第四十章 小帝都にて

夕暮れ時の水面に

 空がうっすら黄色に染まり始めた頃、郊外の村で農夫が教えてくれた通り、道の向こう、川の流れの先に城壁が聳えているのが見えてきた。


 あれがチュエンの北の城壁だ。そして、俺達の歩く街道のすぐ横、南から北に向かって流れるこの川は、古代の用水路でもある。

 南部の広い範囲を支配したソウ大帝は、ここチュエンを首都に定めた。それだけでは飽き足らず、周辺の農村が逆らえないようにと、あらゆる水源をこの地に集中させた。そのために川の流れを大きく変えたという。ここから見て北西と西にそれぞれ別々の川があったのだが、それが人為的に合流させられ、そのすべてが街の中に流れ込んでいる。そしてチュエンから北、南、南西へと水が供給されるようになった。

 おかげでチュエンは、今でも運河の街だ。そればかりでなく、実は陸上からでは街の中に入ることができない。それでは不便だからという理由で、一応、陸上の門も後に設けられたのだが、一般人の通行には使用されない。よって俺達は、北向きのこの用水路に設けられた城門を潜り抜けなくてはいけない。


「見えてきたな」


 フィラックが指差した。

 チュエンを取り囲む橋と、環状道路だ。北、南、南西方向の用水路、取水口としての北西の水路の他、緊急時の排水口としての東の水路もある。これら水路を渡るために、それぞれ大きな橋がかけられているのだ。また南東方向には港もあり、こちらは二重の城壁の一つ目までは船で乗り入れることができる。これを跨ぐための橋が設けられているとのことだ。それらの橋を繋いで、チュエンを徒歩で一周できるようになっているらしい。

 この何から何まで行き届いた建造物の数々、水の都といった特徴から、チュエンは小さな帝都と呼ばれることもあるのだとか。


 用水路を挟んで背を丸めるのは、傷一つない立派なアーチだった。灰色の石材が隙間なくぴったりと継ぎ合わされている。


「すげぇだろ」

「ああ」


 ホアが自慢げに言った。


「近場だからなぁ? 山の連中が一仕事すっと、こーなんだよ」


 道理で、と納得する。

 橋を横目に環状道路を横断すると、右手に石の階段と岸壁、その向こうに艀が浮かんでいるのが見えた。小舟もいくつか壁に寄せられていて、船頭達が客を待ち受けている。


「オラ、街ん中で眠りたきゃ、乗せてもらわなきゃだぜ?」


 俺達は階段を降りて、小舟の上にいる中年男に声をかけた。


「街の中に入りたいんですが」

「銅貨四枚……馬がいるんなら、そうさな、銀貨一枚」

「騎士の腕輪があってもですか」

「はっは、関係ねぇな。入市税じゃねぇから」


 そういうことなら仕方ない。ポーチから銀貨を出して握らせると、彼は船の前の方に陣取った。


「ほら、さっさと乗んな」


 きっとこれが彼の日常なのだろう。旅人から渡し賃を取りながら、日々の生活をやり繰りする。


「アーシンヴァル、乗れるか」


 階段横のスロープをゆっくり降りてきていたアーシンヴァルは、小刻みに揺れる船の上にそっと足を乗せた。それを船頭は神妙な表情で見つめていたのだが、果たして躾の行き届いた馬が器用にバランスを取って落ち着くのを見ると、緊張を解いた。


「ひっくり返ったら怖ぇから、こいつ先に送るぜ。ちぃっと待ってな」


 戻ってきた船頭のところに、俺達は大挙して乗り込んだ。彼が櫂を漕ぐごとに、船は音もなく前へと押し出されていく。やがて俺達は城門の下を潜った。城門といっても、その奥行きはかなりのものだ。この水路のすぐ上、城壁の上には正方形の屋根が乗っかっており、黒い瓦屋根で飾り立てられている。多分、ちょっとした家なんかよりずっと広い。

