会うまでの間だと思う。会ってしまえば、龍神は俺の異常性に気付くだろうし、それに対策を打ってくる。そうして認知されてしまえば、使徒も迂闊には手を出せなくなる。それなのに、黙って見逃してくれるだろうか?
「そこの政庁の裏手がね、また公園なんだよ。いや、今は市民宮殿と呼ばれてるけど、大昔の王宮の名残だね」
「へぇ」
「この都はソウ大帝が建設したんだ。昔は街の西側全体が丸ごと宮殿だったらしい。僕の家があった辺りもそう。なんでも彼には、一万人からの愛妾がいたというから、驚きだよ」
そう言うと、ユンイは手招きしながら前に立って歩きだした。
どっしりとした四角い政庁の脇には、サイズの大きな石で舗装された幅広の通路があった。そこを抜けると、裏手に庭園があった。
「元々はここがチャナ王の宮殿の中庭だったんだ」
今ある政庁が、宮殿の表玄関だった。それにしたって巨大なのだが。
日陰になりがちな場所なのもあってか、植えられている木々や花々も、どこかひっそりとした印象を与えるものが多かった。
「この奥に昔のチャナ王の私室とか、宝物庫とかがあるけど、今日は入れないね」
「立ち入りできる日もあるんですか?」
「ああ。年末のお祭りの時期は、特別に開放される。それと、一応建前としては、チャナ王の部屋は皇帝のために管理されていることになっているからね。大昔には、帝都から偉い人が来た時に、王の私室ではないけど、宿舎として宮殿の中の部屋を割り当てたこともあったらしいよ」
でもそうなると、見られるものがない気がする。
「がっかりしなくていい。その代わり、こっちの神殿跡は拝観自由だ」
「神殿?」
「魔王ゼクエスを祀っていたらしいね」
中庭を突っ切って、奥の細い通路を抜けると、右手に灰色の、いかにも冴えない感じの建物があった。高さもない。石造りの平屋で、装飾もこれといって見当たらない。
「まぁ、地味すぎるかな」
ゼクエスという魔王が、東方大陸南東部に居座っていたことは知っている。この地にやってきたギシアン・チーレムと戦ったらしいが、一日で敗れ去ったとか。ただ、これまでのいろいろな伝説を思い返すと、それもどこまで真実だったのか、わからない。
一応、地味とはいえ、それなりに手がかかっている。まず、石の建物の前は、砂利で埋め尽くされている。ほとんどが丸くて白い石だ。間の通路だけ、灰色の石材で舗装されている。
ただ、中に入ってもこれといったものは何もなかった。さほどの広さもなかったし、神像も残っていない。おまけに、壁の奥、正面には、何か傷つけられたような跡が残されている。
「またがっかりさせちゃったかな」
ユンイは肩を竦めた。
「暗黒時代の戦争で、ここも破壊されたっていうんだ。でも、詳しいことはわからない」
「前は宝物でも置いてあったんでしょうか」
「どうだろうね。知ってる人は、多分いないよ」
「記録とかは?」
ユンイは首を振った。
「他の地域の神とか魔王は、ほら、モーン・ナーは聖典を広めたし、イーヴォ・ルーも自分を国中の人々に崇拝させた。だけど、ゼクエスはそういうことを一切してなかったからね」
「えっ?」
「ゼクエスはね、世界統一前のチャナ帝国では、皇族だけが仕える神だったんだ」
だからその教義も、詳細も、ほとんど残されていないのか。
一応、ピュリスにいた頃に読んだ本によると、ゼクエスは光を纏った巨人のような姿をしていたと書いてあった。でも、それ以上の記述がなかったので、どんな神だったのか、気になってはいた。だが、そもそもどこにもそれ以上の情報などなかったのだ。
なお、この魔王がイーヴォ・ルーなどに次いでメジャーなのは、目立ったからに外ならない。例えばグラヴァイアにしても、伝えられる話では、一日で倒されたというだけでほとんど同じなのだが、ゼクエスが特別なのは、戦って倒されるところを大勢の人々が目撃していた、という点にある。
「さて、じゃあそろそろ本命に案内するよ。奥に進もう」
街の西の外れ。ゼクエスの神殿のその向こうに行くと、大昔の城塞に行き当たった。今でも現役の防衛施設ではあるのだが、平和な今は、市民や観光客も受け入れているとのこと。一応、入口の前には槍を手にした兵士が立って見張りをしている。
「やぁ」
ユンイが声をかけると、兵士は少し表情を硬くした。それだけで彼はすれ違って中へと立ち入っていく。
「階段を登るのは少しばかり骨だけどね……眺めは最高なんだ」
だが、俺達はといえば、揃いも揃って健脚ばかり。足場のしっかりした階段など、苦でもなかった。むしろユンイを置き去りにする勢いでさっさと天辺まで登り切った。本命というだけあって、確かに眺めはいい。
そこから見えるのは、西の彼方だった。チュエンから少し離れたところはもう森になっていて、その向こうは北東から南西へと続く山脈だ。あの山々の向こうが、東方大陸を斜めに横切る砂漠地帯なのだ。
「ふぅ、ふぅ……君達、登るの早いね」
追いついてきたユンイが額に薄っすら汗を浮かべつつ、窓の向こうを指差した。
「ここはね、『望京台』と呼ばれているんだ」
奇妙な名前に俺は振り返った。京、つまり都。それを望む、つまり眺めやる高台。でも、窓のある方向があべこべだ。都は真後ろにあるのだろうに。
「ふふっ、そうだろう、不思議だろう?」
彼は得意げに微笑んだ。
「チャナ帝国の都はここチュエンだけど、実はもう一つ、本当の都があったというんだ」
「初耳です」
「廃都ヌーレン・ダ・トゥー。さすがに知らないか」
彼が指差した向こうにあるのは、砂漠とこちらを区切る山脈だ。その向こう側は、ここからでは確認できない。
「ソウ大帝が建設させた都がね、あの山の向こう、砂漠の中にあったというんだ」
瞬く間に東方大陸の南東部を制圧したソウ大帝だが、ここチュエンでは満足できなかったらしい。どういうわけか、新都の建設を目指したという。それも、山脈の向こう側の砂漠に。
経済的合理性なんか、まるでないのだが、そんなことはどうでもよかったらしい。大勢の人夫を動員して物資を山の向こう側に運び込み、それは壮大な都を築き上げたそうだ。あくまで伝説に過ぎないが、引っ越したのは彼だけでなく、一万人もいたと言われる美しい愛妾達も一緒だった。そして恐ろしいことに、彼女らは一人残らず二度とチュエンに帰ってはこなかったという。
いつの間にかソウ大帝も死んでしまったらしく、帝国は次代に引き継がれた。西方のサース帝に匹敵する東方の英雄だった彼だが、その最期はなんとも締まらない。もっとも、あくまで言い伝えでしかなく、史実かどうかもわからない話なのだとか。
「少しは楽しんでもらえたら嬉しいんだけどね」
「ええ、ありがとうございました。旅のいい思い出になりましたよ」
広場に戻ってきた俺達は、感謝を告げてユンイと別れる、はずだった。
「ところで」
気持ちの準備はあったので、戸惑いはなかった。
「みんな疲れてるだろうし、今日はここで解散でいいと思うんだけど……ファルス君? ちょっと僕と付き合わないか」
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