風流人? 現る
微風が頬を撫でる。その感触を自覚した時、瞼の上から差す光に気付いた。小さく呻き声を漏らしながら、俺は寝台の上で伸びをした。それから半身を起こす。
夜間、開けっぱなしにしておいた窓から、街中の様子が見渡せる。真下には運河があり、そこを小舟が行き来している。転覆したらおしまいだろうに、山ほど饅頭を満載しているのも見かけた。その向こう側はまた別の島で、そこにも黒い屋根が連なっている。そのまた向こうは東の城壁だ。
久しぶりに屋根のある所で寝られたのもあって、気分がいい。よく眠れるようにとフィラックが金を惜しまず全員に最上階の個室を確保してくれたのも大きい。靴を履き、上着を着て、部屋の外に出た。
「あだぁっ!?」
勢いよく扉を開けたら、その角のところがホアの頭に直撃したらしい。せっかく彼女の分の部屋もとったのに、なぜか廊下に転がっていたのだ。
「何やってるんだ」
「入れなかったんだよ!」
見れば木の床の上に、細かな金具のようなものが転がっている。
「……何やろうとしてたんだ」
「夜這い!」
処女のくせに夜這いとか、どこから突っ込めばいいのかわからない。
無論、そうしたトラブルは予期していたので、俺は寝る前に鍵を力魔術で固定しておいた。鍵穴をいくらまわそうとしても、閂が上がらないようになっていた。
「せっかく寝床があるところで休めたものを」
這いつくばる彼女には構わず、その上を跨いで隣の部屋をノックした。
「船?」
二階の食堂で朝食を摂りながら、俺達は今後の予定を話し合っていた。
「ああ、ワノノマからの船が来てるって、昨晩聞いたんだ」
「じゃあ、うまく乗せてもらえたら、わざわざスッケまで行かなくても済むのね」
「そういうこと。スッケからでもチュエンからでも、そう変わらないっていうしな」
結局、フィラックは箸をスコップのように使いながら、不器用に食べている。それを横でホアは鼻で笑っている。昨夜、足止めされた恨みからだろうか。
それはそれとして、朝食が素晴らしい。和風とはいえないが、しっかりモチモチ感のある白米に、こちらの漬物と炒めた干し肉。更に根菜のスープまである。
「それなら、早いうちに今日は港まで行って、乗せてもらえないか交渉しないとな」
「ああ」
「無理じゃねぇの?」
ホアがボソッと言った。
「別に確かめたわけじゃねぇけどよ、山の連中も夏の休み中にワノノマ行った奴、いねぇんだよな」
「話だけしてみてもいいだろう。案外行けるかもしれない」
「へっ」
ダメで元々だ。
「行くだけ行ってみよう」
東の城壁に沿って南に向かうと、薄暗いアーケードに出た。排水用の水路の上にアーチが組まれ、それが足場になっている区域だ。その上に更にアーチが組まれて、屋根になっている。ここは街の南東部にある港と市街地を結ぶ通路だ。ただ、例によってその左右には商店が密集しているが。雨に直接さらされないのもあって、二階部分の上に屋根がない。
そこを抜けると、埠頭に出た。離れたところには南東部の一つ目の城壁が見える。そこに大きな切れ目が開いていて、そこを船が潜って入ってくるようになっている。湾内には何隻もの商船が横付けされていた。
そんな区域の真ん中、海に面したところに手摺のある一角があった。俺達はそこに立ち、手をついて見回した。
「ワノノマの船、どれだろう?」
「心の声を拾い上げたほうが早いと思う」
魔術に頼りすぎるのは、という気もするが、今更か。俺がやってもよかったのだが、ノーラが詠唱を始めたので、任せることにした。
「あっち、だけど」
ノーラが指差した方向に、一隻のジャンク船があった。蝙蝠のような帆が三つ。それが開かれているということは、間もなく出航するということだろうか。
「急いだほうがいいかな」
俺達が踵を返すと、しかし、目の前に四人の男達が立っていた。
「お急ぎかい?」
軽やかな男の声が、俺達の耳朶をくすぐった。
