待ちながら考える日

 宿屋の中庭に、カランと乾いた音が響いた。


「論外だ。まず体力つけろ。そっからだ」


 石畳の上に突っ伏しているのはクーで、溜息をついているのはキースだ。


「けど、別にみんながみんな、剣士になんなきゃダメっつうこともねぇだろ。人の背中ばっかり追っかけるな。何ができるか考えろ」

「は、はい」


 ようやくクーが起き上がった。


 お出かけする先も今はない。観光も一応済ませたし、キースもビルー家に渡りをつけて、あとは先方の返事待ちだ。つまり、誰もが暇な状況になった。

 ろくに触媒もないのでは魔術の練習も中途半端になるだけなので、今日は武術の鍛錬をやり直そうと、キースは中庭の真ん中で剣を振っていた。だが、退屈を持て余していたのは彼だけではない。それでみんなゾロゾロと下まで降りてきた。

 最初に挑みかかったのはジョイスだった。修行目的でここまでやってきたのだから、世界最高峰の戦士の一人に挑む機会は逃がせるものではなかった。結果は三戦全敗、仕方なく引き下がって他の人の勝負を眺めている。

 それで今度はクーが、強くなるきっかけを得たくて、無謀にも教えを乞うたのだが、一発で切り捨てられて終わった。容赦はないが、キースの言い分も当然だった。技だのなんだのという前に、まず敵に剣を叩き込む、ただ単純に振り切る腕力がなければ話にならない。


「はぁ」


 俺の横でがっくりと項垂れているジョイスがこぼした。


「あと何回やれるかなぁ」

「なにが?」

「だってよ、ここで王様が即位して、お前があの苦い豆の土地を買う権利をもらったら、北に行く船に乗るんだろ? そうしたら俺も、さすがにカークの街に行かなきゃだし。それまでには、キースから一本取りたいぜ」


 目標が高くて大変結構なことだ。多分、実現はしないだろうが。


 今はこれだけの大所帯で行動を共にしているが、間もなくみんな散り散りになる。まず、ポロルカ王にイーク殿下が即位したら、そして土地利用許可が下り次第、俺はここに留まる理由がなくなる。ワングは貪欲な男だが、例の秘密の件で俺を恐れているので、少なくとも最初から裏切ってくることはないだろう。彼にコーヒーのことは託して、俺は北上する。

 だが、キースやビルムラールとは、ここでお別れになるだろう。彼らは南方大陸の豊富な触媒を求めてきたので、ここを立ち去る理由がない。ディンはワングと行動を共にすることになる。ワングは、ここまで持ち込んだ商品の売れ行き次第で行動が変わる。手早く片付けば、俺達と共にアリュノーまでは移動するだろう。その後も、もしかしたらキトくらいまでは、送ってくれるかもしれない。

 キトでシックティルに再会したとして。さすがに、ここでクーやラピには船から降りてもらう。ジョイスもここで船を乗り換える。南方大陸の北岸を回ってカークの街に行かなくてはいけない。

 また、ペルジャラナンやシャルトゥノーマ、ディエドラも、ここからピュリスに向かってもらうべきだ。マルトゥラターレにも会って欲しい。ただ、彼らがどんな選択をするかは、今の時点では何とも言えない。実際のところ、ペルジャラナンには俺と行動を共にする理由がなくなってきている。祖先の歴史を知るという目的はもう、果たしたのだから。

 本当はノーラもここでピュリスに返したいのだが、彼女はなんと言われても従わないだろう。

 どうするか、どうなるかが見えないのが、フィラックとタウルだ。再び赤の血盟の支配領域に入るのだし、ここでティズにまた身柄を預けることができればいいのだが。

 もっと見通し不明なのがイーグーだが、こいつはもう、どうしようもない。多分、用事が済むまではなんだかんだ理由をつけてついてくる。それだけだろう。


 次の目的地は、東方大陸北西の街、ミッグだ。そこで船を降りて、北東部の神仙の山を目指す。だが、ルアは災厄を予告した。きっとその途上、どこかで大変なことが起きる。ならその前に、一人でも多く、俺の近くから遠ざけてしまわねばならない。

