身の置き所のないサル

「きたぞ」


 外から戻ってきたタウルが広間に駆け込むなり、そう言った。ソファに座ったままの俺達は、気怠いままに、のっそりと顔をあげた。休んでばかりいると、むしろ何をするにも億劫になるというものだ。


「国王陛下のご逝去が発表された」

「やっと」


 待ちかねた、と言わんばかりにみんな軽く腰を浮かせる。

 やっと、とは言っても、俺達が到着してからということでいえば、案外すぐだ。一週間しか過ぎていない。ただ、俺達の到着前に既に先王は死んでいる。実際に死去してから二、三週間くらいは宙に浮いたままだった。

 この蒸し暑さだし、とっくにご遺体は腐敗しきってしまっているだろう。それとも何か、特別な防腐処置でも施したのだろうか?


「今日にも葬列が大通りを行進する。あとで不敬と言われたら面倒。外に出て、頭を下げておいた方がいい」


 通りにまで腐臭が漂っては大変だから、何か対策はしたのだろう。或いは、空っぽの棺を運ぶだけで済ませるのかもしれないが。

 まぁ、そんなことはどうでもいい。


「わかった」

「シャルトゥノーマとディエドラは来なくていい。ペルジャラナンも」


 人間以外が出てきて、縁もゆかりもない王様に頭を下げていたら、それはそれで奇妙だし、見咎められていいことなど何もない。

 ワングも頷いた。


「多分、これから一週間から十日くらいかけて、あちこちからいろんな人達がやってくるネ。新王の即位を祝うためネ。しばらく都が騒がしくなるネ」

「で、どうする」


 フィラックが左右を見回しながら尋ねる。

 ビルムラールが引き取って答えた。


「通りは込み合います。そのうち先触れのお役人がやってきますが、できればその前に大通りに出て、一番前の列に並んでおいた方がいいでしょう。あと、よければ貴重品は私が預かります」

「大丈夫か」

「私はどうせ顔を出せませんから、留守番ということにしてください」


 キースも興味がないらしく、椅子の上でふんぞり返って足を組んだまま、そっぽを向いている。

 興味がないのは俺達も同じだし、わざわざ暑苦しい屋外に出たくもないが、旅行者にも不敬罪が適用される可能性はあるらしい。王室に敬意を払いました、という形だけは取っておきたい。


「じゃ、もう外に出よう」

「留守番はよろしく」


 そう言い残して、揃って外に出た。

 早めに宿を出たつもりだったが、大通りには既に大勢の人が集まってきていた。ビルムラールは最前列を押さえるよう言ったが、それはもう難しそうだった。


「はぐれるな」


 タウルが後ろにいるクーやラピに向かって声をかける。


「この辺にしましょうや。別に見物したいんでもねぇんでしょう?」


 どこに身を落ち着けようかとウロウロする俺達に、イーグーが言った。


「まぁ、そうか。迷子になってもつまらないし」


 フィラックも頷いた。


「タウル、そっちの隅で。俺はこっちの隅に陣取る。クーとラピはそっちで見てくれ」

「わかった」


 さすがに王様のご遺体がご通行あそばされる道路なので、幅は広い。馬車がすれ違えるほどの広さがある。通りに面した家々も、様式こそこの土地らしく茶色の瓦屋根に白い壁だが、いずれも三階建て以上の立派なものばかりだ。

 そして、そんな広い場所であっても、なお広さが足りない。王都中の人々が亡き国王陛下をお見送りさせていただくために立ち並ばなくてはいけないのだから。人の垣根の狭間を覗き見ると、最前列の前には人混みを制御しようとする兵士達が、棒を持って声をあげている。群衆の列の前には一定間隔で旗が立てられている。そこより前に出てはならぬというわけだ。


「静まれ! 静まれ! 不敬であるぞ!」


 兵士が棒を振り上げ、そう叫ぶ。だが、その程度では、群衆のざわめきは収まらない。

 ところがよくしたもので、兵士が左手の同僚の仕草を視界の隅に捉えて、慌てて直立不動の姿勢をとると、人々もまた、自然とその場に跪き、騒ぎ立てるのをやめた。


 やがて葬列の先頭が俺達の視界に入った。残念ながら、顔を伏せているので、あまりしっかりとは見られないのだが。

 先頭に立つ兵士が、真っ白な旗を捧げ持っていた。まるで船の帆みたいに見える。T字型の竿の天辺から風を孕んで前面に迫り出している。その兵士も、全身白装束だ。先日、俺がバンサワンに会うときに着た服から装飾を全部剥ぎ取ったような感じだった。

