狂犬現る

「なんとなーく嫌な予感はしてたけど……」

「仕方ないんじゃない? 百年以上、ろくに戦ったこともないみたいだし」

「いや、さすがに相手が悪かったと思います」


 広間でコの字型のソファに身を落ち着けつつ、俺達はぼやいた。

 歴史地区で例の名家の連中の昆虫コスチュームを堪能した翌々日に、案の定というか、やっぱりというか、大変残念な知らせが伝わってきた。


「言い訳はできねぇだろ。五千人も突っ込んで、魔物の一匹も倒せねぇってんじゃ、ホントにただのお飾りだろが」


 ふんぞり返ったキースが不機嫌そうに言う。


「いやぁ、まぁ、そうなんですけどね」


 ビルムラールは複雑な顔をしていた。愛想笑いと気落ちと憤りが混じったような。

 キースが苛立つのもわかる。ブイープ島に渡れないと、王位継承が進まない。するとシェフリ家への恩赦も遅れる。ビルー家を通しての触媒の供給も、今は多忙ということもあって、後回しになりがちなのだとか。つまり、わざわざ南の果てまでやってきて、無駄に待たされ続けているのだ。

 フィラックが言った。


「青玉鮫軍団は、半壊したらしい。大小合わせて八十隻もあった戦艦が、今は四十隻ちょっとしか残ってないとか」

「大惨事だな、おい」

「まぁ、聞いた話だと、練度もかなり低かったみたいだからね……」


 ディンも深い溜息をついた。


「儀礼のときにちょっと乗るくらいだから、船の整備も行き届いていなかったというし、王都を守るという名目もあって、遠くに船出することもなかったから、腕前には問題があったと思うよ」

「魔物を食らう鮫のはずが、今じゃ海の藻屑で鮫の餌ってか、ハッ」

「多分」


 タウルが話を引き取った。


「そろそろギルドで傭兵の募集が始まる」

「王家の面目が丸潰れだと思うんだけど」

「もう今更。やり方は選んでいられない」


 しかし……

 ラピが不安げに言った。


「人、集まるんですか? だって、相手は青竜ですよ?」

「一匹だけじゃないって噂もあるみたいですし」


 クーも表情を曇らせている。


「というわけで、ファルス」


 タウルが、なぜか当然のように俺に話を振る。


「お前が倒せば解決だな」


 そう言いながらも、半ばは本気でないらしく、苦笑いしているが。

 しかし、俺の関心は別のところにあった。


「イーグー」

「は、はい?」

「どうしたらいいと思う?」

「なんであっしに訊くんですか、若旦那」


 それはわからない。だが、とにかくイーグーは怪しい。それだけだ。


「悪いけど、多分、皆様にも依頼がくると思うネ」


 ワングは苦々しい表情でそう言った。


「王位継承は最優先課題ネ。で、皆様がこっちにいることは、もうバンサワン様が知ってしまっているネ。緑竜を倒したファルス様がいて、人形の迷宮を踏破したキース様がいることもわかっていれば、確実に話がくるネ。しかも、断れないネ」

「面倒っちいな」


 一匹だけなら、こっそりピアシング・ハンドで消すという手も使えるが、二匹以上いる場合には、それだけに頼り切るわけにもいかない。今のうちに能力を組み替えて、ある程度戦える状態にしておく必要がある。

 青竜がどんな能力を有しているかは、大雑把にしかわかっていない。水中にいる巨大な蛇みたいなものだそうだ。水魔術に熟練しているのは、ほぼ確実だろう。陸上にあがってきてくれれば、いくらでも戦いようがあるが、そううまくはいかないと想定しておくべきだ。むしろ水中に引きずり込まれて溺れ死ぬ可能性が高い。


