四年後に発覚した事実
薄暗くなり始めた街の中を、馬車は揺れながら走っていく。狭く捩じくれた路地、周囲を見ずに道路を渡ろうとする住民のせいで、せっかくの乗り物なのに、速度は歩いているのと大差ない。けれども、そのせいで大きく揺れずに済んでいる。
合計十二名の大所帯に馬車がたったの二台。俺達を呼びつけた誰かが、こちらの人数を正確に把握していなかったのがわかる。その辺は文句を言っても仕方がない。
「セマい」
「後ろの馬車はもっと狭い」
適当に乗りこんだつもりが、こちらには男が俺とクーしかいない。左右をシャルトゥノーマとディエドラに挟まれ、向かいにはクーとラピ、それにノーラがいる。
女だらけということを意識してしまって、微妙に気まずくなった。俺は肩をすぼめて、体が触れないよう、しっかりと踏ん張った。
「どうした?」
「いや……」
人間らしい感情の多くを置き忘れつつある俺だが、セクハラにまで無頓着にはなりたくない。
幸いなことに、ほどなく馬車は止まった。目的地に着いたらしい。
夕暮れ時の街に影を落とすその建物は、やっぱり四階建てだった。今は灰色に染まった白い壁面には、植物を象ったような浮き彫りが施されている。これだけみても、相当な金持ちの家であろうとわかる。ただ、腑に落ちないのはその入口で、正面玄関というよりは勝手口のような普通のドアがあるだけの場所だった。一応、そこには白い服を着た守衛が立っていて、俺達の姿を認めると、扉を開けて中に入るように促した。
この扱いに、俺は首を傾げた。だが、だんだんと頭の中で情報が整理されてくる。詳しい用事を伝えずに呼びつける。人数もしっかり確かめていない。そして裏口から、これといった挨拶もなく迎え入れる。とすると、相手は俺達を目下の人間として扱っている。だが、これは貴人の振る舞いではない。街中に屋敷があることからもそれとわかるが、そもそも高貴な身分の人間は、客人にもそれなりの礼を尽くす。でないと、自分の品位に傷がつくからだ。
今日、この街に到着したばかりの俺達に用事があるとすれば、理由は一つしかない。とすると、ここは敢えて下手に出て、あとから一泡吹かせてやった方がよさそうだ。
俺達は、屋敷内の一室に案内された。窓が部屋の高い位置にあるだけで、そこからは黒い椰子のシルエットと、炭火のような暗赤色の空が見えた。さすがに室内には虫除けの目的もあって、お香が焚かれていた。遅い時間なのもあって既に暑苦しさはなかったが、その独特の匂いに湿気も加わって、空気にずっしりと重さを感じた。
置かれている家具の多くが、やや古ぼけていた。特に違和感をおぼえたのがソファだ。この高温多湿の土地に、ソファ? どこから持ち込んだのか。もともとはそれなりの品質のものなのだろう。フォレスティアの貴族の家になら、ありそうな品だった。
座る場所が不足していたので、俺は立っていた。俺を差し置いて座ろうとするのもいなかった。これはこれでいい。ノーラと目配せしたが、俺は何も言わなかった。もしかすると、この待ち時間に誰かが聞き耳を立てているかもわからない。その辺はジョイスが気付いてくれているだろうが。
しばらく待たされてから、俺達が入ってきたのとは別方向の扉が開いた。
やってきたのは瓢箪みたいな見た目の南部シュライ人だった。小男で、腹だけがぷっくりと膨れている。ただ、手も足も細いし、肩幅もない。頭には緑色のターバンのようなものが乗っかっている。その下の髪も、反り返る髭も黒々としていて艶があった。肌は浅黒い。その眼差しには、何やらねちっこく絡みつくような印象があった。
「ふん? 何人だ?」
シュライ語で呟いてから、視線を俺達の顔に向ける。ペルジャラナンやディエドラみたいな人間以外の存在はいいとして、あとは判断に困るところだろう。シャルトゥノーマやジョイスは金髪なのでルイン人に見えるし、俺やノーラはフォレス人だが黒髪で、ムワであるラピと区別しにくい。タウルは西部シュライ人だとわかるが、フィラックやクーはサハリア人らしい見た目だし、ストゥルンに至ってはそもそも人種を特定しにくい。そしてイーグーはハンファン人だ。
集団の中に、明らかに変なものが混じっているのに気付いたようだが、彼は表情を変えなかった。
「代表は誰だ」
顔立ちに似合わず、やや甲高い声だった。
戸惑うのも無理はないので、俺が答えた。
「若年ですが、僕です。ファルスといいます。フォレスティアから来ました」
彼はじっと俺を見つめてから、口角をあげて笑顔を作った。