 その後ろを、四人の男が一列に並んで続く。服装は同じく白一色だが、手にしている旗は赤、青、緑、黄と、王衣と同じだ。この四色の旗が王国の四方を意味していて、つまりは諸侯が王に忠実で王国が平和に統治されていたことを示している。

 更にその後ろから、二人でプラカードのようなものを捧げ持ったのが、何組も出てきた。そのプラカード、周囲には白っぽい花びらで装飾がなされていて、なんだか葬式らしくない。むしろウェディングケーキの上にある、クリームとチョコレートで作ったプレートみたいに見える。その真ん中には、黒い文字で王の実績が書き込まれている。

 その後になってようやく真打ちだ。黄金で装飾された巨大な四輪の荷車が人の手で引かれている。その真ん中には、黒い簡素な棺が据えられていた。すぐ後ろには王族が歩いて従っている。四人の王子は一列に横並びになっている。その服装は古代のポロルカ王のそれを模したものらしく、この炎天下を歩くには少々不向きだった。金の冠に、聴診器のような金の輪っかが首元に輝いているが、なんと上着はなしだ。膝下まで届く腰布はあるし、サンダルもあるが、あとは陽光の熱を溜め込みそうな金の腕輪くらいしか身に着けていない。その後ろには姫君や妃妾が、頭からすっぽりと黒いフードを被って後に続いていた。

 王家の人々の後に続くのは、貴族達だ。彼らもくすんだ色の服を身に着けていて、宝石類はターバンのものも含め、すべて外している。行列の最後尾を占めるのが、完全武装した兵士達だった。ポロルカ王国にも騎兵くらいはいるはずだが、ここまで荷駄が用いられなかったのと同様に、歩兵しかいなかった。全員、銀色に輝く盾と槍を手にして、一糸乱れぬ行進を見せてくれた。


 身を焼く太陽にもかかわらず、俺達はじっとしていた。だが、行列が立ち去って、最後の兵士の背中が小さく見えるだけになると、人々はそろそろと身を起こした。別に本気で王様の死が悲しいわけでもない。この後、まだ暑いし一杯飲んで、それから普段の仕事に戻ろう……男達は軽く伸びをして、ざわめきながらその場を去ろうとしていた。


「おっ? おい」


 ジョイスが声をあげた。フィラックが尋ねる。


「どうした」

「ボケ! 今、そこのガキが……あっ、待て!」


 それで俺は察した。誰かがフィラックの財布を掏り取ったのだ。ちょっと外に出るだけだからと、ビルムラールに預けなかったのか。


「どっちだ」

「見失っちゃいねぇけど……クソッ、邪魔だな」


 これだから最前列を占めろ、と言ったのだろう。人混みに巻き込まれにくいポジションだから。とはいっても、後の祭りだ。


「どけ、どけ!」


 ジョイスは乱暴にフォレス語で叫んだ。これが案外効果があって、周囲の連中は怪訝そうな顔をして足を止めた。その間を俺達は走り抜ける。


「どっちだ」

「あの野郎、受け子に渡しやがった」

「心配いらない。そっちを捕まえれば済むことだ」


 大通りから一本内側に入って、一段丈の低い建物が密集する街区に立ち入ってすぐ、家と家の狭間の路地に、俺達は滑り込んだ。

 とある家の裏口に、一人の少女が腰掛けていた。なんでもないという顔をして、スピンドルをくるくる回しながら、綿を糸にしていた。


「おい、ガキ」


 フォレス語を解さないらしく、少女はジョイスを見上げつつも、キョトンとしていた。


「財布を返せ」

「通じてないぞ。……さっき渡された財布は、こちらのものだ。返してくれ」


 俺がシュライ語に訳して伝えると、彼女はまた首を傾げた。


「知らない」

「そんなはずはない。受け取ったはずだ」

「このアマ、下着に挟み込んでやがる。手慣れたもんだぜ」


 透視できるジョイスをごまかすなど、できるはずもない。


「犯人なのは確かだけど、さて、どうしようか」

「難しくないネ」


 するとワングが前に出て、少女の腕を掴んで引っ張り、無理やり路地に引きずり出すと、手加減なしの平手打ちを浴びせた。


「ワング!」


 俺が叫んでも、彼はやめなかった。これがこちらの流儀らしい。もう一発、大きな音を響かせて、彼が少女を打ち据えると、通りの向こうから少年が駆けてきた。


「何しやがんだ!」


 だが、多勢に無勢だ。スリがバレたと悟った彼は、踵を返して逃げ出そうとした。その足が自然と止まった。その彼の肩を、フィラックとタウルがしっかり抱え込んで、こちらまで引きずってきた。