「仕方ない。そのつもりで準備しよう」


 これが片付かなければ、俺も体が空かないのだから。それに、ポロルカ王国の人々にとっても、必要な仕事だろう。


 それから二日後、果たして予想した通りに召集がかかった。宿までギルドの係員がやってきて、支部まで顔を出すようにと伝えてきた。

 冒険者証を持つ人は全員呼ばれたが、ビルムラールだけは居留守を使った。逆にシャルトゥノーマはメニエ・スポルズという偽名で活動していたこともあり、アリュノーに到着したことも知られているので、参加せざるを得なかった。そういう意味では、ペルジャラナンやディエドラは顔を出さなくてもよかったのだが、いざ戦いとなれば留守番というわけにもいかないので、ギルドまで連れていくことになった。実際に青竜との戦闘になったときに、こちらが事前に説明していなかった場合、巻き添えで討伐されかねないからだ。


 例によって白い壁に茶色の瓦屋根、そして長い木の柱が庇を支えていた。そこに俺達は一列になって踏み込んでいく。

 中央に通路のように隙間がある他は、椅子が何列にも渡って並べられていた。適当なところに纏まって座る。周囲を見回すと、半分くらいはどうやら地元の人間らしい。ここでは冒険者も血縁者で占められるのかと、少し呆れもし、感心もした。残りの半分は、ここまでやってきた船乗りの護衛だろう。サハリア人っぽいのもいれば、フォレス人っぽいのも、ハンファン人もいる。ただ、みんな一様に日焼けしていた。

 南方大陸南部という土地柄らしく、ギルドの建物の中、ひんやりとした部屋の空気にも、お香の匂いが残っている。


 地元の冒険者らしい連中が、俺達に気付いた。頭から布をかぶっているディエドラはともかく、ペルジャラナンの存在はごまかしがきかない。こちらを指差しながら、何やらヒソヒソ言い合っている。その様子をペルジャラナンはポケーッと眺めていたが、シャルトゥノーマは顔をしかめて不快感を表した。


「まだ全員集まってはいないようですが、時間になりましたので、説明を始めさせていただきます」


 眼鏡をかけた四角い顔の、初老の男。彼がこのギルドの支部長らしい。ゆったりとした白一色の服を身に纏っている。彼は手元の資料に目を落としながら、滑舌の悪い喋り方でそう言った。


「先日、王国の第五軍団がブイープ島付近に留まる青竜二頭に攻撃を仕掛けたところ、甚大な被害を被った上で撃退されました。皆様にお願いしたいのは、青竜の討伐ないし撃退です」


 話を聞いていた男達は、一斉にざわめきだした。それも無理はない。仕事の難しさからして、最悪といってもいい。


「静粛に。この作戦には、第五軍団その他も参加します。但し、前回とは違う形で作戦を用意しました」


 前回、青玉鮫軍団は、八十隻の軍船という数を恃んで、力づくで青竜を叩きだそうとした。だが、結果は惨敗。海上では青竜には対抗できないことを思い知らされた。

 だから今度はやり方を変える。陸上に罠を用意した上で、冒険者達がその近くで待ち受ける。そして特に熟練した集団を派遣して、青竜を一匹ずつ誘い出して、陸上の戦闘に持ち込む。


「ナディー川河口の水門を開放しました。こちらに誘導して後、上流の水門を操作して水を堰き止めます。その分の水は市内の三本の運河を利用して排水します。下流の水がほぼ流れ切ったところで下流の水門も閉鎖、退路を断って一気に取り囲み、とどめを刺すという計画です」