 大森林でも再確認した。人間の世界では一人前の男達でも、俺の旅に加わるとなると、明らかに力不足になる。無意味な犠牲は減らしたい。


「よっし、俺は自分の練習すっから、お前らの相手は終わりだ。邪魔すんなよ」


 そう言うと、キースは中庭の隅、鉢植えの向こうに引っ込んでしまった。わざわざ相手してくれただけ、本当に丸くなったと思う。


「ギィ」


 しょげているクーのところに、ペルジャラナンが剣代わりの棒を持って近付いた。

 相手をするよ、という意思表示だ。こういう気の優しさが彼にはある。もっとも、厳しく指導もできないだろうし、そもそも修正点を言葉でうまく指摘できないだろう。その辺は精神操作魔術で埋め合わせるとしても、竜人の骨格や戦い方を、人間では真似しきれない。以上、指導者としての資質に問題があるから、役には立ちそうにない。


「よーし、俺らも鍛錬するか」

「そうね」


 ノーラもジョイスと一緒に棒を持って中庭に出て行った。

 俺はそれを見届けてから、一人背を向け、階段に足をかけた。


 ベッドの上に身を投げた。両手を枕代わりにして俺は天井をじっと見上げる。

 なんだか、どうでもいい。大きな災厄がやってくるから、なんだ? 俺は小さな人間だ。身の回りのみんなの安全と幸せが守れるなら、それで満足だ。それもできるところまでの話で、自分の力を超えた問題に、今から必死になって食らいついていく元気など、ない。

 それでも、これまで見てきたさまざまな出来事が頭の中をぐるぐる掻き回す。


 先のことを考えても仕方がない。その時になってみないと、みんなどうしたいかなんてわからない。それより、今わかっていることをよく考えてみるべきではないか。

 大森林の探索は、決して無意味ではなかった。少なくとも、俺を取り巻くこの世界の成り立ちについて、いくつかの重大なヒントを提供してくれた。


 イーヴォ・ルーとは何者か。


 この問いについての答えは、現時点では確定できない。だが、高い確率でこう言える。あれは恐らく『異世界からの転移者』だ。

 シーラがそうだった。彼女は他の二柱の神、鳥神キュラと蛇神フーニヤと共に、こことは異なる世界を治めていた。だが、恐るべき侵略者によってフーニヤが滅ぼされ、その魔手は彼女らの世界にまで食い込んだ。キュラはもはやこれまでと、羽衣の権能をシーラに託して、その世界に生きる者達を送り出した。そうしてその人々は、ウルンカ……降り注ぐ雨のように、現在のティンティナブリアの地に降り立った。

 多分、イーヴォ・ルーもそんな異世界の神なのだ。


 しかし、彼……と呼んでいいのかどうかもわからないが、彼はシーラやウルンカの民とはまったく違う存在だった。

 シーラは、盆地に居着いて平和に暮らすだけだった。彼女がいることの影響はといえば、作物がよく育ち、牛がたくさん乳を出すようになると、その程度のものだった。一方、イーヴォ・ルーの下にはコラ・ケルンをはじめとした九つの魔人が生まれ、彼らは龍神トゥー・ボーを討ち滅ぼし、かつ戦闘力では人類を遥かに超えるルーの種族を創造した。そして南方大陸を制圧すると人間達のリーダーをパーディーシャーに任命して国家を取りまとめ、サハリアの砂漠でセリパシア帝国と干戈を交えた。実際の戦争はもっと広い範囲で行われていたはずだ。でなければ、こんなにも世界中にゴブリンがいたりはしない。


 この結果だけを今から評価すると、なるほどイーヴォ・ルーは魔王と呼ぶに相応しい。

 では、この世界に迷い込んだイーヴォ・ルーの目的はなんだったのか? 世界征服とか?


 常識で考えれば、そういうことになる。だが、今の俺はそれに疑問を抱いている。

 ルーの種族は、確かに個人単位では並の人間より優れている。だが、霊樹を破壊されると、途端に誤動作が発生する欠陥品だ。子供を産めなくなったり、気が狂ったりするのだから。神ともあろうものが、わざわざこんな出来損ないの兵器を作るだろうか?