 水路も随分としっかりしている。左右の壁面には傷一つない。普段から浚渫作業に余念がないらしく、これといった汚れや臭いもなかった。


「きれいなんですね、ここ」

「おうよ」


 船頭が答えた。


「お前ら、チュエンは初めてか」

「はい」

「じゃあ教えといてやる。いいか、運河にゴミを捨てるな。クソションベンもすんなよ? 罰金取られっからな! はっはは!」


 そういうことかと納得する。

 だいたい、ここの運河はただの運河ではない。周辺の農地に生活用水を供給する役目もあるのだ。それが汚染されたのでは、下流の人々が怒り狂うだろう。


「お前らは運がいい。もうじき藍玉の市だからよ。ここじゃ一ヶ月くらい前から盛り上がるんだ。じっくり楽しんでいけよ!」


 それからすぐ、俺達は城門の向こう側の岸壁に辿り着いた。アーシンヴァルは、周囲の人達が慌ただしく行き来しているのに、特に興奮するでもなく、怯えるでもなく、のっそりと突っ立っていた。


「ほいよ、着いたぜ」

「どうも、ありがとう」


 俺達は船頭に手を振った。彼も笑顔で小舟を返した。

 それからアーシンヴァルと一緒にスロープを登って、ようやく城壁の内側の市街地を眺め渡した。


「わぁ」


 ノーラが、彼女らしからぬ、まるで夢見る少女みたいな、かわいらしい声を漏らした。

 けれども、視線を前に向ければ、それにも納得だ。


 夕暮れ時の空は、いかにも優しげな色に染まっていた。軒を連ねる家々の向こう、遮るもののない水路の先に木々のシルエットが浮かんでいる。その向こうに見える空は、決して燃えるような夕焼けなどではなく、あくまで控えめに、紅茶にミルクをそっと混ぜたような色合いに染まっていた。

 やや無骨な黒い瓦屋根は、それでもどこか誇らしげに反り返り、その下には白い土壁が顔を見せている。水際に建っているのもあって、黒ずんだ汚れが見て取れるのだが、むしろそれが趣深さを増していた。壁には木窓が据えられており、そこには複雑な格子模様が組まれていた。

 商店の多くが陸上の通路ではなく、川に面して大きく玄関を設けている。その軒先にはどこでも赤い灯篭が吊り下げられている。だから夕暮れ時の川面には、真っ赤な影がいくつも映り込んでいた。

 頬を優しく撫でる微風に乗って、どこからか弦楽器の音と調子外れの歌声とが聞こえてくる。そうかと思えば、ふっと風が一吹きして、どこかの飲食店の、いかにもおいしそうな料理の匂いが通り過ぎていく。


 人の住む街。その喜びが、目の前のこの景色に凝縮されているような気がした。

 この幸せを目の前にして、どうして現実に留まっていられようか。

 俺はもうすぐ、モゥハの裁きを受ける。きっとそうなる。俺が彼らの傍にいてあげられる時間も、そんなにはない。それなら少しでも楽しいひと時を味わってほしい。


「ああ、そうだ」


 ややわざとらしくなってしまったが、声をあげた。


「せっかく久しぶりに大きな街に出たんだし、気晴らししたいだろう。宿は探しておくから、みんな好きにしていい」


 俺がそう言うとみんな、はたと足を止め、こちらを見た。


「ん? あ、ああ、大丈夫。最悪、今のうちに精神感応で意識を繋げておくとかすれば、居場所を見失うこともないし」

「そうだな」


 フィラックが反応して、アーシンヴァルの轡を取った。


「じゃあ、俺が宿を探しておくから」

「えっ?」

「遊んでこいよ」


 どうしてそうなる。


「へっへっへ、わかってんじゃねぇか、お前」


 ホアが、舌なめずりしながらそう言った。


「この街はオレがよく知ってんだ。連れ込み宿なら……ッグッ! なんだぁてめぇ、いきなり後ろから引っ張んじゃねぇ!」


 彼女のタックルは、フィラックが首根っこを捕まえて食い止めた。もっともホアには怪力の神通力があるので、本気で暴れられたら、抑え込めないだろう。あくまで出鼻を挫いただけだ。


