山での歓待
簡素な木のテーブルの上に並べられている陶器の皿の数々。そこには色の濃い野菜が身を縮めていた。ほとんどが漬物にされている。この高地で収穫できるものなどほとんどないのだろうから、大半のものは下界で加工され、ここまで持ち込まれたのだ。
だが、俺にはご馳走にしか見えなかった。なぜならすぐ目の前には、白米の盛られたお椀があったから。その脇には卵の入ったスープもある。
「贅沢とは無縁の場所でして」
「いいえ。今日は特別なのでしょう?」
「お気付きですか」
ゼンは質素な食卓について言い訳をしたが、実はこれがこの神仙の山における最大限の贅沢なのだ。なにせ白米がある。だが、この食事を毎日食べていたら、きっと栄養失調になってしまう。玄米、或いは雑穀を食べるのでなければ、野菜の少なさを補うには至らないだろうから。わざわざ精米したものを出すのは、ただ味をよくする目的からであって、それが既に贅沢なのだ。
「ここでの生活には、およそ富貴ということがありません。財産になるものがないのでもありませんが、欲心を起こさないためにも、普段は厳しい暮らしをしているのです」
何があるのかは知らないが、少なくとも真なる騎士の修行場になるようなところだ。魔術や神通力の秘伝は残されている。その知識や力だけでも、いくらでも金になるだろう。
「お酒すらほとんど置いてはおりません。もっとも、厳しいだけではやっていけませんから、下界に降りて休暇を取るくらいは許しておりますが」
「あの」
別に質素なのは構わない。それより、さっき聞きそびれたことがある。
「ホアはどうなりましたか」
多少は俺のせいでもあるから、彼女の事情を確かめずにご馳走にがっつくわけにもいかない。
「ご安心ください。彼女は今、懲罰用の独房におります……ああ、そんなひどいところではありません。小さな窓しかない狭い部屋ではありますが、別に苦痛を与えたりはしておりません。食事も一応、与えるように言ってあります」
「それならよかったですが、結局、どうしてあのような」
するとゼンは深い溜息をつき、説明を始めた。
「それにはまず、この神仙の山と呼ばれている場所がどんなところかを説明しなくてはなりますまい……お食事が冷めてもなんですから、ゆっくり召し上がりながらお聞きください」
神仙の山と呼ばれているこの地の歴史は、世界統一前に遡る。東方大陸には数多くの魔王が降臨し、群雄割拠して戦乱が広がった。ここからすぐ東に下山した先にあるカインマ侯国も当時は独立した王国だったし、かつてのチャナ帝国の主要な版図となった大陸南部にも複数の勢力が並び立った。また、その間の砂漠地帯にまで独立勢力が縄張りをもっていたという。
龍神ゴアーナが姿を見せなくなってから、女神に従う人々は途方に暮れた。その中でも知恵と力を保っていた集団の一部は、山に隠れ住むことを選んだ。
逆に東方大陸の南、南方大陸の北東部に移住した集団もいた。もっともそちらは、それからチャナ帝国が南方に勢力を拡大したのもあって、その支配下に組み込まれていった。カークの街のような、神通力を代々継承してきた場所というのは、その名残でもある。帝国に面従腹背して秘伝を継承し、今日まで生き延びてきたのだ。
ともあれ、この北方の地に隠れ住んだ人々は、カインマ王国と協力し合って、チャナ帝国の支配に抗った。武力では到底及ばず、ソウ大帝の時代には属国になることを余儀なくされたものの、形式的には独立を保ち続けた。そのおかげもあって、世界統一前夜には帝国の内紛に乗じて再び独立を果たした。その後は英雄出現の流れに乗って南方討伐にも加わった。だが、最後の最後で王が戦死してしまい、直系が絶えた。
「その時に、この地は独特の地位を与えられたのです。つまり、帝都の支援者といいましょうか」
カインマの分家は新生チャナ王国の一諸侯に収まった。一方、長年に渡って女神に従い続けた山間の民のほとんどは、ようやく平地に降り立つことができた。だが、訪れた平和に安堵の息を漏らす者ばかりではなかったのだ。
ここに残された神通力、魔法その他の技術に目をつけた皇帝は、この山を事実上の独立国として扱うことに決めた。世界統一までの一千年以上の月日においても、神仙の山はまるでタイムカプセルのように、古くからの知識を保ち続けていた。これを解体して無にしてしまうのは惜しかったのだろう。