真ん中に立っていた長身の男。ハンファン風の空色の長衣を着こなす美男子だった。髪はやや天然パーマ気味でボリュームがあるが、これは東方大陸の男らしくなかった。というのも、カインマ侯国を除けば、髪は頭巾に纏めるものだからだ。そうしないのは、短く刈りあげている場合くらいなものだ。ところが、彼の髪型は、どちらかというとフォレス風、いや、洗練されたその立ち姿からすると、帝都風としか言いようがなかった。そういえば、右耳に小さなイヤリングも輝いている。
そんな伊達男の周りを固める三人はというと、これがパッとしなかった。一人はやや肉付きのいいスキンヘッド、もう一人は背筋の曲がった眼鏡男、あと一人は普通の顔立ちだったが、どうにも奇妙な作り笑いをずっと顔に貼り付けていた。
見た目の年齢でいえば、彼はまるで二十代後半の青年に見える。だが、周りを固める男達はどうみても三十代半ば。そして、彼の実年齢も同様だった。
「済みません、今は急ぎますので」
俺の視線に気付いたのか、彼はジャンク船の方に目をやった。
「出航は午前中だね。ここではそう決まっているから。でも、あれはワノノマの船だよ?」
「それが目当てなんです」
「どうして? 知り合いでもいるの?」
「乗せてもらえないかと」
それを聞くと、彼は一瞬黙りこくって、それから膝を打って笑い始めた。
「ははは、それは無理、無理! スッケまで行かなきゃ」
「どうしてですか」
「事前の許可もないのに、余所者を乗せちゃいけないことになってるんだよ、ワノノマの船はね。これ、本当だから」
「あっ」
どちらにせよ、遅かったらしい。
ジャンク船がゆっくりと海上を滑り出した。こうなってはもう、追いつけない。
「残念だったね」
俺達は、ワノノマの船が遠ざかっていくのを見送るしかなかった。だが、俺の意識はすぐ、この男に向けられる。何のために話しかけてきた?
「邪魔したね。お詫びに……そうだな、お茶でも奢ろうか。君ら、遠くから来たんだろう? 歓迎するよ」
「あの」
ピアシング・ハンドは既に答えを示しているが、あえて俺は尋ねた。
「お名前は、なんとおっしゃいますか」
「ああ、これは失敬」
少々大袈裟に笑ってみせてから、彼は答えた。
「僕はユンイ。チャナ王の末裔だよ。分家だけどね」
彼の家は、チュエンの北西部にあるらしく、俺達はなんとなく彼についていった。もう急ぐ用事もなかった。
北西部というのは、高級住宅街とされている。大動脈にあたるメインの水路を除くと、運河に取り囲まれていない。地面が島状になっておらず、広い面積が確保されている地区だ。昔からある古い家々やそれを取り囲む壁が聳え立っているばかりで、人通りもそんなにはない。
ただ……
はてな、という思いが胸によぎる。
邸宅だらけなのは一目でわかる。塀は高いし、それが切れ目なく続いている。ただ、邸宅によっては、ただ古いというより、どこか荒廃した雰囲気を感じるところもあったりする。街は栄えているので、経済が根本的に悪くなったということではない。昔ながらの屋敷を維持できない名家があるという感じだろうか。
荒れた感じがする理由、しばらくして自分の頭の中で整理できた。塀の上から垣間見える庭木の状態だ。きれいに剪定されているところと、それ以外とがある。
「っと、ここがうちだよ。さ、遠慮なく入って」
嫌な予感が当たった。ユンイが俺達を誘ったのは、荒れている方の邸宅だった。それでも玄関付近の通路だけは綺麗だった。庭の奥を見通せないよう、入口付近にこんもりと低木が隙間なく植えられているのだが。
「済まないね。今は使用人が出払ってて、このざまだ」
ハゲ頭の男がそそくさと前に出て、玄関の門に鍵を挿し、開けた。重々しく軋みながら開く扉、その向こうの暗がりに、何か好ましくないものを感じた。薄っすら香る何かの匂いが気になった。
というか、使用人が出払っているのなら、この男達は誰だ? どうしてユンイと行動を共にしている? なんだか、ムスタムで出くわしたあの……そうだ、ザイフスに近い何かを感じる連中だ。
「お茶と焼き菓子くらいは出せるよ。さ、座って」
通された部屋は、広く薄暗かった。窓はあるのだが、向きが良くないのか、あまり日差しが届かない。