 イーヴォ・ルーはコラ・ケルンを最初の使徒に選んでから、魂の宿るところを探させた。コラ・ケルンは森の大樹と溶け合ったという。そうして生まれた風の民は、なるほど単体で見れば優秀だが、寿命が長い分、繁殖力も低く、手っ取り早く兵隊を揃えるには向かない代物だった。

 最後の竜人の話にも違和感がある。コラ・ケルンは八つ目の精の宿り手を見つけられずにいたという。とすると、イーヴォ・ルーは『兵器を作るという目的のために精を受け渡した』のではないと考えられる。そうではなく『受け渡した精を宿らせることそのものが目的で、結果として戦闘力に優れた種族になった』としたほうが、自然ではないか。

 現に羽人族は、今では絶滅した可能性もある。小さな体の持ち主だったらしいが、それ以外でわかっていることといえば、飛行能力があることくらいだ。多分だが、さほどの戦闘力もなかったのではないか。


 では、イーヴォ・ルーが持ち込んだ『精』とは何か?


 もしかしてもしかすると……異世界の難民そのものではないのか。

 但しそれは、ウルンカの民のような、この世界でも自然に生きていけるような種族ではなかった。この世界にとって異質すぎる神が招かれてしまったことは、他にも例がある。スーディアで戦った、あのシュプンツェがそうだ。

 しかし、新たな世界にやっと辿り着いたのだ。自分が率いてきた民に生きる場を与えないという選択肢はなかったのではないか。だからイーヴォ・ルーは、霊樹を与えた。


 ルーの種族は例外なく、一つの体を二つの霊魂で共有する。かと思いきや、実は二つ目の体らしきものもあって、それが霊樹だった。

 では、こう考えてみよう。ルーの種族の中にあるもう一つの魂にとっては、霊樹は宇宙船で、いつもの肉体は宇宙服だとすれば。

 もちろん、これはあまりに単純化しすぎた解釈だ。そもそもイーヴォ・ルーの思考回路は、俺達の論理では追い切れないところがある。一つは二つ、二つは一つ、みたいな禅問答のようなルールがベースにあるのだから。しかし、現にポロルカ帝国の都もナシュガズとラージュドゥハーニー、二つあったのだし、どうもこの辺は彼の基本的な思考パターンらしい。


 では、仮にこの仮説が正しいとして、イーヴォ・ルーの次の目標はなんだったのか?

 宇宙服や宇宙船の中でしか生きられない、もともとの自分の民を、この広い世界に解放するのがゴールだったとすれば……

 そんな可能性を思わせるのが、あのナシュガズの金塊だった。低温の、恐らく水温を一定にした水と金塊の重量を比較して、比重を割り出す。その値は、日々変動した。物理法則が常時、組み替えられていたのだとすれば? イーヴォ・ルーは、この世界を少しずつ改造しようとしていたのかもしれない。

 だが、もしそうなら、それを女神が見過ごすはずもなかった。居候が家を乗っ取ろうとしているようなものではないか。


 しかし、ここでまた疑問が顔を出す。

 女神のために戦ったギシアン・チーレムは、ルーの種族の根絶を目指さなかった。なぜだ? 宥和的になる理由があったのか。勝利者であるはずの彼が、なぜ敵に手心を加える必要があったのか。


 一つの可能性が浮上している。実は、かの英雄は「案外弱っちい」ということだ。

 だいたい人間の将軍相手にも楽勝できていない。タリフ・オリムを防衛していたウル・タルク・ルカオルジア将軍を殺し損ねているくらいなのだ。

 また、別の根拠もある。魔宮モーが捨て置かれたのは、セリパス教会への配慮だったとすることもできる。だが人形の迷宮が攻略されずに放置されたのはなぜか? いくらルーの種族に宥和的だったとはいえ、あのように変質して怪物となり果てたケッセンドゥリアンを討たない理由などない。

 だから、素直に受け取るなら、ギシアン・チーレムには勝算がなかったのだ。少なくとも、負ける可能性があった。


 もちろん、単なる慈悲に基づく可能性もある。当時、ルーの種族は今より遥かに多かったはずだ。それを虐殺して回るなど、残酷極まりない。

 また、いくら欠陥種族といっても、あくまで個人の能力では人間以上だ。対決を選べば、勝利できたにせよ、人間側にも相当な犠牲が出る。


 さて、そこまで考えて、ようやく霊樹の苗の件を考えることができる。彼はなぜ、苗を持ち去ったのか?