それに帝都には権力が集中しすぎる懸念があった。いつまでもギシアン・チーレムが自ら統治を続けられるのでもない。帝都に協力し、しかも状況に応じて帝都に異を唱える何者かが必要だった。
「ですから今でも、ここでは特別な職人を育てております。魔法の道具を作ることもあれば、真なる騎士に修行場を提供することもあります」
そして、ホアもそんな職人の一人だった。
「元はといえば、アドラットの先代の騎士が、ミッグ近郊の浮浪児を保護したことがきっかけです。その中の一人がホアでした。ですが、ホアには特別な才能があるらしいとわかって、特にこの山に引き取って育てることになったのです」
この山の住人は、血筋によらない。才能や意欲を備えた誰かを外から引き抜いて鍛え上げ、知識や技術を伝授していかねばならないのだ。
「確かに、ホアには才能がありました。集中力に優れていましたし。一つの作業に取り掛かると、他のことは何も見えなくなる。あれで仕事には熱心で、細やかなところもあるのです。それで腕前だけは一人前以上というのもあって、本人の希望もあったので、帝都の女神神殿に送り出したのです」
「女神教の総本山に? なぜですか?」
「あちらでも、魔道具その他の制作を必要に応じてやってくれる人員が必要ということもありますので。ですが、あちらで無断外出するだけでなく、貴族相手に騒ぎを引き起こしてしまい……」
無理もない。あの非常識な振る舞い。トラブルにならない方がおかしい。
「常識を教えなかったんですか」
「いえいえ! とんでもありません。ただ、あれがいけなかった」
「あれ、とは?」
ゼンはまた溜息をつき、首を振った。何やら言い澱んでいるかのように唇を震わせたが、ついに口を開いた。
「娯楽小説です」
「はい?」
「ここは男所帯でして……この山で結婚したり、子供を産み育てたりするのはおりませんので……そこにたまたま、才能があるからということで、まだ幼い女の子がやってきたのです。ですが、ここにはただでさえ楽しみというものがありません。それで我々は、まぁ、気の毒に思ったのですよ。だから帝都で売られている、女の子向けの小説や漫画を貰い受けて、ホアに与えました。それで読み書きを覚えてくれればという思いもありましたが」
その内容が、つまり、恋愛モノばかりだった、と……
「い、いや、でも、その」
だが、それにしても理解が追いつかない。
「こう、言ってはなんですが、その。いきなりズボンを下ろされそうになったのですが」
「あぁ」
嘆息しながらゼンは顔を覆った。
「申し訳ない。なんとお詫びすればよろしいやら」
「いえ、怒っているというのではなくて。何を真似すればあんなことをするんですか」
「多分、逆をやったのだと」
「逆?」
苦虫を噛み潰したような顔で、彼は説明した。
「帝都で問題を起こしたと聞いて、我々も驚いたのです。それで何が理由だったのかと振り返ったのですが……恥ずかしながら、ホアに与えた小説や漫画に、ろくに目を通しておりませんでした。関係があるとも思わずふと内容を確かめたところ、その、なんですな、つまり思いもよらないほど淫らで、しかも強引と言いますか」
オレ様系の王子様が強引にヒロインを口説き落とすお話、か。なんだか、前世のレディースコミックみたいなものが、帝都では出回っているのだろうか? あり得る話だ。ゴーファトも、あれは女の都だと吐き捨てていたっけ。
幼い頃のホアは、そうした空想上の世界に憧れを抱いてしまったらしい。
が、だからといって、自分がオレ様になることもなかろうに。普通、それならヒロインのポジションに感情移入しないか? いや、していたのか。だけど異性との接し方は、なぜか男の側をお手本にした。もう、そういう妄想を繰り返していたと考えるしかないだろう。
「我々もそうしたことにはまったく疎く、無知を恥じるばかりでして」
「そ、そうですか、災難でしたね」
才能がある人間というのは、しばしば変人だったりもする。その原因の多くは、アウトプットではなくインプットにある。感性が平均的ではないからこそ、常人に見えない何かに気付けるし、偏愛を注ぐこともできるのだ。