「ワング・ケタマカンというネ。さ、座るネ」
癖のある間の抜けたフォレス語で、彼はソファに腰かけるよう勧めた。俺が従うと、彼もそそくさと向かいに腰かけた。
「早速、用件を話していいかネ」
「どうぞ」
「今日、ギルドに緑竜の鱗や骨を持ち込んだのは、君らかネ」
俺は大きく頷いた。
「その通りです」
「大変珍しいネ。どこから手に入れたネ」
「先日、大森林の中で。関門城から森の奥を目指したのですが、彷徨っているうちに緑竜に襲われまして」
すると、さすがに彼も驚きの表情を浮かべた。
「それを倒したのかネ!」
「運に恵まれました」
「では、死骸を拾ったとか、そういうことではないのネ」
「はい」
嘘をつく理由も必要もないので、素直にそう答えた。
だいたい、丸ごと一頭分の素材だ。例えば鱗は全部で一千枚近くある。鱗と言っても、その大きさからして並大抵ではない。そのまま盾にできそうなほどだ。どこかから盗んできましたというには無理がある。
「君らは冒険者だということだがネ」
「はい」
「あれを売りに出したいんだネ」
「そうです」
ニタニタ笑いながら、彼は椅子にふんぞり返って足を組んだ。
「さすがにあれだけのものは、ギルド支部でも引き受けられないネ。あそこは買い取って転売しているだけだからネ」
なるほど、あの時はとにかく疲れきっていて深く考えていなかったが、当然そうなるか。ゲームの世界のノンプレイヤーキャラクターではないのだから、押し付けられた素材を全部買い取るなんて、できるわけがない。
だから、ギルドとしては地元の豪商に声をかけ、取引の手配をするしかなかったわけだ。とはいえ、そこに癒着のようなものがないとは言えまい。買い取る資金がないのなら、素直にそう伝えた上で、競売にかけるなり人を紹介するなり、まずは俺達に相談して然るべきだろうからだ。
「私が思うに、確かにあれは状態もいい、立派なものだネ。どうだろう、ここは一つ、金貨五万枚で売らないかネ」
これはひどい。
思わず吹き出しそうになった。すると、滅多に出回らない緑竜の鱗だけで考えても、一枚あたりたった金貨五十枚で買い叩こうというのか。
緑竜の鱗は、その頑丈さから防具の素材として需要がある。骨の方は、こちらも強度に優れるが、加工しにくさもあって、実用品として用いられることは少ない。ただ、どちらもじっくり腰を据えて売る分には、ちゃんと買い手の見つかる品物だ。
とはいえ、落ち着いて考えると、絶妙な価格設定ではある。末端価格で買い取る側からすれば、この何倍もの値段になるのだが、在庫を抱える側のリスクまで計算に入れれば、原価としてはそこそこ妥当かもしれない。
「いいお値段だと思います」
「そうかネそうかネ」
「ただ、全部は売れないので、船の手配をお願いできますか」
俺の言葉に、彼は眉根を寄せた。
「はてネ? 君、悪いことは言わないネ。こういう品をきれいに捌き切るのは、素人には難しいネ。倉庫に積んだまま、腐らせるのがオチネ」
「ああ、そういうことではないんです。いくらかを献上しないといけなくて」
口から出た出まかせみたいなものだが、本当に言った通りにしようとは思っている。
「赤の血盟のティズ・ネッキャメル様と、フォレスティアのタンディラール王に」
「フェッ!?」
ティズは俺のせいでわざわざクース王国まで派兵したのだ。実質的な戦闘はなかったはずだが、手間と気苦労をかけた分、好意を伝えておきたい。それに名前も借りている。
タンディラールについては、ゴーファトの件で貸し借りなしのつもりではあるのだが、そうはいってもサハリアでしでかしたことを考えると、やっぱりピュリスに残したみんなが気がかりではある。意趣返しに何かひどい処分を受けたりでもしたら、申し訳ない。だから、多少はゴマすりしておくのもありだ。
その分、みんなの取り分が減ってしまうのだが、もしそれで不満があるというのなら、その分はできる限り補填する。俺としては、旅を続けられるだけの資金が残ればいいのだし。
「き、君、そんな人達とどんな縁があるのかネ?」
「はい。タンディラール王は、僕に騎士の腕輪を授けてくださいました。ティズ様につきましては、単なるご厚意ですが……もともと、僕はティンティナブリアの貧農の子で、そこをティズ様の兄であるミルーク様に引き取られて、運よく当時のピュリス総督のお屋敷で働く機会をいただいたのです」
「ピュリス? はて……」
真顔になった彼は、数秒間、顎に手を当てて考えていた。