 随分と大規模な作戦だ。第五軍団その他陸上戦力の助けも借りるのだろうから、何千人もの兵士が動く。


「質問」


 頭にターバンをかぶった地元の冒険者が手を挙げた。見た目はまるで海賊だが。


「はい、なんでしょうか」

「最初の囮は誰がやるんだ」

「それについては適任者が」


 そこまで言ったところで、閉じられていた出入口の扉が乱暴に押し開けられた。


「やぁやぁ、遅くなった! 申し訳ござらぬ!」


 騒々しく踏み込んできたのは、数人の武者達だった。一見してわかる。あの甲冑、提げた刀。ワノノマの魔物討伐隊だ。ガシャリ、ガシャリと一歩ごとに装備が擦れる音がする。


「どこまで話された? 先陣は我らが引き受ける! ご安心召されよ!」


 なるほど、と納得する。

 ワノノマの武人は、大抵は船乗りでもあり、水練にも長けている。そして命知らずだ。青竜を誘い出す役目にはうってつけだろう。


「なんだお前らは」


 さっき質問をしていた地元の冒険者が、若干の不快感を滲ませながら、そう尋ねた。


「申し遅れた。我らはワノノマの魔物討伐隊の者、拙者は隊長を務めるザン・ゾウルードと申す」


 先頭にいた男、ザンは、実に獰猛そうな男だった。

 決して大柄ではない。だが、甲冑の上からでも、引き締まった筋肉がついているのがわかる。頬骨が張っており、眼光は炯々として、まだ老いてもいないのに顔には深い皺が刻まれている。肌は日焼けしており、髪の毛は粗く後ろで結ばれている。安逸を捨て去って過酷な日々を受け入れてきた、そんな男の顔だ。


「我らが軍船を一艘借り受けて、青竜に向けて矢を放ち、水門まで引き寄せ申す。邪悪と戦うは我らが喜び、この役目はお譲りでき申さん」


 他にも危険な役割はいくつかある。まず、下流の水門を閉じるための伏兵だ。また、青竜を住宅のないナディー川東岸に引き寄せて、森の中に伏せていた兵士達が矢や投石機を用いて殺す予定だが、最悪の場合を考えると、それだけでは足りない。上流の水門や、西岸の住宅地に行かせないように守りを固める必要もある。


「なに、仮に我らがしくじって散ろうとも、屍は拾うまでもない。その時には、あとはお任せ申す」


 そう言うと、ザンは大きく口を開けて笑い出した。

 なんというか、やたらと武張った男というか、こう、もうちょっと空気を読むとか、円滑なコミュニケーションを心掛けても罰は当たらないと思うのだが……ここにいる連中は、誰しも戦いを生業としている。みんなそれぞれ守りたい面子もあるのだろうに。

 案の定、気分を害したらしい地元の冒険者が、立ち上がって指差した。


「ふうん、じゃ早速、そこの邪悪を斬ってみろよ」

「はて? 我らは悪人、罪人でなくば斬れぬのだが」

「そこにいんだろ、魔物が」


 眉根を寄せながらも、ザンはこちらに振り返った。その視線が、ペルジャラナンに向けられる。


「ギィ?」


 ペルジャラナンは、いつものように小首を傾げた。

 だが、その瞬間、鞘走る音が俺の耳を捉えた。


 振り下ろされた白刃が、耳障りな甲高い音をたてた。


「チッ」


 白い陣羽織が遅れて揺らめく。ザンの行動を先読みしていたキースが、間一髪、間に合ったのだ。刀がペルジャラナンの肩口に食い込む手前で、霊剣を割り込ませた。


「邪魔だてするか!」

「これだからワノノマの連中は」

「者ども、出会え! 出会え! 悪に手を貸す愚か者どもを討て!」


 俺はというと、唖然としていた。


 なんだ、このザンとかいう単細胞は。

 ほとんど条件反射でペルジャラナンを斬り殺そうとしやがった。普通なら、もうちょっとワンクッション置くというか、どうしてここに魔物がいるんだと尋ねたりするものではないか。あのアーノですら、こんな滅茶苦茶はしなかったのに。

 とにかく、こんないきなり問答無用で仲間を殺されてはたまらない。やむを得ず、俺も剣を抜いた。ただ、これだけ話が通じなさそうな相手だと、威嚇が意味をなさない可能性が高い。殺さずに取り押さえるしかないが、うまくいくかどうか……