だが、だからこそ、その育成には注意を払わねばならない。才能があればなんでもうまくいく、というものでもないのだから。
「一度くらい、華やかな帝都で楽しく過ごしてみたいだろう、くらいに思って送り出したのですが……つくづく不明でした」
それから問題を起こして脱走、ミッグに潜伏してイケメン探し、そして今に至る……か。
「これから、ホアはどうなるのでしょうか」
「悩ましいところです」
ゼンは眉根を寄せた。
「こういってはなんですが、我々も慈善事業……いや、もちろん善をなすためにこそ、この山で修行しておるのですが、仮にもここで技術を受け継いだ人間が、好き勝手に私利私欲に生きるのを認めるわけにも参りませんので」
それも道理だ。
ホアにはホアの人生がある。だが、それはそれとしても、いったんここで高度な技術を身に付けた人間が、勝手にあちこちの王侯貴族に仕官していったら? 神仙の山が技術の流出に目を光らせるのは、理由のないことではない。世界統一の三百年後に始まる、あの大乱の時代を忘れてはいないのだ。
つまり、神仙の山は帝都とはつかず離れず、持ちつ持たれつの関係にある。
世俗を離れた山の中で秘伝の技術を究めた職人が、魔法の道具を作る。それは貴重な宝物であり、有用な武器にもなり得る。帝都は政治的な都合に応じて、それらの品々を外交の場で取引に用いる。別にそんなことをしなくてもパドマに攻め込む馬鹿者は、あの偽帝以来現れてはいないが、形ばかりとはいえ、世界の盟主としての影響力を発揮するのには、この手の職人と彼らが生み出す品々が欠かせない。
と同時に、神仙の山は帝都を監視し、ときに背中から刺す役目も担っている。真なる騎士達を後見しているのだから、そういうことだ。正義の守護者としての帝都を手助けしながら、腐敗に陥ったら掣肘を加える。そんな立ち位置なのだ。
だからこそ、彼ら自身が世を乱す原因になってはならない。技術の流出には厳しくならざるを得ないのだ。
「処分については、方々に問い合わせた上で、我々で決めます。もちろん、処刑とかそういう物騒なことにはなりません。別に人を殺したのでもなく、犯罪者に手を貸したのでもありませんから」
まぁ、そこから先は、俺がどうこう言えることでもないか。
関心は他に移った。
「では、お話は変わりますが」
「ええ」
「アドラットさんは何を言付けていかれたのでしょうか?」
「はい」
ゼンは若干表情を明るくして頷いた。
「簡単に申しますと、もしファルス様がこの地を訪ねることがあったなら、力になって欲しいと。質問に答え、必要であれば魔術や神通力についても学ぶ機会を与えることで話はついております。ただ、魔道具作成の秘伝だけは、お教えできません」
「はい」
「神通力は、所詮は本人が使うだけのものですからな。ですが道具は、本人がいなくなっても誰かが使う可能性が残ります。そちらに制限をかけているのには、そうした理由があります」
「では」
俺は、今となっては意味のなくなった質問を投げかけてみた。
「率直にお伺いします。不老不死を得るための方法はご存じですか」
「いいえ。寿命を延ばす術は心得ておりますが、不死に至る手段は持ち合わせておりません」
彼は断言した。
「お気付きかもしれませんが、私自身、既に神通力で寿命を延ばしております。これが神仙の山と呼ばれる所以ですな。知識を受け継ぎ、技術を伝えるために、そのようにしておるのです。しかし、私の知る限りでは、人は本来、死を免れることはできません」
「と言いますと」
「女神と龍神の意志は、この世に魂を招くとも、いつかは去らせるべしと、そのようなところにある……今まで学んだ限りでは、そう判断するしかありません」
では、仮にワノノマまで行っても、姫巫女は不死に至る手段を教えてはくれないし、彼女自身、それを知りもしない。そして、やはり彼女らにも寿命があり、代替わりがあるということなのだ。ゼンが事実を述べたのだとすればだが、これで俺の不死に至るための探求は、事実上、終わったも同然になった。理由もなければやり方もない。
ただ、そうなると使徒やイーグーはどうなるのか。ケッセンドゥリアンにしても、俺に殺されなければまだ生きていたはずだ。また、シーラはその世界の主権を持つ神々の同意があれば、不死を与えることも可能だと言っていた気がする。
