知られざる墓所
金属の扉の向こう側は、何の変哲もない通路だった。左右の壁は、恐らく日干し煉瓦を積んだものだ。どこかに通風孔でもあるらしく、ごく僅かに空気の流れがある。だが……
入口を潜る前に感じた違和感が、また頭の中で持ち上がってきた。これだけ砂嵐が吹き荒れていそうな砂漠の真ん中にあって、なぜこの迷宮は埋もれてしまわなかったのか? 一つの可能性として、この地下に何者かが住み着いているという状況が答えとして挙げられる。ここを出入りする誰かが入口を掃除しさえすれば、外に出られなくなることもない。
しかし、それにしては。この迷宮には、何の臭いもなかった。水分がほとんどないから、空気は乾燥しきっている。カビも生えない。ここの住人が、砂漠の魔物や小動物でも捕まえて食べていてもよさそうなものだが、食べカスが放置されて腐ったり、或いはフンをすれば、なんらか臭いを生じるはずだ。それがない。
となると……
ドス黒い感情がふつふつと湧き上がってくる。
さては使徒の奴、また俺を精神的に追い詰めてやろうと考えているのか。この状況でここに誰かがいるとすれば、それはもう、命のない怪物くらいしか思いつかない。つまり、ゴーレムだ。
俺がグルービーとの対決でゴーレムに叩きのめされたことを思い出させてやろうと、心の古傷を抉ってやろうと、そんなつもりでいるのだろうか。その記憶から、アイビィのことを連想させて苦しめてやろうと。奴が考えそうな手だ。
それでも、もう我を失ったりはしない。初めから悪意ある相手だと知っている。それに、今の俺にあの程度のゴーレムなど、脅威ではない。仮に特別製のゴーレムをぶつけてきたからって、どうということもない。逃げるか、戦うか、それだけではないか。
「また下り階段か。深いな」
フィラックがそう呟いた。松明を持つのは彼の仕事だ。光魔術に頼ることもできるが、たった一つの手段に視界を頼るのは避けたい。
「気を抜かない方がいい」
「済まん」
魔物の気配もないので、思わず気が緩んだのだろう。
そろそろ、使徒が俺に何を見せたいかがはっきりする。或いは、彼がここで待ち構えているのか?
階段を降りたところで、また扉があったので、そっと押した。
途端に光が差し込んできた。
まるで前世の建造物を思わせる。天井にガラスの半球が埋まっており、そこから柔らかい光が降り注いでいた。部屋は広く、天井も高かった。
ガランとしていたが、部屋の中央には何かの祭壇のようなものがあった。少し大きな棺のような形で、ただ蓋の部分がなかった。どこから持ち込んだのか、真っ白な石材を掘り抜いて拵えたものらしい。
「ね、ねぇ、ファルス」
「うん」
ノーラが上擦った声を出して俺の袖を引いた。
俺も気付いている。自分達の足下。この図案には見覚えがある。矢印が俺達の足下からまっすぐ引かれ、祭壇のすぐ下まで続いている。棺の横っ腹の部分には、円が描かれており、中心に向けていくつも直線が引かれている。何もかもが吸い込まれていくような……
人形の迷宮の下層。レヴィトゥアの玉座と同じだ。違うのは、こちらの矢印や壁の材質が黄金でないということくらいだ。
ぐるりと部屋の中を見渡すと、祭壇の向こう側に暗い通路が続いている他は、すべて壁に閉ざされていて、扉もなかった。また、周囲の壁に浮彫が施されていた。そこには大勢の人々が跪き、祈る姿が描かれていた。彼らが崇めているのが何なのかは、よくわからない。ただの円形の何かだった。
祭壇に近づいて、縁に囲まれた中を見下ろしてみる。何もなかった。本当に棺みたいな形で、人を横たえられるだけの広さがあった。
「何もない。更に進めということなんだろう」
俺達は祭壇を迂回して、更に奥へと進んだ。扉を開けると、また下り階段になった。
降り切った先にまた扉があり、これを押して中に入ると、やっと何かの臭いを感じた。といっても、やけに古い、時間の経過したことを思わせる代物で、元がどんなものかはよくわからない。
通路を少し進んだところで、左に一本、右手に複数の通路に折れ曲がっていた。俺達は目を見合わせたが、まず左側に向かった。そこにあったのは、大昔の洗い場というべき代物だった。なぜそれとわかるかというと、人が一人、丸まれば収まるほどの四角いブースの上に、シャワーヘッドのようなものが取り付けられており、床の方にも排水口があったからだ。そういうシャワールームらしいものが、十区画ほどあった。通路はというと、そのままコの字型になっていて、元の通路に戻れるようになっている。
では、右側はというと、最初の分岐では、突き当たりの壁に、どうみてもダストシュートとしか思えない大きな穴が開いていた。
次の分岐から先を見ていくと、そこは物置になっていた。所狭しと剣や鎧が置かれている。ただ、いずれもスペースを取らないように配慮されていた。鎧も部分ごとに分割可能な簡素なもので、小さく丸められている。材質はどんなものかわからないが、見た目より随分と重かった。
そこを抜けて更に奥に進むと、また左右にいくつも直角方向に枝分かれする通路があった。今度は格子状になっていて、左右とも同様だった。
立ち入ってみると、そこにあったのは壺だった。茶色の壺。大きさとしては、一抱えもある。何かで蓋をしてある。
「なんだか気味が悪いな」
フィラックがボソッと呟いた。
同感だ。中を確かめてはいないが、見なくてもなんとなくわかる。この大きさ、そしてこの雰囲気。まるで墓地ではないか。とするなら、この壺の中にあるのは、人骨ではなかろうか。
また真ん中の通路に戻って、更に奥に進んだ。そのうちに、また広い部屋に出た。ここが一番奥らしい。そこからどこかに繋がる通路はなく、扉も階段も見当たらなかった。