「魔物は悪! 悪は滅すべし! こやつらを討てっ!」


 金切り声をあげたザンは、棒立ちになってこちらを眺めるギルド支部長や地元の冒険者を置き捨てて、我が身を擲つ勢いで斬りかかってきた。

 そこに体を滑り込ませて、彼の刃を受け止める。


「うぉおぉぁあぁあっ!」


 受け止められても、ザンは止まらなかった。なんとしても力づくで押し渡るつもりらしく、奇声を発しながら刀を何度も何度も激しく上から叩きつけてくる。正気とも思えないのだが、しかし、その一撃には、いずれも必殺の威力があった。


「隊長! 何やってるんですか! やめてください!」

「うぉおお! 斬れ! 斬れっ!」

「ちょっ、し、失礼します!」


 呼ばれて外からギルドの建物に入ってきた若者が、ザンの後ろでそう叫んだ。一向にやめる様子が見えない彼の背後に回ると、無理やり羽交い絞めにして、俺から引き離した。


「放せ! 放せ! 何をやっている! 放せ! 殺せ!」

「落ち着いてください! ……あ、皆様、大変に失礼を」


 そこで気付いた。

 ザンの後ろに回り込んで羽交い絞めにした男。彼の顔に見覚えがあったのだ。


「もしかして、クアオさん?」

「ファルス殿、大変な失礼を……いや、ご挨拶は後で」


 この後、暴れるザンは魔物討伐隊の他の隊員によって運び出され、青竜討伐計画についての話し合いは、一通り片付いた。

 俺達は、さっきの騒ぎで精神的に疲れ果ててしまい、ぐったりしながらギルド支部を出た。その時、クアオが駆け寄ってきた。


「あの、済みません」

「ああ」

「お詫びもさせていただきたいのですが」


 スーディア以来の再会なので、俺は彼を伴って宿に引き返した。

 宿の中庭に据え付けてあるテーブルに向き合って座り、供されたお茶を一杯飲んでから、やっと話を聞くことができた。


「まずは、大変なご無礼、お詫び申し上げたく」

「いえいえ……ただ、その、ちょっとビックリしましたが」

「うちの隊長は、腕前は一流なんですが、その」


 クアオは、もともとはヤレルの下で魔物討伐隊の役目を果たしていた。だが、例のシュプンツェの暴走、その後のアーウィンの魔法によって大勢が命を落としたために、生き残った隊員が三名しかいなかった。これでは独立した部隊としての機能を果たせないということで、彼らは遅れてスーディアに到着したヒジリに事の次第を報告した後、スッケに引き返した。それからいったん部隊は解散したが、クアオは新たにザンの隊に加わることになった。


「……あまりに血の気が多くて、気が短いので、陰では『狂犬』と呼ばれていまして」


 魔物討伐隊の武人としては優秀だが、人間性には大いに問題がある。それがザンという男だった。

 とにかく過激で、魔物とみるや見境なく斬りかかっていく。危険な任務でも喜んで引き受けるし、その勇猛さでは非の打ち所がないのだが、やたらと好戦的すぎて、方々で問題ばかり起こしてしまう。この半年間、クアオとその他の隊員は、彼の尻拭いに奔走してきたというわけだ。

 ただ、ややこしいことに、ザン率いる討伐隊の半分は、そのイカレた隊長のやり方に好意的だという。命懸けで魔物や海賊と戦う彼らにしてみれば、臆することのないリーダーは、まことに頼りがいがある。実際、戦士としては正しい態度であろう。見敵必戦という言葉があるが、これは配下の兵士に気の緩みを生じさせないという意味で、素晴らしい方針なのだ。


「明後日の早朝には、私どもが青竜を誘い出します。ファルス殿の武勇なら、間違いはないかと思いますが、ご武運をお祈り致します」

「クアオさんも、お気をつけて」


 こうして、若干の不安要素を抱えながらも、俺達は青竜討伐に参加することになったのだ。

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