「いいから今日は大人しくしてろ。酒なら好きなだけ飲ませてやる」

「ふざけんなって、オレはようやく」

「学習しない奴だな」


 再びフィラックを振り払おうとしたホアだったが、今度はそのひっつめ髪にアーシンヴァルが噛みついた。


「どわっ! なんだぁ、この馬ァ! 痛ぇ! 抜けるじゃねぇか、放せ! 放しやがれって!」

「はっはは……ほらほら、二人とも、今日くらい羽を伸ばしてこい」


 これじゃアベコベだろうに。

 そう思って立ち尽くしていた俺の手を、素早くノーラがとった。


「行こ!」


 サーコートのフード越しに見たノーラの顔は、いつになく幼く見えた。そのことに軽い驚きをおぼえつつ、俺は手を引かれるままに駆けだして、彼女と一緒に橋を渡った。


 チュエンの街は、水道ありきでできている。パッと見ただけではわからないが、北西部が一番高い場所になっていて、緩やかに街の中央部に向かって水が流れるようになっている。そこからは北、東、南、南東と、いろんな方向に水道が向けられている。無論、水量の調節ができないと、街自体が浸水のリスクにさらされるので、そのための対策は随所に施されている。まず、街に流入する水量を調節するために、街の外側に水門がある。それでもどうにもならなかった場合のために排水口や溜め池が設けられている。この溜め池は、逆に水不足になった時には封鎖される。水量が少し不足する程度であれば、溜め池の水を下流に流すことで対応するし、深刻な渇水の場合は逆に溜め池の水を配給制にするという。

 こうした計画に基づいて建設された町なので、街の中心から、土台のある陸地の部分が放射状に並んでいる。また、特に中心部の広場などは、真下が水路になっていたりする。つまり、縦の行き来は裏路地、横の行き来は橋。そして水路も立派な道路なのだ。


 橋を越え、すぐ路地に入った俺達は、壁が左右から迫ってくるかのような、商店の裏口を目にすることになった。とはいえ、裏側もやっぱり商店になっている。ただ、違うのは……


「いらっしゃーい」


 ……そこにいる売り子のほとんどが、若い女性という点だ。

 別に風俗店というのではない。売られているのは普通の蒸しパン、普通のスカーフだ。ただ、さすがは大国の首都というべきか、彼女らの格好は実に垢抜けている。東方大陸の文化圏では、女性も基本的にはパンツルックなのだが、チュエンの若い女性は白い上着と下穿きの上から、深いスリットの入った長衣を身に付けている。パステルカラーの上に細かな柄が描かれていて、それが実に洗練されていた。


「お安いですよ、お一ついかが?」


 ニッコリしながらお姉さんが蒸しパンを勧めてくる。


「おいくらですか?」

「銅貨四枚よ」


 ピンときた。


「また今度で」

「えーっ」


 その手は食らうか。

 最初に俺に声をかけたのが、蒸しパン屋のお姉さんだったのが運の尽きだ。他の物ならいざ知らず、料理と女がセットで出てきたら、俺は先に料理の方を見る。この蒸しパン、少々割高な感じがした。そこに気付けば、答え合わせはすぐだった。


「小舟で買いつけたら、銅貨三枚でしょ」

「なんでわかるの! 前に来たことある?」


 なんてことはない。この辺に家を構えて暮らしているなら、その家は水路に面しており、よって家人は小舟で近所を行き来する。地元の人の主要な通路は運河の方で、路地を歩くのは余所者と相場が決まっている。だからどこでも裏口には若い娘を配置して、勢いで割高なものを買わせてしまおうと目論んでいるのだ。