 英雄弱虫説に基づくなら、じわじわとルーの種族を間引いてやろうと、そういう考えがあったことになる。この説をとるなら、大森林に魔物が出現した件、あれも英雄様の仕込みという可能性も出てくるだろう。

 そうではないが、単に霊樹には管理を要するだけの危険性があるのだとすると……それは何だろうか? 今となってはわからない。


 大森林の魔物の暴走についても考える必要がある。

 一つ、確かなのは、あの暴走を引き起こした魔物を、ギシアン・チーレムは目にしている。でなければ、ベヒモスなんて名前が与えられたりはしない。あれがこの世界での一般名称だから、ああしてピアシング・ハンドに表示されたのだ。

 しかし、大森林が魔物でいっぱいになった時期は、世界統一後、少なくとも三、四百年後くらいから。英雄の昇天後、それだけの時間が経過している。いや、ギシアン・チーレムには不老不死である可能性も残っていたのだった。とするなら、彼が黒幕の一人である可能性は、まだ排除できない。

 ただ、彼だけが犯人ということもないだろう。そしてそれは、イーヴォ・ルー以外の何かの神ないし魔王の働きがあったと思われる。


 砂漠のリザードマンには『破壊神の照臨』という能力が付与されていた。それと同じものが、大森林で見かけた人型の魔物にもくっついていた。これが偶然なわけがない。

 ルアは使徒のことを話した。ルアがナシュガズにいて、ケッセンドゥリアンのことで俺に感謝していた以上、あれはイーヴォ・ルーの側に属する誰かだ。つまり使徒は、イーヴォ・ルーの使徒ではない。或いは元はそうだったのかもしれないが、だとするとそこから去った誰かだ。


 では、使徒の主となる魔王は誰だろうか?

 しかし、この世界には魔王の名前がいくつもある。代表的なものとしては、ギシアン・チーレムが最後に戦ったという『暴虐の魔王』、南方大陸を支配した『変異の魔王』イーヴォ・ルーが有名だが、その他にもマイナーな存在がいくつも存在する。東方大陸南東部で崇拝されていたというゼクエス、それに北部ではまた別の神がいたという話もある。西方大陸でも、今まで忘れられていたテミルチ・カッディンや、ギウナが滅んだ後の沼地に出没するようになったグラヴァイアもいた。シュプンツェもそうだが、スーディアには残り二柱の神もいたことだろう。シーラの存在まで含めていくと、もうどれだけの神がこの世界に降り立ったのか、数えることもできない。


 で、そうなると、そんな魔王がいたとして、どうして今、大人しくしているのだろうか。

 そもそもは人間でしかないはずの使徒が、あれほどの力を備えているのだ。魔王はそれ以上だろう。動き出さない理由があるとすれば、何か封印でもされているとか?


 この前、歴史地区で見かけたイーヴォ・ルーの彫像を思い出す。

 あんなウネウネした触手だらけの格好をしていたんだろうか。これも、ワリコタが教えてくれた伝承とは違う。山中に捨て置かれたコラ・ケルンの周囲を暴風が取り巻いたとしている。あの触手が暴風に……いや、案外あれで風を表現したつもりになっているのかもしれないが。


 ただ、そこまで考えて、やはりギシアン・チーレムの宥和的な態度が本物だった可能性に思い至る。彼は歴史の石板を流用したし、その他の遺物も残した。

 そしてイーヴォ・ルーの方も、決して邪悪な神ではなかった可能性が高い。それどころか、この世界の人間にもきめ細やかな対応をしていたことさえ考えられる。

 あの『百族百家閨門交媾図』の出口には『生まれ変わりし者に祝福あれ』と刻まれていた。あれがどういう意味なのか、確たることは言えない。だが、もしかすると種族や性別を変更する儀式が行われていたのではなかろうか。

 かつての南方大陸は、多種族共存の世界だった。獣人や風の民が人間と混じって暮らしていたのだ。そうなると俺を含む普通の人間は、種族の違いゆえの対立ばかりに注意を向けてしまうのだが、逆はどうか。つまり、水の民の娘に恋をした人間の男がいたとしたら?

 なんらか肉体改造の儀式があったとして。その知識が部分的に言い伝えられて残っていたので、諸国戦争時のポロルカ王は、古代の儀式を真似て、反逆者達を去勢したのではないか。


 ……俺は頭を掻きむしって、掌で目元を覆った。


 なんてことだ。

 これだけヒントばかりあるのに、結局、正解に辿り着けそうな気がしない。


 でも、それももう、大事なことではないのだ。

 では、俺にとって大切なことは、なんだろう?


 答えが出ないままに、俺は睡魔に引きずり込まれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る