 さすがクー、機転が効く。咄嗟に『認識阻害』を使ってあの少年を足止めしたのだ。


「ごまかせると思うな! 財布を返せ!」


 ワングはそう叫ぶと、少女は観念して、服の奥に隠したそれを取り出し、おずおずと差し出した。それをワングは引っ手繰るように奪い取って、恭しい手つきでフィラックに手渡した。


「フン」


 当然だ、と言わんばかりの態度で、ワングは路地の向こうへと歩き去っていく。一人、また一人と立ち去る中で、ふと、ジョイスが立ち止まっているのに気付いた。


「どうした」


 いつの間にか、さっきまでの怒りはしぼんでしまい、まるで打ちひしがれているかのようにさえ見えた。

 彼の視線は、二人のみすぼらしい兄妹に向けられていた。彼はしばらくそのまま、黙りこくっていた。それからジョイスは自分の財布を取り出して、中のお金を数えもせずに摘まみ出し、少年に差し出そうとした。

 その手が叩き落とされた。銅貨や銀貨、僅かばかりの金貨も、鈍い音を立てて石畳の上に転がった。少年の目には、反抗心がありありと見えた。ジョイスはもう、それ以上、何も言おうとせず、背を向けた。


「ジョイス」


 路地を出てから俺が声をかけると、彼は眉根を寄せつつ、なんとか振り返った。


「どうしたんだ」

「なんもねぇよ」

「でも」

「いや、まぁ、なんつうかな」


 彼は頭をボリボリ掻きながら、溜息をついた。


「このクソザルが、いったいいつから、そんなにお偉くなったんだかな、って思っちまった」


 俺の顔を盗み見る視線には、どこか恨めし気なものさえ混じっているような気がする。


「自分だって、ただのかっぱらいだったくせによ」


 それは、ここしばらく目にしたことのなかった……いや、もしかすると初めて見たジョイスの顔だったのかもしれない。

 どうにかしたいとは思ったが、言葉が思いつかなかった。


 宿に戻ってから、すぐに暇になった。国王の死去に伴い、いろいろな手続きがあるのだろうが、それはもう俺達には関係ない。あとしばらくは待ち時間になる。少なくとも、新王が対岸の島に渡って即位の儀式を済ませるまでは、やれることなどない。

 いつものように、俺達はベッドの上でゴロゴロ寝そべったり、読書をしたり、体を鍛えたりして時間を潰した。


 夕食を済ませた後、俺はジョイスに声をかけられた。


「どうせボケッとして過ごすくらいなら、ちょっと付き合え」


 そうして連れていかれたのは、俺達の客室の上の階、地上五階の半屋外のテラスだった。この宿はロの字型のビルで、天辺は陸屋根なのだが、そのままでは南方大陸を襲う大雨のせいで、建物が持たない。だから雨水を流し去るための木造の屋根が上に被さっている。


「キースは相手してくれねぇからよ」

「なんだ鍛錬か」

「いくぞ!」


 棒も携えていなかったから、てっきり話だけかと思っていた。だが、そんな俺に構わず、ジョイスはいきなり殴りかかってきた。

 動きこそ速いものの、狙いがわかりやすいだけに、避けるのは難しくなかった。突き出された拳を、まるで羽毛で包むかのようにそっと受け止め、床近くの深みに引きずり込む。咄嗟にジョイスは神通力を使ったらしい。あらぬ方に向かって落下を始めたのか、体が不自然に浮いたが、それも織り込んでいた俺にとっては隙でしかなかった。