これまでに判明してきた事実から判断すると、朽ちることのない肉体と神性を帯びた魂があれば、死を免れることはできる。ただ、後者を女神や龍神は提供しないし、もしかするとできないのかもしれない。
「それでは、アドラットとルークは、どうなりましたか。特にルークは」
「ああ」
ゼンはまた難しい顔になってしまった。
「あのルークという少年は、苦労するでしょうな。いや、苦労していたというべきか。毎日毎日が苦痛の連続ですから、最初、アドラットはこの山に置き去りにすることも考えておりまして」
「やっぱりそうですか」
「周囲の生物の苦痛を吸収してしまう神通力が働いているのでは、下界ではとても暮らせません。高山であれば、動物もごく僅かしかおりませんし、痛みを感じる機会もずっと少なくなります。とはいえ、あの若さで山奥に一生閉じこもって暮らすという未来も、それはそれで悲惨なものです。本人が良ければ、それでもこちらで引き取るつもりでしたが」
お茶で喉を潤してから、ゼンは続きを口にした。
「アドラットは信じられないほど厳しいやり方でルークを鍛えておりましたよ。あんなのは我々でもやりません。ですが、それでもルークは食らいついていきました。結局、一年経つ頃にはルークも自分の痛みに耐えられるようになってきまして、それで二人して下山しました。今頃は、どこかで騎士の責務を果たしておるはずです」
「そうでしたか」
想像を絶する努力で、ルークは自分の神通力を受け入れつつあるらしい。
「ただ、残念なことに、ルークは……真なる騎士に相応しい力を身につけられるかどうか。新たな神通力に目覚めさせようと、我々も手を尽くしたのですが、結局、何一つ得られませんでした。魔術は後から学ぶこともできましょうが」
スーディアで歪な神通力に目覚めたことが後々までの悪影響に繋がったのかもしれない。自分の痛みには耐えられるようになっても、騎士としての素質には疑問符がつけられてしまった。
だが、魔術を早くから学ばせなかったのは、むしろ温情なのだろう。いざとなれば、騎士の道から降りてもらっても構わない、という。
「そうでしたか。無事であればいいのですが」
「ええ。ですが、真なる騎士に帯同する従者なら、務めに殉じるのも当然の運命です。そこはやむを得ません。我々も無事を願ってはおりますが」
どうあれ、これで気になっていたことは解決した。
「ところでファルス様は、これからどうなさるご予定ですか」
「そうですね」
ワノノマまで行っても、不死は得られない。それでも予定は変えられない。今や俺は、生きるためではなく、むしろ死ぬために旅をしている。モゥハの下に出頭しなければならないのだ。
「スッケからワノノマまで渡ろうかと思っています」
「なるほど。確かに、外からの船はスッケからの許可がなければ、受け入れてはもらえません。ヒシタギ家に話を通せるのなら、そうなさるのがいいでしょう」
「はい」
「今はいい季節ですし、山の空気を楽しまれてはいかがでしょうか」
ゼンは口角を上げて笑みを作ってから、指折り数えた。
「今は夏ですから、山道にも雪がなく、歩きやすかったかと思います。ですが、黄玉の月の半ばともなれば、そろそろ天候が怪しくなってきますので、その頃にカインマの方に下山なされればいいかと思います」
「それですと、二ヶ月も御厄介になることになりますが」
「あくまでお急ぎでなければ、というお話です」
さて、どうしよう? どんなつもりで俺達に滞在を提案したのだろうか。
だが、ここを出たらまず、高い確率で使徒との対決が待っている。焼け石に水かもしれないが、ここで少しでも備えられるのなら……
自分の心配はしていない。ノーラとフィラックの生存確率を少しでも上げられればいいのだが。
「すぐには決めかねるかと思いますし、明日、我々の指導者と会ってから考えていただいてもいいかと」
「指導者の方、ですか?」
「ええ、一度お会いしていただければ」
微妙に何か引っかかるものを感じたが、俺は首を縦に振った。
「では、ご挨拶させてください」
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