だが、突然何かに気付いたのか、雷に打たれたかのように椅子から飛び上がった。
「君、まさか、名前はファルス・リンガというのではないのかネ!」
「はい、その通りですが」
「エンバイオ家の下僕だった、あのファルス・リンガかネ!」
「はい」
立ち上がった彼は、じっと俺を見つめていた。額から濁った汗が滴り、床の絨毯に落ちた。
何が何だか分からないが、彼は俺にビビッているらしい。というか、どうして名前を知っている? それも、人形の迷宮の攻略などの実績でなく、エンバイオ家に仕えていたことに言及した。となると、こいつは、俺の旅立ち前の人間関係の向こう側にいた誰か……
「ワングさん」
俺は椅子に深く座り直して、問いかけた。
「どうして僕のことを知っているんですか?」
「な、何のことかネ」
「エンバイオ家の下僕だったことを知っている……でも、サフィス様に仕えていた頃には、あなたみたいなお客はお見かけしたことがありません」
「ウッ」
つまり、人伝に俺のことを知らされていた人物だ。
すると誰だろう? エルゲンナームとか、ファンディ侯とか……いや、違う気がする。そういう有力者が背後にいて、俺という一介の騎士の名前を知っているだけなら、もっと親しげに振舞うだろう。
「もしかして」
この部屋の奇妙なミスマッチ。
蒸し暑いアリュノーに、どうしてフォレス風の高級家具があるのか。この土地では使いにくいが、わざわざフォレスティアから持ち込んだ私物でもあるし、捨てるのはもったいない。だから一応、来客用に残しておいた。つまり、彼はフォレスティアに長期間、滞在して働いていた人物なのだ。
俺も椅子から立ち上がった。
「ラスプ・グルービーの元部下ですか? そうですね?」
「いっ、いやぁ、まぁ、ご縁はあったネ、ハハハ」
この慌てよう。後ろ暗いところがなければ、こうはなるまい。
ああ、そうか。やっと繋がった。
「では、あなただったんですね」
俺は一歩近づいた。
「ピュリスにばら撒かれた病」
「ワーッ!」
俺が続きを言う前に、彼は絶叫した。ビンゴだ。
グルービーは、パッシャと手を結んで、ピュリスの水道を病原体で汚染した。殺傷性の低い病気を、南方大陸で探させたと言っていたっけ。となれば当然、現地で活動したのがいたはずで。
だとすれば、ワングのこの怯えようも道理だ。そういう危ない仕事の直後にグルービーが死んだ。病原体の知識を得たのもこの俺から、そして対決したいと望んでいた相手もこの俺だ。あれほどの財力と胆力を兼ね備えたかつてのボスを葬り去った少年が、秘境の魔物である緑竜を屠って、今、ここに立っている。
この真相がブチまけられたらどうなるだろう?
タンディラールは、立場からして黙ってはいられないだろう。王国の直轄領に病気を拡散した極悪人だ。なんとしてもしょっぴいて、首を刎ねるのではなかろうか。
「わ、私は悪くないネ! 全部は知らなかったネ! 後になってから大変なことになったとわかったネ!」
「そうですね」
彼にとっては降って湧いた災難だ。
俺としては、どうしたものか。あの事件は俺にとって決して小さなものではなかったが、しかし、ワングを恨むかといわれれば、それはちょっと違う。どう考えても主犯はグルービーだし、彼のことさえ憎んではいない。ただ、この状況は利用できそうだ。
「まぁ、いいです」
「い、いいです、というのはなんだネ」
「あなたは商人ですから、適正価格もわかるかと思いますので、一切お任せします。僕らはまた、旅を続けますので」
「ヒッ」
こちらから要求を口に出したりはしない。
「あ、あ、あー……じゃ、じゃあ、どうかネ、いろいろ手配するのに時間がかかるだろうし、それまでうちの客室でノンビリ過ごすというのは、悪くない考えだと思うネ?」
「ご厚意ありがとうございます。では、明日からお願いします。ああ、念のため、今日中にティズ様には手紙を書いて送ることにします。近々贈り物をお届けできそうだって」
屋敷の中で毒殺なんかさせないからな、という圧力だ。
真珠の首飾りを牛耳る権力者の目があるぞ、と暗に伝えるため。
「そ、そうだネー、いやー、私も一枚噛ませてもらえるとは、ありがたいネー」
「お互いのために、これから仲良くさせてくださいね」
「そ、そうネ、それがいいと思うネ!」
こうして俺は、汗だくになった彼の手を握ったのだった。
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