丸いテーブルは分厚く、質も高いのがみてとれる。椅子も年代物だが、劣化していない。やがて温かいお茶が供されたが、薄手のカップも上等だ。ただ、そうなると気になるのがお茶の味と香りだ。さっきの下っ端達がたてたものだから、それも当然ではあるのだが、どうにもミスマッチな感じが拭えない。
「それで」
フィラックが口を開いた。
「あなたはどなたなのか」
「ああ、異国の人よ。では改めて」
彼は胸に手を当てて、それこそ大袈裟な身振りで、自己紹介した。
「東方の詩人ユンイ、シュウファン家を継ぐもの」
「はて?」
そう名乗られても、フィラックには覚えがないらしい。
「ご存じないのも無理はないか。東方大陸のチュエンとなれば、それは栄えている街ではありますが、帝都に出るのも一苦労という地の果てなので」
「え、ええ」
「ですが、詩集が帝都で出版されたこともあるのですよ」
「それは素晴らしい」
詩集、と言われて、ふと記憶の書棚から埃が零れ落ちたような感じがした。
そういえば、どこかで聞き覚えがある名前……
「どのような詩をお書きになられたのですか?」
ノーラが会話を繋ごうとして、そう尋ねた。
「ああ、それは」
我が意を得たりとユンイが合図をすると、眼鏡をかけた男が三冊ほどの本をもってきて、テーブルの上に置いた。
「これが僕の作品だよ。読んでみるかい?」
それで俺は真っ先に手を出した。もしかして、という思いがあってのことだ。
目次に目を通し、目星をつけたところを開こうとして、ページをめくり続けた。そして、案の定……
『火の玉』
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なんでこんなにダーク
寒くて迷ってファック
泣いても返事ノーバック
オッパイから迸るアツい何か
火の玉のような何か
泣き声をあげたら口から漏れちゃう何か
寒い夜にたった一人
いつまでどこまで何のため
遠くに幻見えてくる
もう俺は真っ赤に燃えてる
体中、パワーが溢れる
君のためならどこまでも行ける
輝いてるけど真っ暗
アツいけどサムい
俺の顔を君のオッパイ塗れにしておくれ
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ルイン語ではなく、ハンファン語。だが、どこか見覚えがある。そして、だとすれば誤訳だらけだ。
いや、誤訳というか……もうまるっきり文脈からして別物になってしまっている気がするのだが、こんなヘタクソな詩のために、原作の方に盗作疑惑をかけたのか?
しかし、彼のルイン語の能力では、確かに、クララの詩を正確に翻訳するなど、できようもなかった。
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シュウファン・ユンイ (37)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク7、男性、37歳)
・スキル ハンファン語 5レベル
・スキル フォレス語 5レベル
・スキル ルイン語 1レベル
・スキル 政治 1レベル
・スキル 剣術 1レベル
・スキル 騎乗 3レベル
・スキル 商取引 2レベル
・スキル 水泳 2レベル
・スキル 操船 2レベル
・スキル 房中術 7レベル
空き(27)
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確かめなくてはいけない。
「ユンイさん」
「なんだい?」
「この作品は、あなたがご自分で?」
「もちろんさ」
彼はまるで悪びれる様子もなく、そう言い放った。
『私の詩に盗作疑惑がかかっているそうです』
アヴァディリクに囚われていたクララ。その罪状は、婚姻関係にない異性との性関係によるものだった。
彼女を罪に落として捨て去ったのは……
彼女の作品を盗用したのは……
ユンイは笑顔で俺達に言った。
「異国の友人を得るのは楽しいことだ。せっかくチュエンまでいらしたのだし、何も見ないで先を急ぐなんてもったいない! 僕が君らを案内するよ」
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