部屋の奥に向かって、また矢印が床に描かれている。向かいの壁には円が描かれ、その中心に向かって無数の直線が引かれている。その真下、一段高いところに立派な棺が置いてあった。金属製なのか、鈍い光沢を放っている。
左右の白い壁の下には、剥き出しのベッドが合計十個ほどあり、そこには白骨が横たわっていた。誰もが鎧を身に付けていて、ベッドの上に剣と盾を置いてある。
「やっぱり、お墓?」
ノーラがそう呟いた。
そうとしか見えないが、墓だとして、こんなものを俺に見せて、使徒はどうしたいのか。
「もういい。引き返そう」
拍子抜けの感はあるが、別にわざわざ奴の気持ちを汲んでやる必要はない。それに、仕掛けてこないのならこないで、まったく構わない。そのまま龍神のところに顔を出せば済む。
それで俺が部屋に背を向けた時、小さな物音が後ろから聞こえてきた。
「おっ、おい」
フィラックの取り乱した声に、俺はまた部屋の突き当たりに目を向けた。
さっきまでベッドの上で仰向けになっていた白骨。そのうちの一体が、まるで生きている人間かのようにムクリと身を起こしている。ベッドの縁から足を下ろすと、石の床と触れ合ってカシャリと軽い音をたてた。
まさか……
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ショウミン・スッダ (755)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク0、男性、755歳)
・ソウルチップ
・マテリアル マナ・コア・風の魔力
(ランク5)
・スキル ハンファン語 5レベル
・スキル 剣術 6レベル
・スキル 盾術 6レベル
・スキル 格闘術 5レベル
・スキル 風魔術 5レベル
・スキル 騎乗 5レベル
・スキル 商取引 5レベル
・スキル 裁縫 1レベル
・スキル 料理 1レベル
空き(--)
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「こいつ、生きている!?」
「ま、まさか。ゴーレムじゃないのか」
「いや、違う」
ピアシング・ハンドが反応している。だからこれはゴーレムではない。
年齢からすると、暗黒時代以前、統一時代末期からの生存者だ。当然ながら、骨しかないので肉体のランクはゼロ。にしても、脳も筋肉もないのに、どうして動けるのか。
ソウルチップとかいう、正体不明の何かがある。これのせいか? なら、奪って……いや。副作用があるかもしれない。一度は俺の中に取り込まれるのだから。そして今回、使徒は俺をしっかり見張っていると考えられる。その一瞬を狙って、何かを仕掛けてきたら、防げない。
「屍骸兵……」
ポツリとノーラが漏らした一言。
ルークの世界誌にその存在だけが記されたそれは、実在したのだ。
だが、それはどうやって? このショウミンとかいう奴は、では不老不死を得ている? そうとしか言いようがない。普通の人間は、七世紀以上も生きられない。長寿の神通力を高いランクで備えていたクル・カディでさえ、五百年くらいしか生きていないし、間もなく寿命が尽きるだろう。
そしてゼン・レンは、女神や龍神が不老不死をもたらすことはないと明言した。それもおかしくはない。シーラが以前に条件を教えてくれたではないか。主権を有する神々の承認が必要だと。その意味で、龍神には主権がないかもしれない。では、女神には? あるのだろうが、なんらか条件を満たせないのではないか。つまり、人に不死を付与することが神としてのありようと対立する場合だ。それは自らの『神格を揺るがす』行為になる。
裏を返せば、そうした制約から自由な神であれば、不死を付与することができる。シーラは主権をフルセットで備えていなかったからできなかったが、この世界に居残る魔王なら?
『不死を望むのなら、こちら側に来い』
それが俺への使徒のメッセージだったのだ。
「ね、ねぇ」
屍骸兵は、剣と盾を構えたまま、棺の前に立っている。眼球などないはずなのに、こちらを見据えているかのようだ。
戦って勝てない相手ではない。だが、他の九つのベッドの上にも、同等の実力の屍骸兵がいる。いや、だとすると……
「逃げるぞ」
俺は二人の背中を押して、この部屋を後にした。
ここに来る間に見た、あの壺の数々。あれらすべてに屍骸兵が詰まっているのだとしたら? ここは屍骸兵の貯蔵庫だ。何百、ひょっとすると何千という屍骸兵が眠っているのかもしれない。それらすべてを相手どるなんて、無茶もいいところだ。
だが、これで謎は解けた。なぜこの迷宮、いや墓地の入口が砂に埋もれていなかったのかも。
ただ、他の謎が新たに生まれた。
では、この屍骸兵はどうやって不死を得た? それも統一時代に。この砂漠地帯だからこそ、魔王の力を借りて眠り続けるのに邪魔が入らなかったのかもしれない。
彼らは何のために不死を得た? 骨だけの体では、食べる喜びもない。性欲だって満たせまい。となると、即物的な利益を目的とはしていないはずだ。
考えるのは後だ。
とにかくここから逃げきってしまわなくては。
階段を駆け上がる途中で、さすがにノーラとフィラックが息を切らし始めた。魔術で補助しながら、なんとか走り続けた。俺達を追いかけてくるのはショウミンだけだったが、そこまで本気でないのか、足が遅いだけなのか、その足音は次第に遠ざかっていった。
ようやく最初の広間を駆け抜け、地上への階段を駆け上がった。
金属の扉を乱暴に突き飛ばして、砂漠の真ん中に戻った時、俺達は更なる異変を目の当たりにした。
大きな影が頭上からかかっていた。
少し離れたところで、ホアがアーシンヴァルと一緒に棒立ちになって上を見上げている。
俺達は、赤竜の群れに取り囲まれていたのだ。
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