「初めてですよ。それじゃ」

「またね!」


 断られたくらいではめげない。慣れたものなのだろう。


「なんだかオモチャ箱みたいね」


 俺の手を握ったままのノーラが、目を輝かせながら呟いた。


「そうだな」


 迫り出す屋根、その下で声を張り上げて客引きをする娘達。蒸しパンもあれば木彫りの玩具もある。ある店の二階の窓が開いており、そこから老人が顔を出して、肘をついていた。夕涼みといったところか。


 そして、暗い路地を歩いて抜けると、一気に明るくなる。また別の島が視界に映る。そこにぎっしりと家々が軒を連ねている。あちこちに橋がかかり、その下を小舟が音もなく抜けていく。優しい夕暮れ時の空が水面に映えて、黒ずんだ街並みを浮き立たせている。

 運河に面した家々の前面は、軒先を広めにしていることが多い。その下を人が歩くため、共用スペースにしているのだろう。川べりに背凭れのない長方形の椅子が並べられている。水中に降りていくための階段もあり、船に乗り降りするための小さな突起もある。どの家にも川に落ちないようにと、まるであみだくじみたいな形をした柵が設けられている。

 一軒ごとにみると、実はそんなに大きな家ではない。せいぜい二階建てで、それが肩を寄せ合うようにして建てられている。壁だって年月とともに古びて、汚れが目立つようになる。でも、それがいい。この街の人達は、どんな思いで日々を暮らしているのだろうか。二階の窓を開けて見下ろせば、そこはもう運河なのだ。


 初めての街は、歩くだけで、眺めるだけで楽しい。

 西の彼方から東の果てまで、歩き通してきた。たくさんの街を見た。いろんな色の海を見下ろした。聳える山々を見上げてきた。


 なんて幸せだったんだろう。


 ……幸せ?


 ふと思い浮かんだ言葉に、俺が自分で戸惑っていると、ノーラは俺の手を掴んだまま、傍を通りかかった小舟の船頭に声をかけていた。


「船頭さん!」

「あいよ!」

「あの通りに行きたい!」

「乗んな!」


 微笑ましい。まるで子供になったみたいだ。

 その表情の、これまで見たこともない幼さに、俺は苦笑してから、気付いた。


 そうだった。俺が人間でなかった間、ノーラもまた、人間であることをやめていたのだ。強姦されかけても顔色一つ変えず、全身の骨をへし折られても立ち上がり、戦場で大勢の人を手にかけても嗚咽を押し殺した。そうでなければ、常軌を逸した俺の冒険についてくるなど、できるはずもなかった。

 だが、それももう終わりだ。使徒が俺の前に現れて、誘いに乗るよう、屈服するよう迫った。俺はそれを拒んだ。もう、俺が人間をやめる理由はなくなったし、またその手段も失われた。一応、けじめとしてワノノマには行くが、それで本当におしまいになる。

 当たり前だが、俺はノーラやフィラックには、モゥハに裁かれて死ぬつもりだなんて伝えていない。そんなことを言おうものなら、無駄に二人分の骸が転がるだけだ。だから、あくまで彼女の中では、もはや以後の旅は物見遊山、もののついででしかない。


 俺達を乗せた船は、赤い灯篭の光を照り返す華やかな運河を滑っていた。船頭は俺達を運河側の共用通路に立たせると、銅貨一枚だけで去っていった。

 ノーラはとにかくワクワクが収まらないらしく、あちらもこちらも目移りするらしい。普段ならこんなことはなかったのに。でも、それが嬉しい。俺がしっかりしていれば、スリにやられたりもしないだろう。