 ジョイスとすれ違うように前に出て、踵を浮き始めたジョイスの踵に打ちつける。それだけで彼は大きく一回転してから、床に叩きつけられた。


「粗いな」


 マオ・フーが見ていたら説教するところだ。今の動きはいかにも雑だった。


「チッ」

「こんなんじゃ練習にもなってないぞ」

「クソが」


 ゴロンと床に転がる。


「昼間から様子が変だと思っていた。どうかしたのか」

「なんてこたぁねぇよ」


 彼はその赤い瞳をグリグリ動かしながら、あらぬところを眺めていた。木の屋根を透かして、夜空でも見上げているのだろうか。


「俺ぁ、何やってんだろなって、そんだけだ」

「それだけってことはないだろう。今は師匠の命令で、カークの街を訪ねる途中だ。そうだったな?」

「へっ」


 のっそりと彼は起き上がり、テラスの柵に身を預けた。そこからは、ほとんど真っ暗になった街並みが、かすかな星明りに照らされているのが見えているだけだ。


「他にやることがないだけだ」

「ない? そうか? いや」


 彼が何に悩んでいるのか、少々掴みかねたが、思いついたことを口にした。


「師匠の命令なら仕方ないが、別にピュリスに残ってサディスの今後を面倒見てやってもよかったんじゃないのか」

「意味ねぇだろ」

「意味ないってことはないだろう」

「ねぇさ」


 舌打ちをして、彼は遠くを眺めるばかりだった。


「何かあったのか」


 俺が尋ねても、彼はしばらく黙り込んだままだった。それでも、ようやく重い口を開いた。


 サディスは、実の父に売られてからあちこち転売され続けて、最後にピュリスの悪臭タワーに落ち着いた。そこは不潔な場所で、いつも飢えていた。元々両親にも大切にされていなかった彼女は、ごく内気な少女だった。それがこの過酷な環境に放り込まれたのだ。

 ジョイスは、サディスの行き先を知っていたわけではないが、あの気弱な妹が奴隷に落ちたのでは、とても耐えられるわけがないとわかっていた。だからこそ、少年らしい怒りに突き動かされてシュガ村の暴れん坊になってしまった。

 俺が彼をピュリスに連れ帰り、妹と再会させたことで、問題は解決したはずだった。しかし、彼女の兄としては、むしろそこからが悩ましかったのだ。


「あいつの頭ん中にはな」


 ポツリポツリと、抑揚もなく、ジョイスは語った。


「毎日毎日鉄格子が見えるんだ。向かいの牢屋には、売り飛ばされて買い手のつかなかった中年女がいる。そいつがある日、そこで死んじまった。奴隷商人どもが気付いて後始末するまで、ずーっとそこに死体が……サディスは、それをじっと見てた」


 多感な少女時代に、目に焼き付けたのが、そういう世界だったのだ。


「リンさんも、気にかけてくれた。だから、子供らしく遊ばせてやろうともして……でも、ぬいぐるみを与えても、あいつ、毎回ズタズタにしちまうんだぜ?」

「なんだって」

「お前には言わなかったけどよ。まるで人を殺すみたいに、首を切ったり、締めたり、押し潰したり……」


 心の傷は、まるで癒えていなかった、ということか。


「けど、もうじきあいつも大人だしな。ま、結婚だなんだと考えるまで、あと五年くらいはある。イーナさんがそう言ってくれたよ。簡単な仕事から任せて、普通に暮らしていけるようにするからって。ガリナもリーアもエディマも、ちゃんと面倒見るって」

「それはそうだろうな」

「俺は強くなりたかった。強くならなきゃいけなかった。だけど気付いたら、俺のできることなんざ、なんも残ってなかったっつうだけだ」


 だから、か。

 妹を残して遠くに武者修行、なんて。師の命令はあったにせよ、どうにも引っかかるところがあるとは思っていた。そもそもマオ・フーは、たった一人の家族を置いていけと言い出すような無情の人ではない。


「何もできてない」


 柵の木枠を握りしめて、彼は吐き捨てた。


「サディスを探しもしなかった。せっかく会えたのに、ろくに面倒も見てやれてない。オマケに、強くなろうって思って修行したのに、相変わらずお前には手も足も出ない。それでいて、貧乏なガキンチョ相手には強いってか。ははっ、せっかく考えねぇでいられたのによ」


 肘に突っ伏して、ジョイスは呻いた。


「俺は……なんなんだ? 今まで何をやってきたんだ?」


 少し驚かされた。今までそんな素振りも見せなかったのに。いや、なにより俺自身が自分のことでいっぱいになっていたから、気付いてやれなかっただけだ。


 それに、兆候はあった。思えば、大森林に入る前、俺の内心を慮っていた。俺はあれがジョイスの成長によるものだと思っていたが……

 確かに、成長ではあった。そこは疑いない。なんのことはない。今、語ったような心の闇が、ジョイスの心をより鋭敏にする……いわば砥石になったのだ。


 だが、だからこそ、彼は自分を受け入れられない。

 そして、俺にも、かける言葉はなかった。


 俺は何者なのか。

 今まで何をやってきたのか。


 答えられないのは、同じだったから。

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