 俺達は人の合間を縫って川べりの商店街を歩きだした。

 色とりどりの商品を見ながら歩くだけでも、気持ちが浮き立ってくる。こんなにも、人の世界は豊かだったのだと。


「ちょっと、そこの美人さん」


 川沿いの表通りにいるのは若い女性の売り子ではなく、オバちゃんだ。


「そうそう、あなた。あなたよ」


 ノーラは声をかけられて、足を止めた。


「随分とかわいらしいのねぇ」

「は、はい?」

「ねぇ、そんなにきれいなのに、腕輪の一つもしてないのかしら? もったいないわよ」


 ただの営業か。無視して先に行こうと手を引きかけて、やめた。

 目的ありきの旅なら、こんな無駄に付き合う必要はない。でも俺達は今、そぞろ歩きを楽しんでいるのだ。なら、店を冷やかすのも遊びのうち。


「あら? そっちのお兄さんはどなた?」

「兄じゃないです」

「あら? じゃあ、弟さん?」

「弟でもないです」


 そのノーラの返答に、オバちゃんの目の色が変わった。

 ガバッと身を乗り出すと、俺を圧殺しようとするかのように顔を近づけて、迫ってきた。


「ちょっとちょっと! じゃあ、こんなかわいい彼女を連れてるのに、こんなみすぼらしい格好をさせてるってわけ!?」

「えっ、いや、その」


 どうして俺が責められるんだ。いや、将を射んとする者はまず馬を射よ、だ。女がアクセサリーを欲しがるとは限らないが、男は、アクセサリーを欲しがるかもしれない女に買って与えないという選択肢を持たないものだから。


「えっと」


 ノーラの顔色を窺うと、俯きがちになっていた。いつもなら「こんなのに構ってる暇はないわ」と吐き捨ててずんずん歩いていってしまいそうなのに。

 わかっている。彼女はキラキラしたものが欲しいのではない。物を通して得られる何かが欲しいのだ。


「これなんかどう? やっぱりね、これだけかわいい子に負けないだけの品物といったら、これくらいでなくちゃ」

「じゃ、じゃあ、それ」


 オバちゃんはここぞとばかりに、いかにも値の張りそうな金のネックレスを勧めてくる。逆三角形のパーツがいくつも連ねられていて、その一つ一つに輝く真珠が嵌めこまれている。いったいいくらするんだろう? まぁ、お金はあるからいいんだけど……


「待って」


 そこでノーラが声をあげた。


「えっ、なんだい」

「それを」


 彼女は指差した先には、もっと地味な品が置かれていた。赤い絹紐に小さな金の留め具がいくつかついただけの代物。腕に結び付けるから、一応腕輪といえるか。宝石すらついていない。多分、この店で一番安い装飾品だ。


「こ、これかい? 彼氏にせびるにゃあちょっと」

「これがいいです」


 そう言い切ってから、ノーラはこちらに向き直って、おずおずと上目遣いで尋ねた。


「……いい?」


 俺はオバちゃんに振り返り、尋ねた。


「いくら?」

「金貨五枚だよ」


 俺が代金を差し出すと、オバちゃんは品物をそっと手渡した。ノーラはそれを胸に押し抱き、かわいらしい声で小さく叫びかけた。

 ふと、グルービーの予言を思い出した。


『君、わしは今から予言するがね……きっと一生、女の尻に敷かれるよ。間違いない』


 俺はノーラの尻に敷かれるんだろうか。モゥハに殺されなければ、そんな未来もあるかもしれない。いや、大いにあり得る。

 ここまで俺は無茶な旅をしてきた。自分の意志で勝手についてきたとはいえ、彼女は俺を守るため、人間の世界に連れ戻すために多大な犠牲を払ってきたのだ。それを知っていて、俺が今更、偉そうな顔をしていられるだろうか。

 でも、それも悪くないのかもしれない。考えても仕方ない。どっちにせよ、ノーラは気が強いから、いざとなったら俺では立ち向かえない気がするし。

 想像してしまう。ピュリスの片隅で、俺が焼き鳥屋を始める。だけど俺は味にこだわって原価を考えないから、いつも収支はギリギリだ。だから割烹着姿のノーラが、いつも角をはやして俺に説教を浴びせる……


 そんな風に先々を思い浮かべると、不思議なことに、なんだか俺まで顔がにやけてきた。


「毎度あり! 大事にしてやりなよ、色男!」


 小躍りし始めそうなノーラの手を引いて、俺は川べりの通りに足を踏み出した。

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